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2025-12-30

立花隆著[天皇と東大]上巻を読み始めて思う、年の瀬の五十鈴川だより。

 世間や世相の流れとはまったくおおよそ無縁な年の瀬を生きている。繰り返し同じような事を綴っているようにも思うけれど、お許しあれ。昨日の私と、今日の私では、微妙に変化し続けているように思えるからこそ、五十鈴川だよりを打つ、のだと厚顔無恥なる私は、考えている。

さて、上巻だけで782ページ、下巻706ページにも及ぶ、立花隆さんが20年前に出された[天皇と東大]上巻を25日から早朝の時間に集中して読み始めている。孫たちが帰って来たら読めないので、読み終えるのは来年早々になりそうである。


だから来年最初に読む本は、立花隆さんの天皇と東大になる。このような本と出会えて嬉しい。

そのいちいちの嬉しさを、年の瀬時間打っている余裕はない。がしかし、厚顔無恥で無知蒙昧を今も自認している私は、近現代史と言うものの、複雑怪奇さをまるで系統だって、きちんと読んだことがないので、一言ただ読んでいてワクワク、面白いのである。

このような在野で、好奇心のおもむくまま、多岐にわたっての未知の分野に、膨大な優れた著作を遺されたお仕事に頭をさげる。有り難いというしかない。

どのような名著であれ、自分の人生とクロスするところがないと私は本が読めない。読む作家、本との相性タイミングで、自分のなかの何かがびびっと反応しないと読めないのである。自分でも何だが、この年齢になっても反応するところにしがみついて、素直に学びたいとの想いは深まる。

何かを諦め手放すと、また新たな世界が見つかる。目の前の足下の、手の届く範囲の楽しみをこそ、見つけてゆきたいのである。近現代史、分けても両親が生きた時代、大正時代のことすら、ろくすっぽ知らない。戦前の昭和と戦後の昭和のあまりの相違。昭和、平成、そして令和。

その前の、大政奉還、怒涛の明治時代、近代化、欧化文明開化、明治、大正、昭和、敗戦、敗戦後から、現代までの歴史。よくぞこのような本を遺してくださったことへの(まだ読み終えてもいないのに)感謝が、五十鈴川だよりを打たせるのである。信頼できる人の渾身のノンフィクション、七年がかりで著された稀な本。あだやおろそかには読めない。朝一番、頭がすっきりしている時間に集中して読む。(上巻全35章の20章、今朝449ページ迄読み進んだ)

つくづくの無知をこの年齢で思い知らされる。が年齢ではない。知ることの醍醐味に反応する自分がいる。その事が有り難いのである。いろいろな意味で、今年は変節、変容、を我が体は感じている。

午後孫たちが帰ってくる。が、わずかであれ打っておきたい。孫たちはこれからの時代を生きてゆく。お爺じとしてささやかに何が出来るのか。体を動かし労働し、本を読み考え続けたい。

2025-12-28

明日、明後日孫達が帰省する。お正月が待ち遠しいお爺じ、年の瀬お金について思う。

 妻がお正月準備に終われている。私も出来るだけ妻の意向に添うように務めている。もう明日には次女家族が帰省するので、五十鈴川だよりを打っている時間はとれなくなるけれど、なるべく寸暇を見つけて、打つのを心かけたい。一年のほとんどの時間を、二人の娘が巣だってからというもの夫婦で過ごしてもう十数年になる。

玄関他4箇所妻のお飾りが。

この間、私も妻もフルタイムではないが、今年も働いているので、何かとやることが多く、時間をもて余したりすることは、ほとんどない。

妻も私もなにかとつぎつぎにやりたいこと、やらねばならぬことが見つかるので、やっていることはまるで異なるにもせよ、一日が充足して過ぎる日々を、これ好日といった塩梅で暮らせている。

40年共に生活していても、お互い微妙に変化し続けているからこそ、ひとつ屋根のしたで、それなりの距離感をキープしながら、付かず離れず共に生活ができているのだと思う。

千差万別の夫婦、その一夫婦として、とくに今年の年の瀬思うことは、いよいよこれからの、老いゆく未知の夫婦時間を、いかに過ごすかという、新たな目的のような感情が強まってきている。

このような事を臆面もなく打つのは、もういい年なのに、未だどこか気恥ずかしい。野暮な老人にはなりたくないので控える。(故、井上ひさしさんはすべてのエッセイは自慢話である、と書いている)

話を変える。年の瀬、例年はお墓参りに帰省していたのに、今年は取り止めたお陰で、この数十年で初めてといっていいほどの、ゆったりとした年の瀬、夫婦時間を過ごしている。年の瀬の12月、余裕をもって五十鈴川だよりを打つのは、初めてといってもいい。

私が家の周辺をうろちょろする位で、ほとんどの時間を家で過ごしている。物価高騰のなかでも、普通に何とか生活できている。世の中に出て55年、カツカツの、お金には余裕なき耐乏生活を、嫌でも継続してきた。(特に妻と出会うまで)もう2度とあのような耐乏生活はしたくない、といった過去の思いがきっと私を支えていることは間違いない。お金の有り難みを、何度か心底経験したことが、やはり大きい。

私にとってお金は、本当に必要な時のために、いざというときのために使うものである。したがって、自分でも無駄遣いはしない(出来ない)。とはいっても、何点か、苦しい余裕のないときに、絵を求めたことがある。2000年ミレニアム、家族で西インドを訪れた時に、一枚の絵を見て、どうしても欲しくなり、なけなしのお金をはたいて買ったのだが、その絵はあれから25年、今も我が家のリヴィングルームに掲げてある。多分私がこの世から消えても存在する。

お金の有りがたさ、使い方次第で人生は豊かにもなるし、全く正反対にもなる。お金は恐ろしい。だから、私は努めてお金に頼らず、自分の体が悦ぶお金の使い方を、老いて益々心掛けている。いつかも書いたが、ケチではなくいざというとき、好きな事に大胆に使いたいのである。

昨日だったか、徹子の部屋にタモリさんが出ていて、本を捨てられないというお話をされていた。徹子さんも頷いておられ、お二人とも、文庫本の安さに(古本屋で買ったら100円で手にはいる)ふれていた。何万円もするブランド品を身にまとわなくても、わずかなお金で、体が悦ぶお金の使い方が出来る人間に、孫たちにはなってほしい。お爺の願いである。その孫たちにもうすぐ会える。4人の孫に会えるお正月が待ち遠しい。

2025-12-26

昨日、年の瀬、今年お世話になった方々にご挨拶最後猪風来美術館に行きました。そして思う。

 昨日、ちょっと特に、今年お世話になった方のところに、久しぶりに拝顔がてら、直接ご挨拶に伺った、午前中10時過ぎから動いてお昼を挟み、最後は猪風来美術館へ。猪風来さんは所要で不在であった。短い時間、原野さんの作品をみて、猪風来さんのことしの新作もあらためて、見た。(何度みても新鮮、命が宿っている)

すぐ帰るつもりだったが、よし子さんが、お茶、続いてコーヒーを淹れてくれて、思わぬお話時間をよし子さんと持てた。この2ヶ月、妻以外の人とは言葉を交わしていなかったので、お思わぬ、予期せぬ話が、二人っきりでよし子さんと出来たことができて嬉しかった。

ゆっくり学びます。
(気持ちのいい話相手をこの年齢でもてるのは幸福である)

長くなるし、割愛はしょるが、すでに五十鈴川だよりでも書いたので、重複するし、論旨も脈絡もままならず、でも少し打つ。今年一番の私の予期せぬ出来事は、猪風来さんご夫妻の渾身の企20周年企画に、側面から裏方として、黒子に徹して関われたことである。

関係性の深まりは、昨年の秋、すでに何処か遊悠隠居気分で生活していたところに猪風来さんからの一本の電話で、始まった。以来今年10月12日の、イベント当日までこの一年の私の内面の変化は、そうは簡略に言葉化できない。

それほどに密度の濃い、老いゆくなかで、かけがえのない未知の、時に苦しくも、楽しい愉快な時間が過ごせたことを、五十鈴川だよりになんとしても打っておきたい。

これほど穏やかな年の瀬を、我が人生で過ごせているのは、おそらくほぼ一年間、猪風来さんご夫妻との密な時間を共有したからこそ、私のなかにこれまでは感知しなかった、脳のニュウ―ロンシナプスが、老いつつも繋がって、見えてきたのかもかもしれない。

そう思わざるをえないほどに、臆面もなく打つが(初めて経験する)、静かに足りた、私の年の瀬である。猪風来さんご夫妻を通じて、しっかりと縄文という言葉が、体の深いところ、脳のシナプスに定着したからではないかと、想えるのだ。

現代生成AI魑魅魍魎世界、生活する私のなかに、どこか縄文世界の経済という観念、所有するという観念のない、文字のない豊かさ、見えない生命そのものの豊かさが、まさに大いなる何かが見守っていてくれるかのような、安らぎに満たされているからである。(としかおもえない)、ジョン、レノンのイマジンの歌詞のように、縄文世界を自由に想像する。

このような感覚は一年前はなかった。だからなのである。足が年の瀬に猪風来さんご夫妻のいる法曽に向かうのは。二階の展示室の原野さんにもご挨拶した、来年も会いに来るから、と。

29日次女家族、30日長女家族が帰省する。今年夏生まれた4人目の孫も初めて帰ってくる。二つの家族によし子さんに頂いた来年の縄文カレンダーをプレゼントしようと思う。

2025-12-23

立花隆著、[いつか必ず死ぬのになぜ君は生きるのか]、を年の瀬に読んだ。そして思う。

 立花隆さんが亡くなられて来年の四月でまる5年になる。この年齢になると、全てはあっという間の歳月であることを実感する。

さて、昨日立花隆さんの膨大な著作から、東大の立花ゼミで、立花隆さんから講義を受けた方が、立花隆さんが残した珠玉の言葉を新書版の形で、読みやすくまとめた[いつか死ぬのになぜ君は生きるのか]という本を一気に読み終えた。(解説を池上彰さんが書いている)

成長したら孫たちには是非とも読んでほしい。

五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方には、年の瀬に読むには、高校生から、私の年齢以上であれ、この世を生きるすべてのヒトにおすすめする。

立花隆さんは齢80歳で他界されている。巻末に記されている、出典書籍一覧60冊から引用された、苦悩格闘の果てにつむぎだされた言葉が、今という時代を生きる、老人の私に限りない勇気を授けてくれる。

本物の書籍は著者が不在でも、今を生きる人間が手にとって、立花隆さんの遺した言葉に、ある種の啓示を感じるのだから、あらためて氏の多方面への関心、好奇心のおもむくままに、青春からお亡くなるまでの、知的好奇心の果ての膨大な著作を知ると、脱帽、頭を垂れるしかない。

私のわずかな一庶民生活者の本棚に、氏の本が思索紀行、エーゲ、佐藤優さんとの対談本など10冊位ある。上下二巻の天皇と東大は、晩年読もうと思って買っておいたのだが、すぐに読みたくなった。

第一章、人間とはなんだろう(抜粋27)。第二章、死とはなんだろう(抜粋25)。第三章、人はなぜ生きるのか(抜粋10)。第四章、人はどういきるのか(抜粋26)。第五章、考える技術(抜粋26章)。第六章、今を生きる人たちへ(抜粋16章)で構成されている。

私のような一庶民俗物生活者には、目も眩むかのような一途な学究者である。が、この本を読んで思春期から大いなる悩みを抱えながら、必死で独自の活路を拓かれ、全うされた人生であられたことが実によくわかった。徐々に認知され、単独行動で大きな組織の闇の部分に(よくわからないから切り込んで行く情動は、氏以外にはなしえない)果敢に挑んで行く。

私のような俗物生活者であれ、高齢者になり、ややもすると安易きわまりない、面白味のない、安逸な生活にどっぷりはまって、知的刺激をまったくと受けないような輩にはなりたくはない、と思うので、この新書版の小さな本は、これからの私の未来時間の、大きな支えになってくれるのは間違いない。

話は変わるが、このところますます本を手にする時間が増えている。年の瀬世の中の流れとは別世界を、遊読旅、次々と良書、体が喜ぶ本に巡りあっている。心なしか種類にもよるが、集中力も読む速度も以前よりも、老いに逆らって早くなってきているように、(錯覚かもしれないが)感じる。外見は全く驚くほどお爺さんである。が信頼できる人の言葉で体が反応する。私は言葉で生きている、のだ。

時間は一定、二つの本を同時には読めない。立花隆さんも言っている。本を読む時間は限られている。とはいってもご本人が言っている、どうでもいいような本もつい手にして、時間をすごし(知の巨人であれそうなのだからちょっとほっとする)反省し、相当集中力なくしては読めない本に挑んでゆく、そこが凄い。

遊び心。正直。他にやりたいことがない。養老孟司先生、佐藤優さん(他にもいる)私がこの十数年、(分野は違うが千住真理子さんとも通ずる)刺激うける方の本を時に難しくても、読み続けられるのは、ご自分が見つけた言葉、本気の息づかいが行間から伝わってくるからだとおもう。

そして未知の世界に(生きて在ることの、生きることのワンダーを言葉、音で伝えてくださるからである)連れていってくださるからだと思う。それと、どことはなく感じる、自然さ。つまりは唯一無二の人間性、相性だと思う。いくら世間の評価が高くても、体が反応しなかったら、私は読めない。




2025-12-21

年の瀬、ゆったりと老いゆく流れのなかで、もの思う今日の五十鈴川だより。

 もう労働は年内あと1日だけで、もうほとんど私のなかでは終わっている。年末長女家族が帰ってくるまで、老夫婦だけでの静かなことこの上ない穏やかな師走時間を、私は有り難く過ごしている。

冬至の夜明け前

激変する世界の動向には(決して無関心ではない)低みの見物といった程度で、超保守的に老夫婦最優先時間の日々をおくっている。当たり前である。

出会って40年、妻の的確なサゼスチョン、支えがなければ、現在の私は存在していない。今だって然りである。私と同世代、もしくは上の世代は、このようなことを、臆面もなく打つのが苦手のようである。

だが、ほかのひとのことはともかく、こと私に限っては面と向かっては言えないような、気恥ずかしいことは、五十鈴川だよりに打てるのでそのてんでは有り難い。

私の父が亡くなったのが83歳である。先のことはわからいにもせよ、もし父の年齢まで私が生きると仮定して思うことは、妻と過ごす時間を(家族全員でも含めて)、日常、非日常まるごと大事に過ごしたいのである。後は実践するだけである。父が実践していたようにである。

この一年は、もし私が元気にあと10年も生きて、現世に存在し、意識がしっかりしていれば、今年が大きなターニングポイントポイントになったのだと、クリアに振り返れるようなきがする。

先のことはわからいが、岡山に移住して33年、企画や、音読に重きをおいた(ある種急き立てられるかのように)時間を生きてきたのだが、それを手放す覚悟が出来てきたのである。

時期に従う。老いをいい意味で受け入れ、これまで執着していたことを手放し、そこから感じる、見えてくる内面風景に身を委ねたい、とでもいうような。もっと言うなら、これまで執着していたことには無縁な世界に身を委ねて、静かな内面的世界、見えない世界に耳をすます、自身との対話時間を大切にしたいのである。(そのことがとても楽しみなのである)

このようなことが、あきっぽい私に出来るかできないかは、ようとしてわからないが、明らかに、一年前までは思いもしなかったことが、今年の年の瀬に起こっている。その事実を冷静に受け止めている。

還暦を過ぎて、五十鈴川だよりを打ちながら、あちらこちら蛇行を繰り返し、その果てにこのようなおもいに結実している自分がいる。男、なによりも私という性格は飽きっぽくも諦めが悪い。だがやるだけやって、限界だと察知したら、その都度諦め、新しい未知の世界に身を投じて(身を捨ててこそ浮かぶせもあれ)現在まで生き延びてきた。

いつわらざる、いまの思い。これからは木の葉が舞うように、限りなく欲望から遠く、自由にただ存在したいのである。私にとって永遠に未知の人である妻との時間を、同じ空間で過ごしたい。新しい夫婦時間を見つけたいのである。


2025-12-20

師走、12月20日、もの思う土曜日の五十鈴川だより。

 土曜日の朝である。本来なら昨日からふるさとに例年通りお墓参りに帰省していたのだが、ちょっと帰省できなくなり、自宅で静かな時間を送り、生活をしている。古稀を過ぎてからというもの、ゆっくりゆっくり、執着していた、情熱を打ち込んでいたもろもろをかなり手放し、随分身軽になれた自分自身を感じている。長くなるので割愛するが特に今年はその感が深い。

69歳の手術後から、命の有限さをかなり意識し生活するようになってから、これで最後というおもいで予期しない企画を続けられた。改めて人生とは思いもかけぬ、自分の意思ではどうにもならないという、あたりまえの事実を今年も、余すところ10日おもい知らされつつ、振り返っている。文脈があちこちするが、老人なのでお許し願いたい。

超シンプル生活が、手放すことでくっきりはっきりとしてきて、板につきつつある。手放したことで、どうしても手放せない事柄が明確になってきたのである。そのような個人的な老人生活を、いよいよもってこれからの人生時間を、(妻との時間を最優先に)オネスティに体のおもむくままに過ごしたいと念っている。

年の瀬、今年一年を振り返るには、いろんなことが思い浮かび、整理しきれないので、今朝の五十鈴川だよりでは打つのは控える。ただ新見の猪風来美術館に10月12日のイベント当日まで、何度も通った日々、私のなかで何か言葉にしえない、ある種の幸福感におそわれ、その後2ヶ月を過ぎても、あの豊かな時間が、現在のしっとりと落ち着いた師走時間を彩っている。(のは間違いない)

一言、言葉で縄文時代、だが私にとってのとてつもなく長きにわたっての縄文文化の、全ての水先案内人は猪風来さんご夫妻である。今年の私にとっての大きな、それもこの年齢で出逢えたからこそ、かすかに実を結べたのではないかと言う気がするのである。10年前の私だったら、こうまで耳を傾ける体と心をを持ち合わせていなかったかもしれない。

そのようなことを思うとき、やはりあの三度の手術体験の大きさを、今更ながら噛み締めるのである。無くすことで感じる、見えてくる世界があることを。生命の輝き、讃歌、大いなるものへの畏怖、祈り、感謝が、猪風来縄文造形作品には籠められている。よし子さんの作品にも。

だからなのだと思える。このようにゆったりとした師走時間を過ごすことができているのは。もっと言えば、ただ存在しているだけでもう十分に足りているのである。新見、法曽に往けば猪風来さん、よし子さん、原野さんの作品にあえる。その事が私にあたえる安寧は秘事的でさえある。

読書の幅が広がってきた。

話は変わるが、猪風来さんと出会い、初めて新潟は長岡エリアをわずか旅することができた。猪風来さんと出会わなかったら、先ずこのような旅は、この年齢でできなかっただろう。

旅の最後、11月3日、八王子で千住真理子さんのヴァイオリンを聴いた。10月12日までの日々の、あれやこれがや脳裏をかけめぐった。ご褒美の音色が老人の私の体を隅々まで慰撫してくれた。

猪風来さんご夫妻との出会いは、手放したからこそ、見えないものが与えてくださった、千住真理子さんとも巡り遇わせていただけたのだと、私は思っている。

2025-12-13

わずか一週間弱妻が不在、時折一人での生活を哲学する、師走半ばの五十鈴川だより。

 土曜日の朝がきた。今年も余すところ2週間である。東北北海道の太平洋側では、今も地震が続いており、その地で暮らす人たちは、緊急避難に備えて、心の休まる時のない不安な師走を過ごされている、。

一方の私の老人の日々は、こうやって五十鈴川だよりをうてる、穏やかな日々が過ごせている。この例えようもない、あまりの相違を想うと、言葉がない。

気を変えて、普段の五十鈴川だよりに戻る。10日水曜日から来週火曜日まで妻が娘たちのところに上京している。したがって私一人ですごしている。娘たちが独立し、所帯を持ち、子供が授かってから、老夫婦交代で上京するようになってから、長いときは10日位は一人での生活を余儀なくされているので、今のところ、もう老人一人暮らしにも不都合はない。

実体験レポートエッセイ、凄い。

炊事、洗濯、買い物、掃除、 メルと花のケアなどなどをそつなくこなせれば問題はない。敢えて打てば、 年に数回このような老いの一人時間があったほうがいいのだと思うことにしている。

ことほどさように、来年で巡り逢って40年、もう十分に夫婦としての歳月を過ごしていると、とくに私の場合、その有り難みに無感覚になりがちだから。

このようなときに、夫婦といえどもやがては離れ離れの宿命は逃れようがない。どちらが先に逝くとしてもである。考えても仕方がないとはいえ、面と向かってはなかなか口にしては言えないことに関して、結論はさておき、時に立ち止まり嫌でも考えておかねばと、自省するのに一人時間は有効である。

さて、話題を変える。もう金時飴のように、代わり映えのしない身の回り老人五十鈴川だよりである。だが毎年新しい初めての白秋期を生きているのだから、出来ることなら、その老いゆく未知のゾーンをしっかりと見つめながら、活きたいものだと、凡人なりに考える。哲学する。オギャアと生まれしわが命の行く末を。

古稀直前の私にとっての大手術から、来年の3月23日で、まる5年になる。退院日を忘れることは、もっと老いて、脳が萎縮するまでけっして忘れることはない。コロナで世の中てんやわんやのなかでの三度の手術。このまま死んでゆくのかもと、うすらぼんやり考えたことがある。

私の場合、ほんとうにうすらぼんやりとしかのおもいだせないが、覚悟するしかない、いわば諦念感覚に委ね、M先生にお任せしたのである。結果、再び命を与えられ、退院後3ヶ月に一度、M先生の定期検診受けながら、お陰さまで元気に日々を過ごしている。(お陰さまで血糖以外全ての数値が正常である)

やはりあれほどの手術をすると、ただ生きているだけで、存在しているだけで充分にありがたく幸せであるとの、感覚は深まる。このような敢えて言葉するなら哲学感覚、いよいよ老いる哲学を学びたい。そのような叡、智賢者の書物で老いの体を磨きたい。このようなことを打つとどこか気恥ずかしいのだが、年寄りの妄言だと思われようと、もう十分に年寄りなのだからいいのである。

老いを哲学する。もっと打つなら哲学的に老いを思考しつつ、答のない人生を、脳が許容してくれる時間、思考し続けたい、のである。だから五十鈴川だよりを打つことも、そのような私の営為の一部なのである。

話は変わるが、青春の終わり(31歳から33歳まで)、簡略に記す。富良野で大地にへばりついて、知的な本を読むような時間を持てず、ある意味で、もっとも不自由な、自分の時間が限りなく少ない中での集団生活というものを経験し、私はほんとうに体を動かし、地に足を付けた生活を志向するようになった。

以来、ほぼ40年、今も体を動かし、ささやかに思考し活きながらえている。今の私の生き甲斐の一つである肉体労働、まる7年続けている。毎日自然は変化する。季節にあわせ労働内容も自然に合わせる。老いゆく労働哲学実践ずる。日々流転し変化する雑草を始めとする植物と、対話をするかのように、天を仰ぎ我が老いゆく体を動かす、限りなき単純労働が、面白いのである。

先日も打ったが強制労働ではなく、依頼されて、自分のリズム、責任の範囲でやれ、評価される。好きなことなので発見があり、続けられる。(私が宇宙の塵となっても雑草植物は生成流転する)一事は万事に通ず。細部に手を抜かない、細部をこそキチンと完遂することの気づきの悦びである。それもこれも全ては健康なればこそである。


2025-12-07

[なるようになる。]という養老孟司先生の本を夜中の3時半から読み始め、読み終えて思う五十鈴川だより。聞き手‥鵜飼哲夫。

 昨日も打って、今朝も打ちたくなったのは[なるようになる。]副題、僕はこんなふうに生きてきたという養老孟司先生の本を読んだからである。いまも売れ続けている、バカの壁という本が出版されたのはもう20数年前だとおもう。何度読んでも面白いし、学べる。私の書棚には唯脳論ほか先生の本が僅かではある(手放せない本)が収まっている。直に講演会も二度聴いている。

岡山に移住してのち、つまり40歳から折々今も対談集も含め先生の名前が図書館で目に入ると、必ず手にし読んできた。今回の本は2023年の11月に発行されている。先生は1937年のお生まれなので86歳の時の本である。

聞き手の鵜飼哲夫さんが素晴らしい

第一章、幼年時代と戦争。第二章、昆虫少年医学部へ。第三章、章解剖学者の奮闘。第四章、バカの壁と愛猫まるとの出会い。最後、養老先生への50の質問で構成されている。敗戦の時8歳、3歳で父上が亡くなる。記憶の始まる回想、父とのお別れは目頭が熱くなる。

読売新聞に32023年1月から3月まで、全35回にわたって連載した[シリーズ、なるようになる]が本に成ったものである。聞き手の鵜飼哲夫さんは読売新聞編集委員である。読んでいてすっきり、正直で、どこか漱石の坊っちゃんを思わせるような語り口が痛快で一気に読み終えた。

一貫して虫、自然の側からの視点が揺るがない。ヒトも自然の一部、現代人は死体を怖がるようになっているが、生きている人間のほうがはるかに怖い。私もこれからは死者の側から、死者の声に耳を傾ける読書時間を増やしたい。

養老先生は、自分に正直に物事を突き詰めてしつこく考え続けてきたからこそ、養老孟司先生の現在が在るのだと知らされる。難しい論文ではなく、私のような者でもすーっと、読める語り口で、分かりやすく説得力があり、その上面白く府に落ちる。

長くなるのではしょる。が、私のような田舎者が18歳から東京都市生活にウンザリ、身も心も消耗、内面がカサカサに渇いて、これでは駄目になると直感、娘が生まれ、岡山に移住する。結果、その決断で中世夢が原で自然に囲まれ体を動かし生き返る。私は再生することができた。

古稀直前、人生で初めて大きな手術をしたが、再び生き返る。自然に委ねて、あれから4年生き延びている。それが何故なのかを、こんなにも分かりやすく言葉で説いてくださったかたはいない。マイノリティであれ、自分の感覚が求めるところ、気持ちが安らぐところで、これからを虫のように過ごすのだ、との思いの深まりが五十鈴川だよりを打たせる。

それにしても、目からうろことはこの事である。書きとめたい、膝を打つ先生の言葉が染みてくる。。随所で深く頷く自分を発見する。強制労働ではなく、体と遊ぶ工夫、体動かし労働がかくも気持ちいい事を、岡山に移住して33年、私は見つけたのである。やがてはできなくなる、とはいえ今は気持ちよく働ける。続けてきたからこそ見つけられたのである。

長くなるが、もう少し。五十鈴川は流れる。流れないと水は澱む。どのような原石も磨くことで何らかのその人らしい光を放つ。唯一無二の自分自身という授けられた存在を在りがたく、生涯かけて見つけてゆく営みをこそ大切に生きる。そこに生まれてきた理由が在り幸福が在ると先生は言う。

もっと打ちたいのだが、これ以上打つと野暮になる。が、夢なんか持たなくてもいい。希望なんか持たなくていい、と先生は言う。現代の価値観とは真逆になるようなことを、あっけらかんと語る先生は、私にとっての坊っちゃんである。サイコーにカッコいい。爪のあかでも先生のように存在したい。

2025-12-06

2025年12月、師走最初の五十鈴川だより。

 昨日夕刻、運動公園で東の空に、浮かんでまもなくの大きなまあるい月を眺め、朝老犬メルの散歩で西の空に同じ月を眺めて、休日、師走最初の五十鈴川だよりである。数日前から一気に気温がさがり、俄に日本列島はいよいよ冬に入ったかんがある。

いま2階の寝室で、冬の日差しを背中に浴びながら打っている。寒いが暖房は入れていない。膝にはダウンをかけ、上半身に温かい衣類を羽織って打っている。中世夢が原という職場で私がほとんどの時間を過ごしていた園内には、 武士の屋敷の囲炉裏しか暖房がなかったので、おそらく22年間の痩せ我慢生活で、自然に鍛えられたのであろう我が体は、このくらいの寒波には耐えられる。

もっと痩せ我慢を綴れば、敢えてこのくらいの寒さを感じながらのほうが、頭が冴えて五十鈴川だよりも打てるのだと思いたい、あまのじゃく思考の私である。

未知の世界をいつも案内してくださる

さて、世の中、高市総理の台湾有事に関しての発言が、日中間に軋轢をもたらしている。そのほか佐賀関の火事、香港の火事、インドネシア、スリランカ、タイなどでは水難災害、国内では物価高のニュースなど、など(もうほとんど書物からしか情報を得ていない)が頻繁に報じられている。

あらゆる報道されているニュースに、諦感のような感覚におそわれる。今日一日無事に過ごせることのなんたる在りがたさをおもう。私は自分がそのような目に遭わない限り、決して身に染みては分からない、のだ。

だが、一切合切をなくすほどのことの経験を我が両親はしている。いきなりの敗戦、北朝鮮からの引き揚げで体験している。3歳の姉と生後半年の兄を連れてである。30代、両親とも若かったから再生、出発ができたのだ。持たないものは強い。

私が今このような目にあったら立ち直れるだろうか。高齢者である私がこのような事故、アクシデントの状況にいきなり置かれたらと想うと、私のような軟弱なものは想像を絶する。

私を含めた多くの庶民は、それどころではない現実をそれなりに耐えて生きているのだと思う。心に余裕がないのである。世の中あらゆる格差がまかり通って差はますます広がっている。そのような世相のなか、いかにお金をやりくりし、そのなかでいかに生き延びてゆけばいいのかを考えるのか、私は私なりに考え続ける。貧すれば鈍す、にならないための方法である。

私の場合、やはりお手本は我が両親にある。老いるにしたがって両親の小さい頃の教えが甦ってくる。今時辛抱なんて言葉をほとんど聞くこともなくなったが、私は今も折りにつけ、辛抱辛抱と呟く。両親がよく辛抱しなさいといっていた声色が耳に残っている、のだ。

念仏をとなえるようにである。もうひとつ、ひとのやりたがらない事をやれ、と父は言っていた。小学生の頃、父は肥くみを私に兄たちと共にやらせた。私はこれが大嫌いだった。が思えばこれが下地になっている。

今の私を支えているのは肉体労働と読書である。小さい頃の生活水準から考えると、十分に私の生活は足りている。先日も打ったが今の私の日常生活には読書時間がもっとも大切なのである。

一番安価で、才能のない私を育て助けてくれたのは本である。本が行動を促し、旅を促す。そして日常生活、日々高齢者の私に生きるエネルギーを与えてくれる。10月の半ばから11月、師走の今までほとんど人に会っていない。労働し、本を読む生活で足りているのである。面白いから読める。ただそれだけである。

本は次の本を授けてくれる(暮れる)、師走の夜長、冬の読書は(夏の読書とは比較にならない)私には老人生活一番の悦びである。

2025-11-30

ブレディみかこ著、ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルーを読み(七編を読んだところ、)、想う五十鈴川だより。

  11月30日、末日の五十鈴川だより。明日からは師走になるとはとても思えない日差しを我が部屋で浴びながら、本を読んでいたら急に打ちたくなった。

今、2021年11月に発行されている、ブレディみかこ著(ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2)を読んでいる。最初の本を読んだのは、多分最初の孫、望晃ノアが産まれた頃であったと思う。続編である。

最初の本を読んで打たれたことは、五十鈴川だよりに打っていると思う。新聞を購読しなくなって、書評やトピックに触れる機会が激減したことは間違いないし、新しい言葉に触れる機会も減っていることは間違いない。だが私の生活にはほとんどといっていいほど支障はない。


この度のブレディみかこさんの本ももし妻が見つけて来なかったら、読むタイミングを逃していたかもしれない。だが出版されて5年後であれ読めている事実に、素直に嬉しく、五十鈴川だよりにこの本のことを、僅でも打たずにはいられない高齢者の私がいる。ところで、私が高齢者だとか、老人とか五十鈴川だよりに打つと、あまりお褒めの言葉はいただかない。

たんに私の日本語能力の語彙が少なく、他の言葉を持ち合わせていないにすぎない。だが、私は白秋期老人で在ることは事実なのだから。

何か若いということや、健康で元気であることにしがみついている、あるいは重きを置いているご仁があまりにも多い気がするのは、ちょっといただけない。年寄りは年寄りなのだし、あくまでも他人のことには関知せず、自分らしく在りたいだけである。

話をブレディみかこさんに戻す。何故かくも私はみかこさんの本に感動するのかは、長くなるので割愛するが、一言で言えば、カッコいいからである。ブレディみかこさんは1965年福岡県の福岡市の御出身、1996年から英国ブライトン在住とある。

パートナー(ルーツはアイルランド)との間に、本の中では中学二年生であったご子息いて、今現在のブライトンでの3人の庶民生活が、特に弱者に向けられる温かい眼差しが鮮やかに綴られている。端々に息子さんへの愛情が絶妙の距離感で(実父、パートナーにたいしても)みかこさんの独自の文体、一見軽いのり、冷静でユーモアに溢れている。

全11編のエッセイが収められている。いま7編ほど読んだところである。いずれも素晴らしいが、毎年夏休み福岡の実家に息子さんを連れて帰る。80歳近いみかこさんの父親が十数年お母さんの一切合切全てのお世話をしている。(お母さんは精神を病んでいて、近年は認知症も進んでいる)

毎夏の帰省の折々の息子さんの成長と、実父との交流は例えようもない。毎年、福岡空港での来年までの暫しのお別れは、打っていてもお爺さんの私には目頭が熱くなる。初めての日本福岡に帰省した、おそらく小学生の頃、病んでいたみかこさんのお母さんに(おばあちゃんへの)にたいしての接し方にしても、年齢を重ねぐんぐん成長してゆく。家族のそれぞれを、母として、娘として、人間として、作家として、見つめ考え続ける。

随所に、実体験、日々の暮らしの今の裏付けが有って、高齢者の今を生きる私にも共有感覚が鋭く突き刺さるのは、きっと私の長女が旧東ドイツ、ドレスデン生まれの男性を生涯の伴侶、パートナーにし、間に二人の孫が授かっているからなのだと思う。(感動する、何度も目頭を押さえた)

赤裸々にお母さんのこともみかこさんは書かれている。みかこさんのお父さんが一転、お母さんの介護を続ける。凄い。還暦過ぎてからの変身。人間は愛があれば変われるのである。

思い通りにはあまりにもならない、庶民生活の普通の家族の徒然が、みかこさん独自の文体で綴られる。九州人の一人として、お父さんの博多弁が文字化されると私は意味もなく嬉しい。みかこさんの中には脈々と博多女性の血が流れているのが分かる。九州男子という言葉は女子にもあてはまる。あっけらかんと前向き突き進む。いさぎよい、くよくよしない。

同時代、福岡生まれのみずみずしい作家が生まれたことが、同じ九州人として嬉しい。そして英国は(正確には連合王国)ブライトンから、世界の片隅から、庶民目線で発信していることに感動する。

2025-11-28

千住真理子さんが、以前出されていた本を3冊読み終え想う、今日の五十鈴川だより。

 昨日で今月の仕事を終え、またもや今日から三連休である。労働をした日はほとんど五十鈴川だよりを打つ気は起きないのだが、休日は何故か打ちたくなる。ほとんど病のような感じである。高齢者の私は、貴重この上無い一日を出来るだけ気持ちよく過ごすのを最優先で生きている。(といっても過言ではない)

畏怖する五木寛之さん、人生の達人であられる大先輩の言葉を借りるなら、白秋期を生きている私には、その日暮らしの充実こそが、もっかの面白き楽しみなのである。今年も余すところ残り一月となったが、一日一日を大事に過ごすだけである。なにも持たない静かな暮らしが、ことのほか気持ちがいい。気障を承知で充足感に浸っている。

たまたま図書館に在りました

11月3日に千住真理子さんの演奏を聴いたことで、なにやら言うに言えない幸福感に包まれたことが、起因しているのはほぼ間違いない。

たまたま、継続する力、という本を手にしたことで、このようなヴァイオリニストの存在していることを知り、演奏会に、わずかに2回しかでかけていないのに、すっかりファンになってしまった喜びが、このような一文を、きょうは打たせている。

苦手な標語、人生100年時代、白秋期は、25年単位で言えば、50歳から75歳にあたるが、ようやくにして白秋期を生きている実感が、千住真理子さんの演奏を聴いた後から、俄に私のなかで湧いてきたきている。

ということで、このようなヴァイオリニストの存在についてもっと知りたく、珍しくネットでいままでに出されているご本をピックアップ、このところ時間帯によって他の本とも並行しながらすでに3冊読み終えたところである。(家族の素晴らしさに打たれた)

簡略に記しておくにとどめる。産まれた環境のあまりにもの相違に、正直最読むのに、戸惑いも感じたのだが、(あまりにもの純粋さに、私のような俗物には)ご自分のヴァイオリンへの愛の深さの、お母さんとの命の往復書簡、お母さんとの対談、と読み進んだ。いずれも図書館で借りた。読み終えて、素直に読んでよかった。

随所に目頭が熱くなるのを押さえることが出来なかった。何故産まれた環境があまりにも異なるのに、その相違を越えて、感動するのかは自分でもわからない。はっきり分かるのは、演奏される音にも、書かれる言葉、お話にも、究極、打ち込んできた継続した者のみが放射する唯一無二の人間性が素晴らしい、と言うことである。打たれる、反応する高齢者の私がいる。

お母さんの(文子さんが凄い、父上も凄い、二人の兄も凄い、皆純粋で凄い)文子さんも、真理子さんもおっしゃっている。ことヴァイオリニストや芸術家ではなくても、普通人として生きているすべての人間に通低ずる大事なことがある、と私は想えた。人生に立ち向かう構え、覚悟の深さである。凡人の私に、玄冬期を生きる勇気や力が湧いてくる。磨かない石は原石のまま、どのような存在も好きなことを磨き続けないと、輝かない。(高齢者もわずかでも可能性を磨きたい、ものだ)

本能的直感、虫の知らせ、第六感、をフル回転し、なんとか今まで生きてこられ、白秋期から玄冬期へと(一瞬先は分からない、故に余計に)私は向かう。私には千住真理子さんの醸し出す音色は一筋の光とさえ想える。縄文土器も同様である。

2025-11-24

昨日午前中玉葱を植え、今日も菜園場に行く前に思う五十鈴川だより。

 昨日午前中、妻は仕事だったので一人で菜園場に玉ねぎの苗を、マルチをひき300の苗を植えた。もう充分なのだが、友人にも送りたいので、スペースいっぱい今日も植える。

この仕事に廻り合い、お辞めになる方が、よかったらこの菜園場を使ってほしいとのことで、以来有り難く使用している。あれから7年、ささやかに土に触れる生活を持続している。まったく我流、虫に喰われて全滅した野菜も多いが、今年もトマト、なす、ピーマン、シシトウは買うことがなかった。サツマイモはほとんど実が(葉は繁ったのだが)つかなかったが、家で食べるにはことかかない。ストーブで焼き芋をいただくには充分である。

色付く我が家の八朔

今年の中では茄子とシシトウ、ピーマンがひっきりなしに実をつけて、この物価高のなか今も我が家の家計を助けてくれている。 娘たちにも上京する度に持参したり送ったりしている。お米も高くなっているが、共に働くkさんの作っているお米を直接買っている。主食のお米を生産者から直接買えるのは有難い。(kさんからは柿や野菜なども時折いただく、気持ちのよい晩年の友人である。)

ところで、その豊作茄子を、妻がぬかにつけ、私の大好きな漬物にしてくれたのだが、その美味しかったことと、懐かしい母のぬか漬けの味を舌が想いだしたことを、五十鈴川だよりに打っておく。幼少期に食べつけた味の旨さの記憶に、結局私は回帰するのである。

干物、小魚、野菜の煮物、揚げ物などなどの、つまりはあの昭和30年代に、母が作ってくれた手料理の味に、母と父や姉兄弟とちゃぶ台で食べた、黄金の記憶に回帰してゆくのである。

今となっては限りなく、慎ましくも私のなかで甘美な物語になってしまうのである。とにかく私を含む5人の子供はお腹を空かしていたので、食卓のすべてに母の工夫のお料理が染みて脳裡に焼きついている。懐かしいというしかない想い出である。

もう充分に高齢者である私は、小さい頃に食べた味覚の料理が一品有れば充分である。それと主食のお米は八割玄米を頂いている。朝は妻の具だくさん味噌汁を週に5日は食べる。手術後、つましいけれど、ご飯がとても美味しい。したがって体調がいい。高齢者で仕事があり、新しい生命に恵まれ(今年4人めの孫に)言葉がない。4年前、退院したとき、体重は53キロだったが、一年で60キロにもどりいまもほとんど変わらない。

こんなことを打つと、ちょっと面映ゆいが、18歳から、入ってくるお金だけでやりくりしのぎ、今現在も私なりに生きているだけである。追いつめられたら工夫する。辛抱する。精神が鍛えられる。中世夢が原を退職したときに、これからは、両親の晩年生活を見倣って生きることに決めたのである。以後、お金で悩んだことはない。

くどくど打つことは控える。私の少年時代の生活を基本にやりくりすれば、私の場合さほどのお金は不要である。もっと言えばもうこの年齢になると、健康に過ごせる時間がもっとも大切なのである。玉葱を植えるには最低体が健やかでないと、(命が健やかでないと)つちと戯れることは不可能である。千住真理子さんの音色、演奏を聴いたと忽然と幸福感が湧いてきた。これはお金では買えない世界の、見えない世界の音色だと。

うまく言えないが、あの音色の世界の方へと。ただ存在しているだけで、日差しを浴びているだけで気持ちがいい。そのような時間最優先で老いて往きたいとますます念う。年金以外の収入を得るために、私が対価の労働に勤しむのは身に付いた能力を活かせる喜びがあり、そのお金を、私が最優先したいことに使用したいが為である。


2025-11-22

千住真理子さんのデュランティの音色は、高齢者の今の私に限りない、希望とエネルギーを降り注ぐ。

 三連休である。ともに仕事をしているkさんから、今年2回目、たくさんの柿をいただいたので(前回は渋柿)、長くお世話になっているかたがた何人かに、送る段取りをほぼやりおえたので気分転換に、五十鈴川だよりを打つ。

色付く日本に生まれて幸せです。

晩秋の日差しが部屋に満ちていて、我が老いた背中を暖めてくれていて、とても気持ちがいい。なんの意味もなく、綴りたくなるのはもはや、ある種の依存性五十鈴川だよりである。たんたんとした、年よりの呟きとはいえない、いつも過剰なくらいの長めの徒然を読んでくださるかたがいるというのは、有難い。

ゆきあたりばったり、思いつくよしなしごとや、日常のささやか細々を、この世の、わがまま、じいさん雑記録として打ちたいという凡脳(煩悩)が健在なのである。幸い妻も娘たち家族も継続してと、応援してくれる。だから打つ。

話は変わるが、今仕事で植え込みの剪定作業を今週から始めている。11月中はお天気のいい日はやるつもりでいる。この仕事を始めてからまる7年やっている。伸びた枝を刈り込む単純な作業である。私は高齢者でもやれる単純な全ての作業が、ことのほか好きになってきている。今私が高齢者となっても継続している仕事は、全部と行っていいほど、若い時には苦手であったのだ。

肉体労働だけではなく、何度もうっているが、本を読むことも文章を書く、打つことも大の苦手であったのである。そんなこんな振り返ると、苦手を克服したときから、あらゆる事が好転し始めたのは間違いない。もしあのとき克服せず、逃げて無難な道を歩んでいたら、確実に現在の私は存在しない。

出雲大社の
銀杏の紅葉

剪定作業に話を戻す。刈り込み前とあとではまったく植え込みは見違える。年に二度春と秋にこの作業を繰り返す。春夏秋冬の肉体労働、この自然の季節の移ろいに添って我が体を動かす事が、今私にとっての一番の健康法である。

健康法を兼ね、高齢者でもゆっくり作業行程を考えられ、とりくめるこの場が与えられたことの幸運を、誰に感謝したらいいのか、とときにおもえるほどである。そういう有難い労働できる環境で、あと何年働ける、動けるかと、時に思う。

だがはっきり五十鈴川だよりに打っておく。今日一日、とにかく自分なりに体を動かす。その事だけに集中する、そのような心もちで、手術後働いている。あっという間に4年が過ぎている。

臆面もなく打つ。大地の上で、高齢者なりに苦楽しながらこの世の今を、限りなく面白可笑しく生きられている現在がいとおしい。三連休、玉ねぎの苗を調達し、休みの間に植えるつもりである。

話は変わる。今年も余すところ40日となった。いつにもまして静かな秋の生活を過ごしている。11月入って、これまでの人生で聴いたこともなかった千住真理子さんの演奏を、立て続けに2回聴いたことが大きい。何か満ちたりた感覚がある。

千住真理子さんのファンになってしまった。それは千住真理子さんの[継続する力]という本を、この秋読んだからである。プロデヴューして50年、半世紀、全身全霊デュランティ、ヴァイオリンの演奏に人生を捧げている。この様なかたが同時代に存在していることに感動する。(是非本を読んで、演奏に触れて欲しい)。猪風来さんご夫婦と分野は違うが共通する。

この本を読まなかったら、まず演奏会にゆくこともなかったし、ファンになることもなかっただろう。あの音色は高齢者の今の私の生活に、限りない豊かさ、生きるエネルギーを与え続ける。剪定作業をしていてもあの演奏会の音色、声、笑顔、たたずまい、オーラがさす、姿が脳裏で甦る。若さ、年齢を超越している。千住真理子さんに出会え幸福な秋である。

2025-11-19

2泊3日の旅、11月15日、千住真理子さんの50周年記念ヴァイオリン、リサイタルに妻と往ってきました。徒然うちます。

 先週金曜日から二泊三日、妻と共に、下関まで千住真理子さんの、デヴュー50周年記念、ヴァイオリンリサイタルを聴くために行って来た。

昨年から、行けるときに年に数回妻と旅に出掛けることにしている。ネットで千住真理子さんのコンサートが下関の市民会館前であることを知り、二人で旅を組み立てた。旅の目的のメインは千住真理子さんのコンサート。ただ行って帰るだけでも充分なのだが、結果選択したのは本当に久方ぶりの車での二人旅となった。

記録として打っておく。金曜日朝7時前に家を出て、高速は使わず、吉備路を走り、真庭から出雲街道を走る。天気も良く山野の色づく紅葉を、老夫婦眺めながら低速での空いた道を快適ドライブ、妻も私も行ってみたいと思っていた足立美術館に午前10時過ぎについて、お昼までゆっくり過ごした。(ゆく価値あり、日本の山野の素晴らしさを切り取って額縁に入れ、それが毎日変容、移ろってゆく様を堪能できる。日本に生まれたことの幸福を感じた)

出雲教の池で妻が撮る

美術館を出て、出雲に向かう途中のラーメン屋さんでお昼を済ませ、出雲大社に午後2時半に着いた。私は2度目だが妻は初めてである。お詣りしたのち、一時間以上ゆっくり二人で付近を散策した。人っけのないすぐ側の、出雲教の神社が素晴らしく、(小さな滝が池に流れ落ちていて、飛来した二羽の鴨が仲良く浮かんでいた)その時私たち以外誰もいなかった。出雲大社での良き思い出となった。

午後4時妻が予約してくれたホテルにチェックイン、夕飯前、ネットでホテルから10分のところにある天然温泉を見つけ、湯にゆく。戻って午後6時からホテルで夕食を済ませ、9時過ぎ眠りに落ちた。

翌日土曜日、朝食を済ませ7時に下関を目指しホテルを出発、またもや高速は走らず、9号線を走る。出雲から浜田、益田へ。益田から萩までの日本海の海岸線の眺めが素晴らしいのは、故郷への帰省旅で度々走って知っていたので妻に見せたかったのである。(妻はことのほか喜んだ)

萩から山道を横断し宇部に出て、そこから下関に向かって一路走り、午後零時半市内に着いた。市民会館の近くに車を入れ、駅近くで二人してカレーでの簡単なお昼を済ませ、開場の午後一時半市民会館に着いた。午後2時オンタイムで千住真理子さんの、デヴュー50周年記念ヴァイオリン、リサイタルが始まった。

11月3日に、東京八王子で初めて千住真理子さんの演奏を聴いて、びっくりしたことは、わずかだが五十鈴川だよりに打った。あの日から12日後、再び聴くために下関まで足を運んで(すでにチケットを押さえていて)本当によかった、と今も思う。それほどに凄かった、としか言えない。

八王子では東京交響楽団定期演奏会のゲストであったので(それでも七曲フルオーケストラをバックに演奏された)お声を聞くことは叶わなかったのだが、下関はご自分の歩みの、現時点での集大成記念リサイタル、伴奏はピアノだけのシンプルさ。全曲本人の解説やお話があり、なんとも贅沢なリサイタルであったことを、五十鈴川だよりに打たずにはいられない。

萩の近くの海辺の妻

50周年記念に演奏された曲目は、一部バッハのG線上のアリア、ヘンデルのラルゴ、モーツァルトのトルコ行進曲、ベートーベンのヴァイオリンソナタ第5番春。二部、エルガーの愛の挨拶、クライスラーの愛の悲しみと愛の喜び、マスネの瞑想曲、ドビュッシーの月の光、ポンセの小さき星に、サラサーテのツィゴイネルワイゼン。以上11曲 がプログラム。が、カーテンコールに何と3曲演奏されたのである。一番最後はチャルダッシュで締めくくられた。私は立って拍手をした。

長くなるがもう少し打っておく。下関市民会館は2000人が入る大ホール。そこの半分から前の席、1000人位の人が客席を埋めていて、後部座席にはだれも座っていなかった。が聴衆が私を含め、1000人の人間が感動していた。曲、演奏が続く毎にホールがえもいえぬ雰囲気に(幸福感)に包まれてゆくのを、私は客席で実感した。

そこにはクラシック音楽というジャンルを越え、ストラディヴァリウス、デュランティの音を弾きこなし(デュランティとの廻り合いは40歳)50年、名曲を聴いてほしい、演奏を届けたいという念い、祈りの深さである。

凄まじいまでの稽古、デュランティと格闘してでてくる音色の素晴らしさは異次元の音である。ヴァイオリンと共に生きて、人生を捧げてきた、千住真理子さんという存在だけが醸し出せる音の世界である。妻は泣いていた。終演後CDにサインしていただいた。

その夜、関門海峡が眺められるホテルに泊まり、翌日は萩の阿武町の道の駅に立ち寄り、お昼のお弁当などを求め、その後どこにも立ち寄らず、萩から益田までは再び海岸線を走り、そこから山道を走り、広島へ。途中から高速で尾道から山陽道へ入り日曜日夕刻四時半に無事に我が家に帰った。

PS 今、このところ千住真理子さんの書かれた以前の本を生活の合間に、ゆっくりと読んでいる。


2025-11-09

晩秋、午前中雨音を感じながら打つ五十鈴川だより。

 雨である。昨日菜園場に午前中いたので、今日は静かに体を休めようと思う。五十鈴川だよりを休日に打つのは、ほとんど習い性の、体の調節機能、自己満足免疫低下を防ぐ、暗示のようなものである。

私は高校を卒業し、無謀にも(今思うに)演劇を学ぼうなどという、漠然たる寸志を抱いて上京した。当たり前、井の中の蛙を実感し続ける人生を送って来て、よくもまあ、この年齢まで生き延びて来られ、こうやって五十鈴川だよりを臆面もなく打てる今が、時折俄には信じられないほどである。


バカの壁、という言葉がある。世の中に出て、時代に翻弄され、世間の壁に何度も何度も、時に絶望的な気分に落ち込み、凡人であるから悩み深き淵に沈んだことも度々経験してきた。そのような私なのだが、なんとか生き延びてきた(生き延びられた)いちばんの要素は、生活に終われても、時間がなくても、すがるように本だけは読み続けてきたから、生き延びて来られたのだと、今実感している。

世の中には本の虫のような方も居られる。が私はまったく違う。本を読むのもとても遅い。旅をするのもそうだが、旅が旅をよび、本が本を呼ぶ。だから終わりがない。たくさん旅をしたから、本を読んだからといって、身に付いて賢くなったとも思えない。

だが、確実に言える事は、もし本を読み続けることをしなかったら、現在の私は存在していない事は間違いない。私の場合の読書は生きてゆくために必要な読書である。日々の生活のなかで、時に心のエネルギーが枯渇して、根本(本という文字)が脅かされそうになったときに支え、叡智を授けてくれるもの、それが本なのである。

先の旅に持参したのは、佐藤優著[私のマルクス]である。文春文庫で2011年11月のおく付けがある。定価714。私はこの20年、佐藤優さんの書かれた本をかなり読んでいる。長くなるので割愛するが、私の庶民レベルの読書量ではおっつかない、しかも知的レベルが圧倒的に異なる(恐るべき読書量である)巨魁とでも言うにふさわしいようなご仁である。私などには想像を絶する修羅場を何度も経験、潜り抜けて来られた稀な方である。でも今の私には畏れる事など何もない。謙虚に学びたいだけである。

私のマルクス、というタイトルの本のなかに出てくる、佐藤優さんが同志社大学の神学部で学んだ、フロマートカ始め、ズラリ神学者の名前がでてくるが、一冊も私は読んだことがない。ましてや、マルクスもエンゲルスも、聖書も読んだことがない。

だが、私のマルクスを読み終えた。登場人物が魅力的で面白く、一種の青春グラフィティとして読んだ。本音、直球でぐいぐい真理に迫って学んでゆく、記憶力のすごさの文体は、余人の追随を寄せ付けない。10年前に手にしたときは、あまりの知的胆力に圧倒されたものである。

佐藤優さんは、プロテスタント、カルバン派のキリスト教信者である。それも筋金入りの信者、神学者である。このような人が、現在の日本社会に存在しているそのことの、在りがたさを、私は感じる。(私の貧しい頭でも)

先の縄文遺跡を訪ねる旅では、新幹線、在来線、バスなどの乗り物に乗る時間が多かったので、思いもかけない読書旅ができた。今年も余すところ50日、日に日に日は短くなるが、目が疲れない程度に、老人なりに良い本を読む力を養う読書力をキープしたい。若い頃に買って、いまだに読んでいない本がある。生きるための読書、生き延びるための読書、今の精神生活にエネルギーが注がれる読書を私はしたい。

PS 今日の写真は長女のパートナーレイさんが稲城に借りている菜園場で、苗に水をあげる2才半になる未彩の写真です。


2025-11-08

晩秋、立冬を過ぎ、日差しを浴びながらもの思う、五十鈴川だより。

 前回の五十鈴川だよりは、東京吉祥寺駅のマクドナルドで打ち、今日は自宅のいつもの二階の部屋で打っている。3日、午後二時から、八王子の駅の側のホールで東京交響楽団の定期演奏会を聴き、東京駅で新幹線に乗り換え、岡山の我が家に着いたのが、午後9時過ぎだった。翌日から昨日まで、珍しくフルタイム午前も午後も働き、今朝を迎え、五十鈴川だよりを打っている。

細胞に染み入る音色

ちょとだけ、3日の東京交響楽団の定期演奏会にゲストで招かれていた、千住真理子さんの演奏を初めて聴いたことに、触れておきたい。

夏が終わり秋が訪れたいころ、千住真理子さんの[継続する力]と言う本を読んで、チャンスがあれば、是非とも演奏に触れて、聴いてみたいと調べたところ、ちょうど旅の終わりの日に、ゲストだが八王子で聴けると知り、妻の力を借りて、チケットをゲット押さえることが出来、旅の終わり、聴くことができ。

開演、何と一部に、ハープとヴァイオリンの二重奏、千住真理子さんがいきなり登場、ストラディヴァリウス、デュランティというヴァイオリン、名器を演奏する千住真理子さんを、初めて見た。そして聴いた。なんとも形容し難い音色であった。

曲は、[バッハとグノーのアヴェマリア]。この歳で旅の終わりに、体感できたことの喜びを、打っておく。想像おも超えた音色が老いた私の体全身に染みてきた。優しくやさしく、この世の音とは思えない音が降り注ぐ。そのあまりの素晴らしさは、言葉では伝えられない。しずかに老人の眼に涙が。

プログラムノートから、ビターリのシャコンヌ、エルガーの愛の挨拶、クライスラーの愛の悲しみと愛の喜び、マスネのタイスの瞑想曲、モンティのチャルダッシュ、以上七曲。私はこのところほとんどクラシックの演奏会に出掛けたことがないのだが、千住真理子さんの本を、読んだことで、なんとしても、この方の演奏だけは聴かないとという、(一生悔いが残る)気持ちにさせられたのである。

結果、私の直感(直観)は大当たりとなった。期が熟した年齢、縁、タイミング、すべてが私に味方したのだとしか思えない。音色の祝福が、当日居合わせた聴衆全てのかたに降り注ぐのを体感した。あれから5日間の時間が過ぎたが、あのストラディヴァリウス、デュランティを弾く、名曲を奏でる千住真理子さんの、姿、音色が、時折脳裡に浮かぶ。

それは選ばれし者のみしか演奏なしえない音、初めて聴いた音色である、としか言えない。音の女神、ディーバとでもいうしかない、ある種この世のヒトとはおもえないほどの品格、雰囲気を、まぎれもなく、千住真理子さんは湛えていた。

クラシック音楽に関したことだけではなく、あらゆることに関して、素養のなさを今更ながらに折々感じる私である。が、そのような私が千住真理子さんの演奏を縁あって聴くことができ、クラシック音楽の素晴らしさを、今後もっと聴きたくなっている。ストラディヴァリウス(この名器を弾きこなせるのは選ばれしヒトにしか成せない)。千住真理子さんはデュランティと巡りあう運命の選ばれし人である。

今月15日には、下関での音楽会に妻と出かける。勢い、いきなり私は千住真理子さんのファンになってしまったようである。千住真理子さんを通して、クラシック音楽の素晴らしさを老いつつ我が体は、ようやくにしてより深く感知し始めたのである。推し活なんて若い人の言葉だと思っていたが大間違いである。私にだって訪れるのである。猪風来さんご夫妻もわたしの中では、宝である。

今回の小さな旅は、大きな旅になったように思える。今後、これからいかに時を刻んで日々を歩んでゆけば良いのかの方途のヒントが授けられたような。だから、心と体がが動く間は旅に出かけたい。

2025-11-03

小さな旅、最後の日の朝、吉祥寺駅のマクドナルドで打つ五十鈴川だより。

 昨日午後新潟日報で催された縄文シンポジウムに参加し、午後五時すぎの新幹線ときに乗り午後7時東京につき、中央線特別快速で三鷹に、そこからバスで次女の住むマンションの前で降りると、午後九時だった。

次女のところでぐっすり寝て、朝食を頂き、今日午後八王子での音楽会に参加する前、つかの間リヴィングルームでうっている。そばで4才の葉と次女がポケモンカードを楽しんでいる。風香は明日で生まれて3ヶ月、バウンサーでいい子している。でないと次女はカード遊びは出来ない。今回の小さな旅も今日が最後である。(とここで中断)

周さんが撮ってくれた、お散歩写真。

ここからは、吉祥寺駅のマクドナルドで打っている。あまりにお天気がいいので、葉と次女はお留守番しお別れ、周さん、風香と私の3人で、井の頭公園を散歩しながら吉祥寺駅に向かった。ひっきりなしに落ち葉が、バウンサーで眠る風香の上に降ってきた。周さんがその落ち葉を何回も取り除いた。

おおよそ30分以上、義理の息子の周さんと世代を越え密度の濃い、親子の会話をしながらのお散歩をすることが出来た。最後に思い出の3人でのお散歩がかなって、いい時間が過ごせ、ほんわか私は幸福感に浸った。周さんとはマクドナルドでお別れしたが、すぐに五十鈴川だよりが打てるように設定してくれた。

今回の旅を総括するのには、気持ちが熟成しないととても無理だが、午後の音楽会まで時間があるので、思い浮かぶ徒然をうつ。10泊11日の最後に音楽会にゆけるなんて幸せである。千住真理子さんがゲストで出演する、だけでたまたまチケットを求めただけである。

24日に家を出て、結局東京に6泊、那須塩原に1泊、新潟に3泊した今回の旅は、小さな旅ではなく、現在の私の年齢では、大きな旅となったような気がしている。そのことをうまくは綴れないのだが、事実の行動、実践を記すべく、五十鈴川だよりを打つ。

昨日までは越後新潟にいたのに、今は吉祥寺駅のマクドナルドで、五十鈴川だよりを打っている自分がいる。やはり新潟は長岡での縄文遺跡博物館を含めた、現地での体感気分が濃厚に体に残っていて、にわかにはこの都市空間に体がおっついていない。だが、百聞は一見に如かず、と言う以外にはない嬉しさ、充実感が今の私の内面を彩っている。臆面もなく打つ、老いる老人の燃える秋を感じている、のだ。

未知の縄文世界への一人旅、寒さ対策もあり、最低限の衣類ほか本など、中型リュック満杯の荷物を担いでの旅は、それをものともしない体力が必須である。今しばらく、日本列島、この世に生まれし在りがたさを、春夏秋冬愛でる旅を続けたいと言う一念が、湧いてきている。いよいよこれから、そのためにはどう生活すれば良いのか、思念している。


2025-11-02

11月2日午前中、新潟駅前のホテルのロビーで寸暇打つ五十鈴川だより。

 一昨日、猪風来さんの宇宙創世のモニュメントがある、長岡の馬高縄文館を訪ね、昨日は新潟歴史民族博物館と、十日町にある縄文博物館(火炎土器がいちばん多く出土している)をゆっくりと見学した。その事をまずはキチンと打っておく。

猪風来さんの作品に遇いました

31日は午後からかなりの雨で、一ヶ所しか行けなかったが、昨日は夕刻まで雨が落ちてこなかったので、2ヶ所なんとか行くことが叶った。縄文博物館は新潟市内からはかなりはなれている。

今日午後新潟日報のホールで行われる縄文シンポジウムは市内中心部にある。そこの近くにホテルをとったため、2日間、長岡に行き、そこからバスや在来線を利用したのだが、本数が少なく、大変ではあったが、その分よけい記憶に刻まれた。

今日、予報では雨模様だったのに起きると日が燦々と照っており、この2日間とはうって変わってのお天気なので、私の気分もすっかりいい気分ある。未知の新潟わずか3日間ではあるが、来て本当に良かった。そのいちいちを五十鈴川だよりに、今は打たないが、これから数年間、元気な間、新潟含めた東北エリアを、旅往きたいとのおもいがつのっている。

ところで昨日、朝いちばん歴史民族博物館を訪ねたとき、なんと猪風来さんのドキュメンタリーを撮っている、パイプラインのTさんや監督にばったりあったのには向こうも私も驚いた。時間が無かったので早々に別れたが、意外なことが起こるのが旅なのだから、これもまた思い出となった。

一年間、猪風来さんご夫妻と親密に過ごす事がなかったら、まず間違いなく、新潟の縄文博物館を訪ねる旅は生まれなかった。そして、自分でも思いもよらない老いの情熱が湧いてくることもあり得なかった。契機になる出来事に未だ反応する自分がいる。要は自分に正直に生きているだけである。昨日まで打ち込んでいたことを、止めたわけではない。昨日までの自分に、新たな時間を生きる自分が加わっただけである。

だが、これからの新しい時間生きるのに、縄文世界はゆうに言えない何か眼には見えないある種の豊かさを、もたらしてくれそうな予感がしている。もっと打てば、これまでの私とはおさらばしそうな、出来そうな予感なのである。今朝はこれ以上は打てない。

昨日十日町まで長岡から在来線で越後川口を経由、飯山線に乗り換え、往復した。信濃川流域、これまで眼にしたことがない風景、家々、水田地帯に生きる人々を目の当たりにした。あまりの雪国の奥深さ、長い雪の季節と、全く異なる夏の季節を、今もこの地に住む人々は生きている。厳しい大自然と共に、一万五千年以上生活した縄文人の末裔たちの遺伝子は、今も生きている。

宮崎でノホホンと少年期まで生きてこられた私には、想像も及ばない世界、生活である。縄文火炎土器はこの地に、長く長く生き生活した縄文人が創造した、傑出した土器なのだと府に落ちた。

日本と言う国も言葉もなかった、遥かな昔々も大昔、縄文人は生活を創造した。すごい世界に誇れる人々、この地で縄文人は大地と共に生きていた。そのことに想いを馳せるとき、なにやら偉大な御先祖たちの叡智の光を浴びたい、と旅に出掛けたくなったのである。。



2025-10-31

10月31日、結婚記念日に新潟駅の近くのホテルのロビーで打つ五十鈴川だより。


 10月月31日新潟のホテルのロビーで寸暇打っている。Wi-Fi接続を高校生らしき若者が、あっという間にやってくれた。彼にはバナナスムージーを馳走した。これも又、旅ならではのデジタル音痴お爺の特権である。

さて、29日に次女のところから那須塩原にお昼に着き、迎えに来てくれた石川さんと十数年ぶりに再会した、時系列にそって、忘れないうちにこれまでの行動をスケッチしておく。石川さんも私もそれなりに年を重ねたが、顔を見合わせると、有難いことに、空白時間はあっという間に氷解、私は那須岳に向かうことになった。

石川さんは寡黙で実直なお人柄で、前回もそうだったが、私はただ従うだけなのである。お昼抜きで、いきなり標高1600メートルの那須岳ロープウェイ入口まで直行。200メートル一気に上がり、巨岩の活火山の那須岳山頂を見上げながら、1800メートルエリア約一時間二人でトレッキングした。老いゆくからだが喜ぶトレッキング、記憶に刻まれた。

降りてそこから、那須塩原温泉に直行、会津屋という宿に投宿。すぐに二人で露天風呂に浸かり、夕闇迫る塩原温泉温泉郷を、夕食前散歩にでかける。これが又風情があってよかった。夕食前、風情のある洞窟風呂に。これが趣があり、年季がはいった塩原温泉ならではのお風呂だった。

午後6時お腹を減らしての夕食は格別に美味しくいただけた。午後8時まで温泉郷までおもに私が語り、石川さんが耳をかたむけるという再会時間が流れた。お酒が弱い石川さんが先に引き上げ、私は最後までお酒をのみほして部屋に、すでに石川さんは休んでいて、私も早々に横になった。

翌朝5時ふたりで朝湯に浸かり、またもや朝食前にお散歩、これも記憶に刻まれた。ゆっくり朝食を頂き塩原温泉を9時に後にした。それからは石川さんの獣医師としての仕事に付き合って、酪農家を4件回り、彼の仕事ぶりを眼に焼き付けた。いろいろな牛の写真を家族にたくさん撮って家族に送った。

至れり尽くせりの石川さんのおもてなしに、甘えたこと、そのことが心からうれしかった事を五十鈴川だよりに打っておく。午後1時再会の約束を固く交わして握手しお別れした。視界から消えるまで、石川さんが最後まで 見送ってくれた事を眼に焼き付けた。午後4時、大宮駅で乗り換え新潟についた。

歩いて10分、ホテルにチェックイン、荷をおろし夕闇迫る新潟信濃川から、無事ついた写真を送った。空には半月🌓が浮かんでいた。ころもなる古城の畔の遊子ではなく、信濃川をながむる老いた遊子ではある。でも願わない限りは来れなかっただろう。お爺さんではあれ祈り願うのが、老い人の孤独と受け止める。

暫し、とっぷり日の落ちた市内をうろつき散策し、とある老舗の中華のお店で早々夕飯、ホテルに引き上げた。


2025-10-28

上京旅3回目、次女のマンションのリヴィングルームで打つ五十鈴川だより。

 


次女のところで打っている。慌ただしき朝の時間を終えたひとときである。6時に起きて、朝食、洗濯、掃除を終え、周さんが葉を保育園に送って行き、まもなく次女がお医者さんに行くので、その間私が(周さんは仕事なので)風香のケアをすることになっているので、ちょっとお昼、娘が帰ってくるまで、お爺が面倒をみることになっている。

と、ここからは10時40分過ぎ娘が戻ってきてから打っている。約二時間の風香の子守り時間は格別な時間となった。時おりリモート仕事の周さんが、私たちの様子を伺いに覗いてくる。私が抱っこしていると、気を使って抱っこ紐を持ってきてくれた。ちょっと愚図った風香を私が立て抱っこ(お腹に紐で抱っこする)すると、何ともはや私の両手は解放され、風香はスヤスヤと眠りに落ちた。その後娘が戻って来るまでの約一時間起きることはなかった。娘の帰宅のチャイムがなったっときの安堵感は例えようもない。いま側で風香は娘にあやされミルクタイムを終えご機嫌である。今午前11時が過ぎたところ、続きは又時間を見つけて打つことにする。

と、ここからは娘が昼食に、キムチ焼き飯トンカツ付きを食べ、お昼寝を少しして洗濯物を取り入れ、午後3時に葉を保育園に迎えにゆく。(午後2時過ぎに打つ)

二ノ宮金次郎の私です。

今これを打っているのは28日の朝、朝食を終え葉を周さんが保育園に送っていき、側で次女が風香をあやしているそばで打っている。昨日のざっとあれからの流れを時系列で綴っておく。

3時に葉を保育園に、次女と風香と私で迎えにゆき、その足でコンビニでおやつを買い、井の頭公園にお散歩、ついておやつを食べようとしたら、蚊がたくさんいて早々に家に戻る。戻ってすぐに、次女と風香、葉、続いて私もお風呂をいただく。

夕飯前、葉のドリルをみてあげる。葉はドリルの問題があまりに簡単すぎて、おふざけがすぎるのだが、4歳のときの自分がどのようであったのかまるで記憶にないので、まあこのような感じであったのだろうと、受け止める。

夕食時、久しぶりに 少しだけニュースを見る。いきなり天皇陛下とトランプ大統領が画面にでる。そうだ、トランプ大統領が訪日しているのだ。目まぐるしく世界情勢は動いている。が、そのような大きなニュースをしりめに、私は次女夫婦のもとで、つかの間の滞在のお役にたつべく、ささやか、おだやかな時間を過ごしている。子育て真っ最中の、娘夫婦の大変さを少しでもの緩和、お役にたてることの有り難さを噛みしめる。

夕食後は、各自自由にすごし(とはいっても娘と周さんは次から次にやるべきことが)私も与えられた部屋で暫し読書、寝る前に、葉と周さんと3人でトランプをし、葉の寝る前の絵本の読み聞かせは、周さんがしてくれた。寝る前に、トランプ大統領がきたからというわけではないが、珍しく政治情勢の動画を探して見たのだが、老人の耳には、一家言ある方々の忙しない発言がやたら耳障りで、もうほとんど木偶の坊老人を自覚している私としては、早々に情報を遮断して眠りに落ちた。

もう老人なので、世界の行く末は、若いこれからを生きて行く世代に、私はお任せしたい。私は老人、超保守的にしか生きられない。娘たち家族の行く末をそっと 見守るお役にたてることの有り難さを、自覚するだけで十分である。昨日長女の旦那、レイさんから、有りがたいお礼のメールを貰った。予期しないメール立ったので嬉しかった。心のなかで、私のわずか二日間の滞在のお礼が綴られていた。そのようなメールをもらうと、老人の私がどれほど嬉しく有難活性化することか。

老いの下り坂、子守り他、何でもいいのだが、誰かのお役にたて、言葉で有難うの一言をもらえることの喜びを、長女家族、次女家族から今回もいただき感じる。明日は那須塩原の友人を訪ねる。東京滞在今日が最後である。打ち終えたら 娘が買い物に行ってきて欲しいという。お安いご用である。難しい事は無理だが、単純な事は、ひとえに得意である。一つでも取り柄のようなものを人生でみつけられたら、めっけものである。

2025-10-26

打てるときを見つけて打つ、短い上京旅2回目の五十鈴川だより。

 

掃除機をかけるミア

稲城は昨日に続いて雨である。ノアとレイさんは渋谷にお出かけした。周さん葉と落ちあい、四人でポケモンのイベントに参加するとのこと、私は娘たちと行動することにし、もう少ししたら、次女の住む三鷹の下連雀にでかける。朝食を終え、掃除機をかけ、ミアと雨の中わずかな時間昨日に続いて雨散歩に行き戻って、寸暇打っている。

 そばでミアおやつのアイスを食べ終えて長女とお掃除遊びに興じている。今日から次女のところに移動することになる。わずかな時間ではあれ、時間を見つけて打っておくように、こころかけている。

ここからは次女のところで、お昼(次女が作ってくれたカレー)を済ませ、ミアがお昼寝に入る前に、寸暇打っている。次女の二人目の子供風香、生後まもなく3か月は、ミルクを飲んでいる。

今私は73歳だが、7年前までは一人の孫もいなかった。今は4人の孫がいる。男の孫たちは父親と共に渋谷に、女の子の孫は娘たちと共にそばにいる。このような極めて当たり前的、日常のひとこまを、ス文字化してスケッチしてくるきたいという爺心は、自分でも不思議である。

きっとどこかで、家族をもて孫に恵まれるなんてことが、自分の中ではにわかには、現実とは思えないような気がするので、文字化しておきたいのだろう。今長女がミアをお昼寝に寝かしつけにゆき、風香はスヤスヤとお寝みしている。私の娘たち家族の生活ぶりは堅実質素そのものである。私もお昼寝がしたくなったので今日はこれにて五十鈴川だよりはOFFにする。


2025-10-25

小さな旅1、東京稲城長女のマンションで午後寸暇打つ。

 昨日、お昼に東京について、三鷹の次女のマンションに行き、持参した菜園場や我が家で妻が育てた野菜(那須、ピーマン、シシトウ、柿ジャム)他を新鮮なうちに渡し、下連雀からバスで仙川に出て、京王線に乗り換え、長女の住む稲城のマンションに午後3時に着いた。

一人遊びする未彩、よく見えない

仕事中のレイさんに挨拶。少しやすんで、吊し柿を6個気持ち剥いてベランダに吊るし、長女の淹れてくれたコーヒーを頂き、四時にノアを迎えに南山小学校に行った。ノアが嬉しそうに微笑んでくれ私も嬉しかった。

南山小学校は新興住宅地の住民が主に通う大きな小学校である。徒歩で10分位のところにある。その間にスーパーがあるので、ノアと二人で長女に頼まれた品々を買い物して帰った。

家ですぐにノアの宿題を見てあげた。算数と国語を。その後はノアはレゴに夢中にとりくみ(私がスーパーで買ってあげた)私も少し手伝った。五時半、今度はすぐ近くの保育園に未彩を長女とノアの三人で迎えに。

ミアは夏以来わずか2ヶ月のあいだに、俄然成長していて13キロになっていた。いきなり抱っこしたのだが、前回はいやいあしたのに、今回は素直に応じてくれたので、お爺の私としては嬉しかった。

夕刻、ノアと二人で最初にお風呂を頂き、長女が用意ししてくれたパスタで、全員揃っての再会夕食。食後は、疲れが出て、ノアと共に9時過ぎに長女が用意してくれた床についた。レイさん長女とはゆっくりと話すことも叶わなかった。

25日土曜日は雨、一番先に起きていたミアのお相手を少しする。朝食を全員で7時半すぎにして、愚図るミアを気分転換にマンションの敷地を、ノアと共に雨の中散歩に連れ出す。外が大好きなミアはすっかりご機嫌になり約30分以上自分の足で歩いた。2歳半にしては健脚で歩くのを楽しんでいるのがよくわかる。途中でノアが先に帰っても、ミアは帰らないで私と歩いた。結局マンションの外に出て、半周をそぼ降る雨をものともせずミアは歩いた。爺も愉しかった。

自分の意思で、頑なに事を成そうとするところは誰に似たのかわからない。が、先が楽しみなのは孫たちすべてに共通する。なんてことを臆面もなく打つと、単なる爺バカとの謗りを受けそうだが、まったくかまわない。孫たちをただ甘やかすバカなお爺だけはごめんである。共に歩いたり、ともになにかを作ったりとか、記憶にのこることをしたい、ただそれだけである。

私が散歩に連れ出している間に、レイさんと長女は洗濯物を干したり畳んだり出来て、家事が捗っていた。爺の役割とは何かとかはあまり考えない。その場で出来ることをやる。そのことの年寄り冥利さのありがたさ、年を経たものが味わえる特権である。

有り難き幸せ、なついてくれたミアは本を読む事もせがむようになった。何事も労を惜しまず接することで、コミュニケーションが生まれる気がする。案ずるよりもである。そのあと、レイさん、私、ノアとミアの4人で稲城の図書館に行き、午前中時間をすごし、本をたくさん借り家に戻った。外は雨、雨の日の図書館はとてもいい時間が過ごせた。

お昼前、ノアと長女はお友達のところにお出かけ、私レイさんとミアの3人は家で昼食。昨夜の残り物や、それに私が食べたいものを駅のスーパーで惣菜、お刺身三種類(サバ、鰹、イカ)サンドイッチ、コロッケなどを求め、美味しく頂いた。昼食後ミアはお昼寝、私は寸暇五十鈴川だよりを打っているというわけである。

2025-10-24

小さな旅に出掛ける前、朝の寸暇五十鈴川だより。

 少し時間がある。思い浮かぶよしなしごとを綴りたい。小さな旅とはいえ、予定を1日早くしたので、10泊11日の旅になる。還暦以後ではもっとも長い国内旅となる。

手元に本は必須アイテム

これからの人生時間を慮り考える。できれば元気に歩ける間に、毎年のように国内旅行を、可能なら妻としたいと、想っている。

今回は一人旅、というのは老犬のメルや猫のはながいるので、二人揃っての旅ができない、という事情を抱えているからなのである。なのだが11月半ばには、夫婦揃っての旅を短期間でやろうと、話あっているところである。

さて、若い頃は、発作的に旅に出ても、行き当たりばったりでもなんとかなり、それがまた特権的であり楽しかったものである。

世の中もまだいくぶん余裕があり、旅行代理店のかたなんかも、対面で若者貧乏旅を支援、相談にのってくれたものだが、世の中すっかり様変わり、インターネット、リモートでの予約が定着してきたので、私のような老齢者はすっかり時代においてけぼり感覚を生きている。

だが、私にとっての旅は、好奇心ある間は必須アイテムなので、生成AI時代であろうとも、その淡い、いわく言いがたい隙間を見つけて、一期一会的な旅を、と妄想する。一人旅をする者の事を、日本語で遊子と言うのだそうである。素晴らしい先人たちの紡いだ言葉、ゆうしと呼ぶ。風天の寅さんてきに遊び心旅に誘われるのは、古今東西枚挙に暇がないくらいの浮き世をさすらう御仁がたくさんいたのである。

私もその一人である。生家の近く同郷の歌人、若山牧水に最近とみに引かれる。[白鳥は悲しからずや空の青、海の青にも染まず漂う]漂泊の人生に、できもしないのに憧れるのは何ゆえか。それが分かれば苦労はしない。持って生まれた気質と言うしかない。

いきなり話は変わる。そのような老齢者の私を気遣って、妻がホテルやその他、あれやこれやと、割愛するがAIを上手に使って、無謀な旅にならないようにマネージャーを務めてくれた。老いては妻に従い、子にしたがうのである。何より家族在っての私である。

だが、家を一歩出れば、荷物を担ぎ、自分のいまの体で世間の風に当たり、あまりのと言えばあまりの、時代の急変の凄まじきつぶてを浴びる旅になる。だが浴びないと駄目になる。居心地の良い所ばかりにいると、視野狭窄に陥る。それを私は怖れる。私の旅は、安全な予定調和マニュアル旅ではない。

とはいえ、今回は娘たち家族に会い、滅多なことでは会えない友にもあい、生まれて初めて訪れる縄文遺跡への旅が、今日から始まる。折々五十鈴川だよりを打ちたい、楽しみである。



2025-10-22

共に働くkさんから頂いた、渋柿を吊るし終えた後に想う、今日の五十鈴川だより。

 明後日から小さな旅に出るので、今日は準備と急遽吊るし柿を剥く作業のため、労働はお休みした。昨日共に働くkさんから、おもいもかけぬ沢山の干し柿用の西条柿をいただいたからである。毎年のように氏は干し柿用の西条柿をくださるのだが、今年は大豊作とのことで、なんと100個以上くださったのである。

吊るし柿、冬の到来、想う秋。

旅に出る前に吊るさないと、あっという間に熟してしまうので、昨日の午後と今朝頑張って先ほど吊るし終えたところである。一口に100個もの渋柿を剥くという作業は、やってみたものでないと、わからない根気のいる作業なのである。

私が日本の秋の風物詩といえる吊るし柿に魅入られるようになったのは、秋になると働いていた中世夢が原の武士の屋敷の縁側に、毎年のように100個位はつるしていたからである。あれ以来100個もの柿を剥いたことはないのだが、十数年ぶりに、一気に剥いたのだが、くたびれたものの、吊るし終え、えもいえぬ充実感におそわれている。一句、(干し柿を、剥く手くたびれ、日が暮れる)。

剥いたのは私だが、妻が干す作業をてつだってくれた。私一人ではこんなにも早くは、到底むりだったろう。この数日で季節が一気に進み、柿は絶妙のタイミングで我が家に、届いたのだが、柿を収穫し吊るすための枝を剪定して残してくださったkさんの手間を思うと、、、。有難い秋のビッグサプライズとして、五十鈴川だよりにどうして打っておかねばとの気持ちがわいてきたのである。一句、(渋柿を、届けきし友、有り難し)

Kさんとはこの丸三年の労働仲間である。付かず離れずの良い距離感での交友が持続している。先日の猪風来さんのイベントでも奥様共々ボランティアしてくださり、私のやることを側面的にサポートしてくださっている、得難い方である。

現代という世知辛いご時世に、共に働きながら、細やかな晩年老齢関係性が持続している、その事ひとつとっても、私にはそうはあり得ない出来事なのである。これまでの人生では出会ったことのない実直寡黙誠実なお人柄である。私の人生では初めてのことなのである。だからこそ、最晩年を共有する身近な仲間であるk氏との関係性を、ことのほか大切にしたいのである。

ともあれ、五十鈴川は、久しくとどまりたるためしなし、濁りたくはない。動的平衡を保つために、絶えず変化変容する、本質的に大事な事を大切にするためにも。善き距離感で時おり手の届く、風通しのよい関係性を氏とは大切にしたい、と念っている。

2025-10-19

11月2日、新潟県の長岡市で催される縄文シンポジウム(自然と共に生きる未来)にゆくために10日間、旅に出ることにした。

 来週末、25日から久しぶりに10日間の旅に出る。東京二家族に会うのと、新潟の縄文土器遺跡を訪ねたり、なんとか時間をつくって、31歳の時に富良野で出会い、今は栃木県の那須塩原で獣医として働くI氏を訪ねる、ということは決まっているが、それ以外は未定である。

猪風来さんに頂いた資料の一部

5月の故郷帰省旅、8月の東京旅、に続く3度目の旅となる。還暦以後、平均年に4回位、春夏秋冬小さな旅を続けている。旅をしないと、私は窒息してしまう。

今回の旅、いつもとちょっと違うのは、新潟に(通過したことはあるが泊まったことはない)初めて新潟県に泊まる。目的は長岡の馬高縄文館と十日町博物館、埋蔵文化財センターを訪ねることと、、11月2日の縄文シンポジウム(自然と共に生きる未来)に参加することである。

猪風来さんからシンポジウムのことを知らされた。私はこれまで縄文博物館や縄文遺跡を訪ねたことがない。お恥ずかしいほどに私は縄文土器文化や、あらゆる文化全般に関して、無知蒙昧である。(ではあるが、これまでの我が人生に対して、今のところまったくといっていいほどに悔いはない)

おそらく猪風来さんに遇うことがなかったら、火炎土器が出土した縄文遺跡を訪ねることは、ひょっとしたら、私の人生ではあり得なかったかもしれない。俗世をさ迷うことに終始し、人生を終えたかもしれない。そのようなことを真面目に想う。でも、行きたくなったのだから往くのである。

この年齢での猪風来さんの企画イベントに関われたことのご利益は、私の未知(無知)の晩年の扉が開かれたことである。まだワクワクする自分がいる。そこが救いだ。せっかくゆくのだから最低2泊はする予定である。

18歳から(小学校六年生くらいから思春期も含む)折々、主に人、映像、演劇、音楽、書籍、自然との出会い、などなどの集積の上に、かろうじて生き延びてきた私の人生のこれまでに、新たに縄文文化と出会うことになる。オーバーではなく、老いながら、下りながら、縄文世界に導かれてゆくそこはかとない幸福感が今朝の私を包んでいる。

昨日も打ったが、決定的に縄文ワールドへの水先案内人は猪風来さんである。氏の醸し出すとてつもないオーラを私はこの一年の間浴び続けた。その事が私を縄文世界へと誘う。未だ変容する自分を感じる。老いの身に静かな情動が湧いている。どこか不思議でただ嬉しい。なにやらのお導き。もっと打つなら、老いゆくおのれを、縄文の渦に身を浸したい、のだ。未知の細道に触れたいのである。じっとしつつ、時折動く。うちなる感覚に身をゆだねたいのである。


2025-10-18

猪風来ご夫妻、20周年記念野焼き祭り企画を終え、5日後に思う今朝の五十鈴川だより。

 猪風来さんご夫妻の渾身の企画を終え、14日から昨日金曜日まで、7年間続けている、今や現在の私の生活のいちばんの居場所とも言える労働に復帰した。ほぼ一年の間、どこか心の片隅に猪風来さんのイベントが宿っていたので、その事から解放され、普段の私の日常生活に帰れ、ああもう終わったのだという、充実した空虚感を抱えながら、ただ青空の元、体を動かしていた。

孫と共に作った73歳、私の初作品

無事に終えて5日経ち、五十鈴川だよりを打てる時間が持て、私は嬉しい。ようやく普段の生活にもどりつつある。

とはいっても、この一年の間、猪風来さんご夫妻が、古希を十分に過ぎた、老人である私に与えた、感動、刺激は到底言葉では表すことができない。

じんわり、じんわり効いてくる、猪風来縄文ワールドの魅力にはまってしまいそうな私である。それ以上の言及は今朝は控えるが、猪風来さんご夫妻を通じて、縄文世界の引力に引き込まれてしまった、気がしている。

人生の遊行期に入って間もなく、本質的に猪風来さんご夫妻と出合えた奇縁、タイミングを今はただ感謝している。確実に言えることは、自分が変化したからこそ、猪風来ワールド(以下、よし子さん原野さんの作品すべて含む)をささやかに感知し始めたのは間違いない。

自分の中にこれまでの人生で紡いできた、ものの見方、価値観、常識が覆されてゆく、気持ち良さ、変な溜まりに溜まった澱のようなものが、洗い流されてゆくかのような、快感に誘われたのである。とても言葉化不可能な世界の引力に。

年齢的に、直感的にあえて綴り打てば、もう残りの人生時間、元気に動ける間は、あくまでも現代生活の片隅で、縄文世界について少しでも知りたい、学びたい、想像力を養いたいという、我がうちなる老いてなおの力、変化がわいてきたのである。

もっと打つなら、縄文への下る旅がしたくなったのである。よもやまさか、このような変化が自分に訪れようなどとは、一年前には想いもしなかった。あれほど打ち込んでいた(シェイクスピアの音読も止めはしないが、割く時間は必然的に減る)音読も、この一年ほとんどやっていない。が、深い呼吸力、集中力の持続維持のためにも、シェイクスピアのなが台詞ほど、老人の私を鍛え、面白がらせるものはそうはないから、今しばらくは並行して続けたい。企画もである。

今朝の五十鈴川だよりは、とりとめなき様相を呈している気がするが、致し方ない、老人の心は千路に乱れさ迷う。でも私はそれを由とする。新たな一歩を踏み出したい、のだ。可能なら、これまでやって来たことを踏まえ、未知の縄文世界を、猪風来さんを水先案内人、先生として学びたい(のだ)。

2025-10-13

猪風来美術館、開館20周年記念イベント青天に恵まれ、無事に終えた翌日の朝に想う。

 朝の秋の陽光が燦々と我が部屋に射し込んでいる。疲れているが、猪風来さんご夫妻の渾身の企画の裏方スタッフとして、お声かけして頂いてまる一年、この一年の我がうちなるる充実、実りは私がいちばん実感している。(お天気に恵まれ無事に終えることができただ嬉しい)

これはおそらく、大いなる猪風来さんご夫妻のオーラを折々浴び続けたご利益の賜物である。その委細のこまごまを今朝の五十鈴川だよりに打つきはおきない。今はただ、ささやかに満たされている。その気分に浸りたい。

今回、私は写真を一枚も撮らなかった。大場さんや瀬政さんがたくさん写真を撮ったので、それで私は十分、昨日は裏方として駐車場や受付、二部の会場設営、会場の片付けなどに体を動かし、このイベントの一部始終を体に記憶すること(カメラがないとおもって)、に徹した。

猪風来美術館は廃校となった法曽小学校である。支えているボランティアはこの小学校の卒業生である。20年間猪風来さんの野焼き祭りを支えている。今は私とどう年齢である。その方たちと土曜日曜と体をともに動かすことができた喜び、学べたことを、わずかではあるが、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

孫七歳、望晃ノアの作品

かっては60人の生徒さんがいたという法曽小学校、今は昔である。皆さん、老いてはいるが黙々と体を動かす。その頃のふるさとへの思い出、郷愁のようなものが、地元のボランティアスタッフを支えている。お昼のカレーその他の飲食販売ボランティアは女性たち。これまた黙々と動き働く。

猪風来さんの野焼きを支える老いた仲間たちと、冗談を飛ばし合いながらの共有時間が、私にはいちばん楽しかった。共に体を動かすことのなかで紡がれる無言の信頼感、連帯感、共に汗をかいた仲間のみが味わえる喜び。

どこか昔の小さな村の、かっては日本の農村のそこかしこで見られた村祭りに突然飛び入り参加下したような感覚に誘われた、これは白昼夢ではあるまいかと。

長くなるのではしょるが、神奈川相模原から長い交友の女性もお友達と来てくれたし、縄文土器造りに情熱を注いでいでいる仲間(女性)とも面識を得、何人もの方とは名刺交換やラインの交換もできた。多くのその場で出会った人達と言葉を交わし世代間交流が弾んだ。場所の力で思わぬ意外な事が続々起きた稀なイベントとなった。

瀬政さんの奥さま、熊岸さんの奥様、猪風来さんのイベントにボランティアで初参加、とても喜ばれ、美術館の作品に感動されていた。瀬政さんの奥様は土器造りに参加したいとおっしゃっり、また猪風来美術館にゆきたいとのこと。思わぬことが起こる。イベントとは出合うことと知らされる。これからの私に何ができるのか未知だが、言えることは今しばらく私より若い世代と共に、何か夢が紡げそうな予感がする。

ともあれ少しはお役にたて、猪風来さんご夫妻の笑顔を見ることができて、わたしはホッとした。

2025-10-11

猪風来、縄文造形20周年野焼き祭り野焼祭り、を明日に控え、もの想う五十鈴川だより。

 土曜日の朝である。今日は午後から明日のイベントの準備があるが、明日は五十鈴川だよりを打つ時間はないので、少し今の心境のようなものを打っておきたい。とはいうものの私の一文は、自然に流れるにまかせる、いい加減ブログである。

バイト先のコスモスと秋の雲

さて、台風23号が接近しているが、予報は晴れ、裏方としてはとりあえず安堵している。今はただ明日、つつがなく20周年野焼き祭りイベントが終わることを祈っている。

昨年秋、猪風来さんからの突然のお電話で、この猪風来縄文造形芸術の集大成企画のお手伝いをすることになって、おおよそ一年、この間、私の生活時間のかなりを割いてきたが、ようやく明日結実する。

今私は、この猪風来さんご夫妻にお声かけしてもらえた幸運を、ただ感謝している。今朝はその一言を打てば事足りる、という心境である。猪風来さんご夫妻のあまりにもの純粋さに、俗物の私のこれまでの人生が、どこか気恥ずかしいほどに、照射され続けた一年tであった事は確かである。(だが私は俗物を全うするつもりである)

この年齢、もうカチカチに固まってしまい、時代のすう勢に飲み込まれ埋没、流されしまいそうな私に、(流されてもいいのである、自覚していれば)一筋の光明をご夫妻は与えてくれたことを、キチンと五十鈴川だよりに打っておく。

ご夫妻と言葉を交わした、この一年で私の生活はかなり変容した。それはうまくは言えないのだが、猪風来さんご夫妻のように、歩んでゆけばいいのだという、老いゆく覚悟の深まりの実感である。

それは、この一年に綴り打った五十鈴川だよりの節々に、その影響のようなものが顕現している。なにか心からふわーっと楽になったととでもいうしかない感覚が、自分の中にわいてきたのである。これから先の私なりの時間の過ごし方の、大いなる当たり前のヒントをご夫妻から頂いた事を打っておく。

それは当たり前を受け入れ、当たり前に訪れる日々の生活に愛情をもちつづける、平凡な真理である。それを実践する。もうそれだけでいい、足りているという気付きである。だから私は今朝も能天気に嬉しいのである。

唯我独尊、前人未到の、あの猪風来縄文造形作品群は、50年ひたすら土の神に祈りを込めた、まさに、俄に縄文人が忽然と時空を越えて蘇り、生成A人類の行く末、困窮カオスI時代、一石を投じたとでもいうしかない、ほどの偉業なのだということが、遅ればせながら、ようようにして今私は感得している、のだ。

私の今朝の五十鈴川だよりを、いつの日にか孫たちのだれかが読んでくれたら、嬉しい。


2025-10-05

日曜日、朝一番一仕事し、先ほど裸足散歩からかえっての今日の五十鈴川だより。

 先日、千住真理子さんの、継続する力を読んで、改めて我が意を得た、というとオーバーだが、還暦以後継続(手術で中断もありけれど、復活している)していることがある。五十鈴川だよりもそうである。古希からの企画再開もそうだし、他には懸垂と裸足散歩、家庭菜園、踵の上げ下ろし、音読、それに筆写もいれれば、、、。かなり還暦以後毎日ではなくとも継続している。今は新聞の購読を止めたが、書評の切り抜きも20年近くやっていた。

絵本読み聞かせお爺になる

考えると、家、及び近所でやれ、企画を除いたらほとんどお金のかからないことばかりである。それでこの年に至るまで、自分でいうのもなんだが、面白可笑しく過ごしてこれたのである。

なぜこのようなことを打つのかというと、中高年の貯蓄率がことのほか我が国では高いということを知らされたからである。お金はきれいさっぱり使うものである。(西郷隆盛の言葉、子孫に美田を遺さず、これも父の言葉、ゼロから始まりゼロで宇宙の塵なるのが理想)守りに入ったときから、人は貧しくなるように私にはおもわれる。

もし私が経済的に余裕のある家庭に生まれ落ち、今現在も自由になる、ある程度の資産があれば、多分惜しみ無く企画を初めとする好きなことに、お金を費やすのではないかと、想像する。そのあげくどうなるのかは神のみぞ知る。

が私はそういう家庭環境には生まれなかった。両親は5人の子供を抱え、父は長男だったので、両親の面倒を最後まで見、戦後北朝鮮から命からがら、 無一文で引き上げてきて、借金して、町中からはなれた(当時は近所に家がなかった)場所に家をたて、ローンを払い一家の主としての生涯を全うした。父は文藝春秋だけ定期講読していた。

その両親の四番目の子供が私である。母は北朝鮮では小学校の先生をしていたが、引き揚げてきてからは、一家の母として、主婦の仕事、子供の世話、両親の世話に明け暮れた。私の記憶の中の母は、家事に明け暮れる母の姿しかない。怖い父と、怒ることのない優しい母、全く対照的というしかない両親に育てられたのである。今おもえば人生に必要なことはすべてあの両親から受け継いでいるのだということが、染みて自覚(わかる)。

結果、私は不必要な出費や、華美な飲食、華美な旅、華美なファッション(ボロでも清潔で、らしく着こなせればいいのである)などなど、身の丈に合わないような生活はとんと送れない生活者、似合わない生活者になってしまったのである。それでいいのだ。

もっと言えば、お金の使い方がわからないのである。高価な衣服や、車、飲食物、ライブや、コンサート、などなど、にはとんと興味がなく、コレクションの趣味もほとんどない。結果、今も私の生活は慎ましく、その慎ましさのなかで、いかに贅沢な時間、一日を過ごせるのか過ごせないのか、にしか頭が動かないのである。

だが、これも父からの教え、お金がなくとも、心が貧しいのは駄目だと。長くなるのではしょるが、心の貧しいケチな人間になるのだけは御免である。貧しくたって夢を見るのだ。夢を見る力がないのが貧しいのである。そういう人生を今も私は歩んでいる。企画の夢にお金が追いつかないとき(ほとんどだが)は、共有してくれそうな仲間にカンパをお願いする。一期一会、その時に集まったお金で企画する。打ち上げは足を運んでくれたその仲間と。これが私がこれまで経験した中で、もっとも愉しく贅沢な時間である。

だがこれからいよいよ私は老いてゆく。体がよぼよぼになる。だから、ゆっくりと私の贅沢時間は変容する。さしあたって、12日の縄文イベントを終えたら、ちょっと長めのお休みをとって、どうしても訪ねておかなければならない人に(会える人にはしっかりと会っておきたい)会う旅に出掛けようと思っている。お伴は、死ぬまでにどうしても読んでおきたい本である。

2025-10-04

二冊め、森永卓郎さんの[身辺整理という]本を読みました。そして想う。

 今日は猪風来美術館にゆく予定であったのだが、雨で作業が取り止めになったので、いつもの休日のように、静かな時間を過ごしている。

今年一月に、おなくなりになった経済アナリストの森永卓郎さんの官僚生態図鑑という本について、先日五十鈴川だよりに打ったのだが、続いて、森永さんが余命宣告されたのちに書かれた[身辺整理]という本を、先ほど読み終えた。

見事な人生、脱帽する


読み終えたばかりなのだが、降ってわいた時間があるのでなにがしか綴りたい。余命宣告をされたことがない私としては、まだまだやりたいことがあり、幸いにして頗る健康そのものなので、私事として、きちんと受け止めるには至難なのだが、打つ。

私は、これまで読書の傾向があまりにも偏り過ぎていたという反省が、古稀を過ぎて俄に強くなってきていたお陰で、森永さんのご本も手にすることができたことを、素直に喜んでいる。

思い込みや、知らぬうちに育まれている苦手意識、偏見が私をして狭い世界に充足させがちになってきていた。

古稀を過ぎたのだ、もっと自由に本に触れようと。だから努めて意見の異なる生き方や、異なる環境を生きた思考の持ち主の本も、意識的に読むようには心かけている。

おそらくそういう心掛けがなかったら、森永卓郎さんの本も手にしなかったのではないかという気がする。そして思う、手にして良かった。私とは全く異なる人生である。人は生まれ落ちた時代と環境のなかで、自分の人生を生き物として、どんなに理不尽であれ、非情な摂理の中を泳いでゆくしかないということを、知らされる本である。

私とは、あまりにも異なる世界を歩まれた方なのだという認識しかもてない、とはいえ一人の人間の、私には想像だにできない世界を必死で生き抜き、結果見事に全うされて、このようなご本を遺された、毅然とした見事な生き方に打たれた。

ちょっと話が逸れる。世は100年時代、総活躍時代などという標語が飛び交うが、私に言わせれば、 虚しい。身近な周りを見渡しても、見るからに幸せそうに生活しているご老人にはそう私はお目にかかっていない。ハッキリと五十鈴川だよりに打っておく、長生きすれば幸せなのか。

まったく私はそうは思わない。心からやりたいことがない人生は虚しい。幸いにして、まだまだやりたいことが私にはある。私は今しばらく生きねばとは、思ってはいる。だが、一寸先は神様にもわからない。だから、無目標でただ漫然と長生き、社会のお荷物的人生だけは御免である。

ボケると、このようなことは打てなくなるので、今のうちにキチンと打っておく。それにしても、 森永さんの余命宣告を受けてからの、あまりにものエネルギッシュなお仕事ぶりには脱帽する。死は怖くないと森永卓郎さんはおっしゃっている。あっぱれというしかない。

このような境地になれるのは、キチンと人生を生ききったもののみにしか、けっして訪れない。そのことは私にも分かるような気がする。臆面もなく打つ、私もまた死を受け入れるための生き方をせねばと。

我が両親も潔かった。あのように生きればいいのだという身近なお手本がある。引き上げ者としての両親を私は尊敬している。思春期から自己嫌悪、不甲斐ない自分をもてあましつつ、戦いつつなんとかいまを生きているが、多分一生頑張っても、あの両親にはかなわない。見習いたいと、ますます思う、この頃である。

2025-09-30

[続ける力],千住真理子著を読み、打たれた今朝の五十鈴川だより。

 昨日、千住真理子さんの、続ける力、というストレートなタイトルの本を読んだ。お名前は知っていたし、ラジオでお声も聴いたことはある。だが、実際に演奏を聴いたことはない。だが先週土曜日図書館で、ご本のタイトルが目に入った瞬間すぐに手に取った。3ページめに、この本を手に取ったあなたへ、というちょっと大きめな言葉が記されていて、続く言葉が[人生はロングレースだよ]というお父さんの言葉が冒頭に続いている。

生で聴きたい。

あまんきみこさんの絵本を探しにいったのだが、よもやまさか、千住真理子さんの本にも恵まれるとは。なぜこの本のタイトル、継続する力に吸い込まれたのかは、私自身が、幼少の頃から、今で言う発達障害とでもいうしかないほどに、落ち着きがなく、多動性であったことに起因している。

何事にも飽きっぽく(それは決して消えてはいない)、集中力のない、自分という存在との、オーバーに言えば、それとの戦いみたいな人生を、18歳で世の中に出てから送ってきたからだ、と思う。

生活をするだけでエネルギーを消費し、夢も希望もない蓄積したの実感のない泥沼のような貧しい青年の暮らし。この先を想うと、暗澹とする不安しかない焦燥坩堝時代。

運が良かったと言うしかない。不確かで、日々変容する自分との戦いの果てに、なんとかこの年齢までたどり着いている、というのが正直な気持ちである。

おもえばあれから55年の年月が流れ、いろんな方との廻り合いに助けられた。そして今、ようやく多動性発達障害がようやく収まりつつある自分を感じている。ただた単に年を重ね老人になったからということでは決してない。

臆面もなく打つ。振り返ると、不甲斐ない自分を見つめなおす勇気と課題を、綱わたりのように、ささやかに持続したから、いまをがあると思える。自己嫌悪になるほどの不甲斐ない自分との戦い(いまも続いている)から逃げたとしたら、還暦を過ぎて、五十鈴川だよりを打つなんてことは決してありえなかったとおもう。

18歳で上京してからの4年間、22歳になる前(まだ21歳だったと思う)英国に脱出する勇気を思いつかなかったら、その後の私の人生はどのように変化したのか皆目想像だにできない。実現のため、当時付き合っていた女性にこれから資金を貯めると告げた。そこから希望の光が差し始めたのであるる。

二人で3年以上ひたすらあれやこれやのアルバイトをして、一年間イギリスに滞在する資金を貯め、結果実現して、最初の成功体験(目標に向かって継続すると願いが叶うという)となり以後の人生の支えになっている。

話を戻す。千住真理子さんの継続する力は、二歳半でヴァイオリンを手にして、以来一筋の50年である。まさにヴァイオリンの神様に選ばれしヒトなのである。好きであるということに導かれた、あまりにも過酷な運命の道。しかし運命から逃げない。受け入れる。その健気さ、凛々しさ、潔さは受両親から受け継いだ天性の賜物である。

理想の音を求めてアスリートのように体を鍛える。ヴァイオリニストは過酷極まる肉体労働であると、初めて知った。二十歳で一度演奏家をやめる。挫折しても好きだからまたもや起き上がる。試行錯誤、真理子さんの(と呼びたくなる)挫折克服の、自分で見つけた方法が簡潔で的確に真理子さん文体で書かれている。

ある日スイスから携帯の電話がなる。しまわれたままの、誰も弾いていない、300年に創られたストラディヴァリウス、ヴァランティ、とのまさに運命的な出会い。出会いの一文が簡潔ですばらしい。弾かれていないストラディヴァリウス、ヴァランティは簡単には音がでない。名器ヴァランティとの格闘が始まる。目頭があつくなった。(何ヵ所も)

ある種選ばれし天才は、誰も聴いたこともないヴァランティの音色を奏でたく、格闘を続ける。努力自分自身と戦っておられ、そのあまりの純粋さに言葉を失う。いや天才だからこそあれほどの努力が出来るのだとも思える。楽譜にびっちりと書かれている文字をみると畏敬の念しかない。すごいの一言しかない。

真理子さんのご本は、分かりやすく凡人の私にも充分に面白く、しかも誰でもやれると思えるほどに、分かりやすく説得力があり、読みやすい。素直によめる力さえあれば、こと音楽の世界だけではなく万人に届く、と私は思う。身近な世界のワンダーを感じる感性をお持ちのヒトであれば。

何事の困難も、継続することのなかでしか、未知の扉は開いてくれない。扉を開く勇気のある人間だけにしか、挑んだものだけにしか見えない、感知できない景色、聴こえない音があるのだ、と知る。この年でこのような本に巡り会え、五十鈴川だよりを打てる事に感謝する。今年見つけたもっとも素敵な本である。

PS 8月上京した際、猛暑の中、男の孫二人と父二人、私の5人で野外プールにゆきその時、数年ぶり、何百メートルを休み休み泳いだのだが、意外にまだ泳げる自分がいた。その時今年の冬はプールに行こうと五十鈴川だよりに書いた記憶がある。

千住真理子さんはヴァイオリンを弾くための体力維持のために、行ける時間がある時には、どんなに疲れているときでも、這うようにして、自分を騙して出掛けるのだという。ジムまで行ってみる。着いたらとにかく着かえる。着かえたら水にはいると、チビリチビリ自分を騙してゆく。

昨日午後3時半から休み休み一時間、泳いだ。真理子さんのご本に刺激をうけ、予定の冬よりも早くゆくことになってしまった。さあ、継続出来るか。意欲がなえそうになったら、真理子さんのご本が背中をおしてくれる。まだ泳げるのだから。(取り敢えず週に一二度、泳ぐことにした)

2025-09-29

昨日9月最後のミーティングと作業が猪風来美術館で行われた。記録として打つ五十鈴川だより。

 夜明け前、一時雨音が凄かった。目が覚めたが今月の労働は先週で終わったので、今日明日は労働はなし、だから雨音に聞き入りゆっくりとおきた。今朝は朝食後、3通のお便りを書いて先ほど自転車で投函してきた。

中央のシートの下の廃材を片付けた

さて、記憶が新鮮なうちに、昨日の猪風来美術館野焼き祭りイベントのミーティング、及び作業のあらましを綴っておく。

起きてすぐ近所のスーパーにミーティング参加者のためのお弁当を買い、朝食を済ませ、7時26分の電車で岡山へ、瀬政さんの車で猪風来美術館へ向かった。途中コンビニで小休止、10時前に着いた。

すでにNさんや地域の方たちが、駐車場や美術館周辺の斜面の草刈りをしていた。盟友大場さんもやって来て、猪風来さんの指示で、私、瀬政さん、大場さん、Nさんの四人で当日の客席作りのシミュレーションをする。8畳の筵を広げ、その回りに、パイプ椅子を実際にある程度並べ、おおよその人数の把握をする。それだけでも、シミュレーションができて、実行委員会の一人として安堵した。

その後、お昼まで時間があったので、縦穴式住居の近くにあった、舞台背景にはちょっと邪魔な廃材の片付けと、当日燃やす(縄文鼓を暖める)薪を綺麗に積む作業を、我々4人と野焼き祭り、法曽焼き同好会のKさん、猪風来さんの計六人で、一丸となって約一時間やった。すっきり、場がいい感じになった。

Nさん以外は、古稀を過ぎた高齢者ばかりではあったが、皆普段から体を動かしている面々であったので、思った以上に早く作業の目処がついた。大場さんとは長い交友だがともに体を動かすのは初めて、大場さん最初は戸惑って、軽口をたたいていたが、始めると体が動く。

瀬政さんもお世辞ではなく、やはり山で鍛えているから、よく動く。古稀を過ぎたら動く体こそが宝であると、心底私は思う。心情は体の動きに表れる。この偶さかの、冗談が(特に私と大場さんの間で)飛び交う作業が愉しかったことを、五十鈴川だよりに打っておく。

共に体を動かして、事務所で和気あいあいお弁当昼食。ちょっと話が逸れるが、仕事ではなく、心情あふるる利害のない、ボランティア参加者との作業やミーティングは本当に楽しい。

猪風来さんからの思わぬお声かけで改めて思うのだが、なによりも主体的に、自分の頭で考えて、縄文野焼き祭りに参加してくださるボランティアたちの存在は少数だが実に心強い。(心から喜びを分かち合える、今回の実行委員会ボランティアはサイコーである。)

9月最後のミーティングは、細部の詰めの確認事項に重きをおいて進行し、最後に、猪風来さんから縄文への回帰、近況の動き、(2027年横浜で開かれる、花の博覧会への猪風来さんの作品展示、ほか)について実行委員会に報告があり、ミーティングを終えた。

改めて最後、打たれたのは、野焼き祭りへの尋常ではない、100点もの作品を一日で焼きあげる責任感の深さである。法曽での41回目の野焼き、お天気に恵まれ、無事に野焼きが終わることを、スタッフの一人として祈るしかない。ミーティングを終え外に出るとかなりの雨、猪風来さんの案内で、4ヶ所の駐車場を全員で確認して、猪風来美術館を後にした。

瀬政さんに岡山駅まで送って頂き、17時半家についた。(なりゆき、行き帰りの車中、瀬政さんと話すことで、若き日のこと、忘れていたことが次々と思い出された。若き日の辛い出来事も、今となっては切なくも甘美な記憶して、脳の海馬の奥深くにしまわれていたのだ。話を聴いてくださった瀬政さんに感謝する)


2025-09-27

午前中、菜園場の(さつまいも畑の)草取りをし、そして想う。

 ちょっと体がだるい。だけれども五十鈴川だよりを打つ元気はある。明日は猪風来美術館で作業とミーティングがあるので、五十鈴川だよりを打ってたまった夏の疲れが出ているのだろうから、午後はゆっくりと休むことにする。

自然は手強い、修行は一生なり

朝食後、約2時間以上菜園場の草取りをして、戻ってきて寸暇五十鈴川だよりタイム。バイト先のさつまいも畑が、約一月ほっといたら、あまりに雑草に覆われていたので、鍬で少しうがして、手で抜いたのである。

だるいのでちょっと億劫ではあったのが、今日を逃すとまた伸びる。自分の菜園場、自分がやらないと誰もやってはくれない。単調に体を動かす。

根にまとわりついている土をふるい、草をバケツに入れ、一杯になったら、農業用の小さな車に積む。最初は大変ではあったが、だるいのも忘れて、はかどり始め、気分よく菜園場を後にした。

もうこの年齢になると、秋の空のもと、土に触れて香りを嗅ぎ、草と戯れていられる休日の時間が甚だ嬉しい。小さな菜園場がバイト先にあるなんて、なんとありがたいことかと、今朝も私は思った。私以外誰もいない。ただただ草を抜く。老いた我が体が喜んでいるのが分かる。

ささやかしごく、このような体の喜びを見つけられたことを、能天気に臆面もなく打てることが嬉しい。子供が夢中で虫とりをするように、私は草を抜く。正味2時間位が今の私にはちょうどいい。

養老孟司先生を、私は勝手に尊敬している。都市化(先生の言葉では脳化)された中での生活で、体が置き去りにされていることの危惧を、数十年もまえからお書きになっている。脳で考え、体を使って考えないことのバランスの悪さを、再三鋭く指摘しておられる。自然界は人間の思い道理には絶対にゆかない。どこかで自然と折り合いをつけないとまずい。畏敬の念を忘れたらとんでもないことになる。

老いて草を抜きながら、養老先生の言葉を反芻し、噛み締める。ときにこのような言葉を。人間の財産とは、結局自分の体に身に付けたものだけが全てであると。全財産、我が体は自然に還る。それまで体を動かし、菜園場でギリギリまで遊びたい。。

生老病死は摂理、自然である。私はやがて土に還る。宇宙の塵となる。都市化した生活をしてきた私は現代人である。だから死をどこかで怖れる。だが土に触れていると、気持ちが穏やかになる。土の力は偉大なものがある。土は生と死そのものである、そのような想いもしなかったことを感じる。土に触れなかったら決して生まれない感情である。

最近、私は現世的な執着や欲望がとんと(消えてはいないが)弱くなっている自覚がある。限りなく、一日の過ごし方が単調、シンプルになってきている。朝日とともに起き、体を動かし、暗くなったら、体を休める。もうほとんど満たされている。

お金や物に、執着しない。存在していることを、日々寿、ことほぐ。養老先生は覚悟を忘れて、永遠に満たされない欲望消費現代人に警鐘を、虫の視点で説く。然り、府に落ちる。自然を受け入れ、目を閉じる覚悟を日々養いたい。

2025-09-21

昨日、猪風来美術館の敷地の草刈りをしました。そして想う。

 昨日猪風来美術館に行った。着いたのが午前9時前、持参した草刈り機で敷地を約2時間草刈りした。春から秋まで毎日のようにバイト先で草を刈っているので、手慣れているので、私にとってはなんてことはない。

猪風来美術館の敷地の草刈りを初めてやった日として。記録として打っておきたい。そして思う。私が元気でいる間は、年に数回は、敷地の草刈りボランティアをやりたい。ご夫婦のお役にたてれば、ただ嬉しい。それだけである。

猪風来さんからお借りした本


おつむが弱い私としては、ただ体を動かし好きなことでしかお役にたてない。私自身高齢者ではあるものの、未だ十分に草は刈れる。ほんの少しでも役にたてる、その喜びが私を猪風来美術館に向かわせる。

初めての敷地での草刈り、おおよその時間の目安がわかった。すべては現場で自分の体をうごかさないと、何事もつかめない。砂利が多くてスムーズにはゆかないのだが、何事も一事が万事、やれば、動けばはかどる。私は単純である。

終えて、私のみ早めの昼食、お相手はもちろん、猪風来さんとよし子さんである。ゆく度に猪風来大兄から、私にとっては未知の領域の、蒙をひらかれるお話をうかがう。おそらくその事が、私を猪風来美術館に足を運ばせる、のだ。

昨日は、関西から土ひねり体験の予約が入っていて、猪風来さんはその準備や、こられてからの対応のさなか、私はさきに昼食を終え、よし子さんと私が、二人で話をしているとお昼に戻って来られた。私が縄文世界について参考になる本がありますかと、たずねると、とある考古学者が書いた縄文世界について書かれた本についての、前提からしての間違いについて、ひとしきり、お話しされた。私は又もや、府に落ちる説得力に脱帽した。(詳しく書けなくて申し訳ない)

猪風来さんが昼食を終え、遠方からの生徒さんの対応に戻ると、私は再びよし子さんとのおしゃべりに戻る。よし子さんのご年齢は知らない。おそらく私よりもちょっと上かもしれない。もう最近では、気安く姉感覚でおしゃべりができる。それが楽しい。このこともまた、今を生きる私の喜びの一つなのである。

この方のそそとした、凛とした聡明さ、思慮深さ、芯の強さは、猪風来さんとはまたことなり、女性ならではの柔らかさが、私にある種の新鮮な驚きをもたらす。そしてエネルギーをいただく。

先週、よし子さんから、5年前32歳で他界された、ご子息原野さんが10最のときに書いた、岩手県への旅行記ノートを見せてもらった。かけがえのない、大切なよし子さんの宝を、見せてもらえた事に驚き、そのことがジーンと私には嬉しかった。

(10歳、好奇心満載、子供とは思えない細かい観察記録、文字にも力があり、遠方への初めての旅、世界を見つけた喜びがあふれている。暫し預かり繰り返し丁寧に読み、老人の私も未知の旅を追体験、いつの日にか訪ねたい)

西大寺から新見法曽まで、往復約5時間の一人ドライブ、ボーッと過ごせる有り難さ、ゆく川の流れは絶えずして、高梁川を眺め、たわわに実った稲穂、日本の里山の秋の景観にみいる。運転できるこれからの時間、猪風来美術館で繰り返しあのお二人の縄文のオーラを浴びたいと私は切に念(ねが)う。

2025-09-19

ようやっと待ち焦がれた秋がきた。ただただ嬉しい五十鈴川だより。

 暑さ寒さも彼岸までという言葉が虚しくおもえるほどの気候ではあるものの、萩の花がさき、コオロギが草を刈っているとそこかしこから姿を現す。天が高く高く感じられ、青い空のもと、いくばくか涼しく感じられるなかでの、早朝の草刈りは、なんとも言えず気持ちがいい。

あざやかな、実りただき、秋がきた。

だあれもいない広い場所で、ただ一人エンジンの音を響かせ草を刈る。40分やったら、少し息を整え、その繰り返し、おおよそ4ラウンドやれば、かなりのフィールドの草が刈れる。早春から晩秋まで草は休みなく伸びつづける。

ときに、うんざりするほどの草の生命力に圧倒される。正直今年の暑さには、もういい加減にうんざりしている。だが、なんとか乗りこえることができた悦びは、たとえようもない。

有難い事実として、記録として打っておくが、この酷暑の夏、我が体は、どこかで1日1日を生き延びることこそが、楽しみで働いていたのである。

もっと敷衍するなら、この年齢での限界に敢えて、挑むかのような塩梅で日々、暮らしていた、と綴るのは、ちょっカッコつけすぎか。

年齢を暫し忘れ、ただ草刈りに暫し没頭する。没頭することの、没頭できることの老いのからだの摩訶不思議を、この夏ほど痛み入りますと言ったあ塩梅で感じたことの、有り難さを五十鈴川だよりに打っておく。

もうこの年齢になると、ただ老いゆく存在を、一日でも慈しみたいのである。結果、他者との時間も慈しみたくなる。従って今日共に働いたkさんとの束の間のふれあいなども、いかんともしがたく、なにやらそこはなくうれしいのである。

Kさんとは週に二回しか、ともに働かない。kさんは口数が少ない。もう丸3年ともに働いている。誠実でまことにもって信頼できる。今どき稀なご仁であり、歩んできた道のりは全くといっていいほどに異なるのに、何故かの私の企画もカンパも含め、支援してくださる人である。

今日も、お家で収穫したたくさんのピーマンや大きなシシトウをお裾分けに持ってきてくださった。つくづく思う。ての届く範囲での人間としての日々の生活、をこそ大事に生きていきたい、いきてゆかねばとの思いにわたしはかられる。

いきなり話は変わる。明日は、猪風来さんのところに、ゆく予定である。行って何をするかというと、少し草を刈るつもりである。kさんに頂いたピーマンもよし子さんにお裾分けしたい。

2025-09-15

敬老の日、最後のフライヤー配布に出掛ける前の朝の五十鈴川だより。

 今日は最後のフライヤー配布に出掛ける。その前に頭が新鮮なうちに、ちょっと五十鈴川だよりを打つ。

今日は敬老の日だそうだが、私にはいまだピンとこない言葉である。確かに年齢的にも、外見的にも十分に老人ではある。しかし、普通に生活して歳を重ねてきただけで、うやまれるようなことは何ひとつしてきたことがないので、面映ゆい。ただお休みがもらえるのは正直嬉しい。嬉しいのは、フルタイムは無理だが、いまだ現役で働いているからだろう。これが毎日が日曜日なら、嬉しいという気持ちも半減するに違いない。

遺言の書である

話は変わるが、今年1月、67歳で亡くなられた森永卓郎さんの本(官僚生態図鑑)という本を読んだ。随所に怒りがわいてきた。詳細は割愛する。

テレビでお顔は拝見していたが、本を読んだことはなかった。昨年秋に上梓され、すい臓がん末期の治療中に書かれている。森永さんが40年にわたって官僚と共に働く中で見つめ続けてきた、官僚の生態があけすけに綴られている。

(事実であればこのような、エリート偏差値を世間知らずバカが、国を司るポストでのうのうと、血税を貪っているかと思うと、暗然暗澹、この国が没落するはずである)

読んでみて、余りにも庶民とのずれ、感覚のずれに言葉をうしなった。とくに天下り他の、既得権益に巧妙、狡猾にしがみつき、甘い汁を吸い続ける財務省官僚の生態はおぞましいのイチゴ一語に尽きる。一般国民との感覚のズレに呆れかえって、いかんともしがたい感情を抑えられず読み終えた。(大多数の他のこの国のエリート官僚はしっかりと仕事をしていると信じたい)

森永さんの官僚への遺言のような本である。この国の行く末を想うとき、森永さんはいてもたってもいられないような、お気持ちで病と格闘しながら、書かずにはいられなかったのだろう。その真摯さがつたわってきた。だから五十鈴川だよりを打っている。

この国の行く末、少子化をはじめとする、余りの多岐にわたる問題山積、閉塞感、どん詰まり感、を何とかするべく、官僚への愛と憎しみ、叱咤激励の書である。以前の私だったら、手にしなかったような本を、意識的に読むようになってきた。昨日も打ったが、老成ということについて、敬老の日の今日、じっくりと物思いに耽るのも一興である。

森永さんは私よりも五歳年下である。命は何時なんどき奪われるか、死が訪れるのか未知である。何かで読んで記憶に残っているのだが、中島敦という若くして亡くなった作家の言葉、やることがいっぱいある人の人生は短く、やることがない時間を生きる人の人生は長いと。

18歳で世の中にでて、あっという間にこの年齢を迎えている。そのような感慨が私にはある。一方、あっという間ではあったが、ずいぶんいろんな事を、じたばたやってきたのだと、そしてよくぞやれたものだとの感慨にもおそわれる。

誰かがいっていた、いつ何時召されようが、それがその人の運命、寿命であると。ただ長生きすればいいとの側には、私はたちたくはない。これは幻想的願望に近いが、可能ならギリギリまで動く心身を、と敬老の日の朝に想うのである。



2025-09-14

昨日、お昼を猪風来さんよし子さんとご一緒し、その後真庭のkさんを訪ねた日の、翌日の五十鈴川だより。

 昨日9日ぶりに猪風来さん、よし子さんを訪ねた。火急の用事があったわけではないのだが、野焼き祭りまであと一月をきったし、これから本番まで週末の土曜日はとりたてての用事はなくとも行くことにしたのである。

着いたのが11時半、早めの昼食を3人でゆっくりとする。対面すればお自ずと会話が自然に流れる。私の文章力ではお伝えできない悲しさなのだが、縄文末期から渡来人がやってきてからの、日本列島のそこかしこに棲んでいた、つまりは縄文人のあの長きにわたる、土偶や生活土器に象徴される穏やかで豊かな文化が、滅ぼされた。縄文人には所有するという概念がなかった、と。事実に基づいての貴重なお話に私は聞き入った。

(人類が破滅、死滅しかねないせとぎわを、戦後80年、世界は何とか生き延びてはいる。だが明日は、未知である。核弾頭を誇示し会う為政者がひきもきらない。老人の私にはまるで理解が及ばぬことがあまりにも多すぎる。もう十分過ぎるほどに、この惑星は悲鳴を上げているように私にはおもえる。気候変動で命の源、食物が脅かされることがないことを祈る。飢えが一番恐ろしい。

人類の歴史は殺戮の歴史でもある。私がもの心つく頃からも、戦争したがる為政者は一向に減らない。領土を広げ、資源を漁り、口実をつくり、宗教の相違、イデオロギーの相違、大義を掲げ、戦争をいまも繰り広げ、罪のない人まで殺戮し巻き込む。あらゆる命を育む、唯一無二の母なる大地、水の惑星を汚し続ける。命を生む水が汚染される。命はつながっているのに、現代物質文明は暴走を止めない。何故か。

プラスチックの目に見えない分子はめぐりめぐって食物連鎖、全人類の人体にはいりこむ。魚や肉をいただくどのような人間にも入り込む。一人の今を生きる愚かな人間の一人として、愚かな一歩間違ったら取り返しのつかない、この世にだけはしたくない、と、わたしは勝手に考える側にいる。

私は今まで十分に生きることができたが、これからをこそ、しっかりと生きなければならない、すべての人にとっての大切な未来、一番必要な物は食い物と水である。人類が生き延びるための母なるヒントが、あの長い縄文時代を生きた人々の叡知にはあるように想える)

ゆく度に、繰り返し聴いたお話しばかりではなく、新しいお話を聞くことにもなる。それが楽しい。無知な私にはすべてが新鮮なのである。ふだん余計なことには一切口を挟まないよし子さんが、時おり会話に入ってくる。それもまた新鮮である。表裏一体、一心同体の二卵性双生児のようなご夫婦である。

気になっていた観客席作りのことなどもクリアされていた。追加のフライヤーも届いていた。よし子さんが500グラム量れる量計で、てきぱき用意してくれた300枚のフライヤーを預かった。

別れ際、原野さんが10歳の時に書いた貴重な岩手県への旅行記をお借りし、午後一時に猪風来美術館を後にし、その足で真庭の落合に向った。8月のフライヤー配布でパンクした際に大変ご迷惑をかけ、お世話になったkさんを訪ね、一言御礼を伝えたかったからである。

それにしても、あのような奇特なご仁に、災い転じて遇えるとは。世知辛い人の世で浴びた一陣の爽やかな風に私は心から癒された。お家がまた素晴らしい。離れに囲炉裏の空間があり、お茶でのおもてなし。まさにわびさび、賢者とはかくのごとしを実践されている稀人にわたしは助けられたのである。おん年80歳、あのように歳を重ねたいと私は意をつよくした。

バイト先で見つけた10センチ位の幼虫

時間がなく、ゆっくりとお話はかなわなかったが、私が運転出来る間は、年に一一度でもいいからお訪ねし、お顔にあやかりたいと思っている。別れ際、kさんは何と秋の猪風来さんのイベントをご夫婦で申し込んだと私に告げた。

嬉しい。単なる音楽会ではない、猪風来さんご夫婦の心血が込められた祈りの、集大成企画である。kさんご夫婦が来てくださる。動いたからのご褒美である。時間があったので、その足で真庭の農産物直売所と、 もう一ヶ所フライヤーを配布し、五時前に家に戻った。

ps 老成という有難い言葉がある。体が思うように動けなくなってきて、嫌でも死の気配のおとずれを意識するようになってきた。老いないと見えてこない、湧いてこない感覚、感情だとおもう。老醜ではなく老成感を少しでもあやかれるには、といったことを想う。ようやく森羅万象の小さな生物や植物の生態にも見いるようになってきた。

2025-09-13

4ヵ月近く続いた酷暑の夏、肉体労働を持続しながら、乗り切った我が体に感謝する五十鈴川だより。

 5日も五十鈴川だよりを打たないとずいぶん打っていない気がする。すべてなるようにしかならない。五十鈴川は流れるようにしか流れない。泰然自若には程遠いが、わたしもまた自然に流れてゆきたい。(ある日突然五十鈴川だよりが打てなくなるまで)

学ばないと、当たり前、まずい。

今日から3連休である。嬉しい。ようやく朝夕涼しくなり油断はできないがほっとしている。この4ヵ月近く続いた 猛烈な暑さのこの夏を、この年齢で、我が体があの肉体労働をよくぞ乗り切ったくれたものである。古稀を過ぎてからは、毎年一年一年をしっかり生きる、との思いしか私にはない。

さて、今の労働、老いらくのアルバイトを66歳の夏から始めて、この夏の終わりで、まる7年が経った。

昨夜外で夕飯を妻としたのだが、よくこの夏を乗り切ったね、と労いの言葉をもらった。私は春夏秋冬、自分のやり方で任せられているこの労働バイトがことのほか気に入っている。

それは年間通してやることがあり、工夫しながらあれやこれややることが尽きないからである。つまりは面白いのである。だからきっと続いているのだ。

激しいあめのときはやらないが、少々の雨なら、炎天下よりもずっとはかどる。着かえる肌着をたくさん持参して着かえる。着かえた後の気持ち良さはやったものだけが味わえる。つまり、苦あれば楽ありである。何度か打っているが、このよう肉体労働の喜びのような感覚を体得したのはやはり富良野塾である。自分の人生で限界に近いところまで体と心を、青春のおわりに追い込まれ鍛えられた経験が今の私を支えている。

健康に体が動いてくれるからこそなのは言うまでもない。体に感謝。能天気にこのようなことを打てる在りがたさなのだが、夏の労働を乗りこえた(また一つ知恵がついた)ので、これから涼しくなる秋の労働は、きっと楽しい。企画をすることも草刈り他の労働も、限りなく私のなかでは連動している。

草取りを持続するには、スクワット、立ったり座ったり足腰が、老人の我が体の筋力が鍛えられる。いつまでこのバイトが続けられるのかはわからないが、ハッキリとわかっているのは、出来なくなるその日まではやる、ということだけである。

10日も労働をやらないでいると、筋力はよわまる。体は正直である。相撲で言うところの三年先を見据えて、1日1日を怠らない暮らしを、(老いの稽古を持続)臆面もなく打つが古稀を過ぎてからは、なんとか実践している。AIに聞けば、いろんなことを教えてくれるだろうが、教えてもらったことを、実践するのはあくまでも自分の体である。


2025-09-07

キーボード無しで打つ、近づいてきた、10月12日の縄文野焼き祭りに想う、今朝の五十鈴川だより。

 キィーボードをコーヒーで濡らして使えなくしてしまったので、金曜日から3日連続画面に直接打っている。まだ慣れず時間はかかるが、慣れればキーボードは不要になるので、このまま画面に直接打つ訓練を続けることにした。

ところで、同年齢の他の方はいざ知らず、当たり前だが老眼が進み、運転には眼鏡は必要ないのだが、本を読むのには必須である。老眼鏡さえあれば、今のところまったく生活には支障がない。が、確実に眼は衰える。眼だけではなく肉体のあらゆる機能が上向くことはない。冷厳な摂理である。だが、その事への心の配慮はできるだけ先伸ばしにしたい、というのがいまの私の心境である。(現状維持、今日やれたことを明日もやる)


今日、今やれることにのみ集中して(よく休みながら)1日を過ごす、その事にのみ重きを置いて生活することにしか、志行、思考しないように心かけている。

ある日突然のアクシデントが起こるのが、人生の摂理と受けとめ、その時に対処(出来るだけ受け入れる)するためにも、今日を悔いなく生きることが肝要なのだと、我が身にいいきかせる。

話は変わる。この2日10時間近く良く睡眠をとったおかげで、夏の疲労が取れたのか、今朝はすこぶる体が軽く感じられる。日中は今だ暑いが、朝夕はいいくぶんしのぎやすくなってきた。

さて、いよいよ猪風来さんの10月12日の縄文野焼き祭りまで、一月とちょっとに、迫ってきた。

野焼き祭り実行委員会の一人として、無い袖は触れないし、やれることしかやれないのだが、出来るだけやれることをやって当日を迎えたいのだ。来週から、土曜か日曜の1日、毎週末猪風来美術館に行こうと思う。

そのために考えたのだが、五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方で、ボランティアしてくださるかたが、(もし一緒に行ってくださる方が)いればありがたい、のである。募りたい。ただそれを思い付いたので打つ。(直接ご連絡いただけると嬉しい)

私ひとりでも行けば、なにがしかの事は出来る。片付け、草刈り、などなど、動けば老人であれ、祭りの一員になれる。私は縄文野焼き祭りに参加し、その一員になりたいのである。うまくは言えないのだが、猪風来さんからのお声かけをいただいてから、いわく言いがたい老いの情動の発露が、猪風来縄文の風が、微風が私の体を吹き抜けるのである。

この爽やかな縄文の風は、これから先の老いゆく我が道程を、照らし導いてくれる確信がある。その事が私を美術館に向かわせる。

ps 縄文野焼き祭りをお祝いすべく、250人の参加を実行委員会の一人として、達成したい。

2025-09-06

4人の孫たちに、私が伝えたいこと、今朝はこのような五十鈴川だよりになってしまいました。

 休日は五十鈴川だよりを打つことから始める、ということがルーティンになってきている。66歳の夏からいまの高齢者バイトを始めてまる7年になる。一言7年、そして昨日も元気に午前中だけとは言え労働ができて、ぐっすり寝て起きて、静かに五十鈴川だよりを打てる、ただそのことに言い様のない喜びを覚える。

そしてこの7年のあいだに、今年の8月5日、私は4人目の孫に恵まれた。もし、私が年金生活のみであったなら、きっとこのような穏やかな高齢者生活は送れていない。そのことに思いをいたすとき、この労働アルバイトに巡り会えた事の幸運に、ただただ感謝するほかはない。

この間の、コロナ禍で世間が騒然としている四年前、次女は最初の子供をまさに命がけで生み、私は初めて大きな手術を短期間に3度も経験した。あの体験がやはり大きい。術後すでに4年がたちすっかり健康である。次女は今年二人め女の子が授かった。長女も2年前二人め女の子を授かった。いろいろな思いが去来する。

術後4年が経つ、70歳で企画を再開、私はもう年齢のことは忘れることにした。命が、体が動き、労働意欲がある間は、企画も続けることに決めたのである。すでに打ったことがあるのだが、年金生活だけでは企画はなせないし、よしんば幾ばくかのお金に恵まれていたとしても、体と心が連動しなければ、企画は生まれない。他の方はいざ知らず、私はそうである。

忌憚なく打つが、あくまでもギリギリのところで、基本、汗をながし稼いだお金で生作費を考える。これが楽しい。したがって高額なギャラが必要なアーティストは企画しない。アーティスト自身も土取さんのように、コマーシャルベースに重きを置かない活動を基本にされている、芸能者や音楽家を自ら探す。

企画者とアーティストは対等関係である。お金を有効に、大切に使うからこそ、必死になれるのである。もっと打てば、必死にならない、なれない企画は私にはできない、面白くない。きわめていい加減、わがままな企画者なのである。

知の巨人から繰り返し学ぶ

40歳で企画をすることになったときに、実現できる目算があったわけでは毛頭なったのだが、実現したらお面白いだろう、というワクワク感だけが私を支えていた。あれから33年の歳月が経ってはいても、いまだかろうじてワクワク感がある。だから企画が成せる。

話は変わるが、私が孫たちに伝えたいことは、ただひとつである。生まれて来たのだから、健康に、一回個っきりの人生、自分がワクワクする時間を見つけて欲しい、ただそれだけである。あくまで自分のリズムで、体が気持ちのいい、没頭できる時間を過ごして欲しい、のだ。

そのためには、お爺である私が、労働であれ、音読であれ、企画であれ、何であれ、できるだけ愉しそうに存在している、お爺でありたいと念願(おも)うのである。