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2026-02-22

三連休の中日の朝に思う、五十鈴川だより。来月末ノア(最初の孫)の春休み、妻と私の3人で門川に帰ることに決めました。

 来月、私の最初の孫、望晃(のあ)が8歳になる。4月から小学三年生である。で、春休み私のふるさと門川に行かないかと誘ってみた。すると行ってみたいという。コロナの渦中、その後次々と長女に子供が授かり、私も何かと慌ただしい生活を余儀なくされていて、長女、次女家族共に帰省が未だ叶わずにいる。だが私一人でのふるさと帰省は折々続けていた。よもやの急展開で、ノアを連れてふるさとに帰ることに、なった。

下記に。
私は心底嬉しい。

そこで、私は妻も誘って、爺、婆、ノアの3人旅をすることにした。私の場合思い付いたら吉日なので、おおよそのスケジュールを妻に話したところ、妻も大乗気であっという間に予定が立った。

3月28日から30日まで、3泊4日の旅である。熊本までは新幹線、駅でレンタカーを借りて阿蘇を周遊し、28日は私が3歳まで過ごした高千穂に泊まる。翌日高千穂を散策、午後兄の家に。

29,30日は兄の家にステイ。お墓参り、五十鈴川、小倉が浜など我がふるさと探訪。31日熊本へ。熊本城を見て午後の新幹線で岡山へという、ラフな予定である。

先の帰省で、我が姉兄兄弟は(義兄、姉も)全員後期高齢者なので、ノアの記憶にとどめたく、私としては、ことの予定がすんなりと決まったことに嬉しさひとしおである。何よりもノアが行きたいと言ってくれたこと、そして妻もまたノアとの帰省旅に大乗気であることが、私に五十鈴川だよりを打たせる。

古希を過ぎてからの、ふるさと帰省旅、毎回これで最後、悔いなくとの思いなのである。年に数回帰る度に、当たりまえ、私も含めた全員が老いてゆくので、まさに一期一会の貴重な旅となる。(予定)

昨日、妻が作ったラフなスケジュールを義姉、登紀子さんに送り、妻が確認の電話をいれると、私たち3人を心良く受け入れてくれるとのことで、私はともかく、妻は大変喜んでいた。兄弟とはいえ、妻は義姉との久しぶりの会話、弾んだ声にとにかく安心していた。いつぞやも打ったが、私が安心して帰省できるのは兄のお嫁さん、登紀子姉の存在が大きいのは言うまでもない。ノアとの帰省旅、何よりも妻が想像以上に、綿密に無理なく予定を立て、楽しみにしている様子。

話は変わる。2月26日は義理の父の名日なので、天気も良く、昨日午前中、お墓の草取りに妻と出掛けた。義父が亡くなった時私は49歳であった。娘たちは小学生。あれから25年の歳月がながれ、世界、世相、世間の移り変わりはいかんともし難く、我が家族、一庶民生活者の私にもにも容赦なく影響がおよび続けている。

が、何とかこのような一寸先のよめない時代を、家族全員、身すぎ世すぎ出来ていることのありがたさは例えようもない。我が両親、妻の両親への感謝は私の老いとともに益々深まる。老いてゆくお手本が身近にあるというのは幸福である。子供は親を選べない(違う説もあるが)けれど、精一杯のことを、思い付くかぎりのことをする。娘ふたりはスクスク育ち、自立している。

今しばらく、激変する時代の中、孫たちに、私と妻に何が出来るのかは判然とはしないけれど、お金では買えない楽しい思い出の記憶時間が残ればと念う。

PS 今日の写真は1974年に出版された、片桐ユズル、中山容、翻訳のボブ.ディランんの全詩集です。全358ページ、昨日から書写を始めました。時間を見つけてコツコツ進め、一月くらいでと、思案している。ノアとの旅の前までには終えたい。無事に終えたら、また五十鈴川だよりを打ちたい。


2026-02-18

今年から水曜日は労働OFFに決め、静かな一人時間を、もっと大切にしたくなりました。

 今年から労働する時間を減らし、水曜日は余程の事がない限り、お休みすることに決めた。したがって今日はお休みである。可能なら週に2日程度、五十鈴川だよりを打ちながら、いい意味で、健康で有る限り、その日暮らしの喜びを妻と送りたいと考えている。

さて、そのような私の日々の移ろいの中で、古希を過ぎて、折々シェイクスピアの長台詞の書写などをやったりしていたのだが、今年からいよいよ本腰を入れて、好きな文章や、歌、詩、などの書写をやることにした。(老いの楽しみ千住真理子さんの音楽を生で聴くことを今年も続けたい)

来月にでも歌碑を訪ねたい

それと、この丸七年労働に従事しいて、以前は好きとまでは言えなかった雑草採りが、古希を過ぎて、苦手意識が遠退いてゆくかのような(老いても体の使い方で、楽に感じるようになってきている)感じで、つまりは草と戯れるかのような一人時間作業の喜びを見つけたのである。

そのような塩梅で、草取り手仕事は、炊事、掃除、買い物、調理、洗濯あらゆる家事全般、生きて行う雑事の基本ともいえる忍耐を養える。それを克服する方法を体得してからというもの、臆面もなく打つが、一日がとても楽しいのである。だから能天気に五十鈴川だよりが打てるのである。

還暦を迎え、五十鈴川だよりを打ち始め、できるだけやりたいことしかやらない、愚直、正直に気持ちのいいことしかやらないとときめた。(古希を過ぎて言葉を交わしていない方には、益々不義理をすることになります。どうかご寛恕ください)

あれから丸13年の歳月がながれ、その願望(おもい)のほとんどは満たされ、益々そのおもいは深まる。そして、ありがたいことに、一人でもやれる、やりたいことが人生の持ち時間が見えてくる(感じる)にしたがって、絞れてきたのである。

老いのかけがえのなさ、日々自在感を受け入れ、その日暮らしに徹する。前回の五十鈴川だよりで触れたが、父の遺した歌碑の写真が忽然と次兄から送られてきて、いよいよもって思う。私は日々、両親を含め、あの世に召された、無数の死者と触れあえるかのような、その日暮らし考、を第一義に生きたいのである。私が元気に過ごせるのは死者のお蔭である。

2026-02-13

2月13 日、74歳の誕生日に思う、夕刻五十鈴川だより。

 74歳を迎えました。昨年の誕生日から一年がすぎ、この一年はずいぶんといろんな体験ができ、実に有意義な一年であったと思える。年々歳を重ねると、体力ほか体の機能はたしかに衰えを感じる。が、神様の粋な計らい、いやでも落ち着きが出てきて、それが私の場合、いい方向に流れてきている、と感じる。我田引水、あくまでも能天気に、前向きに考えている、ある種の老いの深まりを。

古希以後、緩かにこれまで培ったヒトとの関係性を手放し、見直し、新たな人との出会いと、再会、特にこの一年で、オーバーではなく、新たな地平のパラダイムに立てたような塩梅である。執着していたこと(やめたのではない、個人的には続ける)をすんなり手放したところ、以前は感じなかったような感覚が育ってきている(のだ)。老いゆく変化を。

この一年、ずいぶん五十鈴川だよりを打ち続けている。老いつつ、折々の日々を綴り打てる喜びは、老いるにしたがって増してきている、ようにさえ思える。それはおそらく人生の持ち時間を、いやでも我が体と心が敏感に感じているからである。(だからこれまでの自分とは決別し、もっともっと未知の世界を見たいし、新しい人とともに学びたいのである)

現在を更新し続ける。生きている喜びは私の場合、今のところ健康で在るからこそなのだが、古希目前の大手術以後、ますますもって深まっている。ありがたい事だと痛感する。世の中には健康にすぐれず、辛い、思うに任せぬ病ほかの、過酷な晩年、状況を生きておられるかたが、大勢いらっしゃる。(それだからよけい動ける、考えられる、おのれの幸せを思う)

世の中に出てから、思い通りには全くならないという、重い重い現実と日々格闘、この年齢までよくぞ生きてこられた、と実感する。そのことへの天運のよさを、ただ素直に感謝している。手術後、私はまもなく丸5年を迎えるが、日々折々、五十鈴川だよりを更新できている。


話は変わる。長くなるので簡略に、先日突然次兄から、亡き父の書いた歌の歌碑と、赴任していた中学校の校歌の作詞した歌碑の写真が送られてきた。ちちは83歳で冥界へたびだった。その父の年齢までは何としても生きねばならないという、(先のことはわからないけれども)見果てぬ覚悟がにわかにわき起こっている。

前回の五十鈴川だよりに、晩年の両親の写真をアップしている。苦労に苦労を重ねた末に、(当時、母は少し健康を損ねていたが、両親ともに頭はしっかりしていた)迎えた晩年、両親は幸せそうであった。その事が(姉と二人の兄が側でよく面倒を最後までみた)私には嬉しい。だからなのだ、今も私は安心して姉、二人の兄のいるふるさとに帰るのは。

頭がしゃんとしている間に何が出来るのかは、いまは判然とはしない。だが、かじまやぁと再会したこと、猪風来さんと出会えたことで老いの夢が(実現するしないではなく)、自分にとって大事な事柄がくっきりとしてきたように思えている。誕生日直前、次兄から送られてきた写真は、これからの私の指標になるのは間違いない。

PS 大いなる 望みをもちてひたすらに つらぬきとおせ ひとすじのみち。臆面もなく打ちます。このような親を持て幸せである。

2026-02-11

徒然、お金では買えない世界の、目に見えない世界の、ワンダー(フル)な芽吹き、宇宙感覚、感性を孫たちに伝えたい、お爺です。

久しぶりの雨があがっている。他の方の事はいざ知らず、私はよく眠れる。ねむることが好きである。よく働きよく眠る事が、今現在の私の一番の健康法である。還暦を過ぎてからは、何よりもよく眠り、そこそこ栄養をとり、けっして夜更かしはしない。出来なくなった。当たり前である。よく自分に言い聞かせる。昔できたことに想いを馳せるよりも、さて、今日をいかに生活するのかに腐心している。

さて、選挙が終わり、意外なほどの圧勝で自民党の票が伸びて過半数を大きく上回る結果となった。私は一庶民、ひとりの老人であり、その事実にコメントする、気力も関心も持ち合わせてはいない。やがては時がすべてを物語るというにとどめる。

今はなき生家の前で晩年の両親

ただひとつ、老婆心ではなく老爺心としてきになったのは、働いて働いての高市さんの連呼である。私は思う。昭和27年生まれ(終戦から日本が再び独立をした歳に生まれた)明後日74歳を迎えるが、おおよそ物心がつくころから55年の世の中の推移を、そのかなりの渦中を生きてきて思うことは、いかに人心が時代の流れに、流され身動きが取れないほどに取り込まれてゆくのかという現実である。

今も東京一極集中のながれは止まず、地方は超高齢化、なんとも嫌なことば、限界集落、まばら田舎は超過疎地で、日本の根源ともいえる水田風景景観は寂れゆく一方である。

一言でいえば、全てはお金がないと不安であるという構造に投げ込まれているからなのであるという認識しかない。私には経済のことは(株価の上下などほか一切合切)。だから世の中に出て、働いて入ってくるお金で何とかみすぎよすぎ、今現在もそのような塩梅なのだが、果たしてお金とはなんなのであるのか、高市さんの言葉の逆で、考えて、考えて、考えてみる、、、。といったことも私の場合は必須である。

入ってくるお金を、大事に無駄遣いをできるような経験をしたことがないのでよくはわからない、というのが正鵠を得ていると思う。世の中に出てから、今にいたるも、お金では買えない、もっといえば見えないけれども、いきてゆくのには絶対に必要な、心を穣にしてくれる世界のほうに、感性のアンテナを磨くように、小さな器で生きている。

だからなのだとおもえる。今も足りる幸福感にひたれるのは。家族。大切な友達。安心して眠れる場所、食べ物、私が高齢者でも働くのは、働けるからであり、出会えた大切な家族や友達と過ごしたいからである。好きなことで未だ実入りがある。なんとありがたいことか。

話をもどす。両親が他界して50歳を過ぎてから、過疎かする一方の我がふるさとに年に数回必ず帰っているが、命の終わりをいやでも見据え、考えるようになってきて思うことは、お金では買えない、五十鈴川や、小倉が浜のあまりのすばらしさである。

高度経済成長からバブル崩壊までの、18歳から40歳までを東京ですごし、その後岡山で今まで生きてきて思うことは、お金では買えない世界の豊かさのきづきである。お金がなくても、五十鈴川は夏はいつでも泳げる(昔はプールはない)。小倉が浜では一年中サーフィンができる。

コカ・コーラが入ってくるまでの私の小学生の頃まで、砂浜にはゴミひとつなかった。人心も限りなく穏やかで、貧しくも私が小学校への往復路で(四キロ)出会う、お百姓さんや、漁師さん、鋳掛けや(割れた鍋を修理してくれる)さん、鍛冶屋さん、畳屋さん、床屋さんやなどなど、のどかそのもので、おおらかで、子供心に、毎日が魔法のように面白く愉しかった。

家には怖い父がいて、慈母のような母、想えば名コンビである。幼少期に辛いばかりの記憶しかなかったら、気の毒というしかない。幸い、貧しかったけれど、飢える事は無かったし、川には魚や、川エビ、大漁だと漁師さんがただで魚をくれた。山野にはワラビや、ぜんまいなどの山菜、木苺、山柿、山芋、などなど。

国豊かになり。あまりにも管理され、自然との付き合い方を現代人は忘れてしまった。山河は荒れて、子供たちは時に過酷で厳しい自然と真剣に対峙することがもうほとんどなりつつある。が私はけっして失望はしていない。我が孫たちと触れあっていると、全く子供は変わらないということがわかる。だから努めて、東京でも岡山でも、自然のなかに努めて連れ出す。自分の五感、体で自然と一体化してたくましく育って欲しい。

このようなことを綴っていたら、またもや小倉が浜に帰りたくなってしまった。一年でも長く、小倉が浜にたち、波と戯れ、五十鈴川で下半身浴に興じる年寄りの姿を孫たちに遺したい。


2026-02-10

平日の早朝、コメントを頂いた方にご返事を打つ、五十鈴川だより。

 私にとっての異変とでも言うほかはない、一度しか(たまたま)お逢いしたことがないかたから、一昨日打った五十鈴川だよりにコメントを頂いている。

それと2月2日に打ったチョンダラー長崎公演の五十鈴川だよりにも、スタッフとして参加されていた(忙しくしていてお話をする時間がもてなかった)Sさんから嬉しいコメントを頂いた。他にも言葉を交わしたこともない、兵庫県のかたからもコメントが。

説明不可能、凄い。

私の五十鈴川だよりにはほとんどコメントがないので、これは私にとってのちょっとした異変とでも言うしかない、綴り打ち続けてきたものにしか、わからない喜びである。。

特に今回の帰省で、日向市の駅からすぐに小倉が浜に直行、裸足になり、ふるさとの感触を確かめ、たまたま偶然そこに居られた、2匹の可愛い犬を連れた女性(多分サーフィンをされる)に、私は写真を撮ってもらった。多分そのかただと思うのだが、2度もコメントをくださった(いる)。

あの日、真冬サーフィンを(そのかたのご家族だと思う)していた人以外、あの広い小倉が浜には他に人の気配はなかった。もし、あの女性が居なかったら自撮りするしかなく、素足の老人の私の姿、全身、小倉が浜の波と青い空を五十鈴川だよりにアップすることは、かなわなかった。

あの日出逢えた女性は、私の五十鈴川だよりに、小説家のような文章だとのコメントを寄せられている。このようなコメントを頂いたのももちろん初めてである。折々五十鈴川だよりを還暦以後打ち続けているのは、自己慰撫、自己激励、自己満足以外のなにものでもない。

ただ脳内に浮かぶ、よしな無し事を打ち続けているだけである。古希目前、大きな手術をして、肩の力が抜け、徐々に日々是好日的なエッセイ風に変化してきているのかも。といった塩梅で、歳と共に、やはりあの五十鈴川や小倉が浜の幼少期、青少年期の、宝の(辛いことも悲しいことも嬉しいことも全てが)思い出が、私の今を、限りなく支えているのは間違いない。

若き日、18歳から二十代の終りまで、大都会で演劇を学び、分けてもシェイクスピア作品から、大きな影響を受け、その事で(シェイクスピアはこの世は舞台、我々は全て役者だと言っている)日々の生活を、物語る癖のようなものが私のなかにあるのかもしれない。

いわゆる名台詞の数々に、若き日の私は酔い続けていた。その影響は拭いがたい。消せないし落ちない。そして今、しみじみ思う。シェイクスピア作品に出会えて心からよかったと、おもうのである。このようなことをぬけぬけと打つことも含め、 もう私は厚顔無恥の老人なのであるから、ご寛恕願いたい。

たった一度の人生を、どこかフィクション的(全くシェイクスピアがそうである)に彩りたい、といった願望は、なんびとにもあるように思える。これ以上は打たない。老人の私だが、幾ばくかの羞恥心は未だ持ち合わせている。野暮は大嫌いである。

ところで、あの女性だとおもったのは、あの日大分から来ていると言う言葉。コメントに湯布院で雪かきをする、とあったからである。(岡山で再会する前に、私が帰省、小倉が浜か、湯布院に途中下車すれば逢える)

それからチョンダラーで出会えた、杉本さん(お名前が記してあったので)、お話しができなかったので、良健さんの春の個展には行くので、その際にお話が出来ることを望みます。貴女が終演後、梱包している姿、純子さんをサポートしている姿が焼き付いています。

PS 湯布院の方へ。あの73歳最後の小倉が浜での写真、気に入ってます。その日のうちの五十鈴川だよりへの反応、リスポンス、誠にありがとうございました。

2026-02-08

選挙の朝、老人は静かにこの国の行く末におもいを馳せ、そして思う。

 選挙の朝である。しかし、私の心は弾まない。世の中に出て、選挙権を得、この年齢まで何度も選挙には行くのだが、正直あまり政治には興味が持てない。その理由を縷々綴るのは気が重いし控える。

縁もゆかりもお目にかかったこともないかたから、突然電話があったり、郵便物が送られてきたりする。私のような時代とズレタ遺物にはまずもって、このような行為事態がゆゆしく呆れる。つまりはそういう世の流れに、無感覚ではないので、従ってそういう世の流れからは、遠く離れたところで静かに、五十鈴川だよりを打ちながら、ちっきょするのである。



今ゆっくり読んでいる池澤夏樹さんの本[また会う日まで]のなかに、書斎ひとつが我が領土、と言う言葉があった。全くもってそのことの気持ちが理解できる。

私が信頼する養老孟司先生も政治が苦手だとおっしゃっている。できれば、そのような大きな世間的な社会からは、もうひたすら距離を置いて(老いて)いたい。

そういうわけもあって、自分と向かい合って、(もう歳なので何でも打つ)、自分に期待する、自分のなかに希望の種を撒いて、それを自分で育てる、かのような人生を、今も歩んでいる。とはいっても、絶対矛盾を常にかかえてはいる。

経済成長、手取りを増やす、移民政策、国防、消費税、少子化、環境、教育、などなど、まさに乱世である。どの党に一票を投ずるのか。甚だもって私の頭では困難をきわめる。有権者の半数がネット世代、私の感覚には程遠いSNS時代、私のような輩はすでに時代の枠からはズレているのを認識している。

甚だ無責任に述べるが、勇ましい言葉の羅列、不安を煽りたてるような候補者にはご用心である。今年最初に花隆さんの天皇と東大で、近代、現代、終戦、までを読んだことで、あらためて無知を自覚している。そしてなんと人間は同じ過ちを繰り返すのかと。

戦後80年をすぎ、今回の衆議院選挙は、政治家も、有権者も(私を含め)戦前を皮膚感覚で知らない世代が多数を占める時代、だから大きな節目になる。その事だけは間違いない。この国の舵取り、リーダーをどの党の党首に委ねるのか、選んだつけはいずれ国民全員が払わなければならない、のは歴史が証明している。

この国の行く末ではなく、世界の行く末、人類の行く末をまで、射程にいれた(自国ファーストではなく)スケールの大きい人新世の、奇跡の水の惑星のリーダーの登場を祈らずにはいられない。

そして思う。国民を飢えさせず、外交努力でもって、有事を回避する胆力のあるリーダーを持てない国に(その事を真剣に考えない国民は)明るい未来は訪れない、と考える。

PS 今日の写真はかじまやぁ長崎公演でお会いした、Gさんがお勤めの長周新聞(このような新聞の存在を初めて知った)の2月2日の一面です。2年前からM新聞の購読を止めていましたが、2月から長周新聞を購読することにしました。小数の声を伝える新聞、Gさんの熱が私に伝わりました。




2026-02-07

五十鈴川だより、アクセスが130を超える。うたかたはかつ消え、かつ結びて久しくとどまりたるためしなし。

 ちょっと今週は頑張って働き、嬉しい土曜日の朝が来た。立春が過ぎ、気持ち夜明けが早くなってきた。とはいっても今夜から平地でも雪が降るとの予報、北国の人々の生活のご苦労を想うとき、わたしは宮崎に生を授かった、ありがたさを思わずにはいられない。あの途方もない忍耐力は雪国、寒冷地の風土がもたらした、力であると認識する。

30年前、初めての沖縄で求めた良健さんの画

話題を変える。五十鈴川だよりにちょっとした異変が起こっている。チョンダラー長崎公演を終えて、新鮮なうちにと、私には頑張って、労働のあと2月2日に、私なりの一部始終を記録し、なんとかアップした。

桑江純子さんに読んでもらいたくメールしたところ、なんとも身に余る(これまで頂いたメールでもっとも嬉しい)お言葉を2通頂いた。

私の五十鈴川だよりにはほとんどコメントが入らない。が、まる13年五十鈴川だよりを綴ってきて、初めていきなり4人ものかたから、有り難いコメントをいただいた。

そのコメントは先の長崎公演の裏方ワンチームから頂いたものである。そのことの嬉しさは、同士的結びつき、一朝一夕には生まれない類いの何かである。

それは、齢あとわずかで満74歳になる私に、大いなる、これからどの方向に向かって歩を進めて往けばいいのかの示唆を与える。老いゆく未来の明るさをあのワンチームは照らす。大変貴重なひとときを、チョンダラー長崎公演の裏方、ワンチームと過ごした(せた)幸せがいまだに私を包んでいる。(あの面面と未来について語り合いたい、何かがあの面面となら起きるように思えるのである)

一糸乱れぬ、あうんの呼吸で全てが進行してゆく気持ちの良さを私は体験、体感した。この気持ちの良さは、一体全体何処から生まれてくるのか。揺るがない信頼感に支えられた、真の意味でのイベントを、かじまやぁのお二人は果てしなく持続してきたのである。その厳然たる事実の重さに、脱帽、感動する。

そして、考える。思う。動かない限り人は出会うことはない。現世に、私自身限りなく縛られて、時に身動き出来ないほどにガンジガラメなのではあるが、やはり縁(えにし、よすが)に時折ジャンプする勇気を持たないと、意外性は生まれない。意外性こそが芸術の真髄である。老いて守りに入るのは愚である。かけがえのない人に会いにゆく。これこそが宝でなくして何の人生、喜びか。チョンダラー長崎公演のワンチームで、謎のような気持ち良さに私はおそ(教)われた。

その謎を、今私は年齢をしばし忘れて、少しでももっともっと知りたい、のである。古希を過ぎて、またもや懲りずに企画を始めた私だが、可能ならあのワンチームのような企画を、と夢みる。

お二人に出遭って30年になるが、裏方として参加したことで、あらためて私は本質的に、お二人が心血を注いできた、かじまやぁ(52年の歩みの重み、凄さに)に出会ってしまった、のである。(もう年齢的に怖いものはなにもないので何でも打つが)地に足のついた、根のあるイベント、企画には(私が知らないだけである、と思うけれど)この数十年ほとんどお目にかからない。

数多の根のない、造花の(もっといえば消費するばかりの根のない、関係性がふかまらない、つまりは人間力が乏しい、痩せたイベント)無味乾燥なイベントには、もう私の感性は閉じている。かじまやぁはほとんど自力(地力)根がある、何よりも体の力、夢の創造力でもって、子供たちの想像力、 未来に働きかける。かじまやぁにあやかり、老いの花を今しばらく夢見たい。

年上の凄い先輩、猪風来ご夫妻、今年は早々に桑江ご夫妻、本質的に再会できた重み、幸運を五十鈴川だよりに綴りうたずにはいられない。