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2026-08-29

旅の最後、ベルリンでの様子と無事に帰国出来たことの喜びを、西大寺の家で打つ五十鈴川だより。

 良く寝てすっきりと起きた。丸4日働いて、ようやく普段の生活にもどりつつある。昨日打った続き、という感じで、旅の最後、ヒースローからベルリン、ベルリンからカタールドバイ、ドバイから成田、成田から稲城のマンションにたどり着くまでを、記録として綴っておきたい。

22日朝の散歩、パンを買いにゆく

21日、午後七時半の便でベルリンに着いたのが、(時差が一時間ある)10半、入国審査を終え外に出たら11時半、雨は降っていないものの路面が濡れている。ロンドンに着いたのも真夜中、ベルリンに着いたのも真夜中、だが今回は一人である。

外は真っ暗、荷物を抱え、スーツケースを引きずり、タクシー乗り場に急ぐ。幸いすぐにタクシー乗り場はみつかった。ドイツ語がまるで出来ないので不安である。娘から送られている宿の住所をドライバーに示す。中年のドライバーはすぐに、判ったといって走り出す。一安心、娘にタクシーに乗った、と伝えたつもりが送信していなかった。ドジである。

約20数分で宿の住所に着いて支払いをカードで(38ユーロだから6000円位)で済ませ家に入ると真っ暗、何とか着いたと知らせる。娘は空港からの知らせと勘違い。エントランスの暗いなかで10分ほど待つ。この間の長さは同じ時間とは思えない。ながーく感じた。スマホの明かりが染みた。時計は午前0時を回った。何と部屋の前でずっと待っていたのである。

結果、娘の機転で真夜中、娘と再会出来た時の安堵感は言葉にならない。娘のみ起きて私の到着を待っていて、レイさん、子供たちは寝入っている。娘がお父さんはここに寝てと示された部屋は、天井高く、大きなベッドががあった。疲れがどっと出て私はすぐに横になった。


翌日、朝8時前、ノアとミアが私の部屋に乱入してきた。起きてカーテンを開けると、目の前は何と大きな川、昨夜の真夜中の景色とは一変していた。レイさんはもちろん、娘も起きていて、朝のお散歩がてらパンを買いにゆく。散歩から戻って、全員で朝食を済ませ、全員お風呂にはいる。午前11時、荷物のパッキングを終え、車に積みこみチェックアウトする。空港に行くにはまだ時間があったので、娘が買いものをしている間、私とレイさん子供たちは、川に面した小さい公園で帰国前の一時をすごした。午後2時レイさんの運転でベルリンの空港へ。レンタカーを空港で返し、帰国の途についた。ここからは簡略に記す。入国審査を無事に終え、カタール航空の機内の人となる。私とノア(真ん中の席が空いていて、ラッキー)、後ろにレイさん、娘、ミア、飛行機の後部席でトイレが近くたすかった。カタール航空、もちろん初めて乗ったが、サービスがのんびりしていて、私は好印象を持った。楽しみの食事も全て美味しく、完食した。約五時間半のフライトでドーハに着いた。約四時間ストップオーバーの時間があった。行きのフライトで、このドーハの空港の斬新さには瞠目していた。一言で言えば、オアシスのような空港であった。世界中の人びとが乗り降りする中継地としての機能を余すところなく備えている。何よりも驚いたのは横になって仮眠ができるスペースが、キャンプ場のように設けられている。そこには本物の樹木が植えられていて水が流れているのである。もちろん我々もそこでしばし横になったのだが、後10分起きるのが遅かったら、危うく乗り遅れ、帰国出来なかったかもしれない。出発ゲートは反対側、何しろドーハの空港はビックリするほど広いのである。テキパキとした空港職員の誘導で事なきを得たが、あの時の間に合った嬉しさ、を五十鈴川だよりに打っておく。ドーハから成田に無事に着いたのは、日本時間23日午後七時半であった。出国審査を終え、手荷物を受け取り、荷物を抱え、ごった返す成田で京成線で日暮里に出る。時計は午後9時回っている。そこからはタクシーにした。親切なたタクシードライバーが大人三人、子供二人、手荷物全てを車に積んでくれた。日曜日の都内、首都高は空いていて10時過ぎに、全員無事に稲城のマンションにたどり着いた。全員すぐにお風呂にはいり、娘が近くのコンビニで求めてきた夜食(蕎麦やうどんなど)を手早く済ませ、早々に、時差なんのその、無理やりノアのベッドの下に体を伸ばした。翌日8時近く娘に起こされる。朝食を済ませ、改めて無事の帰国を喜びあった。朝食を終え、あわただしかったが、日本のいきなりの暑さの中、スーツケースを引きずり、私は岡山に向かった。ノアが稲城の駅まで見送ってくてた。40年ぶりの、2週間に及ぶ夏休み、74歳の我体は無事に乗りこえてくれた。その有り難さ嬉しさは、格別である。共に旅出来たこと、わけてもレイさんのあらゆるアレンジに何度も感心した。その事を最後に打っておく。PS 上の写真、前は娘とノア、後方はレイさんとミア。下の写真はレイさんとノアとミアの三人が鴨にパンくずを与えている。部屋の窓からの一枚。

2026-08-28

朝の、ちょっと寸暇打つ五十鈴川だより。

 早寝早起きが、いよいよ、以前にもまして、進んできているように思える。が、あまり深く考えず、なるようになる、自然にまかせている。

2週間の、夏休み異国旅から戻って、今日働けば、丸4日働く。ようよう時差ぼけもなくなり、普段の生活に戻れそうである。言葉では上手く言えないが、40年ぶりに異国旅をしたことで、以後、これからの人生(先の時間の行く末はわからないが)の優先順位が、はっきり整理出来た事は確かなように思える。

ベルリンの宿からの眺め

これまでも、もう余計な事には時間を使わず、ただ静かに自分時間を大切に過ごしたいとの想いは、一段と深まったのは間違いない。思索することの喜び、がようやくにして、余りにも遅いかもしれないが、はっきりと自覚できた事が、今回の旅でのいちばんの重さである。

その事を自分なりに確認しながら、これからの日々、を五十鈴川だよりを打ちながら、己を対象化(キザですが)しながら、考える楽しみ、を見つける生活を実践したい。

話は変わるが、ロンドンヒースロー空港で、打った五十鈴川だよりの続き、21日、ベルリンに深夜着いて、翌日22日、午後四時半のカタール航空で帰国便に乗り、五時間のフライトの後ドーハに着いて、四時間のストップオーバーの後、日本時間23日、午後七時半成田に着いたのだが、その間の出来事を忘れないうちに、明日打ちたい。

2026-08-27

未だに旅の浮遊感から抜けきれていない、(無事に岡山に帰っています)今朝の短い五十鈴川だより。

 岡山、西大寺の家には、月曜日の午後3時半に帰った。翌日から労働に復帰した。ようやく時差ぼけ、旅の疲れもとれてきている。が、本音を言えば、偶さかの異国旅で、ずーっと五十鈴川だよりを打ち続け、未だに旅の中にいるような、現実遊離感のようなものが体の中に残っていて、しばらくは、ただ労働だけをしていたい、という気持ちである。

旅の最終日のベルリンの朝、家族散歩した際の一枚

40年ぶりの移動時間をいれず、正味2週間の夏休み、ドイツ、ドレスデン英国の旅から戻り、酷暑のなか、いきなりの労働に復帰するのは、少々勇気がいったが、労働、我が体は思ったよりもずっと動いた。

旅の事に関してまとめるのは、きっと涼しくならないと無理である。今はただ、降って湧いたかのような今回の旅に今しばらく浸りたいただそれだけである。

非日常から日常に戻るのに(意識が)、時間がかかりそうである。今は、ただただ働きながら、あの夢のように過ごせた、幸福感に浸っていたいのである。ただ、ぼーっと浸るのではなく、動き働き汗を書きながら浸る。老人の我が体は緩やかにしか日常に戻れないのである。

その事を、私はこれもまた老人であるからの、だれにも迷惑をかけない、いい意味での我まま特権であると受け止めている。突然の思いつき旅は、この8年間の労働のひとつの成果なのである。お金もさることながら、何よりも動く体が在ったからからこその喜びである。その事に対する感謝の気持ちが、私を翌日からの労働に向かわせている。今日ももちろん労働する。炎熱の労働を乗り越えたら、秋である。今朝の写真はロンドンから深夜ベルリンに着いて、翌日午後2時まで滞在した、レイさんがベルリンに借りていた、フラット3LDK(川に面していた、素敵な宿だった)の近くの橋からの眺めです。ともあれ、無事に岡山には戻って来ています。


2026-08-21

8月21日午後、ヒースロー空港のカフェで、寸暇打つ五十鈴川だより。

 ヒースロー空港にやって来た。ベルリンへの出発は午後七時半なので随分時間がある。荷物があるのでとにかく空港でのんびりしようと思ったのである。空港職員に支えられ、荷物を預け手荷物検査(これがことのほか厳しい、ズボンのベルト、帽子まで全て預けねばならない)済ませ、空港のカフェの中で打っている。

親切な中国系の若いカップルが充電(充電できる場所があちこちにある)していて、すぐにインターネット接続をしてくれた。旅はみちづれ、世は情けなんて、この時代死語である、何て思うのはちょっと早計である。もちろん不親切な人もいたが、ほとんどの人は、老人の私を労って、黒人の若者、白人の若い女性に何度も地下鉄で席をゆずってもらったし、劇場のスタッフは親切に対応してくれ、この5日間何一つ問題なく過ごせた。だからこそ、このようにゆったりと、空港時間が過ごせるのである。

昨日テムズ川を背景に撮った

年齢的に、一人でロンドンを彷徨き回るのに、いくばくかの不安を抱えていなかったのかと問われたら、正直不安がなかったといえば嘘になる。49年前の時も、未知の国に着いた時に強烈な不安が込み上げて来たのを思い出す。今回はそれとは全く異なる。余りにもあらゆるシステムが変わってしまっていることにたいしての不安である。 だがそれも娘から色々懇切に教えてもらえたおかげで、ほとんど不自由しなかった。特筆すべきは現金を一度も使わなかったことである。このような事はもちろんわが人生で初めてである。慣れである。一呼吸入れ対処すれば何て事はない。もう年だからとか、言葉がわからないからとか、あらゆることをネガティブに考えたら、一歩も踏み出せない。 要は心に正直に生きる勇気を養わないと、何事も未知の世界の扉は開かないという厳然足る事実である。私は老人の一人旅を奨めているのでは決してない。細心の心の準備をして望む。少々の些事の出来事は、時間がたてばいずれ癒えて思い出の一部になる。心に深く刻まれた思い出だけが残る。そのような旅が今回出来た事の喜びを臆面もなく、綴らずにはいられない。 今夜ベルリンの家族に再会し明日は日本に帰るので、今回の旅、最後の五十鈴川だよりになる。日本に戻ったらしばらく、五十鈴川だよりを打つ気が起きないような気がしている。

ロンドン8日目、最後の朝、ハマースミスの宿で打つ五十鈴川だより。

 ロンドン最後の朝である。窓から青空が見える。涼しく気持ちがいい。朝夕シャワーを浴び、整理整頓、気持ちが上向くようにすることが一人旅では大事である。荷物のパッキングも終えタブレットに向かっている。

白い部分3階席が競り出している

昨日の五十鈴川だよりで、もうミュージカルを観ることは今後はない、と打ったばかりなのに、昨日午後、Aldwichシアターで、シナトラ(フランク.シナトラ)という、フルバンド、17人編成が生で演奏する、素敵というしかないミュージカルのマチネー公演を観た。全く観る予定はなかった。

昨日宿でブランチを済ませ、近所に散策に出かけたところ、9番のバスの行き先がAldwichと表示されていたので、その表示に誘われて飛びのったのである。

Aldwich.theatareは、49年前、RSC(ロイヤル、シェイクスピア、カンパニー)の本拠地で私が最も通いつめた劇場だったので、これも何かのお導きと都合良く考えたのである。

バスは私が昨日歩いたのと同じ道を走りピカデリーを抜け、午後2時Aldwichに着いた。劇場は記憶のままにそこにあった。劇場入り口にはマチネー公演を観るご年配の人びとで溢れかえっていた。よもや木曜日のマチネーがあるとは。

すでに、RSCは本拠地を変えている。劇場にはシナトラのミュージカルが上演中なのだが、どうしても劇場に入りたくなり、当日券が(40ポンド、8000円、日本でこのレベルのミュージカルを観ることをおもうと実に安い)であったので、観てしまったのである。結果、ロンドン最後の日に、よもやまさか、思い出のアルドウィッチシアターで、シナトラのミュージカルを観ることになるのだから、話が出来すぎである。

幕間の様子

ミュージカルは、あの当時のアメリカのショウビジネス界を生き抜く、一人の男の愛と苦悩の生涯をミュージカルに仕立ててある。シナトラは歌手だから、私の知っている曲も多くあり、マチルダと同じように随所に、本場の根付いたミュージカルの力を堪能した。

幕間、カフェでくつろぐ、ご年配カップル(シナトラを知る世代で客席は埋まっていた)に交じって、私もビールを飲み、若き日の自分の幻影を劇場空間に見た。感無量というしかなかった。

二部は、マイウエイトの歌で始まる。憎い構成である。私を含め、ご年配の観客は嫌でも人生を振り返られたに違いない。17時終演。

大満足で外にでて、見納めにウオータールーブリッジまで歩き、テムズ川の風にあたり、ピカデリーに出て孫たちにささやかなお土産を買い、地下鉄でハマースミスへ。

高齢者、夢は青野を、かけめぐる

宿に戻って、シャワーを浴び、近所の雑貨屋さんでビールとパン他を求め、一人でこの度最後の夕食を部屋でする。

一人老人が異国ののホテルで食事をしている様は、ちょっとさみしい情景だが、私としてはこれがいちばん私らしいのである。大勢の人が談笑しているレストランよりも、一人で部屋でつましく、噛み締めて頂く食事のほうが有難いのである。

贅沢をするための旅には、私はとんと興味がない。身の丈に合う生活、身の丈に合う旅こそが私の旅である。そして身の丈に合う、老人ならではの企画を夢見る、私である。



2026-08-20

ロンドン7日目、午前中、ハマースミスの宿で打つ五十鈴川だより。

 今日がこの旅の最後の一日の朝である。この2日間雲り空だったが今日は晴れている。気持ちのいい朝である。動き回っているのもあるが、日本語の聞こえてこない異国の環境に身を置いているだけで、無意識のうちに、微妙なストレスが蓄積され、やはり体が相当に疲れるのだろう。だからぐっすり良く眠れる。

マチルダ開演前の舞台

さて、今回の2週間に及ぶドイツ、ドレスデンとロンドンへの旅も、余すところ、今日明日の2日間になってしまった。旅の記録をほぼ毎日のように打っている。めったにない時間だから打てる。

異国の朝のこの時間、私は幸せである。能天気にこのような事を打てるのは旅の時間だからである。帰れる場所があっての旅である。

幸せはいつ不幸せに転じるのかは、だれにも分からないにもせよ、不幸せ感に体と心がおおわれていては、能天気五十鈴川だよりなど打てるものではない。いつの日にか、五十鈴川だよりを打てなくなる日がくるまでは、自分で自分に、生きている実感をキープ、息を吹き込むように、淡いおもいを打ちたい。

さて、昨日も私は歩いた。ハマースミスから、なんとピカデリー、ウエストエンドの劇場街まで歩いたのである。昨日とは反対の道を、ケンシントンガーデンや、ハイドパークを眺めつつ、至るところに目にはいる、日本とは異なる景観、由緒ある建築群をただ眺めながら歩いた。

オペラハウスの外観

約2時間以上、着いたのが13時。お昼を食べにまたもや足は中華街へ。(アジア人である。お米や麺類が食べたくなる)そこで海鮮焼きそばを食べ、食後疲れた足と体を休めるため、ナショナルポートレイトギャラリーへ。そこのカフェで、持参した外山滋比古先生の本を読む。

約2時間ほど過ごして、ウエストエンドを散策しながら、コベントガーデンの周りを彷徨き、17時オペラハウスへ。そこのカフェ(街中の雑踏のカフェよりも、本を読むには最高なのである)で、18過ぎまでまたもや読書、外山先生の本を読み終えた。

異国では、日本語が染み入るように読める。お米が食べたくなるように、日本語が食べたくなるのである。午後七時前マチルダ観劇の為、ケンブリッジシアターへ。

マチルダ、74歳で、ミュージカルを49年ぶりにケンブリッジシアターで観る。先ず観ることが出来た事実の幸運を五十鈴川だよりに記せば足りる。

が、ほんのちょっと、装置、セット、照明、音響、衣装、振り付け、音楽、そして何よりも、子役から大人、30人近い全登場人物の、キレのある歌、一糸乱れず展開する、その転換の見事さ、圧巻は私の筆力では記せない。オペラ座の怪人、レミゼラブル、コーラスライン、マイフェアレディ、オリバー、などなど、オリジナルミュージカルはロンドン、ウエストエンド発である。

以後これからの人生でミュージカルを観ることはない。もう十二分に堪能した。地下鉄を乗り継ぎ宿に戻ったのが22時半、シャワーを浴び、一人ビールを飲み物思いに耽る。午前0時過ぎ電気OFF、眠りに落ちた。


2026-08-19

ロンドン6日目、朝、ハマースミスの宿で打つ五十鈴川だより。

 一人になって丸2日が経った。ハマースミスの宿で朝打っている。昨日のロンドンは終日雲でしのぎやすかった。今日も外を見るとどんより雲空である。さあ今日は何をしようかと思案している。夜はマチルダをみる。それまで時間はたっぷりある。昨日も打ったが、名所旧跡の類いには、関心が向かない。だから昨日は、ホテルにあった地図を片手に、ホテルでゆっくりブランチをして、ハマースミスからハイドパークまで、おおよそ二時間半休み休み歩いた。

ハイドパークにはホースロードが。

この突然の思いつき、雲り空だったから実現したが、快晴で、夏の暑さのなかでは、先ず思いつかなかった思う。地下鉄で、乗り降りするロンドンの人びとを眺め、バスから、街並みを眺め、最後はウオーキング、歴史的大都市中心部までをあるくことで体感したくなったのである。

理屈ではなく、74歳の体での想いでを、歩くことで刻みたかったのである。一歩一歩、歩を進める毎に視界が開け、歩く速度でしか感じられない風景が出現する。

古い樹齢は数百年は経っているであろう街路樹の立派さに見惚れ、導かれるようにただ歩く。街路樹もだが、公園やスクエアには、無数の大木(樫木、メイプルなどの広葉落葉樹)が存在していて、そろそろ秋の気配、ハラハラ舞い降りる落ち葉は、一本の樹木のそれだけで、気が遠くなるほど無数である。

その木の葉を掃いて集めて、大きなビニールの袋に入れている仕事をしている人を多くみかけた。さもありなん、誰かがこの美しい景観を守っているのである。

至るところにスクエアがあり、ベンチがある。そこで水を飲み、地図を広げ現在地を確認し、地下鉄やバスが走っているメインロードを歩く。午後2時(3時間近く歩いた)過ぎにハイドパークに着いて、広大なハイドパークのなかをほぼ一時間散策する。

大きなパークの中には池があり、白鳥や鴨をはじめとする多種類の水鳥がいて、親子連れが餌をやっている。長閑である。子供の遊具施設もある。狩猟犬の訓練をしている人もいる。樹齢数百年の大木の下で昼寝をしているひともいた。カップルも家族連れも、一人の人も、広大なハイドパークは、私のような異国の老人をも温かく受け入れてくれる。歩いたからこその喜びが体を満たした。

隣接するケンシントンガーデンの風景

疲れた足をしばし休め、お腹が空いたので、そこから94番のバスで(ロンドン市内のバスの充実は凄い、時間があれば、パスを買っていくらでも安く旅が出来る)ピカデリーへ。

とある場所で韓国料理のレストランを見つけた。そこで午後4時すぎ早めの夕食をとる。ビビンバとチジミとビールで十分にお腹いっぱいになった。

さすがに疲れたので、すぐに地下鉄ピカデリーラインで宿に戻ってシャワーを浴び、小一時間よこになる。午後八時夕闇迫るハマースミス界隈に散策がてら、水を買いにゆきく。その後は、部屋で眠くなるまで、外山滋比古先生の(文章を書く心)を読み、睡魔が来たので目をとじた。

PS 異国での一人時間、私にとって絶対的に必要欠かせないのが本である。本さえあれば、この年齢でもなんとか、私の場合過ごせる。49年前、翻訳シェイクスピアの日本語を、異国ロンドン、日本語の聞こえてこない環境で(今思えば)繰り返し読み続けたおかげで、あれほど文章を綴るのが苦手だったのに、今では五十鈴川だよりを打つのが、老人の楽しみのひとつになっているのだから面白い。

18歳から20代、追い詰められ続けた時代環境の中を(今もだが)、泳ぎ続けこの年齢まで生きてこれたのは、異国の地で日本語に出会えたからである。今、ハマースミスの宿を一歩出れば、人種の坩堝、異国の人びとで満ちている。嫌でも日本人であることをを強く深く意識せざるをえない。

人生の仕舞い支度を、始めねばと思う年齢に差し掛かり、予期せぬロンドンへの旅が、短い滞在時間ではあれ、全く日本語が聞こえてこない環境にいる。日本語で沈思黙考をするには、普段読まない日本語の本を持って、異国の地で読むのが、私にはいちばんなのである。