昨日から200日ぶりくらいにふ、るさと門川は兄のところに帰省している。ふるさと五十鈴川だよりを門川町の新しい役場のロビーで打っている。兄のところにはワイハイが飛んでいないので、役場に勤めている若いかたがあっという間に設定をしてくれたので、打っているというわけだ。
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生と死を、梅雨空感謝、五十鈴川 |
家にいても、小さな旅に出掛けても、五十鈴川だよりは今や私にとっては、日々の生活の活力根源とでもいうほかはないほどに、必須なので、意味もなく何ほどかの文章がつむぎだせれば満足なのである。昨日はお昼過ぎに日向市駅について、若山牧水の生家に近い、道の駅で兄と手打ちそばを食べ、ついでに道の駅で地元の食材を義理の姉のおみやげに買い求め、午後2時過ぎ兄の家に着いた。
姉の登紀子さんが、買い求めたトウモロコシをすぐにラップに巻いてチンしてくれたのを、兄と共に頂いた。兄は腎臓ガンを患ってはいるのだが、あれから4年近く生き延びていて、トウモロコシを2本キチンと平らげていたのには、驚くと共に安堵した。
夕刻まで暫しゆっくりとお昼寝をし、16時半、登紀子さんお手製の夕飯(スズキのお刺身、煮物、おみそしる、等々、ふるさとの味、格別であった)をいただき、食後は兄や姉と歓談しながらのんびりと過ごした。今朝は朝一番、兄とお墓参りに行き、墓前にあれやこれやの儀式、報告をした。いつものことだが、ほっとする。もどって朝食(ニラ玉、トーストコーヒー、すいか、大満足)をいただき、門川町役場まで兄に送ってもらい、五十鈴川だよりタイムというわけだ。
私が73才、次兄が76才、長兄が79才、姉が82才である。この数年打っている。毎回これが最後の帰省になっても悔いのないように、私としては帰っている。幸い身の回りのことを、キチンとこなしながら生活しているのを、今回も確認でき、こうやって五十鈴川だよりを打てる小さな幸せを噛みしめている。やがては当たり前、お別れがやってくる摂理を受けとめねばならない。だがしかし、生きて元気な間は、ふるさと詣でを限界までやりたくおもう私である。
この惑星に、生を受けた場所、原点に回帰、過ぎし来しかたを、ふるさとの海山川草木の風景の中で、思いを馳せる時間は、いよいよのこれからの人生はなはだもって大切なひとときなのである。だからこそ、ほんのわずかな時間ではあれ、思いの欠片を、綴っておかねばと、おもうのである。
目に見えるふるさとの風景は、激変しているが、五十鈴川ほか、海に浮かぶ無人島、乙島、山並は不変である。普遍な風景にふれると、我が心は満たされるのである。【梅雨さなか、お墓参りや、五十鈴川】写真はお参り手を合わせる兄、私も撮ってもらった。本日はこれにて。