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2026-10-21

ガブリエル.ガルシア.マルケスの講演録を読んで想う、老いの伸び代、今朝の五十鈴川だより。

 起きてコーヒーを淹れようかとおもったらコーヒーが切れていた。そこで夏ロンドンで買ってきた紅茶を淹れ飲みつつ、五十鈴川だよりタイムなのだが、いつものようにはすんなり一文が紡ぎ出せない。

五十鈴川だよりを打ち出して、15年になるが、打つだけで、だんだん文字が書けなくなってきつつある、ような気が最近とみにする。頃合い、潮時というものが何事にもある。ものぐさな私だが、毎日ではないにせよ、よく15年も五十鈴川だよりを打ち続けてきたものである。

そろそろもう、ここらで一区切りを、という内なる声がしてきている。手で文字を書きたいというおもいが一段とましてきている。どちらもバランスをとって続ければいい、とも考える。が、もう現段階では、五十鈴川だよりは充分に打ち尽くしたというおもいが私にはある。

先日、次兄と電話でちょっと長い話をしたさい、親父が残した書があるので、私にくれるという。次兄には子供がいないので、子供のいる私に手渡したいらしい。次兄とは私が小学校六年生から(父の転勤で)転校し、高校2年生で実家にもどるまで別の生活を余儀なくされていたし、性格もまるで異なるので、会話の接点がすれ違い、要するに、あまり密な関係性は築いていなかったので、ちょっと驚いている。


だが、その事、亡き父の書が契機になり、次兄との関係性が、互いに古稀をすぎて意外な展開になりそうな気がしてきている、のだ。長くなるので簡潔に打つ。五十鈴川だよりを打つ時間を手放し(完全には無理だが)、来年後期高齢者になるのを機に、手で文字を書く、わけても筆で文字を書く、老いゆく時間が過ごしたくなったのである。

上手いとか下手であるという次元ではなく、ただ手で自分の感触、他のだれのものでもない自分の筆跡の文字で、お便りを書いたりするひとときをこよなく大切にしたい、のである。だからこれから、五十鈴川だよりを打つ回数は減ってゆくことは間違いない。

書を始めることと、ウカマウフィルム作品を上映会を企画することは、まったく私のなかでは矛盾せず、どちらかと言えば繋がっている。もう何度も打っているので控えるが、一冊の本を読む、一回のフィルムを見る、前と後で、老いゆきながらも何かが自分のなかで変化している、のだ。老いの伸び代、とよいほうに考えたい自分がいる、のだ。

確かにあらゆる事が(生来のものぐさ)、億劫になりつつある自覚があるのだが、今まで関心が無かった領域への読書の幅の広がりや、書をやりたいという情熱が湧いてきたりもしている。その事にただ正直に生きたい、ただそれだけなのである。猪風来美術館の土手の草刈りなどの情熱も、老いゆくなかでの変化なのである。

話に脈絡がなくなるので、ここいらで止すが、今日の夕刻レディオモモに出演する。74歳にもなって、ラジオ出演への依頼があるなんて、面映ゆいが、何と20分おしゃべりする時間があるという、身から出た錆びだと引き受けたが、多分最後になるだろう。

話は変わる。昨日、ガブリエル.ガルシア.マルケスの(講演が苦手だったという)貴重な講演記録の本を読み終えた。百年の孤独を始め、ラテンアメリカの作家の本を私はこれまでの人生で手にした事がない。心から手にしてよかった。本物の文学者の声は異国の老人の私にも、翻訳日本語で届くのである。本物の文学者の希望の声は国家、国境を自由に越え届くのである。

2026-10-18

妻不在の週末、家事の合間、未知の国に関する本を読み、想像力を拓き考える五十鈴川だより。

 時折の妻の不在は、私から一切の甘えを許さなくなる。当たり前のことだが、買い物掃除選択、花のケア、生活のすべてを一人でやらねばならない。だから時折の妻の不在は私を嫌でも活性化させる。今朝はいつにもまして早く起きて、普段は妻がやってくれている細々とした雑事を片付け、洗濯機のスイッチを入れた後、五十鈴川だよりに向かっている。(うち終えたら干す)

昨日も打った。だから特段に打つことはないのだが、年齢的に一日一日をきちんと過ごしたいという、老人願望が、(いいことなのかどうなのかと言うことは一先ずおいといて)きっと私をして、五十鈴川だよりに向かわせる。(のだ)

若い頃、演劇を学んだことが大きいのだなあ、と、時おりこの年齢で感じる。演劇の素晴らしさは、根源的にその一回生が全てである。生ではなく、録画や映画は繰り返し視聴が出来る。(もちろんその素晴らしさはある)が、今日という一日は今日だけである。その事を、老いつつ、ますます有難いことだと感じる私がいる。

想像力を鍛えたい

世相や世間のニュース報道などとは無縁の時間を意識的に過ごしている。無関心ではもちろんない、今の報道はあまりにも世界の真実には程遠いと想うからである。もっと言えば、聞こえてこない、見えない、未だ知らない、真実の叫びを伝えている、映画、ルポルタージュ、文学、論考、新聞などなど、を読み、見て過ごしたいのだ。

昨日も、夕刻の散歩以外は、終日部屋で本を読み、合間家事仕事をこなして妻不在の一日を過ごした。無痛、無感覚ではいられない。世界の至るところ特にパレスチナをはじめとする辺境の地で、(打つのがむなしいほどに)理不尽な特に宗教的な大義のもとにに信じられないくらい多くの人びとが、現代ハイテク無人機や弾道ミサイルで殺されている。

このようなことが続いて良いわけがない。それくらいの心情(信条)しか私にはない。一人一人が自分の事として考え、発言行動するしかない。突然の明日は我が身になってしまうくらいの想像力は持ちたいものだ。

夕刻の散歩、空には三日月🌛涼しくなった。行くところは運動公園がほとんどである。せいぜい30分もいない。泰山木の樹の近くのベンチで靴を脱ぎ、裸足で15分くらい歩く。その間二回、鉄棒にぶら下がる。本を読むと背中が丸くなるので、努めて背筋を伸ばす。懸垂も試みる。できなくてもいいのである。ただ意味もなくぶら下がり試みる。

無理はしない。一回の懸垂を続けたいという願望が湧いてくる。裸足散歩は真冬と真夏以外の季節の良いときに、手術以後継続している。他にも書いてはいないが手術以後、ささやかに老いゆく体に負担のない範囲で続けていることがある。健康に老いてゆきたいという願望は、やはり孫の存在が大きい。


昨日上京している妻から、三年生、ノアの運動会の動画が送られてきた。成長してゆく孫たちの姿は、老いてゆく者の眼福である。が、一方では理不尽極まる環境、第三世界という言葉でくくられる世界を、生きている子供たちのことが、時おり脳裏をかすめる。

脳裏をかすめる体が健在である間は、何か企画したい私がいる。絶対矛盾を抱えながら、ウカマウフィルム作品を企画自主上映したい。

PS 右の写真の本、ガブリエル.ガルシア.マルケスの評伝今年出たばかりの本である。元気な間、一冊でも、未知の国の特にラテンアメリカの作家の本を読みたくなったのは、ウカマウフィルム作品の伴走者、太田昌国先生の本を読んだからである。

コロンブスがアメリカ大陸に上陸して後、500数十年の世界の歴史を先生の本でほんのわずか知っただけで慄然とする私がいる。


2026-10-17

太田昌国先生の本を、早朝と夕刻、ちびりちびり読み進む、そして想う秋真っ盛り、朝の五十鈴川だより。

 18歳から、いわゆる知的労働とは無縁の、どちらかと言えば肉体労働に従事してきた私は、お休みの日の朝、特に午前中は意味もなく嬉しい。木曜日から来週水曜日まで、妻が娘たちのところに上京しているので、猫の花との生活である。娘たちが家庭を持ち、とくに両家庭に孫が生まれてからは、犬のメルがいたので二人での上京は叶わなかった。

メルの遺影、夜妻は蝋燭を灯す

9月20日メルが召され、妻としては久しぶりの上京である。妻のことを五十鈴川だよりに打つことを、妻は嫌がる。

だからほとんど妻のこと、とくにメルが5月体調をくずしてから召されるまでの、私がそばにいて感じたことを打つことは控える。が、一行どうしても打っておきたいのは、メルに対しての、その愛情の深さである。一言、私は感動した。

共に暮らして40年、メルの最後を二人で見送る事が出来て、本当に良かったと想っている。妻は私の不在の間(夏休みの旅もウカマウフィルム作品を見るための上京も許してくれた)もメルの介護に献身した。共に暮らした生き物を看とる崇高さを私は目撃した。

猫の花も相当に老いているが、今も元気である。メルほどには手がかからない。だから、そんなに長い旅でなければ、これから二人での旅を、生活の範囲でやりたいと私は考えている。が、妻は動き回るのが好きではないので、どうなるかは彼女次第にゆだねたい。別行動をしてはいても、どこか信頼感で繋がっている。それが私には自然である。

夜、いつも側にいる花

さて、話を変える。あくまでも生活をしながら、この秋、まさに読書をして過ごす時間が増えている。7月4日、ウカマウフィルム作品に初めて接して、50年以上ウカマウフィルム作品に伴走して来られた、太田昌国先生と面識をえたことで、30年以上前に書かれた先生の本をちびりちびり読んでいる。先生の本はあだやおろそかに読める類いの本ではない。

この年齢で、あらためての無知を知らされ、どこか愕然とする自分がいる。高齢ではあれ、愕然とする自分にすがり、ちびりちびり読み進む。私の貧しい知的な胆力では、時に読み進むのが険しさがを増すのだが、先生の文章は私を撃つ。

(知らない名前の政治家、文学者、人類学者、宗教家、そして中南米の未知の邦の地名が随分出てくる)自分のあまりの無知にどこかたじろぐ、このような視点での論考を今まで読んでいなかった、こなかった自分が時に恥ずかしくなる。(先生の論考は際立って鋭い、安全な居場所で高所から発言する識者には容赦がない、ストイックなまでに自分にも厳しい)ノンポリの私を撃つ。

が、高齢遅まきではあるが、先生の文章に引き込まれる自分がいる、のが救いである。その感情は何処から湧いてくるのかは謎にしておく。視座を変えれば、かくも世界は相貌を変えるのである。長くなるので控えるが、先住民アイヌの歴史、北米インディアンの歴史、中南米の歴史、パレスチナの作家、ガッサン、カナファニーのこと、などなど、眼からうろこの論考に驚かされる。学ばねばと想う。企画をすることは未知の世界に謙虚に耳を傾ける勇気を養い、現在の自分の総体を問い直すことである。



2026-10-14

ウカマウフィルムフィルム作品に出会えたことで、未知の世界の蒙が拓かれる今朝の五十鈴川だより。

 昨日は、午前中働き、午後ちょっと家庭の事情があり、午後3時から5時まで再び労働した。もう行くのをよそうとも思ったのだが、私の足はバイト先に向かった。午前中やり残した所のつづきの片をつけた。相棒に任せてあまり乗らない大型の草刈り機で広い敷地を刈る。人っ気のない中で、一人機械を動かし予定の面積を刈り終えた。日の入りがずいぶん早くなり、日本人としての私の情緒を、揺れるすすきがくすぐる。


基本普段、午後9時過ぎには床につき、朝4時か5時には起きる私の高齢者生活、日が暮れるととたんに、体もおやすみモードになり、思考力も働かなくなる。が、ぐっすり眠ると、不思議なほどに疲労回復、五十鈴川だよりを意味もなく打ちたくなる。いまやひとつのリズムを刻む健康法と化している。

話は変わるが、私は宮崎の日向の高校を卒業し上京、大学で学んでいないせいかも知れないが、健全な知的コンプレックスのようなものが、未だ私のなかに根強くあるのを否定しない。

おそらくそのトラウマ的な心性が、無意識に今も私を何かに駆り立てる原動力になっているのかも知れない。誤解されても構わないが、この年齢になって大学に行かなかったことが、私の場合よかったのではないかと、最近とみに考える。

学歴が無かったことで、特に世の中にでての数年間、ずいぶん悔しいおもいをしたことがあるのも、今となっては塞翁が馬である。世の中、世間に鍛えられ、何とかいまも生きている。元気なうちに思い出のあれこれを書いておきたいという気持ちもあるけれど、いまはまだ企画したいこともあり、振り返るのは今しばらく先送りしたい、気持ちのほうが強いわたしである。

話が変わるが、来年ウカマウフィルムを自主上映する場所として禁酒会館の予約が出来た。その事の安堵を先ずは五十鈴川だよりに打っておく。40歳から自己満足企画をはじめて、(途中10年は企画していない)70歳から再び企画を再開しているわたしである。

我が家のスダチ

おそらく、ウカマウフィルム作品でなければ、自分でもこれほどの情熱は湧いてこないであろう。厚顔無恥、手前味噌を承知で打つが、7月4日ウカマウフィルム作品を観てからというもの、老いの身に新たなエネルギーが注入されたかのような日々を送っている。

これまで手にしなかった本を、この3ヶ月以上、炎暑の夏も今も、ちびりちびり読む生活を持続している。疲れると、気分転換にウカマウフィルムの存在を知らしめた長周新聞を切り抜く。人工AIデジタルライフとは真逆の生活(絶対矛盾を抱えながら)である。正直、後期高齢者直前、このような知的刺激を受けるフィルムに出会うことになろうとは想いもしなかった。

くどくどながなが綴ることは控えるが、ウカマウフィルム作品は、私の老いの細道の足元を照らす、哲学的希望を示唆する、といっても過言ではない。秋が来て、岡山の県立図書館にゆくようになった。太田昌国先生の本をちびりちびり読みつつ、未知のラテンアメリカに関する本も、限られた時間にちびりちびり読みたい、わたしである。


2026-10-12

天高く、秋晴れのなか猪風来美術館の野焼き祭りにスタッフとして参加、翌日記録を打つ五十鈴川だより。

 昨日は猪風来美術館の秋の野焼き祭りに、終日スタッフとして参加してきた。その細々、一部始終を綴り打つには、今朝の私は限りなく疲れている。やがては高齢者細々、五十鈴川だよりになるであろう。が今は、疲れてはいても、いちぎょうでも五十鈴川だより記録として打っておきたい、わがまま老人の私がいる。

天地に咲く焔

前回、我が相棒と雨の中での草刈りをやった際に、行く手を阻んであまりある蔓の強靭極まるしたたかさに、ある種の恐れを抱いた私は、密かにわずかではあれ、次回の草刈りがいくばくかでもスムーズにできるように、根は採れないににしても、蔓を取るべく、ギザギザの付いた小さな鎌と、手のこぎり、剪定バサミを持参した。

着いたのが8時15分、すでに野焼き場、のろには火が入っていた。私はスタッフ、野焼きが終わり、片付け、撤収まで時間があるので、午前中休み休み、急斜面の蔓とりに勤しんだ。さいわい急斜面にはだれもいないので、ひとりでトレーニングをするような案配で手強い根と格闘した。老人と海ではなく、老人と斜面の蔓である。

バイト先でも何回かフェンスを覆う蔓と格闘した経験があったのがさいわいした。きっと縄文人は生活の中で蔓を重宝し、編んで石を運んだり、あらゆる用途に想像力をフルに発揮していたに違いない。私のような紋切り型現代人には及びもつかないようなやりかたで。

正味二時間程度で作業を終えたが、思った以上に作業が捗り、お腹がすいてのお昼のカレーが本当に美味しかった。法曽焼き同好会の会長kさんが冷えたノンアルコールビールをそっともってきてくださった。その美味しかったこと、快晴の秋晴れの下で、飲むその旨さは、心使いとともに染みた。

午後1時には野焼き作品が焼き上がり、作品を取り出し、何名かの作品が表彰され、最後は参加者の縄文ダンスで野焼き祭りは滞りなく終えた。私はスタッフとして見届け、すぐに会場の片付け撤収に動いた。猪風来美術館を21年間スタッフとして支えてきた法曽焼き同好会の会長他、その場に居合わせた、参加者も含め、皆さんが黙々と動いた。テントを丸め、テントの骨組みをばらして縛る。椅子や机を倉庫にしまう。皆の動きが素晴らしい。

生まれでた縄文スピリット作品

一丸となって動いたので、予定よりずっと早く片付いた。午後3時前、忙しくしていた猪風来さんとよし子さんに、挨拶だけはして(よし子さんがお弁当やお菓子、ブドウをくださった)猪風来美術館を後にし、家には5時前に着いた。妻はまだ仕事から戻っていなかったので、簡単に二人分のパスタを作っていると妻が戻ってきた。お風呂を済ませ二人で夕飯、午後8時夕飯を済ませると、瞬く間に睡魔がやってくる。

ところで猪風来さんは私より年上、来年80歳を迎える。北海道時代、新見の法曽での今回も含め、50年で300回以上の縄文野焼きを継続している。縄文造形世界に神秘的なまでに魅いられている稀人である。手ほどき、教えた人はのべ4000にも及ぶという。

野焼きのクライマックス、炎が十数メートル吹き上がる。猪風来さんの雄叫びが天地に木霊する。そっと見守るよし子さん。スタッフとしてお声がかかる。光栄である。一年でも長くスタッフとして参加したい、私がいる。


2026-10-10

昨日、太田昌国先生から2通のお葉書を頂き、長周新聞に寄稿された、学園坂スタジオ主宰、Tさんの記事を読んで想う、今朝の五十鈴川だより。

 昨日午後、瀬政さんと二人でウカマウフィルム作品自主上映のための、禁酒会館の使用申請に行った。指定用紙に使用日の諸々を二人で書き、確認し、担当のかたは不在であったが所定の場所に置いてきた。申請日は12月8日の午後(機材持ち込み事前に試写をする)と来年の、3月13日、5月8日、7月3、9月4日、11月6日いずれも土曜日午後である。全ての日にち、予約が叶う事を祈るのみである。

Tさんの長周新聞の記事

瀬政さんに、岡山駅まで送ってもらい、家に帰ると、何と太田昌国先生から封書に2通のお葉書と、2027年の上映フライアーが入っていた。また、東京小平の学園坂スタジオで、ウカマウフィルムの全作品を隔月でしている主宰者であるTさんが10月7日に寄稿した、読みごたえのある記事が掲載された長周新聞も届いていて、嬉しい二重の喜びが重なった。

学園坂スタジオを主宰するTさんとは、7月、9月連続2回学園坂スタジオでの上映会で面識を得、ショートメールをやり取りする関係性になっていて、近々長周新聞に記事が掲載されるのを知らされていたので楽しみにしていたのである。一読、このような記事を書けるほどの内実があればこそ、自分のスタジオで、ウカマウフィルム全作品が隔月で上映できるのだと得心した。

有志による岡山での上映会にも全面的にバックアップしてくださっている、のが心強い。相棒瀬政さんとも話し合い、小さいスペースで、学園坂スタジオで上映しているように隔月で岡山でも全作品の上映会を、何とか実現したいのである。沖縄のGさんとの出会いで長周を購読することがなければ、ウカマウフィルム作品をみることは遠退いていた(無かったかも)かも知れない。


そのような偶然性も、都合よく必然的に考えたいと思う、高齢厚顔なわたしである。Tさんのご年齢は存じあげないが、おそらく私よりはずっとお若いと思う。そのような方と世代を越えての連帯、関係性を深められるのは、企画した、行動したものにのみあじわえる果福である。

だが、まだ施設使用申請を終えたばかりである。施設受理の知らせがないと決定した事にはならない。全てはそれからである。が、いずれにせよ、私のなかでは(おそらく瀬政さんも)肝は決まっている。

学園坂スタジオのTさんとの連帯感、信頼感の深まりは、ちょっと言葉にはならない。一滴の輪の(和の)拡がりは、フィルムを上映することでしかない、と考える。

私自身がウカマウフィルム作品をみることを通じて、ちびりちびり、謙虚に学んでゆきたい。よき高齢、晩年時間を仲間と共に過ごしたい。。



2026-10-07

太田昌国先生、1991年刊行の本[鏡のなかの帝国]を、ちびりちびり読み進めつつ想う、今朝の五十鈴川だより。

 水曜日、今年から労働はお休みにした事で、後れ馳せながら、あらためての無知を知らされ、学ぶ読書時間が増えている。一口に学ぶといっても多岐にわたる。経験し、体で学ぶ。例えば先日も打ったが、雨の中で急斜面の草刈りをする、何てのも、私にとっては、実践的な学びと認識している。両方、私には必須である。

雨の中でも働いている方などを、たまさか眼にしたときなど、我が身の想像力が及ぶのは、自分もやった経験がいささかあるからだろう。厚顔に打つが、古稀を過ぎての労働はさておき、知的渇望、本を読み学ぶ悦楽は一段と深まっている気がする。(のろのろ亀のように読む)

狭い範囲の本しか読んでこなかったという反省、気付きが最近とみにしている。読書世界の水先案内人としての先生は、松岡正剛先生である。これはという本は再読する効用を先生は説いている。同じ本を年齢を重ね再び手にすると、以前読んだときには、全く心が動かされなかったとところが、染み入って来る。あたかも脳内ニューロンのシナプスが、老いつつも活性化し、幸せホルモン、セロトニンが分泌される気がする。

下記に記します。

話は変わるが、ウカマウフィルム作品を見たことで、以前だったら手にして、まずは読まなかったであろうと思う、太田昌国先生の本、1991年に出版された[鏡のなかの帝国]を労働の前にちびりちびり読み進めている。草取りするような案配でのバイト先の倉庫での読書である。

今やこの倉庫は私の方丈の庵と化している。家で読む本と倉庫で読む本はことなる。これまで私は、勝手に政治的に思えるような分野の本(先生の本は全く政治的ではない)はほとんどといっていいくらい手にしてこなかった。痛く反省する。

ウカマウフィルム作品に出会ったことで、必然的に先生の本を読みたくなったのである。(今半分ほど読んだところだが、今さらに蒙が拓かれている)手にして良かったというおもいが五十鈴川だよりを打たせる。

私は政治にはアレルギーがある。(世の中に出てから、今もめするこの国の政治家の顔はなんとも魅力に欠けるのだ、多くを語りたくないほどに)。40歳、都会暮らしに決別し、岡山での第2の新しい生活のなかで、気がつくと、主にアフリカ、アジア、エリアの音楽を企画することで、ちびりちびり学んできた、と思える。

先生の本、ページをめくるごとに、自然な人柄がにじみでる真摯な文章に、学ぶことの大切さを深く教えられる。先生は若い頃から埴谷雄高著、[幻視のなかの政治]などを読破しているのだから、恐れいる。世代、生まれは異なるが、出会ったのである。難解な本も読もうと思う。怖れる必要はない。自分が変われば、出会うべき人や本に出会える。そんな風に最近思える。

いずれにせよ、ウカマウフィルム作品を通じて、太田昌国先生と出会えたことで、ラテンアメリカ世界の本を読みたくなったことは確かである。著者の声が、聞こえて来るかのような本、先生推薦の本を読みたい。(時間は有限なのだ)企画をすることは、私の場合学ぶ事と同義である。だが、肩に力のはいった読書は私には出来ない。草刈りと同じように駆り立てる、苦楽の喜び読書である。

PS 太田昌国先生の思考の軌跡が辿れるご本である。岡山で、ウカマウフィルム作品を製作順に、東京小平の学園坂スタジオと同じように自主上映しながら、先生のご本もまた、順次、ちびりちびり読みたい、と考えている。