曇りと雨の予報であったが、部屋に陽射しが、青空も見える。老い楽の綴りかた、五十鈴川だよりは日録としても、不可欠になりつつある。
昨日は終日雨であったので、ほとんど部屋で過ごした。このところ休日はちびりちびり、本の整理処分を進めている事はすでに何度も触れている。手元に最後まで置いて起きたい本と(将来孫たちが手にしそうな本は彼らに選んで貰おうと思う)、不要な本を選別している。
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遅々として進まないのだが、それでもこのアクションを起こしたことで思わぬ、これまでの人生を振り返る貴重な時間がすごせている。とくに東北原発津波大震災以後に求めた、私が還暦以降に買った本は、今を生きる私に限りなく勇気をもたらしている。
今から11年前の、2015年、私が63歳の時に求めた、菅原文太さんが17人のその道の達人たちと対談した[ほとんど人力]という本を昨日から読んでいる。
年齢を重ね、買った当時よりも、はるかに身に染みて読めるのは、きっと物事を深く感じる力がついてきてきているからだと、いい方に勝手に考えている。縁あって求められた幸運に感謝である。この本は2013年に、お亡くなりになって間もない頃、菅原文太さんを追悼、出版されている。
当時、すでに五十鈴川だよりを打っている。打ち続けているからこそ、再び本棚の整理で読む機会が持てた。本の帯に菅原文太の魂ここにあり、とある。それまで有名な映画俳優と云うくらいの認識しかなかったのだが、何がここまで菅原文太さんを駆り立てるのか、死を賭してまで日本の時代の行く末を憂える魂の心意気に、私は打たれる。
梅雨の時期、高齢者は体調管理が老いと共に難しくなる。文太さんの見かけの豪放磊落さとは全く異なる、思いやりが半端ではなく、ユーモアがあり、繊細で真面目な勉強家であられたことを知った。
晩年は山梨でお百姓生活をされていた事もこの本で知った。何よりも真っ正直である。(このような昭和の快男児が本当に居なくなった。私は寂寥感に佇む)
また対談相手が多士済々、17人の強者を相手に、恥も外聞もなく、素直な疑問を真っ向勝負挑む。修羅場を潜ってきたもののみが成せる、まさに正真正銘の遺言とも言える対談集である。
そんじょそこらのインテリには逆立ちしてもできない。芸人魂、人間力が香りたつ。一言カッコイイ。(憧れる)相手が菅原文太であるからこそ、第一線の達人が集結、金ではなく馳せ参じたのだとおもう。
(このような昭和の芸能者が居たことを五十鈴川だよりを打つものとして、打っておく。ニュースをきちんと見なくなって久しいので、佐藤愛子さんがお亡くなりになったことも、図書館で知った。刻一刻私の脳裏に浮かぶ、時代が生んだ稀人、小説家や芸能者が冥界に召される。一行でもしっかと五十鈴川だよりに刻んでおきたい)
外見や俳優としての役柄などで、菅原文太という存在を全くといっていいほど知らなかったが、人間としての魅力は、とてつもない。菅原文太であるからこそ、17人のその道の強者が胸襟を開いて、明け透けに語っている。17人のうち6人は私も知らなかったし、未分やの方である。
対談者、中村哲、西部まん(漢字の読みが間違っていたらすみません)、大田昌秀、金子兜人、丹羽宇一郎、の方々はすでにこの世にない。(私が知らないだけでもう他界されているかもしれない)。菅原文太さんの遺言対談を常に側に置いて、見えない文太先輩と交信したい。
PS 上の写真は、昨日午前中三時間くらいかけて、土を落とし、根を切り、塩で何度も揉み、洗い、赤トウガラシを入れ、3キロ浸けた今年のラッキョウです。ラッキョウや梅酒を浸けるのは還暦以降に始めたのだが、今年もできた。日々の生活の、老いてもゆっくりとできる嗜み、喜び、妙味を見つけたい。











