五十鈴川だよりが打てる朝が来た。日中は暑いが朝夕はまだ涼しいので、後期高齢労働者である私は、真夏、夜熱帯夜で睡眠がとれないのがいちばん辛い。が、今のところ眠れないことがない。ぐっすり眠れている。良く眠れない体ではまず働けないし、五十鈴川だよりも打てない。
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| 下記に記します。ちょ |
もうこの年齢になると、一日誰にも迷惑をかけず、身近かな手の届く範囲での生活を大事に生きたいとの念は強まるばかりである。
自分の力ではどうにもならない、例えばコロナで音読ができなくなったり、手術で弓が引けなくなったりして、執着打ち込んでいたことが叶わぬような状況になったとき、思えばあっさりと手放してきた。
これまでの人生で、アカン、もはやこれ以上続けても、よきことにはならないと直覚したら、私はあっさりと手放してきた。
61歳で中世夢が原を辞した際も、嘱託で65歳まで働けたのだが、往復の通勤時間、あらゆることを勘案し辞した。安定生活よりも、もっと違う生活を志向する自分がいたからである。
あれからもう13年の時が流れ、音読塾を閉じて6年が経つ、すべては光陰矢のごとしである。長くなるので簡潔に、事実のみを打つ。古希を過ぎて4年と4ヶ月、折々五十鈴川だよりを打っているので、この間私が何をしていたのかの記録は幾ばくか残っている。打ち込んでいたこを手放しても、次々と他力の力で今現在も、何かと新しい充実した日々が続いている。何よりも、この6年の間に、新しい命、三人の孫に恵まれ私の生活は一変した。
そして思う。無駄なことは何一つなく、昨日、今日、明日と連めんとながれ、宇宙空間を地球は公転自転する。だが死は遅かれ早かれやってくる。古希直前の手術でその事を体感した。手術のおかげで私はあれからずいぶん丁寧に(性格は直らないが)生活している。何よりも体をいたわるようになり、決して無理をしなくなった。
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| 下記に記します。 |
死をオーバーではなく、絶えず身近に感じながら、自分にとっての気持ちのよい一日を心かけ生活している。
デジタル音痴、時代についてゆきたくもない、アナログじいさんだが、楽しんで生活をしている。少数だが五十鈴川だよりを読んでくださる方をはじめ、このような私をそっと見離さない奇特なご仁が私のまわりにはいてくださる。感謝しかない。
今、あらゆることを順次手離しながら、どうしても手離せない大切な存在(本も含む)とのこの世を、いかにいきるのか、活きないのか、と老いて尚ハムレットのように、世界が牢獄化(支配、被支配、貧富超二極化、あらゆる分断、孤絶化、AI化、 人間の良心の弱体化、思考停止か、などなど)してゆくかのように思える、いまを感じる。思考停止したくない。
何度も打っている。他人にされて嫌なことは、他人にもしない、それらいしか、私には大層な思想信条はない。爆撃される人間の側のあまりの悲惨に、想像も及ばないような鈍感な老人にだけはなりたくはない。
爆撃する側の世界観を暗黙のうちに(思考停止)支持してしまう人とだけはお近づきにはなれないし、なりたくはない。そのような私が、今年一月、長周新聞沖縄支局のGさんと出偶ってしまったのも、何か運命を感じる。
時折、岡山という地場を離れ、沖縄にもうでGさんを媒介にして、元気なうちにいろいろなことを学ばねば、という気持ちになる自分がまだいる。その方向にながれてゆきたい、私がいる。
PS 上の写真は私が心から尊敬する女性、昭和の大女優高峰秀子さんの夫であった松山善三さんについて、養女の斎藤明美さんが2012年12月に出された大切な本。もう14年前の本、何度読んでもジーンとなる私がいる。高峰秀子さんが書かれた(自伝、私の渡世日記)はあまりにも素晴らしい。何度も生きる勇気を今も頂いている。
下の写真は一月にお目にかかった際、Gさんから手渡されたた、41ページの小冊子です。私自身が直視するためにアップします。(平和の有り難さが沁みてきます)









