今日はこれから長女家族の住む稲城に男だけ出掛け、男たちですごし、長女が娘の未彩を連れて、下連雀にきて、女性たちだけで過ごす予定になっている。私は男なので稲城にお供する。親子でプールにゆく予定なのは知っているが、私はプールには行かないで、家で留守番をしていたいと、考えている。
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風香をあやす4歳の葉 |
さて、昨日は吉祥寺で、気のおけない仲間と、私が40年前妻と出逢った通称ハモニカ横丁にある東南アジア系の人達が働く、狭い居酒屋で、4月30日の打ち上げ以来、お酒を飲んだ。
(妻と出逢ったエリアは当たり前、全く別世界的な変貌を見せていたが、面影がそこかしこに残っていて、私を40年前にワープさせるに十分で、そのことがきっと私を昔へと回帰させ、しばし年齢を忘れて饒舌になったのは間違いない。
その横丁は今や多国籍人が、闊歩、人種の坩堝と化しかして、一日の終わりに乾杯していた。私は込み合う雑踏で、皆がトンスナショナルににこやかに過ごしているのをある種の感慨をもってって眺めた。これから40年後はいかなる風景になっているのだろう)
私より一回りしたのYさん、Yさんよりちょっとだけ歳上の、女性ふたり、計4名、午後6時半に駅で落合、その後10時近くまでの時間を、愉快にすごしたことを、五十鈴川だよりに短く打っておく。
アルコールと、幾ばくかは世代が近い気安さから、ずいぶん昔の思い出などが、つぎつぎと思い出され、しばし熱い記憶の流出に年齢を忘れてしまうほどであった。愉快な時間はあっという間に過ぎる。このような機会が持てたことは、やはりスパイラルアームズを企画したからこそ、もたらされたのだと、あらためてYさん、Mさんとの、すれすれのご縁を思った。
Yさんの面白い経歴(若き日一年間ブラジルにりゅうがくしている)繊細な優しさ、かつ豪放磊落な一面もあらためて知ることができた。そのYさんのお話し聞き上手に甘えて、結果、かなりきわどい今現在の私のおもいが、本音が発露されたのは間違いない。
ブログを打つことで、かなり内省的な時間を過ごすことができ、揺れる内面の整理ができるし、気のおけない仲間に話を聞いてもらうことの有りがたさ(わがままを)が染みた一夜となった。
ささやかな宴をおえ、吉祥寺から歩いて帰っていると鈴虫の鳴き声が聴こえてきた。ジブリ美術館の近くでバスが来たのでバスに乗った。マンションに着いても眠る気がしなかったので、エントランスで、数十分酔いをさまし、11時過ぎ部屋に戻ったら周さんがまだ起きて、ストレッチをやっていた。その姿を目にとめ横になって、私も睡魔が来るまで静かにささやかな我流の老人腹筋をやってめを閉じた。
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