沖縄の名護市済井出、屋我地に住んでいる桑江良健、純子さんご夫妻を訪ねて、3泊4日の旅をしてきた。ご夫妻の家から歩いて10分のところに、ハンセン病施設沖縄愛楽園がある。その施設にある愛楽園交流会館で、4月4日から5月31日まで、らい予防法廃止三十年企画、桑江良健の絵画と沖縄愛楽園の証言集.文芸作品❲あじくーたーの世界❳が開かれており、その企画展を見に出掛けたのである。
桑江良健、純子さん夫妻は、純子さんが始めた、かじまやぁ(風車という意味)という人形劇団を二人で運営、沖縄の民話をモチーフに物語を創り、人形(素晴らしい必見の価値あり)を創作、沖縄の離島、多くの島はもとより日本各地でも巡業活動を、お声かけがあれば出掛けて公演、その活動にに心血をそそいでこられた。純子さんは台湾の師匠、人間国宝の方に30歳を過ぎて弟子入りし、厳しい修行をへて指人形の全てを伝授された屈指の人である。
今年の一月末の長崎でのチョンダラー公演をもって、その長いかじまやぁの活動に終止符をうたれた。その歩みの真摯な生き方に心服する。良健さんは運転手兼、相方、裏方として純子さんの世界を支え、同志として活動を共にしてきた。良健さんは、空いた時間は全ての時間を絵の神にささげ、純子さんは人形の神さまに全てをささげて人生を歩んできた。支え、支え合う稀人夫婦である。
かじまやぁの活動を終え、現在良健さんは絵に専念、指が動く限り絵筆を持つと宣言している。純子さんは住居のなかの、かじまやぁ美術館(人形の神様が奉ってある)を運営し、来館者に対応しながら、傍ら良健さんのプロデューサーも兼ねている。かじまやぁ美術館、多くの方に訪れてほしい、と願わずにはいられない。
お二人とは、沖縄の森に住む妖精キジムナーの公演を岡山で引き受けたことがご縁の始まり、以来君子の淡い交友が30年以上続いている。長崎での最後の公演、念願のチョンダラーも見届けることができた。その際に、春、沖縄愛楽園でのおよそ2ヶ月にわたる企画展、あじくーたーの世界の事を知らされたのである。あじくーたー、という沖縄の言葉を初めて知った。
着いた翌日、開館と同時に愛楽園交流会館にでかけ、あじくーたーの世界の展示に見いった。入口に、純子さんが創ったまんたー婆さんの人形が在った。私のサト婆あちゃんを思い出した。50年にわたる創作絵画が交流会館の大きな部屋の壁に隙間なく展示されていた。ハンセン病の施設内の一室に良健さんの絵画の現時点での集大成が展示されていて、部屋の中央エリアには良健さんの新聞記事や批評、案内葉書など、これまでの歩みも展示されている。
その全てに目を通したが、改めてその歩みの壮絶さに打たれた。また、愛楽園入所者の証言集、文芸作品も置かれ、手にすることができる。このような絵画展、コラボレーションを思い立った良健さんの心の由来に、想像力が及び私は脱帽した。大きな作品、小さな作品が対照的に空間に展示されていて、会場の大きな絵のタイトルの随所にあじくーたー、とあった。
愛楽園交流会館は施設の一番奥、入口からゆうに500メートルくらいのところに在った。交流会館から数十メートル歩くと珊瑚礁のビーチに接していて、梅雨の晴れ間の初夏の陽光が降り注ぎ、誰もいないそのビーチの美しさ、対岸の景観の素晴らしさに驚いてしまった。もし愛楽園であじくーたー世界がおこなわれなかったら、一生みることは叶わなかったであろう景観を私はみることができた。年齢を忘れて、海に入りたいと思ったほどである。愛楽園の敷地は、ゆっくり歩いて一回り散策するだけでも一時間近くはかかるほどの広さがあり、岡山の私が住む環境とは別世界であった。
不思議な安らぎを覚えたのは私が高齢者であったからかもしれない。鳥がいる以外、静けさが施設の敷地内をおおっていた。そこかしこにハイビスカスをはじめとする南の国の植物、樹木、花が咲き乱れ、香りが敷地に漂っていて浄土を思わせた。
お腹が空いたので、交流会館のスタッフの方にお昼を食べるところがあるか訊いたところ、職員のかたをはじめ誰でも利用できる食堂を教えてもらった。結局、私は愛楽園に3日間、ほぼ半日以上通いつめることになり、お昼を三回この食堂ですませ、美味しいザクロのジュースを飲んだ。あじくーたーの世界、会場の入口にたくさんの書籍を閲覧するスペースがあり、ほとんど見たこともないような本、沖縄の歴史やハンセン病の歴史、写真集があったので、3日連続ほとんどの時間を宿と交流会館を往復、愛楽園の敷地内で過ごした。無知を知らされた。
今回のあじくーたーへの旅は、長周新聞沖縄支局のGさんとも有意義な再会が叶った。長崎でのチョンダラー公演で、良健さんに紹介していただき、知己を得て、その場で長周新聞を手渡され、即購読を決めた。桑江ご夫妻からGさんご夫妻が私に会いに来てくださることを聞き、とても楽しみにしていた。2日目の夜宿でGさんと再会、お話でき話が転び、ラインのやりとりを私が望んだ。一文を寄せる約束をした。
あじくーたー、日本語にそのニュアンスを翻訳するのは不可能に近い。沖縄の友人に、桑江良健、純子さん、新たにGさんご夫妻が加わったことで、あじくーたー未知の沖縄世界の扉が拓かれ、その事が今いちばん私は嬉しい。









