上京5日目、木曜日の朝である。かなりの雨が降っている。五時半に起きると、葉が続いて起きてきて、さっそくオセロを一勝負、またもや葉に負ける。葉もノアも強い。風香と娘、周さんも起きてきて、娘が風香の面倒を見ながら用意しているのを、手伝う。全員揃って美味しくいただく。
今日は葉がお医者さんにゆく日なので、娘は仕事を休み、葉も保育園はお休み。風香は周さんがいつものように保育園に連れてゆく。娘と葉は9時前に出掛けた。周さんはリモートワーク、私は一階の図書館へ移動し、五十鈴川だよりタイムである。
![]() |
| かけがえのない親子時間を垣間見る |
昨日のことを忘れないうちに記録しておく。午前中娘に頼まれていた餃子40個包んで、一人吉祥寺散歩をする。マンションから往復一時間歩いた。吉祥寺では二軒の古本屋さんで一時間くらいただ本を眺めて過ごす。本の背表紙を眺めて過ごすのが、私は好きである。
本は重いし、もうなるべく本は買わないようにしているのだが、2009年に出版された佐藤優さんの功利主義者の読書術を求めた。文庫本として一昨年文庫で復刊されている。パラパラと捲り、ゆっくりよみたくなったのである。極めて新しい本がわずか220円。これだから上京すると私はどうしても神田の古書街を散策したくなる。
これからの数年、元気なうちは、労働、読書、散歩が日常生活の主流、お休みや、今回のような短い非日常旅でも、読書と散歩はかかせない。本を読むと嫌でも何らかの思考を迫られる。知的欠乏症、無知蒙昧を自認している。トラウマといってもいい。
だがこの年齢まで生きると、そのトラウマも消えてゆくかのような塩梅の日々である。自分らしく在りたい、ただそれだけである。(もうないものねだりはしない、諦めた)
話を戻す。本を求め、お昼を(ハンバーグランチ、美味しくいただいた)賑やかな市街地の洒落たお店ですませ、腹ごなし次女のマンションまで歩いた。それから夕刻の葉のお迎え時間まで、求めたばかりの功利主義者の読書術を読む(買って正解)。10年前までだったら、すらすら読めなかったかもしれないほど濃密に読みごたえがある。が今は、知的興奮を覚える。何事も、特に私のようなぼんくらは、書かれている内容の多岐にわたる、あまりの読解力の深さに、驚かされる。老いても本を読める体力を限界までキープしたい。
夕刻四時半、葉と風香を仕事を終えた娘(娘は職場までバスで通っている)と迎えにゆく。もどって何時ものように洗濯物を入れたり畳んだり、お風呂他を済ませる。お仕事で遅くなる周さんは不在、四人での夕飯。餃子がメインでとーもろこしの茹でたの、スープ、ほかの副菜付き。私だけハイボール。食事中岡山の妻に電話を入れる。風香と葉の姿を画面で確認しながら、妻の声が聴こえてくる。喜んでいる。
![]() |
| 読書の凄さを知らされる |
午後八時、絵本リーディングタイム。鈴木のりたけさんの布団の絵本や、パディントンのおはなしなどを繰り返し読む。絵本のリーディングを終えると、葉が花火が見えると私を呼びに来る。思ったよりも立派な花火が、遠くに次々にうち上がるのを葉と次女の3人で見いった。
葉の喜びようはひとしおで、遠くの花火をスマホで撮っていた。最後の日の夜、思わぬ時間を葉や娘と共有でき、またひとつ五十鈴川だよりに打つことできる事が嬉しい。何気なく同じような生活のなか、時おりきらりと思わぬいいことが起こる。
もちろんいいことばかりではなく、辛いことも起こるのだが、糾える縄、交互を行き交いながら、鍛えられ家族は成長する。その事を雨が上がるのを願っている。肯定的に考えられる側にいたい、とおもう。
今日のお昼は病院へ行った次女からの連絡をまって、葉と次女私の3人で吉祥寺で待ち合わせてお昼をし、しばし葉と最後の時間を過ごしてから長女の住む稲城へ移動する。



