5泊6日、娘二家族のところに上京していた妻が午後3時過ぎには帰ってくる日の朝である。まもなく洗濯が終わるので、五十鈴川だよりを打ち終わったら洗濯ものを干し、お休みなのでゆっくりブランチをしようと思う。
最初の孫に恵まれてから、年に数回交代で娘たち家族のところに出掛ける生活が、この8年続いている。よほどの時にはペットシッターさんにお願いするが、我が家には妻が愛する、花とメルがいるので夫婦揃っての上京は難しい。
従って諸事万端家事一切を私がせねばならない。当初、メルと花のケアーほか、戸惑ったことも、8年も続けると手慣れてくる。今朝も先ずは洗濯とメル、花のケアーを終えての五十鈴川だよりタイムである。
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| そろそろ終わり、我が家のモッコウバラ |
働いている日は、よほどのことがない限り、五十鈴川だよりを打つ気は起きない。私の好きな労働は肉体を消耗するので、労働した日はしっかりと体を休養する。若くはないのでとにかく8時間は寝る。平日は朝仕事前にしか本も読まなくなった。だから基本的に、休日しか五十鈴川だよりはうたない。(打てない)
話をもどす。古希以前は妻の事に触れるのは、どこか(ややもすると、自慢気に陥る、その愚は避けたい)控えていたのだが、もういつ五十鈴川だよりを打てなくなるやもしれないし、打てる時に、野暮を承知で、打てる気力があるときに、そっと事実のみ打っておこうと思う。
だからといって特段打つこともないのだが。年に数回、妻不在の時間を過ごすことが、この年齢になると、いかに普段妻の献身的家事労働に支えられているのかが、身に染みて分かる。
だから私は嫌でも自分を賄う料理を作らねばならない。お金を使っての外食は基本的にしない。外食は妻と共にする。今回も一度も外食はしていない。とにかく作る。手を動かしながら考える。
老いゆくなかでも状況が変われば体は変化する。8年前よりも台所に立つのが苦にならなくなった。炒める、煮る、焼く、茹でる、刻む、などなど体が食べたいと思う一品を作る。基本的に二品作れば、後は海苔やその他副菜で、年齢的にもう充分である。今の生活力をキープできれば、ありがたやである。凝った料理は一切しない。手間暇かけない。が、手抜きはしない。シンプル、とにかくお腹をすかす。だから何でも旨い。
話を変える。今年も暑い夏が続きそうである。四月下旬、先週辺りから、草がぐんぐん伸び始め、紫外線の量が一気に増してきているのを体で感じている。いくら肉体労働が好きとはいっても、古希を過ぎてからのこの数年の夏の暑さは尋常ではない。
従ってこの夏をいかにやり過ごすのかが、毎年の最重要課題である。秘策というものは取り立ててない。がなんとかこの数年熱中症にもならずしのいでいる。ひたすら体のコンディションを整え栄養をとり寝る、ってなことくらいしかやっていない。一日を凌ぐ、やり過ごす、だけである。オーバーではなく覚悟の夏、我が体は動くのか動かないのか私にもわからないのである。
今日は動いて凌げた。だから明日も動いて欲しい。その為にどう一日をやりくりするのか。私の高齢者生活は冗談ではなく甚だもってスリリングなのである。そのような日々を、私は有り難く面白がっている。出来なくなったらその時はその時、潔く諦めるのである。(摂理に抗わない)
敬愛する養老孟司先生は、死は100%、何人も平等、遅かれ早かれ訪れる。だから恐れてもしかたない、と。とまあ、そのようなことを日々思案しながら草刈りしていると、万物の息吹き、草原の輝き(というタイトルの映画が昔あった)がしみてくる。






