ページ

2026-04-30

4月30日、雨の朝、静かに体と心の調節機能のための五十鈴川だより。

私は養老先生のファンである。

 私の好きな静かな朝が来た。自己満足、金太郎飴的なお爺さんだよりにすでになっている。だが当たり前、昨日と今日は、私の体は微妙に異なっている。だから昨日とは異なる五十鈴川だよりになる。

本人は気持ち良く動いているつもりではあるのだが、ひょっとしたときに、歳を感じるときがある。昨日午前中ほっといて気になっていた菜園場の草取りの後、最低の撹拌をし(できるだけ耕さない、だから草がぐんぐん伸びる、でも私はそれでいいのある)2列畝を作り、ピーマン、ナス、トマト、トウモロコシ(三本初めて植えてみた)を、お昼前までやった。

その事も含め、お正月からこの4ヶ月の疲れが、やはり出たのか夕刻お風呂の後、ちょっと外に出て湯冷めしたのか体が重く、夕飯(タケノコご飯と野菜の天ぷら)をそれでも美味しくいただき、早々に床に着いて、午前5時に起きた。

8時間以上睡眠をとったら体が軽く、気持ち良く起きることが出来たので、こうやって五十鈴川だよりが打っている。(なんと有り難いことか、良く食べ、良く動き、良く寝る)

旬のタケノコ満喫しました

精神の調節機能として、私は五十鈴川だよりを打っている(日々の行動生活記録としても)、体調が悪いと、当たり前絶対に打てない。そういう意味で、61歳から打ち始めた、思いつき五十鈴川だよりで、私が私自身にどれほど、(いまもだが)日々の調節がやれているかがわかる。

心身、体と心が連動しないとどのような一文も私は成せない。体が重い、気分がのらない、気分がすぐれない、食欲がないなど、体が発するサインを見逃さないことが大事である。

そういえばこの数年熱を出していない。還暦までは必ずといっていいほど、年に数回は発熱していたのに、古希目前の大手術以降、熱を出した記憶がない。

昨日ひさかたぶりに、体が重かった我が体、これから暑い夏を迎える前に、このGWはゆっくりお休みしろとのサインだと受け止めている。体の声を聞きだらだらすごすことにする。

平生つい夢中になりがちな我が性格はいかんともし難いが、年相応の過ごし方を、五十鈴川だよりを打ちながら見つけたい。

気分がすぐれない時の特効薬は、養老孟司先生の読みやすい本を(中身は濃い)読むことにしている。読む薬として重宝している。要は虫のように存在し、できるだけ静かに、気持ちのいい場所で、気持ちのいい人たちとの関係性を大事に、キープした時間をすごせればもう私は充分なのである。

2026-04-29

4月26日、42回目の春の縄文野焼き祭り無事に終え、スタッフとして参加出来た喜びを打つ、今朝の五十鈴川だより。

 去年の春、秋、今年の春と3回参加して、ようやく自然に当日あの空間に居合わせた人たちの一員の一人になれたかのような安堵感が今も私の体にのこっている。


天候も最後まで見守ってくれ、70点もの縄文造形作品が無事に焼き上がり、その一部始終を見届けることが出来た喜びを、五十鈴川だよりに打つ。

私の猪風来さんご夫妻との関係性の深まりは、一年七ヶ月前の一本の電話から始まった。その折々の事は長くなるので割愛するが、昨年秋の20周年記念イベントにスタッフとして関わったことが起因している。

もし一本の電話がなかったら、きっとここまでの関係性の深まりはありえなかったかもしれない。今となっては有り難い、生涯忘れることのない電話であった。古希を過ぎコロナ渦中から次々と孫が授かり、娘夫婦の役に立つべく静かに暮らすだけで、充分満ち足りていた矢先の一本の電話の声は、私の老いゆく下り坂時間を逆流させた。

有無を言わせない真剣そのものの、猪風来さんの声は静かに私の内部におりて、スタッフになろうと(やれることで役に立つ覚悟)肝をきめた。あれからの時間の私生活の充実は、臆面もなく打つが、猪風来さんご夫妻と関わることで、全てが以前にも増してよき方向に向かい始めたように感じている。

縄文の心と技の修得に全人生を捧げた猪風来さんに、スタッフとしてお声かけしてもらえたことの有り難さは、例えようもない。スタッフとして関わることを決めた後日、よし子さんから、猪風来さんの書籍、原野さんの写真集ほか一切がお手紙とともに届いた。私は感動した。

世の中に出て、右往左往、あたふたと生きてきて、40歳で中世夢が原で落ち着き、自分なりに活動、生きてきたが、猪風来さんご夫妻に信頼された喜びは、老いつつも私の体を復活させたのである。以来言葉には出来ない、縄文的な感覚、感性が少しずつ私の中にしみてくる、のだ。

焼き上がった70点の作品

スタッフとして自分なりにベストを尽くし、20周年記念イベントを終えてから、明らかに私は縄文に誘われる心地よさに身をゆだねたくなっている。現世の、世間の、この世からの逸脱を想像力を駆使して、遊びたくなっている。

先日、猪風来さんからお借りした本のなかに、縄文考古学の大家小林達雄先生が、我々の生活の中に縄文的な視座を取り戻したいと、おっしゃっていた。その言葉の意味する奥深さを、考え続けるその日暮らし、をしたい。

話は変わる。縄文野焼き祭りを20年以上の間、裏方として一貫して支えて来られたkさん(最高に格好いい人である。)から全ての片付けを終え(午後2時前)帰ろうとしたとき、たくさんのタケノコをいただいた。それとビールを。

(タケノコなんと20本以上頂いてご近所、妻の友人ほかに配ったのだが、皆さん笑顔、その日早速妻が手早く湯がいてくれ、口にいれた。最高の春の味覚、kさんにこの場を借りてお礼をお伝えする)

猪風来さんご夫妻との関係性の深まり、そしてこのkさんや、Yさんとの生まれ落ちたところは全く異なるちょっと歳上の先輩方との、縁の深まりは、この情愛の希薄な(体を動かし合える中で、自然に育まれる気付きの関係性の気持ちよさ)現代日本社会の私がこれまで経験してきた、消費イベントの対局に位置する。縄文世界は老いゆくなかでの我が体に喜びを、輝きをもたらす。




2026-04-25

明日の猪風来美術館の春の縄文野焼き祭りの、前の日の朝に想う五十鈴川だより。

 目が覚めたので起きた。この数日、明日の縄文野焼き祭りのお天気が気になっていた。明日のお天気が今日のような予報なら、心配はないのだが、あすは下り坂の雨マーク予報なのでちょっと明日のスタッフとしては不安なのである。

だがこの野焼き祭りを、20年間継続されてきた猪風来さんご夫妻であるから、きっと対策は万全だとは想うけれど、スタッフの一員としてはやはり心を配らねばとおもうのである。

草から学び我が体をしる。凄い本。

夜明け前、まだ暗い。この静けきひとときの休日の朝がたまらなく私は好きである。さあ今日は、どのようなその日暮らしになるのか、しようかと老いた体で思いを巡らせるのが幸せなのである。

平日労働でも、今日はどのエリアを何ラウンドやろうかと、年間通しておおよその予定を立てこなしてゆくのである。同じ事ばかりやるのではなく、エリアによってやることが異なる。

草刈りばかりやるのではなく、分かりやすく言えば、体の動きがことなる労働を継続する。

体に負担を感じたら、直ぐに辞める。一昨日はかなりの雨の中での草刈りをやったのだが、お昼前には切り上げた。決して無理はしなくなった。

だが手前味噌でも何でもなく、先日仲間のkさんと猪風来美術館の裏の斜面の草刈りをやったことはすでに打ったが、この草刈りはこの8年草刈をしたなかで、最も危険で厳しい草刈りであった事を打っておく。(猪風来美術館の草刈りでなければしなかった、ご夫妻の役に立つのが嬉しいのである)

74歳であの斜面の草刈りが出来たことの事実としての喜びは、私の体だけが知っている。(中世夢が原での20年以上の敷地の草刈りが今の私を支えている、冬場の茅刈りを思い出した)今週も草刈り労働が多かったのだが、あの斜面を刈ったことで、現時点での我が体の技能力が良く自覚できた。老いつつも体の使い方の方法を、もっと前むきに(実現すべく究める)面白がる努力がまたやりたくなっている。

楽しく、面白がってやれば、まだまだ我が体は動くということの発見をあの斜面の草刈りは知らしめたのである。あの日美術館の斜面の草刈りをしなかったら、老いを後ろ向きに捉える思考に掬われていたかもしれない。

とはいっても、何人も老いる摂理には抗えず、受け入れるにしくはないのだが、絶対矛盾であれ、老いつつも新しい体の気付きは、ぬるま湯に浸かっている生活の中では、決して産まれてはこないだろう。私自身(いまもだが三つ子の魂がどこかに眠っていて)横着者を自覚している。

だが親元を離れ、社会にでて揉まれ思いつき、ささやかな個人的成功体験を積み重ね、おかげで今を生きられている。一日でも長く(出来なくなる日を見据え)踏ん張って草刈りをやれる体の使い方を追究したい。

2026-04-22

私とは入れ替わりで、上京していた妻が帰ってくる日の朝の五十鈴川だより。

 5泊6日、娘二家族のところに上京していた妻が午後3時過ぎには帰ってくる日の朝である。まもなく洗濯が終わるので、五十鈴川だよりを打ち終わったら洗濯ものを干し、お休みなのでゆっくりブランチをしようと思う。

最初の孫に恵まれてから、年に数回交代で娘たち家族のところに出掛ける生活が、この8年続いている。よほどの時にはペットシッターさんにお願いするが、我が家には妻が愛する、花とメルがいるので夫婦揃っての上京は難しい。

従って諸事万端家事一切を私がせねばならない。当初、メルと花のケアーほか、戸惑ったことも、8年も続けると手慣れてくる。今朝も先ずは洗濯とメル、花のケアーを終えての五十鈴川だよりタイムである。

そろそろ終わり、我が家のモッコウバラ

働いている日は、よほどのことがない限り、五十鈴川だよりを打つ気は起きない。私の好きな労働は肉体を消耗するので、労働した日はしっかりと体を休養する。若くはないのでとにかく8時間は寝る。平日は朝仕事前にしか本も読まなくなった。だから基本的に、休日しか五十鈴川だよりはうたない。(打てない)

話をもどす。古希以前は妻の事に触れるのは、どこか(ややもすると、自慢気に陥る、その愚は避けたい)控えていたのだが、もういつ五十鈴川だよりを打てなくなるやもしれないし、打てる時に、野暮を承知で、打てる気力があるときに、そっと事実のみ打っておこうと思う。

だからといって特段打つこともないのだが。年に数回、妻不在の時間を過ごすことが、この年齢になると、いかに普段妻の献身的家事労働に支えられているのかが、身に染みて分かる。

だから私は嫌でも自分を賄う料理を作らねばならない。お金を使っての外食は基本的にしない。外食は妻と共にする。今回も一度も外食はしていない。とにかく作る。手を動かしながら考える。

老いゆくなかでも状況が変われば体は変化する。8年前よりも台所に立つのが苦にならなくなった。炒める、煮る、焼く、茹でる、刻む、などなど体が食べたいと思う一品を作る。基本的に二品作れば、後は海苔やその他副菜で、年齢的にもう充分である。今の生活力をキープできれば、ありがたやである。凝った料理は一切しない。手間暇かけない。が、手抜きはしない。シンプル、とにかくお腹をすかす。だから何でも旨い。

話を変える。今年も暑い夏が続きそうである。四月下旬、先週辺りから、草がぐんぐん伸び始め、紫外線の量が一気に増してきているのを体で感じている。いくら肉体労働が好きとはいっても、古希を過ぎてからのこの数年の夏の暑さは尋常ではない。

従ってこの夏をいかにやり過ごすのかが、毎年の最重要課題である。秘策というものは取り立ててない。がなんとかこの数年熱中症にもならずしのいでいる。ひたすら体のコンディションを整え栄養をとり寝る、ってなことくらいしかやっていない。一日を凌ぐ、やり過ごす、だけである。オーバーではなく覚悟の夏、我が体は動くのか動かないのか私にもわからないのである。

今日は動いて凌げた。だから明日も動いて欲しい。その為にどう一日をやりくりするのか。私の高齢者生活は冗談ではなく甚だもってスリリングなのである。そのような日々を、私は有り難く面白がっている。出来なくなったらその時はその時、潔く諦めるのである。(摂理に抗わない)

敬愛する養老孟司先生は、死は100%、何人も平等、遅かれ早かれ訪れる。だから恐れてもしかたない、と。とまあ、そのようなことを日々思案しながら草刈りしていると、万物の息吹き、草原の輝き(というタイトルの映画が昔あった)がしみてくる。


2026-04-19

昨日、春爛漫雨上がり快晴のなか、猪風来美術館の草刈りを午前中3人で少しできました。そして思う朝の五十鈴川だより。

 昨日午前中猪風来美術館の草刈りをした。参加したのは瀬政さん、この4年共に働いているkさんの3人である。本当は今日19日だったのだが、強力助っ人のkさんの都合が悪く、急遽昨日に変更した。私、瀬政さん、kさんトリオでの草刈り。やはり3人である。男3人、饒舌な私も草を刈っている時は集中し寡黙に草をかる。瀬政さん、kさんは普段も寡黙である。

瀬政さんは、折々五十鈴川だよりにも実名で触れているので、今朝はkさんのことにちょっとふれたい。kさんとは今のパートタイム肉体労働で出会えた。共に汗を流して働く仲間である。もう丸4年、コンビで働いている。詳細は割愛するが、古希を過ぎてからの新しい仲間としての出会いは、この労働を始めて二人めである。


これまでの人生で出会った友人知人とは全くことなる。共に働くとは、働いている姿をさらけ出している。そのような場で、息が合う関係性が育まれたことの喜びを五十鈴川だよりに刻んでおきたい。

世の中に出て、私が出会ってきた一言で言えば文化系のかたたちが多い。だがこの労働に従事してまもなく丸8年、とくに手術後であったkさんとの、この4年は、仕事がとても楽しい。

相性というものは、男女に限らずある。寡黙なkさんとは体言葉で通じ合える、あうんの呼吸で動けるし、機械や電気系に強いkさんは一言で言えば私の右腕頼もしいかたである。

十数年ぶりに70歳で企画したウクライナの音楽会に、共に働きはじめたばかりのkさんは駆けつけてくれ、翌年の沖縄の音楽会からは、毎年カンパもしてくださり、なおかつ当日本番のスタッフとしても、応援、支えてくださっている。

昨年の、猪風来美術館開館20周年記念イベントにも裏方として参加してくれた。今や付かず離れずの程よき関係性が持続、失礼なく打つが、五歳年下、頼もしき弟分である。共に働いていると、その人の人柄が如実に出る。臆面もなく打つが、そのようなkさんにどこか信頼されているから、猪風来美術館の草刈りお願いした。結果、猪風来さんご夫妻がとても喜んでくださったことを記しておく。

Kさんと私は美術館の裏の急斜面、素人ではちょっと難儀な、足場が不安定、手強い笹や蔓の太いのが行く手を阻む場所を刈ったのだが、久しぶりに汗をかいた。最初kさんも私も、斜面の手強さに手こずったが、高齢者二人何とかノルマを果たせて、嬉しかった。心意気。

瀬政さんも美術館の入口の斜面他を草刈り、高齢者の役に立つ存在感を充分に発揮示した。高齢者トリオでの午前中草刈りは、雨も上がり、本当に楽しかった。その楽しさは参加した者のみが味わえる、いわば役得である。午前中の数時間あんなに真面目に集中しての草刈りは仕事でもしたことがない。

お昼、トリオでお弁当でのお昼、ご夫妻がお茶ほか、甲斐甲斐しくおもてなししてくれ、雑談しながら美味しくいただく。皆笑顔で、ご夫妻の猪風来美術館開館当初の、昔の草刈りの様子や、野焼きをするにも作品の数がすくなかったことなど、めったに聴けない歩みのお話しも、リラックスした雰囲気で拝聴した。

猪風来美術館での、文殊の知恵、高齢者トリオの草刈りは私を活性化させる。こんなに高齢者がわんさかいる現代、得手不得手は置いといて、ほんの少しでも草刈りや、片付け掃除などがやれる、やりたい元気な仲間にお声かけしたくなった。意味もなく幼児がお砂場で遊ぶように、高齢者も楽しく体を動かす。損得、利害一切なし。ただ楽しい、気持ちいい、お金不要。縄文の精霊たちと過ごす草刈りは、理屈抜は不要である。

お昼の後、猪風来美術館の周辺の山野の新緑を眺め、野鳥の声に耳を傾け、貴重な本を一冊借りて、kさんの運転で帰路についた。一晩ぐっすり寝た。昨日、記憶に残る一日となった。

PS 今朝の写真は、村上よし子さんの絵本の写真です。2013年、2015年、2026年に発行された絵本、文章も。いずれも頂いたご本です。サイン✒️をこないだ訪ねた際お願いしていたのですが、素晴らしい絵いりのサインをしていただきました。ありがとうございます。その時に、私のことを、日高さんも表現者だよ、とおっしゃってくださり、私はそう思っているよ、とのお言葉を頂きました。そのようなことは生まれて初めて言われたので、正直とても驚き嬉しかったことを打っておきます。


2026-04-15

富良野塾時代に苦楽を共にした、スタッフM氏から忽然と届いた一枚の写真に思う、今朝の五十鈴川だより。

 先日上京した際に、なんと私のラインに突然富良野塾時代のスタッフ、年月的には同期であるM氏から、メールと二人で映っている一枚の写真が送られてきた。まだ私が塾に入って一年後あたりだとおもう。32歳、雪景色の一枚である。42年前の写真、インターネット以前、青春期の写真が極めて少ない私には、貴重な写真である。今日の五十鈴川だよりのなかで、M氏には心からの感謝をお伝えする。

この年齢になると、つくづく若気のいたり、(だからこそ出来たとも言える)苦楽を、あの富良野塾での最初の数年間を共に生活した面々は、理屈抜きで貴重である。よしんば、波長、波動、相性が遠い面々であれ、あの記憶のままなので、皆若い。M氏のメールが届かなかったら、私のなかでの、貴重極まる最後の青春期の思い出の宝として封印していたかもしれない。

花は散り.旧(ふるき)仲間の.声届く

だが、インターネットは運命さえ変えてしまう。一枚の写真は一気にあの時代へとワープさせる。M氏はスタッフだったので塾生とはちょっとスタンスが違っていたし、何よりも田舎育ちの私とは異なり、生粋の東京育ちで、年齢も私が最年長だったので、すべてにおいて異なるところが、お互いを結び付けたのかもしれない。よく酒を飲んで語り合ったものである。

打っていると、あの富良野の大地の風景が忽然と甦る。あの青春の終わりの富良野のでのすべての体験が、その後の我が人生大きく変えたことは間違いない。五十鈴川だよりはブログなので、簡略に記しておくが、卒塾してから、今もだが体を使って働く世界に大きくシフトした。

世の中の流れから逸脱し敢えて逆行、人生の後半は下ってゆきながら思考する。アウトドアで生きる道を選んだことで、現在まで歩を進めて来れたのだと思える。体が喜ぶ事に従事し、お金に振り回されない生活を心がける。その思いが叶った。40歳で中世夢が原で働く事になる。

アウトドア仕事の傍ら、時折企画の仕事をする。だれに教わったわけでもない、自然に企画が産まれた。18歳からの、都会生活での溜まりにたまったエネルギーが(東京生活、 又ロンドン遊学生活でのあらゆるジャンルでの感動体験が)中世夢が原で無駄なくいかされた、と思う。

話を戻す。もうお念仏のように唱える五十鈴川だよりになってきているが、馬耳東風流れるままに、その日暮らしの私に、届いた写真は(氏に会いたいくなっている)、無性に私を北海道に誘う。可能なら、なんとか年内雪が降る前に、運転できる間に数日間時間を見つけ、M氏や一期生の何人かにあえたら、幸せである。

もうすでに他界しているかたも(言葉をほとんど交わしたこともないかたもいる)おられる。M氏のようにわざわざ私の存在を探してくださるかたもいる。私が入塾したのが31歳、何しろ43年前に出会え、苦楽を共にした貴重な仲間である。会える時に会っておかないと後悔する。

そして想う。お互いに元気だから会える、のだ。そのことにおもいを馳せるとき、我が生涯の今に感謝せずにはいられない。

2026-04-12

昨日、猪風来さんご夫妻に会いに法曽に行ってきました。そして想う。(ゆく度にあらたまる原初感覚)

 起きてすぐ少し散歩をし、五十鈴川だよりタイム。今月26日は、猪風来美術館の春の縄文野焼き祭りである。昨日ほぼ一月ぶりに、新見の法曽にある猪風来美術館まで行ってきた。春の縄文野焼き祭りが近づいてきたし、新芽の萌えいずる春のドライブを楽しみながら、猪風来さんとよし子さん会いにいったのである。

猪風来美術館に魅せられる

いつまでも、ロングドライブができる年齢ではないことを、わたしは自覚している。だが今はまだできる。過信せず、体調を最優先しながら運転を心がけている。先の故郷帰省で久しぶりに熊本でレンタカーを借りたのだが、70歳以上は借りるのが難しい事を知った。結果妻が借りて、私が返すまで運転したのだが、あらためて社会的に充分に高齢者であることを認識した。

昨年二度めの高齢者運転講習を受けた。3年毎に講習を受けねばならないが、二人の兄もいまだに運転している。個人的には講習で不可能と言われるまでは、運転したいと思っている。

だが先ほど打ったが、過信せず、猪風来美術館までの日帰り旅のようなゆくのがたのしみなドライブは、過密な時間をなるべく避けて、田舎道の日本の山野の風風景を楽しみたい。

さて、昨日高梁から新見に入って、美術館までの細い道沿いの棚だのほとんどは、耕作放棄地なっている。最後の独りといわれているかたが、棚田を守っており、その水田には水が引かれていた。しばしみいった。私にとって棚田はもとより、水田に水が引かれ、稲が植えられる前、天が写る季節の到来は私がもっとも好きな季節である。

今は無き記憶のなかの幼少気の原風景、生家の玄関の硝子戸を開けると目の前は一面の水田であった。日本はお米の国、アジアはお米の国文化圏である。その日本の山間地域の特に急勾配の棚田を守ってきた零細農家の後継者はもう風前の灯火である。言葉にならないくらいに物悲しい。

先の旅で、現代日本の超過疎地と超過密地、両極端を行き来して、ますます痛く胸に染みたのは、そのあまりの極端さである。一方は人混みで満杯、我が故郷は若い人がほとんど人っ気がない。限界集落である。私の文章力ではそのあまりの極端差を上手く表現できないが、お金も含めて、持つもの持たない者の差がこの十数年で、開きに開いたのは、間違いない。

この世、宇宙、大自然、無数の微生物の恩恵で我々は命をいただき、生きながられている、その事への心からの感謝(私も含め)畏怖する感覚を、(とくに殺戮兵器産業に従事し、大怪我などもしたことのない、政治家や経済人、俗に権力に取りつかれているような人たち、他者の命に対する畏敬の念のなさ)、とっくに忘れてしまっている、としか思えない。

老いても、五十鈴川だよりを打てる間は、個人無所属者として発言したい。日本の文化の基層は比類のない縄文時代からこの日本列島の環境のなかで暮らし、生活してきた人々が紡いいでいできたのものである。その事を、猪風来さん、よし子さんから、いまも教わっている。

細長い日本列島、無数の島、四季の移り変わり、多種多様な無数の生き物、山、川、海(にかこまれ)その大いなる恵みを、一万五千年以上、循環する四季の環境のなかで、暮らし、生活して命を紡いできた縄文時代の人々が創造(想像)した比類のない世界に冠たる縄文土器に、心底みいられたのが、猪風来さん、よし子さん、ご子息の原野さんである。

長くなるが、もう少し。五十鈴川だよりを読んでくださっておられるかたはご存知だと思うが、この一年半、私は猪風来美術館に足繁く通っている。行く度に大いなるものへの感謝、恵みへの感謝は深まる。自分でいうのも(ちょっと気恥ずかしいが)なんだが、猪風来さん御家族の歩み、凄い作品をまえにすると、心身が浄化されるのである。

だから足が向かう。満足という文字は満ち足りるである。水田に水が満ち足り、大地がまさにいっせいに蠢きだす。その大地、土に生命力を祈りを籠めた人々が縄文土器を産み出した。一万五千年の長きにわたって連面と続いてきた命の文化が途絶えて後、数千年、猪風来さん、原野さん、よし子さんは縄文じんの生まれ変わりように、私には思える。



2026-04-10

荒城の月、春高楼の花の宴、の歌がしみる。花盛りの日本、今朝の五十鈴川だより。

 お爺、五十鈴川だよりを打ちたくなる春の朝である。今日は終日雨の予想である。孫との春休み旅を終え、戻って3日連続働いて、我が体はようやく普段の日常生活の戻れた安堵感に満たされている。

今年は既に二度も、お正月から家族(先の上京で)、門川の兄3人、姉3人(義理の兄姉含む)と会え、嬉しい。

世界はアメリカの一方的な理不尽極まるイランへの、国際法無視戦争で、いよいよ事によったら、どのような未来が(考えたくはないが、考えないといけない)、と暗澹たる気持ちを老人の私は持っている。

当たり前の石油消費生活も、一旦有事が出来すれば、なにごとも立ちゆかなくなる。そのような今という、魑魅魍魎時代の最中、私はのほほんと孫との旅が叶った、喜びを五十鈴川だよりに打ち続けている。

凄いお仕事をされている。
この絶対矛盾感覚を、おそらく五十鈴川だよりを打てる間は抱え、生きるしかない。

世の中に出て、56年目の春、孫と妻と3人で父母の墓前に詣る事が出来た、極めて個人的感慨は、在りがたいの一言である。

丸13年以上、右往左往(現在も)五十鈴川だよりを打ち続けて来なかったら、きっとこのような今は迎えられなかったに違いない。八年前、最初の孫が授かってからの私の人生は、超保守老人我が儘、あるがまま、その日暮らし的思考にシフトしている。

年金生活に入ってから今の労働を始めて、今年の夏で丸8年になる。明らかに孫が授かって、年金生活だけでは身も心も貧しくなると直感したのである。だから私は自分の一番好きな(その上身も心も鍛えられる)肉体労働を探したのである。

結果、その後、その選択が効を奏した小さな至福感は、野暮を承知で打つが図りしれない。ささやかな収入を最大限有効に使う。目線を低く大地を見つめ、目的を持ち働く。しんどいときは、一日に何度も雲の動き、(今の季節は樹木の葉や花鳥風月に)に目を向け、つま先を意識し、深呼吸をする。(呼吸法を実践する)

朝から、お金の話になったが、世の中に出て経済的に余裕のない生活を余儀なくされ続ける中で身に付いたとしか思えないのだが、足る感覚、ある中で何とかする。無駄遣いしない。目的の為に有効に使う。お金に使われない、あくまでしたいことのために使う。年に数回、妻や家族、仲間との時間を、そして独り旅が出来れば、もう充分である。あとは心身の健康、ただそれだけである。(身軽であることのなん足る解放感、放出すれば入ってくる)

欲望のコントロール、耐えながら、ちょっと夢を見る。そこに喜びを見出だす、妙である。なんびとも老いてできなくなる。出来なくなる日を見据える。今日やれる事を尽くす。眼にみえる贅沢ではなく、ぼろ(古い衣服でも洗濯してさっぱり着る)見えない世界を感じる感覚(何度も打っているが死者との対話、想像力)を大事にいきる。私には贅沢は不要である。時が宝である。

2026-04-07

7日朝、(5日、6日の出来事も時系列で)西大寺の我が部屋で打つ五十鈴川だより。

 6日朝である。寸暇打つ。昨日午前中、ノア、葉私の3人で井の頭公園で少し遊び(一時間ほど)、次女夫婦、風香五人で、11時オープンのレストランで早めの昼食を済ませ、お昼前のバスで、ノアと私は次女家族とお別れした。お別れを嫌がる葉の気持ちが私には辛かったが、最後はまた来るからと約束、握手して別れた。

私とノアは下連雀からバスで調布にでて、京王線に乗り換え、飛田給へ。駅で12時45分に長女と待ち合わせ、落合って、女子バスケットの決勝戦を観にゆく。長女は小学生のときに(妻も次女も部活でバスケットをやっていたので、バスケットが好きなのである)バスケットをやっていたのでバスケットが好きなのである。

私はスポーツは門外漢だが、長女のお供で付いていった。場所は味の素スタジアム、お隣では東京ヴェルディのサッカーの試合が行われており、日曜日の大都会のスポーツ観戦にどっと人々が押し寄せていた。場違いな場所に何故か忽然とゆくはめになった我が身、またもや修行と観念し、現代都市イベントをウオッチすることにした。開場が午後一時、試合開始は午後3時、それまでの間、トヨタ自動車とデンソウ両チームの選手の練習を眺めて、時間をすごしたが、退屈することはなく、滅多にない機会なので、ノアとバスケットを前半まで観戦し、ハーフタイムで、味の素スタジアムを後にし、一足先に稲城に帰った。

ここからは、7日岡山に戻って打っている。昨日もっと早く岡山に戻る予定であったのだが、ノアの春休みは昨日まであり、両親はもちろん仕事、ノアは最後プールに行きたいという。長女がノアとプールまで付き合ってくれないかという。私は娘が生まれて人生をやり返せたという経験を自覚している。従って娘の頼みには弱い。だが、老人の私は孫の頼みにはもっと弱い。

正直、寸暇考えたが孫との時間を優先した。6日夜、夕食後、娘がノアの同級生で仲の良いS君にお誘いのお電話をしたところ、S君も同道してくれ、ノアは一気に嬉しさがまし、頬が紅潮していた。少年時代の友達の大きさは計り知れない。そして昨日の出来事のあらましを、わずかでも五十鈴川だよりに打っておく。

今朝の我が家の金柑

朝食を済ませ、午前8時S君と稲城の駅で待ち合わせ(お母さんも駅まで来てくださっていた、S君はロングヘアーで一度見たら、忘れられないほどに個性的で、ノアのお友達らしかった)3人で京王永山駅に、そこから小田急線に乗り換えて唐木田駅でおり、多摩市の市民プールまで約10分あるいた。上野の博物館もそうだが、ノアとは意外な都会時間が過ごせる、ことをまたもやこの年で経験した。

そのプールは私の想像を超えた大きなプールで、老若男女それぞれの世代が、目的に応じて自由に過ごせる設備が整っていて、岡山にはない規模の巨大多目的プールだったのである。平日オープンの9時には既にかなりの常連と思わせられる、高齢者が行列していた。

当初付き添いのみで、私は水に入るつもりはなかったのだが、レイさんが私のために水着を用意してくれていたので、中を体感したくなり、二人の瑞々しい少年とともにオープンと共に、結果二時間ほどプール時間を過ごした。

この施設、お年よりには至れり尽くせりで、温水に浸ってリラックスしたりミストサウナに入ったりしているとあっという間に時間が過ぎ、上京の際には又もやノアや家族と訪れたい、と思うほど、すっかり気にいったことを告白する。

たくさんの高齢者が楽しそうに泳ぎ、歩き、温水で談笑している姿を私はウオッチした。私を含めた高齢者と共に、子供世代が時間を共有している。これが私には一番素敵なことに思えた。人は皆それぞれの今の時間を生きるしかない。なんびとも若返ることはない。

高齢者の一人一人全部異なる姿を、少年時代にたくさん目撃することは、子どもにとって、きっと後年なにがしかの意味のような想像力を養うことになる。とても良い施設を多摩市は設備していて感心した。

さて、今日から三年生、二人の好奇心のかたまりノアとSくんは、11時から始まるウオータースライダー(有料だがヨガ、太極拳なども習える)を二回ほどやって、この日のプールを終えた。終えて稲城に戻り、娘やレイさんと駅の近くのファミリーレストランで待ち合わせ、S君も一緒に昼食した。愉しい時間は瞬く間に過ぎ行く。

ノアとの思わぬ春休み、宮崎旅から始まって、最後はプール体験までの10日間、目まぐるしい移動旅ではあったが、何とか締めくくりの五十鈴川だよりも打てたし、終わりよければの心境である。最後の思わぬプールはノアのお友達S君が一緒だったので、付き添いお爺も実に楽しかった。二人が愉しそうにしていた姿が五十鈴川だよりを打たせる。

午後一時半、昼食を終えお別れ、ノアが春休み付き合ってくれてありがとうと、照れながら言ってくれた。お爺さんである私も照れた。これ以上打つと野暮になる。お爺にとってもよき春休みとなった。ノアありがとう。

2026-04-05

4月5日の朝、折々時系列にそって記録を、東京は三鷹下連雀の次女のマンションで寸暇打つ五十鈴川だより。

稲城の 長女のところから朝食後9時前に出て、調布に。そこから吉祥寺行きのバスに乗り換え、10時下連雀の次女のマンションに着いた。次女はお出かけしていたが、周さんと葉(4歳)と風香(8ヶ月)が迎えてくれた。葉は私の到着を待ち望んでくれていた様子で、早速約一時間風船で打ち合う遊びに興じ、今ちょっと、休憩、葉がポケモンを見ている寸暇、彼の横顔を見ながらわずかな時間打っている。風香はお休みに入り、周さんがお昼の準備をしている。

レイさんといい、周さんといい、そのかいがいしいという以外の言葉が見つからない。明らかに、私の世代とは異なる子育てをしている。いつも打っていることだが、嫌でもわたしも何かお役に立ちたい、言う気になる。と、ここまで打ったところで一旦中断する。

ここからは、周さんが作ってくれた、温かいネギタマゴうどん(コロッケつき)のお昼を済ませて打っている。お昼を終えて間もなく長女と娘の未彩(5月がくると3歳、しばらく前から始めたプール泳ぎ活動を終え)がやってくる。葉とミアとまたもや風船遊びに、隠れんぼのお相手をする。孫のお相手は正直一時間までが現在の私の体力の限界である。

それでも、きゃあきゃあ声を発し、無心で動き回るふたりのエネルギーを浴びながら、私はきゃつらの際限のないお相手にひーひーはーはー耐える。これも老いの身の修行と観念する。このようなことを打つと悟ったようであるが、この年になると、もう一日一日を無事に過ごす修行なのだと割りきっている。

やがて未彩のお昼寝の時間がきて、水入り。ちょうど外は雨がふってきてた。マンションへの一階にあるスーパーまで、お散歩がてら、周さんと、葉、風香、私の4人でアイスクリームを買いにいった。そのご、周さんが気を利かして、私にお休みくださいと一部屋当てがってくてた。だから寸暇打っている、のだ。

何気ない、日常のひとこまを、かくも打っておきたいという私の性は何故なのか、理屈ではない。とここまで打っていると次女が用を済ませて戻ってきた。再び打つのを、中断ずる。


ここからは5日の朝打つ。昨日次女が帰ってきたとこで中断していたので、その後を時系列にそって記録として打っておく。次女が餃子を包むだけに準備しておいてくれたので、私と長女と葉も加わって50個包む。次女と夫の周さんは風香の面倒を見ながら、家事のあれやこれやを。その間、いろんな他愛もない会話が寸断なく続く。ミアはその時はお昼寝していた。午後4時レイさんとノアがやってくる頃、私と娘二人葉の4人で一階のスーパーにお肉他の買い出し。次女がすべてを払った。戻るとレイさんノアがいて、ノアと葉はさっそく二人でゲームをして遊んでいた。私を入れて9名が次女夫婦のマンションにいると賑やかさが、半端ではない。大人の声と子どもの声が、途切れることなく部屋に充満する。年寄りの私は折を見て会話に闖入するが大半はただ会話に耳を傾けて、娘たち両家族の今の生活の様子を眺めている。次女がテキパキ指示し、長女二人で夕飯の準備が進む。その間に、私がまずお風呂を頂き、周さんが子どもたち全員をお風呂にいれ、5時過ぎからゆっくりと全員での美味しい夕飯をいただいた。焼き肉を野菜で巻いてたべる。ニンジンとモヤシのナムル、卵スープ、そして手作り餃子の豪華な家庭料理、私を含め全員が幸せな気分になった。昨夜結局ノアは上岡の家にとまることになり、長女、レイさん、ミアは午後7時前、稲城に帰っていった。私は午後8時過ぎ少し酔って、一番先に横になった。とここまで打ったら、次女、風香、ノアが起きて来た。

2026-04-03

4月3日、ノアと[超危険生物展]にゆき戻って寸暇打つ五十鈴川だより。

 昨日午前10時前の新幹線で東京へ。(車中佐藤愛子さんの、90歳何がめでたい読む。ほぼ読み終える。ご高齢での頭のしなやかさに感服する。)午後一時過ぎ東京に着き、中央線で三鷹へ。次女のところに寄って渡すものを渡し、風香の顔を見て、ハッサクを剥いて、少しやすんで、4時のバスで調布にでて、そこから稲城へ。午後5時に長女のマンションへ。

ミアを保育園に迎えにゆき、(ミアははにかみながら喜んでくれた)仕事でおそくなるレイさん抜きで、四人で夕食。長女が仕事の合間に夕食の準備をしていてくれた。(パスタほか)夕食後いちばん先にお風呂を頂き、ノアのベッドで横になって本を読んでいると、レイさんが帰ってきた。私は挨拶もそこここに、ノアと共に二段ベッドの上の段で午後9時過ぎ床についた。

またもやノアとの思い出が

ここからは3日の朝。6時半過ぎ起きると、全員が起きていて、すぐ朝食。食後少しお掃除を手伝い、8時過ぎレイさん、ノア、私はミアを保育園に送ってゆく。レイさんと娘はお仕事に。私はこれからノアと上野の博物館にゆく。お天気がいいので、気持ちがいい。ブログは一旦中断する。

ここからは、ノアと二人で上野の国立科学博物館で開催中の[超危険生物展]に出掛けて戻って来てから打っている。長女とレイさんはリモートで仕事中、ノアはそばで危険生物の写生をしている。だから私も五十鈴川だより、というわけである。

つい先日までは人の少ない我がふるさとで、人っけのない地方で遊んでいたのに、今日はノアと大都会の東京の上野を往復して、まあ同じ日本エリアの別世界を動き廻っている。なにか体が正直ついてゆけない。ではあれ、ノアについてゆくと、思わぬ場所にゆくことになるので、老いのみなれど引率を引き受け、上野まで出掛けてきた。

もう最高のお天気で、上野は動物園、博物館、音楽堂、などなどが密集しているので、春休みの陽気に国内外からの観光客で引きも切らない、人、人、人でごったがえしていた着いたのが10時過ぎチケットを買って並び、中にはいるまで30分くらいかかった。入ったら入ったで、芋を洗うような人混み、展示物をゆっくり見ている余裕は全くないのは、前回来た昆虫展の時と同じ。

ノアが行方不明にならないように、じっとその動き回る後ろ姿をウオッチし続けた。約一時間以上、ノアは展示物の写真を撮り続けた。正直、ノアが行きたいと言わなかったら絶対に私がゆくことはなかった。

結局お昼過ぎまで展示物を見て、お昼は上野駅のそばのライオン(ビールが有名)でノアの好きなハンバーグランチを二人で食べた。お昼を済ませ、ノアがもう稲城に帰って休みたいというので、ノアの言う通りかえってきた。宮崎から帰って、いきなり上野の人混みをうろついたら、それはくたびれないほうがおかしい。と言うわけで、私もしばし夕刻までのんびり過ごすことにする。

2026-04-02

東京は稲城に望晃、(のあ)を送ってゆく前の五十鈴川だより。

 ちょっと時間があるので、五十鈴川だよりを打つ。宮崎の旅から一昨日戻り、昨日家と図書館でゆっくり過ごしたので旅の疲れはいくぶんはとれた。とはいえ、心のなかにはあの旅でのあれやこれやが、老いゆく体にもあもあしている。

当たり前だがすべて、やがては忘却の彼方へとなる。だが私はそれが摂理受け入れる。だが拙い一文であれ、わずかでも残しておけば、ノアが大きくなったときに、読んでくれるかもしれない。

ともあれ、そんなことよりも意外な旅が実現したことの喜びから抜けきっていないのである。そのような案配のなか、今日ノアを東京に送ってゆき、先ずは長女ののところ、それから次女のところにも2日ずつ滞在するので、私は老体ながら忙しい。

小倉が浜でのノアと妻

孫の(孫たちの)生命力が、我が体にエネルギーを注いでくれているから元気なのだ。その反動がきっとやってくるだろうが、その時はまたそのとき、摂理に従う覚悟である。

ノアはまだ下の部屋で寝んでいる。(起きた、声がする)お昼寝はしない。起きるのは7時頃、寝るのは午後9時前、その間エネルギーを放出しながら、あらゆることを吸収し続ける。今は昔、かっての自分もそのような時間を過ごしていたのだと想像する。

まさにノアは幼少期から少年期へと向かう、真っ只中の渦中を生きている。そのような孫と偶さか夢のような故郷旅が実現した喜びは、極めて個人的な感慨であれ、打たずにはいられない私の性である。

話は変わる。いつもはほとんど一人で(とくにコロナの数年間は)帰省する我が故郷、これからは孫たちが成長するにつれ、一人での帰省は減る可能性がある。いまはまだギリギリのところで兄や姉が元気なので、和気あいあい我々を受け入れてくれるが、摂理、何人も寄る年波の中では、そうもゆかなくなる。その冷厳な事実の前のすれすれの、今、今回の旅が叶ったこと、身内の全員が温かく迎え、ノアの存在を祝福してくれたことの喜びを、墓前に感謝した。

世の中、殺伐としたニュースにことかかない。清々しいニュースや報道に接するチャンスは、私の場合甚だ少ない。もっと打てば、家庭が崩壊しているのではとも言えるようなニュースが引きも切らない。成長期のノアには聞かせたくないようなニュースが溢れている。私の場合テレビが来たのが10歳くらいであったから、その点よけいな情報に体が汚染されることもなく、限りなく天然、自然界からの直接情報のなかで生活できたことの幸福は、筆舌に尽くしがたい。

自然は手強く、恐ろしい。油断すると波に拐われてしまう。その冷厳な事実を、10歳くらいまでに理屈ではなく体で覚えることの大切さを、私は孫に伝えたいのである。自分の命は自分で守る。つまりは生き抜いてゆく、知力体力の基礎を10歳くらいまでに 身につけて欲しいのだ。

臆面もなく打つが、私が何とかこの年齢まで生きてこれたのは、幼少期、とくに10歳くらいまで、五十鈴川や小倉が浜で、ただただ体を動かして遊んだ中で 身につけた、体得した下地のお陰でなのだと、はっきり分かる。名前は知らなくても、虫、魚、樹木、植物、動物、雨音、風音、雲、夜明け、夕闇、漆黒の闇、森羅万象に感性を育てて頂いたお陰なのである。

知識などは10歳以降、いくらでもその気になれば取り戻せるが、あの幼少期のかけがえのない環境幼少期時代はいくらお金を積んでもえられないのである。その感性を育むためには圧倒的な大いなる大自然を幼少期に体験しておかないと、まずい。畏怖する感覚、その大切さを我が孫には、(すべての子供に)理屈ではなく体感して欲しい、のだ。私が元気な間は、年に数回は大自然のなかに放り出す、宇宙、自然界のなかの自分も一部なのだと頭を垂れる感覚を体得して欲しい。これは私の遺言である。

2026-04-01

望晃(のあ、3月で8歳になったばかり)と妻と3人で故郷への旅を終え、(新鮮なうちに記録を打っておく)戻ってきて思う五十鈴川だより。

 物のプレゼントではなく、思い出に残る長女の息子に、春休みお爺の故郷へ一緒に行かないかとノアに誘ったところ、行きたいとのことで、このまったく予期していなかった思わぬ旅が実現した。

私が嬉しかったのは、ノアと共に妻も行きたいと言ってくれたことである。細かいことに気がつき、移動計画ほかあれやこれや、私よりはずっとデジタルに強い妻の参加で、一気に旅の計画が具体化した。

熊本往復は新幹線、熊本でレンタカーを(3泊4日)かり、出発の28日土曜日は阿蘇をドライブ、ぞの日は高千穂のホテルに泊まり、翌日高千穂を観光、29,30日は長兄の家に泊まり、五十鈴川、小倉が浜他、私の故郷で遊び廻る予定をたてた。


タイトな計画を避けての旅、あくまでもノアのやりたいことを優先した。初日の阿蘇では動物にふれ合える元気の森がことのほかお気に召したようであった。夕刻高千穂のホテルに早めにチェックイン。

翌日はサクラを眺めながら美味しい朝食をすませ、午前中は高千穂渓谷や高千穂神社、天岩戸神社を詣で、ちょうどお昼門川について、高校生の頃に良く食べていた懐かしい天領うどんでお昼を食べた。

その後、門川から小倉が浜に直行、天気が最高でたくさんのサーファーが波と戯れていた。海で遊ぶ用意をノアは何もしているなかったのだが、誰に似たのか、いきなり繰り返し打ち寄せる波と戯れ夢中で遊び始めた。(インドア、ゲーム、漫画、本、ユーチューブ何でも、好奇心たっぷり)

広い小倉が浜、見渡してもノアいがいはすべて大人、春休み子供の姿はなかった。子供はノア一人。すぐにずぶ濡れになった。大きな自分の背丈位の波をかぶり、恐れながらも子供らしい声をあげながら、遊ぶ姿を私と妻は、スマホで何枚も撮った。

私の勝手なおもい。いつの日にかここで孫たちを存分に遊ばせたいとの思いは、故郷への旅二日目にして、実現した。春がきたとはいえ、海水はまだ冷たい、だがノアはそのようなことは気にもとめず、30分以上波遊びに興じていた。その姿を、老夫婦と孫と海をまるごと、味わえ至福感を覚えた。思い立って来て良かった。

左が次兄77歳 右が長兄80歳

午後3時過ぎ、着いてすぐ先ず姉の家に3人そろって挨拶に行き(姉夫婦大変喜んで、5人で記念撮影をし)隣の長兄の家についた。ノアは初めての我が兄夫婦や姉夫婦との邂逅、すんなり物怖じせずうちとけていた。

妻はすぐに海水に浸かった衣類他を洗濯させて貰った。義理の姉登紀子さんと妻はずいぶん久しぶりの再会であったのだが、あっというまにうちとけて、和気あいあい時間が流れ始めた。早速、二人で夕飯の買い物に出掛けた。

夕刻ノア、妻、私の3人で門川の心の杜温泉へ行った。戻ると登紀子さんお手製の刺身や、ノアの好きなハンバーグ、イチゴなどの心づくしの夕飯が用意されていた。私は登紀子さんが用意してくれた夕飯のやはりお刺身を、いちばんたくさん頂いた。この味こそが家庭の味、兄嫁の手料理をたべると(姉の手料理も)と故郷に帰って来て気がする、のだ。

翌日、ぐっすり寝て目覚め、美味しい朝食の後、3人でお墓参りをすませた。ノアは丁寧にお参りし、お水を沢山上げてお祈りをした。お墓参りのあとすぐ近くに住む次兄の家に挨拶に行った。次兄夫婦ともノアと妻の来訪をことのほか喜んでくれ、兄は植物が好きな妻にあれこれ自分が丹精込めた50年以上は手間隙込めた庭の植物について、説明してくれた。

傍らで私も聞き入った。(次兄夫婦は子供がいない、庭の植物が子供なのである)次兄が説明している間、ノアは庭のあちこちをリスのように徘徊していた。縁側でお茶を頂き、ノアに沢山のお菓子を頂き次兄の家を辞した。

その後、再び我々3人は昨日に続いて、ノアが行きたいという小倉が浜に再び向かった。午前9時半に着いた。平日の朝なのに駐車場の7割くらいが埋まっていて、すでにたくさんのサーファーが波に乗っていた。昨日と同じ、子供の姿は見えない。そこにまたもやノアが天真爛漫に波遊びに興じる。二日連続の波遊びに満足していた。お天気が心配だったのだがもった。

お昼は簡単、3人で小倉が浜の近くのマクドナルドですませ、その後、次兄の勧めた遠見山の展望台から我が町を一望に眺め、最後に小学生のときに最も遊んだ五十鈴川へ。ノアと石を投げをし、妻も共に楽しい時間を3人で過ごした。遊んでいると雨がポツポツ落ちて来たので兄の家に。

故郷で、砂と戯る、春休み

海、山、川を堪能。楽しいことはエネルギーを放出するので疲れる。雨音を聞きながらお昼寝をし、起きて兄夫婦と珈琲たいむ。しばし歓談、タケノコとフキの煮付けた初物をいただく。雨のお陰でよき時間が流れた。

午後5時かなりの雨のなか、5人で神田川というお寿司やさんにゆく。あと二日で80歳を迎えるという兄のお誕生会もかねての楽しい晩餐会となった。登紀子さんが運転してくれたので、兄も妻も少し飲んだ。雨足が強いなか早々に神田川を後にした。戻ってお風呂を頂きすぐに床に着いた。夜中、春雷が轟くのを時折耳にした。

そして昨日である。あさ起きてすぐに妻と二人で、我が心の乙島が見える港まで早朝ドライブ。戻ると次兄がお土産をもってやってきた。朝食をしながら寸団欒、次兄はノアがとても気に入ったらしく、お小遣いをくれた。

ノアははにかみくねくね体をよじらせ、照れながら喜んでいた。久しぶり兄二人と記念撮影が出来た。ノアは老人の心も軽やかに包んでしまう。子供とはかくも不思議な存在である。最後に姉に挨拶に。82歳の姉もノアに春休み記念、お誕生日のお祝いをしてくれた。

帰路を簡略に記しておく。兄の家を8時前にでる。雨がすっかり上がり清々しい雨靄の故郷の山並みを愛でながら、ほぼ満開に近いそこかしこの山野のサクラを愛でながら、五ヶ瀬川を北上、高千穂から五ヶ瀬町、山都町を抜け、熊本に入った。ちょっとだけ熊本城を眺め、お昼前レンタカーを返し、12時42分のさくらに乗る。座れた。車中、買い置いたお弁当で昼食。午後3時15分岡山着、25分の赤穂線に。午後四時過ぎ我が家に着いた。

PS 今朝姉からなにもおもてなしできず申し訳ないとのメールがきた。とんでもないことで恐縮である。元気な顔が見れただけで充分である。ノアの心に我が兄たち、姉たちが残ったことが私にはただ嬉しく、もうそれだけで悔いはなく、妻が参加し大満足の旅となった。。五十鈴川だよりが打てて言うことなしである。(一気に打ったので誤字脱字ご容赦あれ)