今年から水曜日もOFFにしたので、以前より動と静の生活バランスが良くなってきた。年齢的に労働時間を抑え、思索、思考時間をもっと増やしたくなったのである。清貧の暮らしではなく、濁貧の暮らしと言ったほうがぴったしである。
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| ゆっくり学ばせて頂いてます。 |
18歳で世の中に出て、井の中の蛙を身に染みて後、なんとかみすぎよすぎ、この年まで生きて来れた事実に、言うに言えない感慨が時折おそう。
それを言葉にすることはかなわない。絶対矛盾を承知で、老いゆくその日暮らしを面白がり、五十鈴川だよりを打つ。
濁貧という言葉は、江戸学に造詣の深かった、故杉浦日向子さんの言葉である。(時代を間違えて生まれてきたかたである)生まれは私よりも若いのに48歳で他界されている。(姿は見えねど今も彼女は生きている気がする)
私は杉浦日向子さんの描いた漫画を数冊もっている。先日、たまたま図書館で彼女が遺した、今も読者に読まれ続けている、私を撃つ言葉に出合った。自省、反省する。
この年齢で出合得たからこその、彼女の言葉が老人の私に染み入ってきた。私は人生の折々にずいぶん痩せ我慢(特に40歳まで、岡山に移住するまで)をして生きてきた。ときに歯軋りを伴うほどに。
それが良かったのか、悪かったのかは、いまはまだ語らずといったところだが、ようやく(それにしてもあまりに遅いとはおもうものの)にして、いわゆる終着点(本当に弱ったら文章なんか打てないので元気なうちに打つ)の気配のような感覚が増すにつれ、あらゆることに我欲の執着心が限りなく薄くなってきたのである。(普通の人ならもっと早く気付いて然るべきところ私は遅い)
もっと打つならば、執着心を手放す解放感に向かいたい、浸りたい、一切合切から身軽になりたい(そんなことは不可能を承知で)なんてことを、忽然と想い、夢みるのである。手放したが故にこそ、新たな地平にたどり着けそうな気がする。そのようなときに杉浦日向子さんの言葉が、染み入ってきたのである。自由(自遊)、理由はなく、今の日々のこの世を慈しむ。
私のこれからの現世時間の中で、先人たちの遺した言葉、(生き方、死に方)に耳を傾け、心を澄ますことに重きをおいて生活をしたい(のだ)。人は生きてきたように死を迎える、と何百人者方たちを看とった、高名な堀鴎一郎先生(このようなお名前だったとおもう、間違えていたらすみません)がおっしゃっていた。
長くなるので割愛するが、杉浦日向子さんの言葉で、いよいよの後期高齢者老人生活をいかに送るのか、答はないと知りつつ、今後、益々ものを想う時間の過ごし方を大切に生活したい。
話は変わるが、金曜日8歳になったばかりの最初の孫、望晃(のあ)が春休み帰って来て、翌日の28日から3泊4日、私と妻と3人で故郷、門川へ旅する。ノアは私の故郷は初めてである。濁貧生活の中に、時折思いもしない出来事が起こる。一日一日の積み重ねのご褒美と勝手に思っている。私がこの世から不在になっても、孫の思い出に、我が故郷が記憶にのこるような旅がしたい。これ以上打つと野暮になる。







