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2025-08-19

フライヤー配布、タイヤパンクで巡りあったKさんから、昨夜お電話を頂く、そして想う。

 今日は午前中労働はお休みした。今日は午後1時半から新見市役所で、猪風来さんの映画の発表記者会見がおこなわれるからである。

今年2月、ドキュメンタリー映画を撮っている東京のパイプラインという制作会社のNさんが猪風来美術館を訪れ、これまでの猪風来さんの縄文造形作品を直接体感、衝撃を受け、猪風来さんの思い、魂を、全世界の人々に【猪風来と縄文を世界中の人に知ってほしい】、唯一無二の人間が創った、唯一無二の作品群を後世100年後の人々にも伝えたく、猪風来という傑出人間の映像化を決断したのである。


昨年秋から、こん秋の【縄文野焼き祭り、開館20周年特別企画】のために、猪風来さんに請われ頻繁に猪風来さんよし子さんと密な時間を共有し、その人柄のまるで縄文人が、現代に飄然と生き返ってでもきたのではと、おもわせるほどに、ぐんぐんと私はその唯一無二の存在感に引き込まれている、自分を感じている。

だから、今日私が新見の記者会見にゆくのは、とりたてて自然なことで、オーバーではなく、歴史的必然とでも言うしかない。映像化、世界配信という画期的な快挙である記者会見に立ち会いたい、ただそれだけのいわば、ミーハー老人でありいたいだけなのである。

話は変わる。前回の五十鈴川だよりに、パンクの出来事で、思わぬ82才の先輩昭和快男児に出逢えた幸運を綴った。長くなるので割愛するが、私はこのKさんに猪風来さんの秋のフライヤーを5枚ほど手渡しし、私の名前、住所、電話番号とブログ五十鈴川だよりを手書きし、お渡ししたのだが、昨夜午後7時頃Kさんから、予期せぬお電話を頂いたのである。

先輩からの、第一声は五十鈴川だよりを読みましたよ、との一言であった。Kさんは名前も住所も電話番号も教えてくださらなかったのだが、私は何としてでもこの先輩とは関係性を持続すしたかったので、メモを渡しといて本当によかったと、安堵した。

Kさんは近所に、岡山の経済人、文化人が遺した由緒ある家が、故人の資料展示スペースとなり、今もいろんな文化的なことに想いを寄せる方々が訪れるので、そこにフライヤーを置きますと、おっしゃったのである。そして猪風来美術館に必ず行きますとも。

リモート会議、メール、世はまさにデジタル世界が覆っていて、今時手渡しフライヤー配布行脚など、お笑い草、一笑にふされそうだが、猪風来さんの思いの丈のイベントであるからこそ出来るだけのことである。

縄文世界の豊かさを伝えるのは、わたしの任を超えている。が、私のような人間でも足繁く美術館に通って、猪風来さんの(よし子さん、原野さんの作品を含む)邪心のない造形作品にふれると、現代のこの世を覆う閉塞感から暫し、解き放たれる自由な感覚がある。ピュアになれる。その実感が老人の私にエネルギーを注ぐ。そのスピリッツが。

なんとか250人、猪風来美術館をまだ知らない、行ったことのない方々を10月12日の猪風来さん渾身の縄文祭りに、足を運んでほしい。ために私がやれることに専心、遊ぶように【今】を苦楽したい。

PS 今朝の写真は我が家の猛暑に耐えて、地面の近くに一輪咲いていた朝顔です。

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