昨日思い立って、猪風来さんご夫婦に会いに行った。会いたいから会いにゆく。理由はない。午前9時前に家を出発、着いたのが11時、持参したちらし寿司ですぐに早めのお昼。たまたま猪風来さんのドキュメンタリーを作品を(この話は割愛する)創るカメラマンのT氏も一緒に。昼食を終え、たまたま来られていた、来館者にお茶をふるまいながら、猪風来さんが限られた時間のなかで、縄文土器について語る様子を私も同席して聞き入った。もう何度も耳にしたお話しなのであるが、何度耳にしても、それなりに新鮮に新鮮に感じるのが不思議である。
来館者へのお話が終わると、猪風来さんは今取り組んでいるレリーフの創作に向かった。自分が創作している姿は、これまで原野さんにしか見せたことがないとのことであった。今回ドキュメンタリー作品を創るにあたって、カメラマンの前に初めて創作している姿をさらしている。
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その場に居合わせられ幸福でした |
びっくりしたのは、私にも見てもいいよ、とおっしゃってくださったことである。その上写真を撮ってもいいか、写真を五十鈴川だよりにアップしてもいいですか、と問うと、いいよとこれまた二つ返事。
邪魔にならないように、創作される姿に見いった。原野さんが生んだ、創造した、縄文紋様を父である猪風来さんが、魂を込めて渦巻き状に丹念に、土を練り込んでゆく。77才であられる指先から、原野さんの魂を再生する気迫が伝わる。自由自在に指先が動く。まるで土と人間が一体化したかのように。
私は言い知れぬ、父の原野さんにたいするおもいの深さ、愛情の深さ、無念さを感じ、茫然とただ見詰めていた。土をちぎり、丸め、濡らし、のばし、くっ付け、細心の集中力で創造してゆく。私の語彙力をもってしては、これ以上打つのは控える。私の眼底にその姿を焼き付けたことを五十鈴川だよりに打っておく。
その姿を刻んでそとに出て、暫し会ったばかりのカメラマンのT氏と雑談をしていると、猪風来さんがちょっと休憩といって外に出てきた。そろそろおいとまの時刻だったので帰ろうかと思ったら、縦穴式住居に入ってゆく。ついて私も中に入る。それから30分くらい、ドキュメンタリーのことも含めての、ご自身の現在の心境を私にお話ししてくださった。
その内容は伏して控える。ただ一人の人間として深く脱帽し、頭を垂れるほどに感動したことだけは五十鈴川だよりに刻んでおく。思い立って出掛けたからこそ二人だけでの貴重極まるお話しが聞け、創作される姿にであえたのだ。幸せな気持ちで、よし子さんにご挨拶して猪風来美術館を後にした。