昨日午前中、妻は仕事だったので一人で菜園場に玉ねぎの苗を、マルチをひき300の苗を植えた。もう充分なのだが、友人にも送りたいので、スペースいっぱい今日も植える。
この仕事に廻り合い、お辞めになる方が、よかったらこの菜園場を使ってほしいとのことで、以来有り難く使用している。あれから7年、ささやかに土に触れる生活を持続している。まったく我流、虫に喰われて全滅した野菜も多いが、今年もトマト、なす、ピーマン、シシトウは買うことがなかった。サツマイモはほとんど実が(葉は繁ったのだが)つかなかったが、家で食べるにはことかかない。ストーブで焼き芋をいただくには充分である。
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| 色付く我が家の八朔 |
今年の中では茄子とシシトウ、ピーマンがひっきりなしに実をつけて、この物価高のなか今も我が家の家計を助けてくれている。 娘たちにも上京する度に持参したり送ったりしている。お米も高くなっているが、共に働くkさんの作っているお米を直接買っている。主食のお米を生産者から直接買えるのは有難い。(kさんからは柿や野菜なども時折いただく、気持ちのよい晩年の友人である。)
ところで、その豊作茄子を、妻がぬかにつけ、私の大好きな漬物にしてくれたのだが、その美味しかったことと、懐かしい母のぬか漬けの味を舌が想いだしたことを、五十鈴川だよりに打っておく。幼少期に食べつけた味の旨さの記憶に、結局私は回帰するのである。
干物、小魚、野菜の煮物、揚げ物などなどの、つまりはあの昭和30年代に、母が作ってくれた手料理の味に、母と父や姉兄弟とちゃぶ台で食べた、黄金の記憶に回帰してゆくのである。
今となっては限りなく、慎ましくも私のなかで甘美な物語になってしまうのである。とにかく私を含む5人の子供はお腹を空かしていたので、食卓のすべてに母の工夫のお料理が染みて脳裡に焼きついている。懐かしいというしかない想い出である。
もう充分に高齢者である私は、小さい頃に食べた味覚の料理が一品有れば充分である。それと主食のお米は八割玄米を頂いている。朝は妻の具だくさん味噌汁を週に5日は食べる。手術後、つましいけれど、ご飯がとても美味しい。したがって体調がいい。高齢者で仕事があり、新しい生命に恵まれ(今年4人めの孫に)言葉がない。4年前、退院したとき、体重は53キロだったが、一年で60キロにもどりいまもほとんど変わらない。
こんなことを打つと、ちょっと面映ゆいが、18歳から、入ってくるお金だけでやりくりしのぎ、今現在も私なりに生きているだけである。追いつめられたら工夫する。辛抱する。精神が鍛えられる。中世夢が原を退職したときに、これからは、両親の晩年生活を見倣って生きることに決めたのである。以後、お金で悩んだことはない。
くどくど打つことは控える。私の少年時代の生活を基本にやりくりすれば、私の場合さほどのお金は不要である。もっと言えばもうこの年齢になると、健康に過ごせる時間がもっとも大切なのである。玉葱を植えるには最低体が健やかでないと、(命が健やかでないと)つちと戯れることは不可能である。千住真理子さんの音色、演奏を聴いたと忽然と幸福感が湧いてきた。これはお金では買えない世界の、見えない世界の音色だと。
うまく言えないが、あの音色の世界の方へと。ただ存在しているだけで、日差しを浴びているだけで気持ちがいい。そのような時間最優先で老いて往きたいとますます念う。年金以外の収入を得るために、私が対価の労働に勤しむのは身に付いた能力を活かせる喜びがあり、そのお金を、私が最優先したいことに使用したいが為である。











































