2月、74歳になったときから長周新聞を購読している。今年一月末、長崎で沖縄の宝とも言える、人形劇団かじまやぁの最後の公演チョンダラーを見にいった際、かじまやぁの大ファンである長周新聞沖縄支局の、Gさんも来られており、かじまやぁの桑江良健さんから紹介され、いきなりGさんから手渡されたのが、長周新聞との出会いである。
私は数十年にわたって購読していた大新聞を、数年前にやめていた。見開き四ページの、下関地方発の小さな新聞に、大きな志、本来のジャーナリズムの役割、本質を見極めて、分かりやすく報道する姿勢におどろいた。
長崎でGさんにお会いしなかったら、一生涯長周新聞の存在を知ることなく、我が人生を終えたかもしれない。Gさんの、今時このような人がいるのかと思えるほどに、真摯な物腰、語り口にやわな、私は、なにか微かにピーンとくるただならぬ意志、情熱を感じ購読を決めた。
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| 野田秀樹さん本物の知識人演劇人である。 |
あれから4ヶ月、今では、長周新聞が週に3日届くのが楽しみである。新聞が届いたらざっと眼を通し、週末お休みの日に、じっくり読んでいる。その上、もう二度と新聞記事を切り抜くことはないと思っていたのだが、先日3ヶ月分の新聞の私の目にとまった記事や、書評、を切り抜いて妻にもらった不要の紙に糊で張り付けることも再開した。
切り抜き、紙に貼るのは手間がかかるが、眼も耳も疲れるテレビ他の映像は極力避けて、老いゆく体が喜ぶような、読み書きをはじめとする一人でやれることに重きを置いた生活を心かけているので、長周新聞切り抜き作業は、今をいきる楽しみのひとつになってきている。
また、最近私自身が驚いた記事やコラム、書評は時折、友人諸賢にスマホで、転送したりしてもしている。結果、思わぬ友人の反応に新たな関係性がうまれたりもしている。長周新聞を購読しなかったら、このようなアクションは決してしなかっただろう。
いきなり一面トップに、引き揚げ者の個人体験記が、ドーンと掲載されたりする、大新聞ではあり得ない編集のユニークさに驚く。地方発の小さな新聞だが、国際面も視野が広く、文化面も充実している。
11世紀のペルシャの詩人 オマル.ハイヤーム、のこと。ユネスコの文化遺産、[キュロスの円筒碑文]世界初の人権宣言のことも初めて知った。知る喜び、逆にあまりにもの悲しいガザに生きる女性の本の紹介、イラン、ミナブの子供たちのジェノサイド、、、。大きな大都市メディアが掘り下げて伝えないことを、意を決して伝えている。ホルムズ海峡冬景色、清水ミチコさんの替え歌動画も、狙撃欄のコラムで知った。
弱者の視点に軸足を置いて、理不尽、不条理な真実にペンで迫る。本質的に平和に全世界の人々が飢えず、争いを避け穏やかに生活、暮らす事を願う新聞なのだという事を、4ヶ月購読し私は感じる。志が普通で当たり前なのが嬉しい。絶望老人になるには早すぎる。東北、山形に住むOさんの投稿など、購読者の知的レベルの高さに蒙がひらかれ教えられる。学び、投稿者と連帯したい。
最後に、劇作家の野田秀樹さんが東京大学の入学式で述べた言葉、
[肉体を持つ人間は、必ずしも効率的に生きているようにはみえない。肉体はたくさんの不便をかかえている。それこそが人間の人間たるゆえんで、人は人を愛おしく思う。不便さの最たるものは、老いであり、究極は死だ。だが、AIには死はない。そこには人が感じるような身体を通しての、恐怖、絶望、達観はない。]と。
長周新聞、4月20日月曜日のAIにない心伴う脳味噌を、という記事の抜粋です。








