昨日は猪風来美術館の秋の野焼き祭りに、終日スタッフとして参加してきた。その細々、一部始終を綴り打つには、今朝の私は限りなく疲れている。やがては高齢者細々、五十鈴川だよりになるであろう。が今は、疲れてはいても、いちぎょうでも五十鈴川だより記録として打っておきたい、わがまま老人の私がいる。
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| 天地に咲く焔 |
前回、我が相棒と雨の中での草刈りをやった際に、行く手を阻んであまりある蔓の強靭極まるしたたかさに、ある種の恐れを抱いた私は、密かにわずかではあれ、次回の草刈りがいくばくかでもスムーズにできるように、根は採れないににしても、蔓を取るべく、ギザギザの付いた小さな鎌と、手のこぎり、剪定バサミを持参した。
着いたのが8時15分、すでに野焼き場、のろには火が入っていた。私はスタッフ、野焼きが終わり、片付け、撤収まで時間があるので、午前中休み休み、急斜面の蔓とりに勤しんだ。さいわい急斜面にはだれもいないので、ひとりでトレーニングをするような案配で手強い根と格闘した。老人と海ではなく、老人と斜面の蔓である。
バイト先でも何回かフェンスを覆う蔓と格闘した経験があったのがさいわいした。きっと縄文人は生活の中で蔓を重宝し、編んで石を運んだり、あらゆる用途に想像力をフルに発揮していたに違いない。私のような紋切り型現代人には及びもつかないようなやりかたで。
正味二時間程度で作業を終えたが、思った以上に作業が捗り、お腹がすいてのお昼のカレーが本当に美味しかった。法曽焼き同好会の会長kさんが冷えたノンアルコールビールをそっともってきてくださった。その美味しかったこと、快晴の秋晴れの下で、飲むその旨さは、心使いとともに染みた。
午後1時には野焼き作品が焼き上がり、作品を取り出し、何名かの作品が表彰され、最後は参加者の縄文ダンスで野焼き祭りは滞りなく終えた。私はスタッフとして見届け、すぐに会場の片付け撤収に動いた。猪風来美術館を21年間スタッフとして支えてきた法曽焼き同好会の会長他、その場に居合わせた、参加者も含め、皆さんが黙々と動いた。テントを丸め、テントの骨組みをばらして縛る。椅子や机を倉庫にしまう。皆の動きが素晴らしい。
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| 生まれでた縄文スピリット作品 |
一丸となって動いたので、予定よりずっと早く片付いた。午後3時前、忙しくしていた猪風来さんとよし子さんに、挨拶だけはして(よし子さんがお弁当やお菓子、ブドウをくださった)猪風来美術館を後にし、家には5時前に着いた。妻はまだ仕事から戻っていなかったので、簡単に二人分のパスタを作っていると妻が戻ってきた。お風呂を済ませ二人で夕飯、午後8時夕飯を済ませると、瞬く間に睡魔がやってくる。
ところで猪風来さんは私より年上、来年80歳を迎える。北海道時代、新見の法曽での今回も含め、50年で300回以上の縄文野焼きを継続している。縄文造形世界に神秘的なまでに魅いられている稀人である。手ほどき、教えた人はのべ4000にも及ぶという。
野焼きのクライマックス、炎が十数メートル吹き上がる。猪風来さんの雄叫びが天地に木霊する。そっと見守るよし子さん。スタッフとしてお声がかかる。光栄である。一年でも長くスタッフとして参加したい、私がいる。









