3月最初の五十鈴川だより。国際法無視、アメリカ、イスラエルによるイランへの空爆ほかの報道映像、ガザ、ウクライナ、終わりの見えない戦争地獄エリアの映像に、老人の私の感覚は麻痺している。想像を絶する。編集され切り取られた映像をいくら流されても、ごく普通に生活している民衆の痛み、苦しみ、慟哭は、哀しいかな実感できない。そして深い深い世界の真実は巧妙に隠蔽されているようにしか思えない。
だが、80年前のこの日本で3月10日、何百機の(正確な数はわからない)B29による焼夷弾の一晩の空爆で、東京都内の死者はなんと10万人に及んでいる。一晩でである。
そのあまりのすさまじさを、作家の永井荷風や谷崎潤一郎、半藤一利、太宰治、向田邦子、山田風太郎、北杜夫などなど、また芸人の徳川夢声、古市ロッパ、などが日記に残している。
西川清史著、[荷風たちの東京大空襲]を読むと、そのあまりの生き地獄、阿鼻叫喚の、まさに言語を絶する様子が、赤裸々に綴られている。齢74歳の私がいま読んでも、この世の地獄絵が彷彿と想像できる。人は極限状況におかれたら、豹変することでしか生きられない。誰がその事を非難できるであろうか。ただあの極限のなかでも、自ずとそのひとらしさは 文章から浮かびあがってくる。自問、自分が極限状況におかれたら。やりきれないが、きっと豹変する。だからこそ、平和で生きられる今をこそ大事にしたい、のだ。
この歳になって、というのは、老い先が短くなって思うことは、孫たちや未来の日本を担う人たちにも平和。穏やかな日常生活が送れる平凡な日々を、と願わずにはいられないからである。
私を含めた、戦後生まれ、平成生まれの娘たちには、皆目そのような艱難辛苦世界は想像だに出来ないことである。が、80年前、とくに東京ほか日本の大都市は空爆され、今のイランやウクライナやガザでの悲惨極まる阿鼻叫喚地獄絵を、都会にすむ人びとは経験したのである。
戦争エリアの人々の、想像を絶する苛酷な生活状況の理不尽さに、老人の私など思考停止に陥りそうになるのだが、老いてはいても無関心だけは勉めて避けたい、という気持ちが五十鈴川だよりを打たせる。
話は変わるが、2月から購読を始めた地方発、下関の長周新聞(一週間に数回郵送され、見開き四ページ、読みやすい)、老人の私には読みやすい。大都市の新聞社とは全くといっていいほどスタンスが異なる。庶民生活者の視点が揺るがない。そこがいい。じっくり目が通せる。
ほとんどが世界の大都市(政治、経済、文化、メディア、テレビ、ネットフリックス等の娯楽番組含め)からの、映像情報に対して、活字好きの私には長周新聞は新鮮である。軽重浮薄な人生歩んできた私には、教えていただくことが多い。
先の大戦で知らされた日本人の、大きな流れに染まり易い体質(私などご多分にもれない)は、ゆめゆめ油断してはならない。幸い言論の自由が国是として憲法で保証されているので、五十鈴川だよりを打ちながら、一人のお爺さんとして、何よりも穏やかで平凡な、マイナー日常生活の有り難さを金太郎飴のように打ち続けたいと、念う。
PS 私の両親は、北朝鮮からの引き揚げ者なので、一面の記事、すぐに読ませていただきました。あまりにも読むのが辛い。

0 件のコメント:
コメントを投稿