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2026-08-12

ドレスデン5日目の朝に想う五十鈴川だより。

 静かなドレスデンの朝がやって来た。昨日は午前10時過ぎにトラム(路面電車)でペーターさん、レイさん家族、私の6名で近くの小学校に隣接する、子供の遊具がたくさんある公園でノアとミアが小一時間遊ぶのに付き合い、そこから歩いて対岸に渡れる船着き場のある、エルベ河まで全員で歩いてゆく。

エルベ河、チェコエリアが源流ハンブルグまで流れる

その船着き場には古い建物のレストランがあり、もちろん夏なので外でも飲食できるようにテラスが用意されている。

そこで大人はビールをのみ子供はジュースとポテトフライなどでお昼小休憩をして、対岸の目的地、昔、ドレスデンの王様が住んでいた広大な森となって一般に公開されている、

レイさんが大学生の時によくかよった野外博物館に向かった。対岸までの時間は5分程度、ドイツ人は簡単に橋などをかけないところが素晴らしい。まったく風情も情緒もが台無しになる、と私は想う。

対岸は別世界であった。大木、大樹が広大な敷地を埋め尽くしていて、そのなんとも言えない、日本ではなかなかおめにかかれない景観に浸った。無数の多種類の大樹が良き間隔で整然と植えられていて、木陰がたっぷり、陽射しがきつくても施設の見学、散策にまったく問題はなかった。エルベ河からの風が気持ち良かった。レイさんが植物のことや歴史について要所要所を説明してくた。

王さまの館へと続く路

王様は特に世界の樹木や柑橘類、植物に関心、造詣が深かったみたいである。でないとこのような野外博物館は生まれ無かっただろう。後世の人々が気持ちよく多彩にくつろげる。ドレスデン市民にとって、エルベ河とこの博物館は、特に夏場心のオアシスなのだと、深く感じ入った。

二時間以上有意義な時間を過ごし、3時のティータイム(レイさんがコーヒーと是非食べて欲しいとチーズケーキをご馳走してくれた)を済ませ、エルベ河に沿って歩き、川が氾濫したときの年代の水位の高さの記録なども興味深く見いった。近年では24年前、2002年、レイさんが高校生の頃の大氾濫ではドレスデンの街が水没したそうである。

日本も水害が多いのだが、いずこの邦もいろんな歴史をくぐり抜け、その事実を後世に伝えている。

午後四時過ぎ再び船で渡り、なんとそこから約30分、レイさんと娘が12年前(訂正する、ドレスデンは12年ぶり)2014年結婚式を挙げたレストランまで歩いた。そこでエルベ河を見ながら、ゆっくりと早めの夕食をレイさんがお膳立てしてくれていた。5時過ぎ仕事を終えたアンケさんも合流し、家族水入らず美味しい料理をいただいた。ちなみに私はニシン酢付け料理を食べたのだが、美味しく完食した。 またもやレイさんにご馳走になった。(孫たち二人は食後レストランで飼っている二匹のウサギの餌やりに夢中であった)

食後アンケさんの運転で孫と娘と私は家に。レイさんとペーターさんは路面電車で家に。午後7時戻ってそのままガーデンに直行、レイさんのお友達男女がチェコのプラハから訪ねて来たからである。

しばしドリンクタイムに私も仲間入り、言葉の壁も何のその、最後は9時過ぎまで私も参加した。レイさんが用意してくれた焚き火の炎にみいりながら、この数日のあまりにも日本とは異なる、非日常生活に私は酔った。午後10自前、シャワーを浴び、ノアと共に眠りに落ちた。



PS いちばんしたの写真はペーターさんのガーデンの真ん中にある大きな冷蔵庫のあるキッチン小屋、日が暮れると灯りが点る。一気に夜の帳が降りて、星が瞬き始める。昨夜は最後までいたので、夜のガーデンを初めて満喫出来た。ペーターさんとアンケさんが丹精込め20年以上造り続けているガーデン、季節の花が彩る。果物も今はブドウが。家族、親族、友人、ふいの来客、異邦人がやって来ても、温かく迎えてくれる、魔法のガーデンである。家庭と言う言葉には庭が入っている。まさにペーターさんの家、庭である。この庭を一日一回は必ずゆく。最高の居場所、おもてなし場所である。

2026-08-11

ドレスデン4日目の朝に想う、五十鈴川だより。

 三泊し、ドレスデンでの旅生活にも、慣れてはいないが、ほんの少し、昨日の出来事を忘れないうちに、打っておく。昨日は車で片道二時間弱のところにある、二エベ川、向こうはポーランド、こちらはドイツ、国境を接する所に位置する、森の中にある子供の国のようなテーマパークへいって、お昼まえから午後5時までを過ごした。

部屋からの眺め。

出掛けたのは、娘家族4人運転はレイさん(レンタカーをかりた)、ペーターさん運転の車に奥さんのアンケさんと私が乗り、7人で出掛けた。往復お年多分70歳のペーターさんが運転、ベルリンの空港にもペーターさんがお迎えに来られ、その運転の技術にはまったく問題がなく、安心して、彼の運転にゆだねた。

往復ドイツポーランド間の風景をひたすら眺めたが、平原がひたすら続く、山がなく時折の樹木の林と牧草地や今の季節、トウモロコシ畑が続く。まさしくここはヨーロッパの邦である。

ドイツのアクセス、道路網の整備は素晴らしい。いちばん驚いたのは、ドイツのトラックの多さとその見るからに頑丈そうな車体である。時速100キロ以上、ガンガン飛ばして走る。ペーターさんは多くのトラックを追い越しながら突っ走る。日本であればまさに暴走老人である。が、ペーターさんはサングラス姿もも格好よく、年齢を超越した運転ぶりで行きも帰りも一回も休憩せず運転した。静かな物腰に、生きてきた風格存在感がにじみ出る。大人の人格(私とは大違いだ)その驚くタフネスぶりを一行打っておく。(レイさんが信頼しているのがよくわかる)

五時間以上遊んだテーマパークは、子供であれば大満足の森の物語(その地方の昔の物語)のテーマパークであったことを打っておく。暑かったので、ひっきりなしに水分補給をしながら、広い敷地を移動しながら孫たちが遊ぶ姿を(ケガをしないように)、追いかけた。最後、二エベ川の向こうはポーランドという国境地帯を眺めて、その森のテーマパークを後にした。

屋根裏に干した洗濯物

無事に帰り着き時計は午後7時、すぐに屋根裏部屋に娘が朝早く干した洗濯物を取り入れ、畳んだ。レイさんはレンタカーカーを返しに行き、ペーターさんとアンケさんは手早く夕食の準備、娘は寝ていて起きたミアのケアーに。ノアはマイペース。

ペーターさんは料理が上手である。アンケさんと二人であっという間に、有り合わせの品々、多種類のパン、多種類のチーズ、パンに塗るソース、サラミ、細いニンジン、果物、ブドウ、瓜など。ペーターさんが作ったトマトとチーズのサラダは抜群に美味しかった。夕食を終え、いちばん先にシャワーをいただくと9時、午後九時半ノアと共に眠りに落ちた。

PS わずか3日過ごして思う。本当にヨーロッパ、ドイツにいるのだと実感している。単なる観光旅行ではなく、レイさんの家族を訪ねる旅。異邦人を随所に感じる。普段レイさんとはほとんど日本語で意思疎通しているので問題はないのだが、ペーターさんやアンケさんと、三人での時間は本当に言葉の壁のもどかしさを感じる。こういった我が思いの複雑さも記しておく。きれいごとばかりではゆかない邦、文化的背景が異なる男女が結婚し10年後、いろんな諸々の問題を抱え込みながら、レイさんと我が娘は果敢に人生を歩んでいる。残りの時間可能な限り、娘夫婦の役に立ちたい。

2026-08-10

ドレスデン3日目の朝、目が覚めゆったりと打つ五十鈴川だより。

 ペーターさんの家、2階の個室、私に与えられている部屋から外を眺めながら打っている。夜明け前の静かな時間である。もう外は明るい。青いそらが大きな松ノ木の向こうに広がっている。ドレスデン3日目の朝である。2日間ぐっすり寝たので、ようやく時差ぼけも無くなりつつあり、早寝のおかげで早く目覚めたので、記録五十鈴川だよりを、とにかく打てる時に打っておく。

一番奥がヘルダさん

昨日は午前11時半近く、近所のバス停まで歩き、レイさん家族と私は10年前、娘の結婚式で泊まったホテルのガーデンレストランへ向かった。約15分位で懐かしいレストランに着いた。

そこに、レイさんのおばあさん、なんとお年92歳のヘルダさん始め、お母さんのシルビアさん他、ご兄弟、親戚(所用で来れない人以外すべて)が待っていて、レイさんの2年ぶりの帰郷を祝う、昼食会の為に待っていたのである。ノアやミア、子供の数も入れると総勢20名以上が。

最長老のヘルダさん主宰で、昼食会のすべてがまかなわれたとレイさん聞いて、改めてヘルダさんの凄さを垣間見た。宴は午後3時まで続き、再びバスでペーターさんの家まで戻り、くたびれて、横になって休んでいると、レイさんが起こしに来たのが午後4時半、昨日に続いてペーターさんのガーデンに行くと、そこには再びヘルダさんがいて、レイさんの弟さん、妹さん家族と、お昼の歓迎昼食会に参加でできなかった親戚のかたが終結しての連夜の、夕食会の準備が整っていてのである。

ペーターさん、アンケさんがほとんど家で準備してくださってくれていた。その数15名以上。ミアと同じ年の妹さんの男の子もいて、ミアは水遊びをしたり、大喜びでラグビーや、サッカーボールを蹴って無心にキャアキャアと走り廻っていた。

左からヘルダさんペーターさんアンケさん


私も夕食会の前、ミアや妹さんの息子と共に、年齢をしばし忘れて遊びに興じることができて、楽しいひとときを過ごすことが出来たし、何よりも最長老のヘルダさんが眼をほそめて、そのひい孫たちが遊ぶ姿を眺めていた。その事をきちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。

私の返事を打つと長くなるので控えておくが、あにはからんや、昼も夜もほとんど退屈することなく、この10年ぶりの、ご家族との再会パーティーの間は(レイさんと娘が通訳してくれたとき以外)一人一人のお顔や表情、仕草を、観察し皆さんの会話を異国の音楽のように聞いていたので、全く問題なかった。時折娘やレイさんペーターさん他、親戚の人生を感じさせるかたがたが、あらんかぎりの英語で話しかけてくれたことも忘れずに打っておく。

ドイツといえばビール、白ワインをペーターさんがタイミングよくサービスしてくれ、大勢で飲むお酒の醍醐味を74歳で私は久しぶりに堪能した。娘が縁逢って、結ばれし10年後、このような一期一会的な、異国の親戚との痛快な偶さかの夢の宴時間に遭遇する事のできた事実の嬉しは、格別と言うしかない。言葉を越えて人間はアイコンタクトで通じ会えるのである。案ずよりも飲食をともにし、共に遊ぶことである。

2026-08-09

8月9日、ドイツ、ドレスデンのペーターさんの家のリィビングルームで寸暇打つ五十鈴川だより。

 7日夕刻、17時半成田を発ち、10時間フライト、カタールのドーハ(素晴らしい初めて経由する未来を感じる空港でそのあまりの広さ、斬新なデザインに、浦島太郎はびっくり、やはり旅をしないといかんと思いました。体感しないと始まりません、あっという間に時間が過ぎました)で、四時間ストップオーバー、再びフライト、昨日ドイツ8日、現地時間朝の7時15分ベルリンに無事に着きました。レイさんとお父さんのペーターさんが迎えに来てくれていて再会、抱擁し、ドレスデンまでアウトバーンを二時間半ドライブお昼ジャストにペーターさんのお家に着きました。(ドレスデンまでの両側の松林が強く印象に残りました)

ガーデンでくつろぐ娘と子供

奥さんのアンケさんとも再会のご挨拶を済ませ、早速私とペーターさん、レイさんはビールで祝杯をあげ、無事の到着、久方の再会を喜びあいました。ドレスデンは快晴で涼しく、しばしの間、2階の部屋でお昼寝をさせて頂きました。

夕刻四時過ぎ、レイさんに起こされて、庭のペーターさんの菜園ガーデンに移動すると、すっかりバーベキューの準備が整っていてびっくり、詳細に綴る時間がないので、簡単に記しておきます。ペーターさん、アンケさんがあっと言うまに、人数分の椅子をテーブルに配置、ペーターさんが炭の火を起こして、手際よく肉やソーセージを焼いて、参加者のお皿に盛ってくれた。(夕食後は薪の炎にすっかり癒されました。ペーターさんが白ワインに氷を入れた🍷が最高のアフタードリンクとなり、睡魔がやってきました)

参加者は我々家族5名、ペーターさん、アンケさん、アンケさんの息子さんと、ガールフレンド、遠くアメリカから娘の大学生時代からの友人(結婚式にも参加してくれた)美藤ご夫妻、計11名での、日本語、英語、ドイツ語が飛び交う、静かな語らい、稀なバーベキュー最初の夕食会となったことを、一行五十鈴川だよりに記しておきたい。

菜園ガーデン、これの倍あります
しみじみ、じんわり、まさに夢のようなひとときでした。

この菜園場には、リンゴやラズベリーなどの果樹はもちろん、たくさんの野菜が植えてあり半分以上は芝生で幼児ようのプールもあり水遊びもできて、庶民の暮らしとは思えないほどに、住宅事情が異なっている、事を痛感した。楽しい時間は瞬く間に過ぎて、一番先午後9時過ぎに私がダウン、ノアをお風呂にいれ、午後10ノアと共に眠りに落ちた。

今朝は朝8時までゆっくり寝て起きると、レイさんが既に美味しい朝ごはんを準備してくれていた。頂いているとペーターさんが起きてきて、スクランブルエッグを作ってくれ、もちろん美味しく頂いた。朝食後レイさんがネットを繋いでくれたので、旅の第一弾をうっている。

リビングで打っているのだが、ノアはお勉強、ミアはそばで何かしらして遊んでいる。娘はノアのお勉強を見ている。レイさんは食器を洗っている。11にはお出かけする。後30ある。ベルリンについての最初の印象、当たり前、岡山とは文字から、町並み、風景全く異なる。文化的な背景、歴史が異なる国、人達の暮らしへの旅が本格的に始まる。時間を見つけて、寸暇打ち続けたい。

2026-08-07

8月7日、午前中、再び打つ孫たちへの遺言、五十鈴川だより。

 7日の7時過ぎ、紅茶、焼きポテトサンドイッチ(最高の美味しさだった)の朝食を終え、洗濯物を干しミアを保育園まで送って行きもどってコーヒーブレイク。娘は仕事をしている。12時前には成田に向かう。それまでちょっと時間があるので打つ。

先日も打ったが、わたしは仕舞い支度の人生時間を迎えているという、いい意味での自覚、意識がしっかりしていて、娘夫婦の役に立つお爺で在りたいし、なおかつ、心からやりたいと想える企画がやりたいという情熱がある間は、旅をしたい。(意味もなく日本とは異なる環境に身を置いて思想したい)

そう言う情動が、ドレスデンへの旅に同道したいという行為に表れている。娘の手が及ばないことを手伝う。共有時間を過ごす。ただそれだけで、老人であるわたしは嬉しいのである。話は脈略がないが、企画をすることも、全て、今、私の年齢で自然に振る舞えることに(労働が私の根底の生活を支えている、だから旅も企画も叶うのである)エネルギーを集中している。

飛行機の中で読む為に持参した文庫本

二十代、三十代、四十代、とそれぞれに私にとっての、大きな旅をしてきたが、五十代、六十代はいろいろな事情で(娘たちが巣だつまで)余裕がなく、大きな異国へ旅は叶わなかった。

それでも、三つ子の魂は止むことがなかったおかげで、今回の旅が実現する。その事の有りがたさは、例えようもない。いい歳をして私の心は成田の国際線ロビーに行くのが嬉しいのである。

最初のロンドンへの旅で私は国際線の空港が大好きになった。空港でいろいろな国の飛行機、異国の移動する人々の姿を見ることがなんともたのしい。それもこれも、やはりめったなことでは訪れない、偶さかな久方の旅であるがゆえの、旅人感覚が久しく忘れていた感覚を呼び起こして、年齢には不似合いな青春への回帰へとしばし誘うのだ。

が、明かに私は若くはない。きっと10年後は、五十鈴川だよりも打てないくらいに老い、大きな旅はできないかもしれないし、それよりも何よりも、妻には叱られても生きてはいないかもしれない。安心して老いる為にも、全力で今旅をするのである。そんなこんな想うと、今回の旅がいかに大事な旅であるのかが自覚できるのである。

少年老いやすく、夢叶わず終わる。が臆面もなく打っておく。18歳で小さな夢を抱いて日向灘の近くの小さな海辺の町を飛び出して、時代の荒波の中を息も絶え絶えに泳ぎ、あらゆる幸運に支えられて、生活しながら、埋没の危機を凌ぎつつ、未だに夢を(どんなに小さくささやかでもその人らしい他の人と比較しない)見ることが出来る事実に、諦めながらも、諦めなかったことが、結果実現化の運びになったのだと、おもえる。

よしんば実現しなくてもいいのである。要は挑戦しなかったら、何事も無し得ないし、扉は永遠に開かない。田舎者丸出しの私がチビリチビリ、脱皮するかのように、自分の眠っていた能力が開花、あるかないかわからない才能を信じて、今も歩んでいる。つくづく厳粛な綱渡り生活を持続してきた往生際の悪さが、幸運を招いたと思う。勇気は若いうちにこそ養える。その季節をないがしろにしたら、絶対に幸運は訪れないと断言する。

要は肝をくくる覚悟がないと、決して幸運は訪れない。孫たちに伝えたいことは先ずは生まれて来たことに、感謝することさえ見失うことがなく、自分のなかにコツコツと自信を、人と比較せず貯蓄(ため)込んでゆけばきっと、面白い自分の道が待っていてくれるのだと言うことを遺言しておきたい。


8月7日、長女のマンションで朝一番綴り打つ五十鈴川だより。

 昨日午前中、四時間ほど働いて午後1時過ぎの新幹線で上京し稲城の長女のマンションsに、18時半に着いた。駅前にタクシーがなく、久方ぶりに重い旅のキャリーケースを緩やかな坂道引きずって歩いたら、老いの体から汗が滴り落ちた。頑張って10分位歩くと、マンションの近くで娘とミアが待っていて、ミアは私を視界でとらえると、裸足で駆け寄ってきた。

ベランダに吊るされていたミアの靴

ミアは非常に警戒心が強く、好奇心が半端ではなく、ノアへの対抗心ももりもり、しかし邪心のない愛くるしさは(爺バカなのでお許しあれ)仕草はなんともいえない。ようやく会う機会の少ない私にも慣れてくれ、なんと一緒にお風呂にはいってくれた。裸足で汚れた足の裏を丁寧に洗った。

さて、娘はギリギリまで仕事をしている。今日も午前中仕事をしてから成田に向かう。昨日ゴーヤチャンプルー他の夕飯をテキパキと用意し、ミアは特性メニュー、3人で食事したのだが、レイさんとノアがいないのが、なんとも言えず、どこかつまり寂しくおもえた。(娘が私にハイボールを用意してくれていた、たった一本で酔った。朝労働したから疲れていたのだ)

私は午後九時ノアのベッドにそうそうに横になった。寝る前、ミアに本を読んで寝かそうと試みたのだが、やはりそこまでは無理で、最後はやはり娘が寝かしつけていた。朝の早い私はあっという間に眠りに落ちた。今朝は午前6時に起きて寸暇五十鈴川だよりを打っている。娘とミアはまだ寝ている。

さて今日は夕刻五時半、カタール航空で成田から、カタール経由でベルリンに向かう。私、娘、ミア3人でのベルリンまでの旅が始まる。どのような旅が待っているのか、私の高齢者旅が始まる。努めて時間を見つけて、いつもとは異なる印象に残った出来事を五十鈴川だよりに綴りたい、と思っているがさてどうなりますか。

2026-08-02

ドレスデン、ロンドンへの旅を前に想う、今朝の五十鈴川だより。

 老いては子に従い、妻に従う頻度が古希をすぎて多くなっている。その事を私は自覚している。そしてその事実をどこかで楽しんでいる。自分のエゴでずいぶん迷惑をかけたであろう、と思える申し訳なさと、もう充分に、我が能力を越えたチャレンジ、薄氷を踏むかのような(振り返るとよくもまあ、よく実現したものである)イベントをこれまで企画出来たことの満足感が、そう言う心境に至らせている。

映画のパンフレットにあった地図

61歳、中世夢が原退職で企画は一応の終わりを自覚し、それ以後は、やり残したシェイクスピアの音読に再挑戦、コロナで音読に終止符、古希から企画を再開したが、家族、娘たちには迷惑をかけてはいない。最近は精神的には応援してくれている位である。その事だけで私は充分に有難い。

もう充分に、時代の流れに置いてきぼりにというか、目まぐるしさについてゆく気もないし、つい行けない体と心で、あまり他者に迷惑を掛けず(喜んで賛同してくれる生き生きした高齢者の友人のみで)私の企画を、純粋に応援してくれる奇特なメンバーとチームを創り、今の年齢ならではの、小さくて意義のある企画を夢見る。

さて、ドイツはドレスデンから、飛行機でロンドン往復、ロンドンには一週間滞在する。40年ぶりのロンドンである。(妻との初めてのアフリカ、ケニア、タンザニア旅行で数日ロンドンにストップオーバーして以来)一口に40年、人生のおおよそ半分である。この年齢でロンドン再訪が叶うとは思わなかったが、ドレスデンに娘家族が里帰りしなかったら、一人でのいきなりのロンドン旅は実現しなかったのではと思う。

実現するのは、やはりレイさんと娘のおかげである。簡略に記す。今やあらゆることが電子決済である。移動、宿泊、買い物などロンドンは日本以上にデジタル都市社会に移行している。日本の浦島太郎の私では苦労するのが目に見えているので、航空券やホテルの手配の一切合切をやってくれたから、安心して行けるのである。

ほぼ旅立つ準備は終えている
(その上最初の3日間娘が同行してくれる。昔の杵柄、少し案内が出来るかも)

そう言う意味でも、老いたら子に従うのである。高齢者の一人旅、韓国や近い国ならばともかく、とおくの異国への旅は健康に動く体がないとまず楽しめない。

そう言う意味でも今回の高齢者での旅、どのような気分になるのかが、実に楽しみなのである。この8年間の高齢者労働のおかげで行ける。

心の底で、よしんば行けなくても行きたいという目的意識を持ち続けたことが大きい。私の場合、あらゆる事に目標、目的がないと情熱の持続が難しい。

それはイベントの企画でも同じである。心底企画したいという腹落ち感覚がないと情熱の持続がまず無理である。話は変わる。昨日ウカマウ集団のフィルム上映会を最後の企画にしたいと打ったが反省する、まだ実現化していないのだから。実現化したときにどのような気持ちになるのか、ならないのかにゆだねたい。

と言うのは、私はアフリカには何度も足を踏み入れ企画がなったたが、ラテンアメリカ世界は未踏である。一日でもいいから中南米の(ボリビアかペルーかアルゼンチン、または高齢者に負担のない低地国への)どこかの国へ旅をしたいという欲求が湧いて来たのである。そのためにも、叶うことならば、後数年額に汗して労働したいと想うのである。実現を夢見る高齢者の私である。