ページ

2026-08-02

ドレスデン、ロンドンへの旅を前に想う、今朝の五十鈴川だより。

 老いては子に従い、妻に従う頻度が古希をすぎて多くなっている。その事を私は自覚している。そしてその事実をどこかで楽しんでいる。自分のエゴでずいぶん迷惑をかけたであろう、と思える申し訳なさと、もう充分に、我が能力を越えたチャレンジ、薄氷を踏むかのような(振り返るとよくもまあ、よく実現したものである)イベントをこれまで企画出来たことの満足感が、そう言う心境に至らせている。

映画のパンフレットにあった地図

61歳、中世夢が原退職で企画は一応の終わりを自覚し、それ以後は、やり残したシェイクスピアの音読に再挑戦、コロナで音読に終止符、古希から企画を再開したが、家族、娘たちには迷惑をかけてはいない。最近は精神的には応援してくれている位である。その事だけで私は充分に有難い。

もう充分に、時代の流れに置いてきぼりにというか、目まぐるしさについてゆく気もないし、つい行けない体と心で、あまり他者に迷惑を掛けず(喜んで賛同してくれる生き生きした高齢者の友人のみで)私の企画を、純粋に応援してくれる奇特なメンバーとチームを創り、今の年齢ならではの、小さくて意義のある企画を夢見る。

さて、ドイツはドレスデンから、飛行機でロンドン往復、ロンドンには一週間滞在する。40年ぶりのロンドンである。(妻との初めてのアフリカ、ケニア、タンザニア旅行で数日ロンドンにストップオーバーして以来)一口に40年、人生のおおよそ半分である。この年齢でロンドン再訪が叶うとは思わなかったが、ドレスデンに娘家族が里帰りしなかったら、一人でのいきなりのロンドン旅は実現しなかったのではと思う。

実現するのは、やはりレイさんと娘のおかげである。簡略に記す。今やあらゆることが電子決済である。移動、宿泊、買い物などロンドンは日本以上にデジタル都市社会に移行している。日本の浦島太郎の私では苦労するのが目に見えているので、航空券やホテルの手配の一切合切をやってくれたから、安心して行けるのである。

ほぼ旅立つ準備は終えている
(その上最初の3日間娘が同行してくれる。昔の杵柄、少し案内が出来るかも)

そう言う意味でも、老いたら子に従うのである。高齢者の一人旅、韓国や近い国ならばともかく、とおくの異国への旅は健康に動く体がないとまず楽しめない。

そう言う意味でも今回の高齢者での旅、どのような気分になるのかが、実に楽しみなのである。この8年間の高齢者労働のおかげで行ける。

心の底で、よしんば行けなくても行きたいという目的意識を持ち続けたことが大きい。私の場合、あらゆる事に目標、目的がないと情熱の持続が難しい。

それはイベントの企画でも同じである。心底企画したいという腹落ち感覚がないと情熱の持続がまず無理である。話は変わる。昨日ウカマウ集団のフィルム上映会を最後の企画にしたいと打ったが反省する、まだ実現化していないのだから。実現化したときにどのような気持ちになるのか、ならないのかにゆだねたい。

と言うのは、私はアフリカには何度も足を踏み入れ企画がなったたが、ラテンアメリカ世界は未踏である。一日でもいいから中南米の(ボリビアかペルーかアルゼンチン、または高齢者に負担のない低地国への)どこかの国へ旅をしたいという欲求が湧いて来たのである。そのためにも、叶うことならば、後数年額に汗して労働したいと想うのである。実現を夢見る高齢者の私である。

2026-08-01

酷暑の7月から8月に入った朝に想う、徒然五十鈴川だより。

 今の年齢で、大災害にあったら私はどういう心境になるであろうか。悲しいかな人間は当事者にならないとわからない。2012年わずか一日、東北の大槌町に瓦礫の撤去作業ボランティアに(生まれて初めて)出掛けたことがある。また我が家の側を流れる砂川の上流が決壊し、浸かった家の片付けにも、2018年7月、一日暑いなか出掛けたことがある。最初の孫が授かった年でもある。

ありがたや.ありがたやでの.老いの夏

この度の熊本地震は故郷の隣の県でもあり、若かったらきっと出掛けていたと思う。熊本には何度も訪れている。今年3月孫のノアと、私妻の3人で泊まりはしなかったがそこでレンタカーを借りて3泊4日旅をしたし、かなり復旧がなった熊本城も車のなかから眺め、市内をドライブした。

何年か前には長兄と、いつかは行かねばと思っていた、水俣病の展示施設を訪ねたこともあり、いずれにせよ、胸が痛む。

この酷暑のなか、被災されたかたがたの生活を想うと、言葉がない。だからただ黙って、自分の生活をするしかない。

この年齢になると、嫌でも死を、より身近に感じながら生活するようになる。若い頃よりも、体の諸機能が衰えてくると、眼にみえない世界への、想像力が、増して来るように思える。それは私個人の勝手な思い込みに過ぎないかもしれない。がその思い込みの深さを頼りに未知の世界に分けいってみたいという、老いのわがままを慈しみたい私がいる。

話は変わる。酷暑は続いているが、今日から8月である。明らかに季節は動いている。今週の金曜日には、ドイツ、ドレスデンに向かうので、思わぬ夏休みがすごせるのが楽しみである。今を生きる重要な仕事場をしばし離れ、まったくの精神の自由時間がいただける事の幸堪は、滅多には訪れないが故にしみいる。

何事もコツコツ意味もなく打ち込んでいると、思わぬことが起こるのを、私はこれまでの歩みの中で何度も経験している。

物やお金、名声、出世などの現世的な執着や欲望(もともと生特的に少ない)には、古希前の手術以後、ほとんど無くなり、ただ存在している有り難さに、想いを馳せる牧歌的庶民で、ただ在りたい。ただそれだけで充分という、現世的価値とは真逆の過ごし方を楽しんでいる。

下記に記します。

手前味噌だが、だからこそウカマウ集団のフィルムに、この年齢で自分でも驚くほど反応しているのだと想う。

ウカマウ集団のフィルムは、今の世をあまねく覆う、恐ろしく命を無慈悲にもて弄ぶ価値観の対極に位置し、私の身に付けたこれまでの価値観を根底から見直し、ひっくり返してしまうほどに、衝撃的なのである。(だからこそやりたいのだ)

もうこの未知のフィルムの上映会が元気なうちに企画できたら、もう他にやりたいことはない。7月4日、東京小平の小さなスタジオで、ウカマウ集団のフィルムに出会ってからというもの、以前と以後でまるで生活の時の流れが変わってしまった、と思える。(ほどに)

またもや変節してしまった。無知を照らす希望、中米、カリブ、南米、ラテンアメリカの国々のこの500年の歴史を、太田昌国先生のご本でほんの少し学んだだけで、何やら未知の世界に誘われ、老いてなおわくわくする。それもこれも、世の中に出て56年の歩みの上でたどり着いたのだと(たどり着けた)と思うと、感無量である。

PS 写真は次兄に、お前が持っていろと十数前帰省した際に預かった、亡き父が生前身に付けていた時計。動かないが捨てられない一品。整理していたら久しぶりに眼に止まり、これからは机の目に入る所に置いておく事にした。無言のエネルギーがいただける。私は引き揚げ者の末裔である。私が元気に生きていられるのは、父母をはじめとする死者と孫達をはじめとする生者のおかげである。

上の写真は長女が小さいころ植えたスダチの樹、すでに30数年今年も立派に実をつけている。

2026-07-29

酷暑を生き延びるための、労働と読書と昼寝で凌ぐ、そして五十鈴川だよりを打つ。

 私は生きている。亡き父が80歳をすぎ、ローカル新聞に26回、連載したときのタイトルである。思わず、このようなことを打つ五十鈴川だより、この年齢で、この暑さのなかの労働は体に堪える。だが私は堪えている。何故か。きっと希望、ガソリンのようなものが、一滴一滴、老いゆく体に、蓄積されてゆくかのような、いわく言いがたい自己暗示的満足感があるからである。

下記に記します。

高校二年生から演劇部に所属、18歳から20代のほとんど(生活費を稼ぐ以外)を演劇を学ぶ事に費やした私は、自己劇化というのか、どう考えても一回生の人生を、いかに劇的に生きればいいのか、いけないのか、というような、永遠のハムレットの問いの謎に、いまだ取りつかれている。そのような気がする。

人は時代や環境を選べず、生まれ落ちた場所から生き始める。千差万別の、各々の生を生きるしかないという宿命を追っている。だからあたりまえなのだが、日々自分に与えられし、今の体でのベストを尽くすしかない。今日は今日の体で、おのれを運ぶしかない。宿命である。

話は変わる。長女と未彩と私は7日の夕刻に成田をドイツはベルリン(そこからドレスデンに向かう)へ発つが、レイさんと息子の望晃(ノア)は、24日から一足先に発って、すでにドレスデンでの夏休みを過ごしている。レイさんは、ドレスデンでリモートワークが出来るので、少しでも長く、ノアにドレスデンでの夏休み、お父さんやお母さんとの時間を、と考えている、のだ。

すでに向こうでのノアの様子が写真で送られてきている。ノアは8歳にして、ドレスデンを始め、宮崎の私の故郷など、すでに多様な世界を垣間見ながら成長している。井の中の蛙的な世界しか知らず、18歳まで過ごした私とは大違いである。最初の我が孫がどのような人生を歩んでゆくのかが楽しみな私である。

(後何年、私にノアとの健康時間がすごせるのかはわからないが、こうやって少しでも綴っておけば、後年、お爺の気持ちが遺せる)

下記に記します。

話を酷暑の労働に戻す。雨が降らないので、草も成長が遅い。そのような今、私が炎熱のなか、ちびりちびり無理せず、集中力を持って勤しんでいるのが、屈んだ姿勢(時折這いつくばって)の草取りである。

正直数年前までは、苦手な作業(本格的にやろうともおもわなかった)だったのだが、達成感の喜びを体が覚えてからというもの、苦が楽に転じてしまったのである。(呼吸を整え、スクワット健康法くらいのつもりで取り組んでいる)

あくまでも無理せずなのだが、どこにどんな喜びが転がっているのか、わからない。退職された先輩、Tさんに特注で作ってもらった、特製の草取り道具が必需品、ワンラウンド50分位集中し、体調によって、4、5ラウンド、ラウンド毎に、休憩をたっぷりととる。季節によってやることは変わるのだが、ラウンドはほとんど変わらない。

この環境での労働が、よほど今の私に合っているのか、もうまる8年以上高齢者労働が続けられている。この熱暑もお盆を過ぎれば、と願う。熱射を避けての対策を講じながら、日々しのいでいる。

家では、昼寝と水浴びである。さっぱりした体で、ちびりちびり草取りのように本を読む。この繰り返しである。本読む集中力をキープするのには、草取りは特効薬である。

PS 上のの写真は10年前、レイさんが娘との結婚式のときに、西大寺の我が家のハッサクの種を持ち帰って植えたものである。10年後見事に育っている。家族が健やかに根をはるのも時間がかかる。レイさんは、ノアが昨年猪風来さんのところで作った縄文の小さな土偶も庭に置くと持ち帰りました。レイさんは、義理の息子であり、私の世代を越えた友達でもある。

下の写真は、太田昌国先生の現代企画室出版の、インディアス群書一巻、ドミティーラ.M.ヴィーゼル著、唐澤秀子訳、[私にも話させて](アンデスの鉱山に生きる人々の物語)です。岡山市の図書館にあったので、旅の空でじっくり読もうとおもう。

海堂尊著、[ゲバラ漂流]POLARSUTAR 491ページ、230ページを読み終えた所、無知を感じながら、読み進めている。著者が一冊の小説を顕現かするのに、どれ程勉強されているのかを、巻末に記されている参考図書群をみると、粛然とした思いになり、一行一行しっかりと読みたくなる。



2026-07-26

初めての異国ロンドン遊学以来、48年ぶりに一週間ロンドンへ旅をする、そして想う五十鈴川だより。

 我が青春の宝ロンドン日記は、私の書斎で48年間眠っていた。書斎の整理なんかの際とか、迷ったりしたときに、時折手にした事はあったが、今現在を生きることが優先し読み返したりしたことはほとんどない。妻にも見せたことはない。34年前、ケニア、タンザニアを旅した際、ストップオーバーし数日滞在して以来だから40年ぶり、初めての異国、ロンドン遊学から実に48年ぶりに、来月わずか一週間だが訪ねることになった。

ノート2冊分の記録が残っている

まあそのような訳で、ロンドン日記(生まれて初めて日記なるものを書いた)を開いたのである。滞在期間中、ほぼ一日も欠かさず記している。二十歳の頃、これからいかに生きてゆけばいいのか本当に行き詰まっていた私は、ある日突然日本を脱出する、したいと芯から思った。

目標をたてたら一目散、あらゆるアルバイトをかけ持ちしながら、最低一年間は異国で生活できる資金を調達すべく預金した。簡略に記す。ようやくメドがついたときには、私は25歳になっていた。

ロンドンに着いてからの行動記録がこの日記には余すところなくすべて記されている。お恥ずかしい程の文章力だが、あの当時の自分の、もう二度とは来れないだろうという思いが、行動記録を書いておかねばという必死さに繋がったのは間違いない。

(あの遊学がなかったら、私は中世夢が原で企画者を名乗ることはなかっただろう、企画は未知、無知との遭遇である)

そして思う。結果として書いておいて本当に良かったと。この年齢になって、改めて思う、青春時代は2度とやってこない。ずいぶんと遠回りしながら、この年齢まで生き延びてきて来て思う。あのとき、ロンドン遊学を思いつき、一年4ヶ月の滞在行動記録を記せたことが、その後の私を導いてくれているように思える。

何かを達成する、あくまでも自分らしく事を実現してゆく自信が生まれた、最初の成功体験となったロンドン遊学である。日本に戻ってから、いよいよ運命は幾つもの壁、試練を与えるのだが、この年齢まで乗り越えて来られたのはロンドン遊学のおかげである、と心から思える。

1977年8月9日、最初の日の日記

可愛いい子には旅をさせよ、と、若いうちの苦労は買ってでもせよ、は亡き父の言葉である。大学に行かず、行けず(本当に学校での勉強が苦手であった)世の中に出て、ようやく遅蒔きに、特にロンドン遊学で学ぶ事の大切さと、面白さを知った私である。

日本に戻って、文学座の研修生、シェイクスピア.シアター、富良野塾と遍歴、40歳から岡山移住、中世夢が原で、それまで蓄えられきたあらゆる体験、経験が無駄なく活かされたことは、間違いない。周り道に無駄はない。そして有難い事に、わずか一週間ではあれ、高齢者の私に再びロンドンへの旅が巡ってくる。

人生は私の場合、未知との遭遇である。真実は入れ替わる。世界は謎に包まれ、多様性の森羅万象に彩られている。

世界は不可解、理不尽、不条理である。だが、未だウカマウ集団フィルムにざわつく私がいる。ざわつく間は旅と企画がしたい。浦島太郎の私に、長女が最初の3日間同行してくれる。感無量である。


2026-07-25

酷暑の夏、与えられた夏休み旅行を前に思う、今朝の五十鈴川だより。

 酷暑、熱中症警戒アラートが発令されるなか、何とか持ちこたえ、五十鈴川だよりを打てる朝がきた。命の危険があるとの報道の最中、この年齢でアウトドア労働をする私を、妻は限りなく心配するが、もうやれないという判断は私がする。それくらいの矜持は持っていたい。

網戸にへばりつく今朝の蝉

世間では酷暑、酷暑との報道がかまびすしい。(もっともっと他に伝えて欲しい報道があまりにも少ない、正直NHKを始めとするメディアには失望している)私は栄養をよく採りよく眠っている(眠れる)おかげで、体調は五十鈴川だよりを打てる程に元気である。

昨日出来たことを今日もただやる、こなすだけである。のろけ承知で打つが、妻が私の体調管理に気配りしてくれているので、生きていられる。

中世夢が原から本格的に34年、一貫してのアウトドア労働に勤しんでいるからこそ、きっとこの年齢でも動けているのだとおもう。昨日今日身につけた動きではない。すぐ役に立つことはすぐ役に立たなくなる、との言葉がある。頭が忘れても体は覚えている。だからやれている現実がある。

この熱暑のなか、外で働いている高齢者を様々な場所で私は見ている。ゴミの収集車、ドライバー、工事関係者、農業従事者などなど、枚挙に暇がないほどに、報道されないところで人間はどっこい生きている。

その事を私は知っている。みんな日々踏ん張って生きている、のだ。報道されない庶民の生活に想像の羽を拡げる。一日一日みんな凌いでいる。その事の尊さを想う。太古から人は生活し、子育てし、命を終えてきた。永遠の一瞬、蝉の一生と変わらない。そして後は、けせらせら、なるようになる真実に従う。蝉が夏を彩るように、私の老いの夏をささやかに楽しみ彩りたい。

話を変える。来月7日から夏休みである。今年の春頃、レイさんがドレスデンに里帰りする夏休みに私も同行する旨を伝えた。前回も触れたが、もう後期高齢者、右往左往生きてきた我が人生、ようやくにして静かに、穏やかに生活し(一日でもながく労働しながら)、そして体と心に刺激をいただける、老いの時間に重きを置いた生活にシフトすることに決めたのである。

桑江良健さんに頂いた絵画

一年に数回、特に夏休み、どこか涼しいところで、集中して読みたい本が読めるような、わがままな、学び時間環境に、身をおきたい願望が強まる。ふるさと、北海道、東北、行った事のない場所で過ごしたいのである。お粗末だが、昨年まであまり年齢のことを気にしなかったのだが、明らかにもう私は充分に老人なのである。

世の中元気な高齢者ばかりにスポットが取り上げられる傾向があり、長生きをやたらに奨励する、ように思える。誤解されても構わないが、私はあくまで自然の摂理に従いたい。役目を終えたら蝉のように、というのが理想である。

いささか矛盾するが、労働出来なくなったら隠居したい。静かな隠居生活にあこがれる。その為に一年でもながく労働し、四畳半生活で足りるような暮らしにあこがれる、現在の私である。

2026-07-22

暑中お見舞を申しあげます。この酷暑の夏に夏休みがもらえる、そして想う五十鈴川だより。

 今年から体のことを考えて、水曜日はお休みすることにしたのが効をそうしている。管理の裁量を任せて頂いているおかげで、相棒とのあうんの呼吸で、お互いに譲り合って、仕事時間が調節できるのが一番に有難い。

8月7日から、2週間強、夏休みをとり、ドイツはドレスデン(娘の結婚式以来)と初めての異国、25歳のとき、一年4ヶ月生活したロンドンに一週間旅することにした。

下記に記します。

丸々、2週間以上の夏休みをとるのは、いつ以来か。ひょっとしたら岡山に移住してからは初めてかもしれない。詳細は割愛する。ある種の巡り合わせ、ピーンと来る感覚が健在なうちに行動しておかないと、絶対的に悔いが残るということを、古希を過ぎ意識しつつ生きている。(岡山移住後34年のご褒美旅行である)

そして今年はその事を、一段と痛感しつつ日々を過ごしている。(つもりである)おかげで日本の酷暑を避けての、思わぬ夏休みがこの年齢で過ごせる事の幸運を、すなおに心から嬉しく思う。

そして思う。もうそろそろ、毎年幾ばくかの長期夏休みをとりたいなあ、と想う自分がいる。世の中に出て56年、この年齢まで、在りがたき人生時間を右往左往生きてきた、これたのだから、我が命と心を静かに過ごす時間を、酷暑の間は避けて過ごすわがままな時間が持ちたくなったのである。

そうなると、これからの人生時間の夏休みがとても楽しみになってくる。それを有意義実現するためめに一番に必要なことは、健やかな体のキープと、少々のお金である。そして想う。人生のいよいよの晩節を、時折共有できるような友達に巡り会えるかどうか、はおそらく自分自身のこれまでのすべてが、集約されたかたちで現れてくる。(ようにおもえる)

生活全般を見直し、整理整頓を今年から本格的に進めている。人、本を始め、手離せない関係性を持続、もっと正直に打てば、気心を共有できる私にとって魅力的な人との時間を大一義に生きれば、全ては足りるという心境である。

パンフレットに記された作品名


そのような心境に至りつつある今、ウカマウ集団のフィルム作りに45年以上、今も関わり続けて来られた、太田昌国先生と出会ってしまったこの夏は、私の人生の総決算を、嫌でも見詰めずにはおかない。(いられない)

ホルへ.サンヒネス、ベアトリス.パラシシオスとの、奇跡的出会いから、45年以上の、国籍を越えウカマウ集団のフィルム作りに、金銭的にも、精神的にもバックアップ、伴奏されるその軌跡の物凄さは私を圧倒する。友情の深さには畏敬の念を覚える。

生きているうちに少しでも学びたい。ミーハー老人の私に何が出来るのかは分からないが、ささやかな企画者の総決算(小さい一滴企画)最後の企画に最もふさわしい、見たこともないフィルムに出会ってしまった事実に、企画者として忠実で在りたい。

PS 太田昌国先生の本を読んでいたら、海堂尊さんの本が記されていたので、写真が後先になったが、ゲバラ覚醒を先に読み終え、昨日からゲバラ漂流を読み始めた。フィクションだが、知らないことばかりで、想像力が刺激され年齢を忘れぐいぐい引き込まれる。旅の最後、親友ピヨートルが地雷を踏みいきなり死ぬ、老いの身に涙が。胸が締め付けられる。巻末に記されている資料の本は圧巻である。ゲバラが生きた時代のことを知ることは、現在を知ることにつながると確信する。老いたりとはいえ、わずかでも学ぶ大切さを学ぶ、酷暑の夏である。

下のの写真は先の上映会で求めたもの、これほど充実したパンフレットを他に知らない。ウカマウ集団のアウトラインが分かる。とにかく全作品を観たく思う。

2026-07-19

猛暑に対抗する熱さを。蝉の声、聴きつつ念う、老いの夏。今朝の五十鈴川だより。

 打ちたくはないが暑い。でもお休みだし、気分をあげてゆくためのルーティン五十鈴川だよりを打ちたい老人の私がいる。目の前には、送られてきた7月13日と15日の長周新聞が置いてある。長周新聞を購読してもうすぐ半年である。何度も打っている。わずか4ページの新聞は私の無知を知らしめるのに、充分である。

下記に記します。

高齢者生活の内面への刺激という意味において、今やこの新聞は私にはなくてはならない。数年前まで、大新聞を長年購読していてもウカマウ集団のフィルム創りのことは知らなかった。

多分掲載されることはあったのだろうけれど、記事が多すぎて、怠惰な読み方しかしなかった私の目が捕らえる事が出来なかったのだろう。

それとやはり、私の感性のアンテナが錆び付いていて、あまりにもの問題意識の欠如と、地政学的に遠い世界へのの無関心である。

日々の生活に、企画者としての感性が磨耗、埋没していたのだ。しかし古希目前のコロナウイルス感染症で、世界の価値観(私の価値観も)が揺らいでゆくのを体感し、私自身が大きな手術を経験し、この5年で3人の新しい命、孫との出会いが、根底から現在の私自身に反省、自省を強いたのである。(幸福とは何か、根底から今も思考し続ける、世界の不条理や理不尽への無関心は、おそらく自分自身への無関心でもある)

臆面もなく綴れば、謙虚に反省する体と心がかろうじて在ったからこそ、長周新聞に熱く反応したのだと想う。何故、お金、経済的にならない営為に自主企画を続けてきたのかを打つのは、五十鈴川だよりでは控えるが、いまはただこの新聞に、この年齢で出会えた事の幸運をのみ打っておく。

話は変わるが、今大地震で大変な状況にあるヴェネズアラ、(現職大統領を拉致するという信じられないアメリカの横暴、石油利権の)そのヴェネズアラが今年の野球のWBC で優勝した際の、あの熱狂的な選手達の歓喜、臆面もなく涙を流して喜ぶ姿に私はビックリした。

大リーグで活躍する多くの選手達が、アメリカを倒したときに見せた、あの子供のような喜びよう、うらやましいほどの純粋さは、何故かという疑問を私にいだかせた、のである。あのときすでに私は長周新聞を購読していた。以来中南米諸国の記事はきちんと読むようになっている。

この猛暑で、老いの体は日々生きるためだけで、エネルギーの大半を消耗している。が有難いとしかほかに言葉が浮かばないほどに、暑さに対抗する熱さ、未知のラテンアメリカ諸国の歴史、先住民の文化、アンデス世界を、我が人生で少しでも知りたいという欲求が、酷暑の夏を支えている。

先日も打ったが、正直このようなエネルギーが沸いてくるのが、不思議な夏である。でもまあ、深く考えるのはやめたい。我が体の自然な欲求に従いたい。わがままな企画者で在りたい、だけである。

PS 写真上は、2025年発行の、ウカマウ集団フィルムの、日本での45年にわたる上映交流記念パンフレットに寄せられた、ホルへ.サンヒネス(90歳を越えて現役である)のメッセージ。胸が打たれる。素晴らしい。

下の写真は7月13日日の長周の国際通信のボリビアの掲載記事です。