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2025-03-16

妻と共に雨模様の中、柚木沙弥郎展に出掛けました。そして想う。

 急にキーボードが動かなくなり画面にダイレクトに打っている五十鈴川だより。時間がかかるが仕方ない。外は雨である。

昨日午前中妻と、今県立美術館で開催されている、柚木沙弥郎展に出掛けた。私はあまり美術展とか展覧会とかにほとんど出掛けない。出掛けるのはよほどのことである。今回県立美術館に出掛けたのは星野道夫展以来である。

日本民芸館で求めた

なぜ出掛けたのかを書くのは、長くなるので割愛、はしょるが、ほんの少し打つ。柚木沙弥郎と言う名前が強烈に私には刻まれたのは、一年前聞いたラジオ深夜便のインタビューである。インタビューされたときの年齢が95歳、そのみずみずしいあまりの宝石のような言葉の数々に心から感動したのである。

東京は駒場東大前に、日本民芸館があるのは知ってはいたがいったことはなかった。そこで柚木沙弥郎さんの展覧会会が開催されている事を知り、私は何としても行きたくなり一人で出掛けた。柚木沙弥郎さんは昨年一月101歳で長寿をまっとうされ召されたので、おそらく再放送されたのを私は聴いたのである。

数少ない戦争体験世代の最後のアーティストかも知れない。戦後染織家として民芸作品づくりからスタートするが、晩年70歳、80歳以降の作品がまさに自由自在、であまりに素晴らしく、生命感に満ちあふれていて、見ていて幸福な気もちになる。岡山ゆかりの方であることを、今回あらためて再認識した。(生来のアーティストである)

ワクワクすることの、感動することの、ただ純粋に、心のおもむくままに、あるがままに、命が輝くことの、気持ちがいいことの、一切合切を生活者の一人として、生活が豊かに彩られるような作品を創造、想像された稀有なアーティストである。ナンセンスの極致の晩年の作品の豊かさは例えようもない。

まさに先生と呼びたい、心から慕いたくなるような語り口の方であられた。たまたまラジオで耳にした、そのあまりの自然体語り口のお声に打たれた。一日一日をきちんと生活し感謝して生きることの当たり前の奥深さを、先生から学びたい。妻と共にゆくことが叶い、よき時間が過ごせたこと、感謝を五十鈴川だよりに打っておく。

2025-03-15

ほぼ、スパイラルアームズのフライヤー配布を終えた朝に想う五十鈴川だより。

 嬉しい土曜日の朝が来た。9日の朝打って以来である。多分これからはお休みの日、つまり労働アルバイトをしない日以外は打たないと想う。心と体が充分に休息をした日以外は、一文を紡ぎ出すと言う気にはきっとならないだろう。

望晃、七歳のお誕生日プレゼントの本

60代まではまだまだ煩悩というか、怒りの感情などが日々随所に沸いてきたのだが、このところそういう感情が消えてはいないのだが、むなしさの方が勝って、ただ静かに暮らしている。限り無くシンプルにシフトして生活している。そのことをただただ楽しむ叡智を見つけたい、とでもいうしかない老いの感覚を生きている、最近の私である。

話はかわる。先週土曜日打ったときに、次の土曜日フライヤー配布がどこまでやれたのか、打つのをどこか楽しみにしていたのだが、結果は思いもよらぬ早さで配布が進み、目標の6000枚配布が一昨日の段階で終えることができ、今手元に予備の1000枚弱が残っている。長くなるので割愛するが、6000枚のうち私がおおよそ4000枚をあちらこちらに配布と郵送し、残り2000枚は、友人知人が100枚、200枚、300枚、70枚、40枚、10枚単位で預かってくださり、実質ほぼ一週間で配布を終えることができた。

中でもKさんはチケットも売ってくださった。最初100枚も配布できるかなあ、と不安を見せていたのだが、あっという間にチケットを売り、追加の100枚をまたもや我が家まで取りに来てくださった。その際、私が勤めていた美星町にあるカフェ(私が働いていたときにはなかった)のオーナーが世界の打楽器に興味をお持ちの方で、なんといきなり60枚も預かってくださり、フライヤーをもっと預かってもいいとのことで、明日Kさんと共にそのカフェに持って行く約束を昨日電話でしたのである。その約束をした際、すぐにKさんから折り返し電話がありチケットが5枚売れたので、持ってきてほしいとの連絡があった。嬉しいと言うしかない。

Kさんは私より年上、インテリである。私は氏からこれまで何度も本をいただいた。このようなことは岡山に来て初めてである。いただくばかりなので、先日氏に私も返礼、本を差し上げた。読書家で博学、社会的なことや文化的なことに知的関心、好奇心が旺盛なかたである。その上今回よく氏の人柄を改めて認識しなおしたのだがよく動く。まるで我がことのように動いてくださる。私は書斎で安全なところにいて、汗もかかず訳知り顔に知識や知見を宣う、いわゆる俗に、(もう年なのでなんでも書くが)進歩的知識人を全く信用していない。

ところで、どうしても一行五十鈴川だよりに書いておきたい人がフライヤー配布を手伝ってくれたYさんと言う女性がいる。3日前天神山で300枚もフライヤーを預かってくださった。この方とは昨年春今ごろ、シェイクスピア作品の音読の会で出会った。子育て真っ最中のお忙しいなか、熱心にリーディングされていたのが印象的で、時間に余裕できればまたリーディングをやりたいとまで言ってくれた方である。スタッフが居ない中、わざわざ夢が原まできて、マルセさんの受付ボランティアまでしてくださった方である。

昨年【マエストロに聞け】参加者の中で、瀬政さん以外フライヤーを預かってくださった方である。世代を越えて、何か感じあえる関係性というものが生まれると、私は信じる。でなければスパイラルアームズは企画できない。若い世代に一人でも土取さんの存在に関心をもってほしい、のだ。なぜこの年齢でフライヤー配布をしてまで企画を引き受けるのか。それは何度もかいているが、おもわぬ光が体をつらぬくような出来事が起こる、発生するからである。

P.S. 天神山でYさんと別れる際、新見の縄文美術館に行くことを、お節介承知で勧めた。


2025-03-09

昨日、出逢ったばかりの女性(ひと)が、いきなりチケットを買ってくださった。そして想う日曜日の朝。

 昨日打ったばかりなのに、今朝も連続して打つ。フライヤーを配布していると、思わぬ人に出会い、嬉しさが込み上げてくると言うことを、昨日の五十鈴川だよりに打った。昨日もまた、午前中最初の配布先でそのような出来事が起こった。

先日、岡大の敷地エリアの中にあるカフェにフライヤーをお願いに上がったところ、そこで働いている方から、浜野の本部にも行かれたらいいと、住所を書いてくださったので早速そのカフェに出向いたのである。なんと住所を書いてくださった方がいらして即100枚ものフライヤーをカフェに置いてくださり、カフェのオーナーとも面識を得ることが出来た。のだが意外な出来事はそのあとに起こった。

写真がぶれていて申し訳ありません

その洒落たアートフルなビルのカフェやお店の一角で、美容室をやりながら、小さな音楽スタジオをお持ちの女性が、お客様がいるのにもかかわらず、フライヤーを見ただけで100枚ものフライヤーを預かってくださったのみならず、なんとその場でスパイラルアームズのチケットを2枚買ってくださったのである。そのことを先ずは今朝五十鈴川だよりに打たずにはいられない。

長いことフライヤー配布をしているがこのような出来事は初めてである。犬も歩けば棒に当たると言う言葉を、バカの一つ覚えのように、オマジナイのように、後生大事に私はフライヤー配布をやっているが、まさにそのようなことが起こったのである。

その方はお客様がいてお仕事中であったし、ゆっくりとお話しすることは控えたが、近日中にコンタクトをとって、お話しができることを私は願っている。十人十色という。まさにしかりである。けんもほろろから、このような方まで、人間とはなんと摩訶不思議な存在であることか。だがこのようななかたに出会うからこそ、きっと私は企画を続けているのだと、自分に語りかける。(のだともう)

人は生まれ、この世での命を終えるまで何人の人間と巡りあい、言葉を交わすのであろうか、何て事を、時折殊勝にも思ったりするのだが、昨日のような出来事があると、単純に子供のように、すでに十分に老人である私も嬉しい。その後昨日は、いい感じで表町界隈の多様なお店に配布が出来た。午前、午後3時間で目標の倍の600枚を配布できたので、無理せず早めに家に戻った。

BSで、世界町歩きと言う旅番組を私は妻とよく見るのだが、つくづく歩けると言うことの、ありがたみが、高齢になればなるほどますます染みてくるのを実感する。一日10キロを歩き回る喜びを体感しながらのフライヤー配布。目的があるので歩くのが楽しい。かなりの人から激励される。一見愛想がよくない人ほど温かい。開店前の居酒屋のオーナーなどほとんど預かってくださる。

老夫婦二人での生活、幸い健康で時間が有効に使える。大きな集客ではなく、50人未満の手の届く音楽イベント、老いる今を豊かに彩れる可能性のある企画がやれる、と希望が萌える。老いの春である。

2025-03-08

スパイラルアームズのフライヤー配布、5日から始めて思う、土曜日朝の五十鈴川だより。

 土曜日である。5日から歩き回りフライヤー配布を開始、今日も午後は半日配布に動くつもりである。午前中は労働者生活をやっているので、6000枚ものフライヤーを配布するのは、考えてみると、無謀、不可能のような気もするが、敢えて私はこれを自分に課して動いている。

歩き回り、フライヤーを置いてくれそうなお店に飛び込みでお願いするのである。

40歳で中世夢が原で企画者として働き始めた当初から、主に休日フライヤー配布をしていた(当時まだインターネットは普及していなかった)のが私の原点である。その残り火のような感覚がこの年齢になっても抜けきっていないのである。

完全に時代遅れであることは重々承知している。だが、どこかで私のうちなる声が、歩けるうちは、やれるだけのフライヤーを配布に動く事を、良しとする。どこか天の邪鬼的な私がどこかにいるのと、ここまで私を動き回らせてしまうほどの、土取利行さんがアーティストだからである。おそらく、土取さん、猪風来さんでなかったら、フライヤー配布は昨年で終えていたであろう。

フライヤー配布を始めてまだ3日を終えたばかりだが、このようなことでもない限り、街中のいろんなお店を眺め眺め歩く何てことは、私くらいの年齢になると、まずないのではないかと思う。長くなるので割愛するが、今のところやはり犬も歩けば棒に当たる、のような出来事が、次々に出来している。目標一日300枚配布して、3月いっぱいには配布を終えたいと、私は思っている。

だがハレノワでの300枚とか、友人が200枚とか、100枚単位で預かってくださる方がいて、フライヤーができてわずか5日間で、すでに2000枚近くが、はけている。焦らずこのペースで、休み休みしつこく配布に動けば目標が達成できそうである。

知人にラインで伝える。電話で伝える。友人に封書で伝える。そして見知らぬどこかの誰かに足で伝える。今のところこの4つの方法を駆使して伝える以外、私には方法がない。73歳の私の体をフルに動かしていると、脳の前頭前野が時おり閃く(気がする)。夢が原時代あちらこちらに配布に動いたので、体がいろんなお店を記憶していて、次から次に体があのお店に行けと、教えてくれるのである。

街の風景は時代と共に移り変わり、人心も移り変わり、閉店しているお店もあるけれど、元気に続けておられるお店もあり、温かくフライヤーをおいてくださる。とはいっても今回私が配布しているお店は、8割がた新しいお店である、カフェや、レストラン、ファッション、アパレル関係、居酒屋、バー、花や、CDショップ、などなど扉を開けてお願いするだけである。

表町界隈、奉還町界隈、倉敷美観地区界隈をこの3日動いたのであるが相対的に皆さん温かくフライヤーをおいてくださっている。さて、来週の土曜日にはどれ程のフライヤーが我が家から消えているか、とにもかくにも動き回るしかない。

PS 今日の写真は美観地区のとあるカフェの写真。ご主人が早速貼ってくださっていた。帰りに気づいたので写真に納めた、なんとも感じがよく、即反応してくださった。思わぬ人に出会えたときに、一気に嬉しさが込み上げてくる、こればかりは配布したものにしかわからない。(だろう)

2025-03-05

歩ける骨で動く、スパイラルアームズフライヤー配布に動く、初日の朝に思う五十鈴川だより。

 3月3日夕刻、N氏のデザインしたフライヤーが(届けてくださった)予備の枚数も入れて7000枚ドーンと届いた。一束1000枚のフライヤーは重い。そのフライヤーをできるかどうかはわからない。3月30日まで何とかあちらこちらに配布に出掛ける予定、でかけるつもりである。昨日のように雨で配布出来ない日もあるだろうから、そうはうまくはゆかないことは、承知しているが、家にじっとしていてもフライヤーは一枚も減らないので、基本私が動くしかない。(のだ)

Nさんの素晴らしいフライヤー。

だが、長くなるので割愛するが、このスパイラルアームズの岡山公演支援者に名を連ねるK氏が、一昨日の夕刻出来立てのフライヤー100枚を配布に動いてくださると言うことで、わざわざ取りに来てくださった。

そしてなんとそのK氏から昨日午後電話があり、友人知人にフライヤーを見せたところ、たった一日で10枚チケットが売れたとのこと。夕刻、岡山でK氏にチケットを渡しチケット代をいただいた。

気持ちが動き、あの人にお願いをしてみようかなあ、と思う面々が、迷惑を承知で私には今のところ岡山に10数人はいるので、もう年齢的にダメもとでのお願いをKさんにしたところ、快く引き受けてくださったので甘えたのだが、よもやまさかチケットまで売ってくださるとは思いもしなかったので、その嬉しさは雨を吹き飛ばすほどに嬉しかったことを、五十鈴川だよりに打っておく。

五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方は、もう重々ご承知とは思うけれど、こういう予期せぬ意外な展開が起こることこそが、私が敢えて仕事ではなく、(何よりもよき思い出が確実に心に刻まれるのだ)この年齢でも企画を打ちたくなるモチベーションなのである。人間には喜びの感情、感動する感性のようなものが、ありがたいことに備わっている。(悲しいことだが備わっていたのに消滅しておられる方もいる)

もういい歳だから臆面もなく打つが、どうやら私にはありがたいと言う他はないが、いまだに感動したりするバネは健在である。でなかったらこのような企画を引き受けることは不可能である。話を戻す。Kさんのように人の頼みを我がことのように感じて動いてくださる奇特な御仁もおられるのだと、教えられるのである。絶望は愚か者のなすことと、もう希望探しに老人は動くしかないのである。その事を昨日Kさんから教えられた。

正直、この企画岡山では難しいといまでも思うのだが、この数十年、私が企画してきたものは、マイノリティのアーティストばかりである。父は若いうちの苦労は買ってでもせよ。人が嫌がることを率先してやれと、耳にタコができるくらい幼い私にいい聞かせたが、その教えはいつの間にか私のからだの奥深くに根をおろしている。

敢えてそのような私の性格を見込んで、この企画がもたらされたのであれば、父はきっと引き受けた私を誉めてくれるのではないかと思う。そういう私の原初的感覚の波動、想いの渦を、まさにスパイラルの渦を伝えるつもりで、フライヤー配布に動くつもりである。Kさんのおかげ、力強い同世代の仲間が現れたことで、なにやら幸先よい。スパイラル、うずうずする感覚は春の訪れ、私の春はフライヤー配布で見つけたい。

2025-03-02

犬も歩けば人に出会う。下津井エリアまで出掛ける前の五十鈴川だより。

 昨日の五十鈴川だよりに瀬政さんについて実名写真入りで打った。その瀬政さんが所用で西大寺の近くに来られていて、夕刻わずかな時間ではあったが、立ち寄られ、リビングでお話が出来た。五十鈴川だよりを打つことで、なにやら思考がまとまったり、整理したりできるからこそ、こうも長く打ち続けているのだと思う。

雑談できる相手も似たようなことが言えると思う。瀬政さんとお話しできたことで、これからの大まかな流れの確認のようなものができて、本当によかった。時折信頼できる仲間と会話をすることで、いまを唯我独尊的にならないように、事を進めてゆくために、私にとって大切な時間となった。妻の存在もそうだが、私の行動や言動に直言してくれる身近な信頼できる存在が、私には絶対的に必要である。

ところで、明日の午後にはハレノワでのスパイラルアームズのフライヤーが完成する。お休みを中心にフライヤー配布に、おおよそ週に2日から3日動くとして、20日間、一日あちらこちら目標300枚として6000枚、予備として1000枚、計7000枚印刷することにした。時間を有効に使って配布するためのプランを、昨日今日と立てているところである。

今日はこれから倉敷の下津井まで出掛ける。これまで私の企画に足を運んでくださっていた主に同年代世代が、私を含めて高齢化し、社会的なそれぞれの事情を抱え、家を空けて出掛けることが困難な状況がにわかに増えていることを、この数年企画を再開し、その事を肌で私は感じている。

だから、この度はいまをいきる、粋のいい40代50代のかたに一人でも出会うべく、無理せず、しかし、もうこれで最後と言える位に、先日も打ったが老骨人としてやれるだけのことをやりたいと思っているのだ、その手始めに下津井エリアを探索しようと決めたのである。

封書に一筆入れる

せっかくのお休み、せめて半日なにがしかの動きを試みれば、犬も歩けばではないけれど、何かに当たるかもしれない、との淡い願望のようなものがないと砂漠に水を撒くような企画は出来ないのである。アクションが起こせなくなったら、私は引退する。

フライヤーを置いてくれそうなお店やカフェを見つける感覚は、これまでの経験で歩き回るしかない、というのが私の原点、素朴極まる方法である。私が10才くらいまでの記憶、物売りのおばさんが、リヤカーに魚や、豆腐などを積んで直接訪問販売をしていた。限り無く私はその原初方法を遵守している、のだと思える。

家でじっとしていても、チケットは一枚も売れない。お客様を劇場に運ぶには、営業に徹するしかないではないか。頭の弱い私は体を運ぶ、行動力、実践力だけが取り柄のような私である。他にはなにもないと思っている。ってなわけで下津井エリアまで出掛ける。

2025-03-01

3月1日土曜日の朝、瀬政さんの意外なリアクションに驚かされる、今朝の五十鈴川だより。

 2月末のこの二日間は、4月30日のハレノワでのスパイラルアームズ公演に向けて、フライヤーの詰めのメールのやり取りがN氏と私との間で頻繁に行われ、日が変わ直前まで、N氏の推敲が繰り返された末、フライヤー決定稿が出来た。N氏から楽しく刺激を受けた。

大地にねっころがるノア

数日中にフライヤーが手元に届くその日が、今か今かと待ち遠しいが何はともあれ、これで4月30日のハレノワでのスパイラルアームズの公演に向けて、月も変わり新たな気持ちで向かえるので、正直かなりくたびれてはいるのだが、嫌な疲れではまったくない。

きっと年齢的なところからくる疲れなのだと、自分ではおもうものの、不思議とよく眠れるし、朝になるとこうやって五十鈴川だよりを打ちたくなるのだから、その気持ちが動く間は企画ができると自分に言い聞かせている。

ところで、フライヤーの完成を我が事のように喜んで早速私やNさんにメールをくれたのが、スパイラルアームズ岡山公演支援者の静かで熱き情熱の持ち主、瀬政さんである。色々打ちたいことがこの一週間立て続けに起こっているのだが、一番新しい瀬政さんのことから打っておく。

今回の企画、無名のスパイラルアームズを引き受けるにあたっては、経済的な支援もさることながら、まずはこれまでの私の人生で出会えた、得難い仲間にお声かけし、その仲間たちと共に、この公演を成功に導きながら、仲間とのこれからの関係性を、一段と深めてゆくための、千載一遇の好機到来と考えることにし、アクションを起こしたのだが、結果思いもよらぬことが次々と出来している。

昨日私は瀬政さんに(瀬政さんはすでに多額のカンパをしてくださっている)チケットは何枚位必要かと、仲間として軽く打診したのだが、なんとカンパ(カンパは自由に使って欲しいといわれた、そうさせていただく)とは別に10枚確保して置いて欲しいとのメールがきた。

これまでの交友で、彼が10枚もチケットを必要としたことは記憶にないので、正直私は驚きを隠せなかったのだが、その事以上に私を驚かせたのは、氏が自分も私のようにチケットを行商行脚すると、書かれていたからである。

蒜山でお地蔵さまになった瀬政さん

心強いという以外ないではないか。よもやまさかこのような人工知能AIが全世界を闊歩し、人心に便利で快適、人が人として動く楽しみすらコントロールしようとしている時代に、私と同じように、リアカーで手作り野菜を販売するかのように、チケット行商行脚する仲間が現れるとは。愉快である。

人間とはまったく計り知れない。シェイクスピアは自分という器は、自分では時にどうしようもないコントロールできない感情におそわれると、登場人物に言わせているが、まさに昨年からのシェイクスピア作品の音読への参加といい、瀬政さんは私を驚かせ続けている。

清水の舞台から飛び降りるという言葉がある。身を捨ててこそ浮かぶ背もあれ、とも言う。さすがキリマンジャロに登頂したこともあるご仁、伊達ではないと今回知らされている。人は長年の交友でもわからない奥深さを(時に自分でも自覚していない)秘めていることを痛感する。今回、仲間としての瀬政さんからは特にその事を感じている。

情熱の根拠は人それぞれである。余人にはうかがい知れない、多くの人間が普通関知しないような事柄に、時に敏感に反応する。今回支援カンパを振り込んでくださったかたがたは、そのような尊い感覚の持ち主である、無私の人ばかりである。スパイラルアームズを引き受けることなくして、このような稀な本質的な再会、新たな新鮮な高齢者再出発、出会いはなかったであろう。

そのようなあれやこれやをおもうとき、ただもくもくと🦏さいのように歩めと言う言葉が浮かぶ。歩き始めた幼児が無心でただ歩くように、老いてはいるが私もまだ歩ける。瀬政さんと行商行脚を楽しみたい。