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2026-06-30

ワールドカップ、日本がブラジルに惜敗した日の朝、次女のマンションのリビングルームで打つ五十鈴川だより。

 日本がブラジルに惜敗したが、その事については触れない。覚めているわけではない、もうまったく別次元のどこかを揺蕩っている老人の私がいて、現世的、世間の常識のような世界には、当の昔おさらばした境地を生きているので、やはりどこか覚めた目で浮き世を眺めながめている。その事がどこか楽しい。そのようなことを臆面もなく打つ、老人の私がいる。

繰り返し4回読んだ絵本

思春期の頃、いかにこの世を生きていったらいいのか、皆目見当がつかず、途方にくれながらも、なんとかこの年齢まで生きてきて思うのは、何はともあれ、生きてきてよかったと思える自分がいる。

そのように思えるのは、おそらく自分が、とりあえず今は幸福感に浸ることができる日々を送れているからだと思える。

さて、東京旅3日目である。昨日お昼は、リモートワークの周さんが外に食べに行ってもいいと言ってくれたのだが、時間があったので、私がニンニク、ズッキーニ、玉葱、豚肉で炒め、即席レトルトスパゲッティを作って、男二人で済ませた。

義理の息子は優しい。あれやこれや私に気を使ってくれるので、意気に感じる古い、時代遅れの九州男子としては、偶さかの時間、ボケ防止もかねて、(このところ我が家でも簡単男料理を作っている、意外や意外楽しい)作っている。段取り力がすべて、後片付けまで。本を読むのと同様時間のかかる男料理だが、幸い働いてない日は、時間はたっぷりある。

老いては食べる楽しみを、作る時間も含めて楽しむように心がけることにしている。妻もそのような殊勝な私を見守ってくれ、手伝ってくれる。彼女のお手伝いが加われば、あっという間に、簡単な一品が出来上がる。

昼食後、少し昼寝、午後二時すぎ三鷹駅方面を約一時間散歩し、三時半戻りロビーで本を読む。午後4時半娘が仕事先から戻り葉を迎えに行くのに合わせ、私もゆく。マンションから葉、風香の保育園まで五分もかからない。戻って、少し休んで周さん以外お風呂に入る。次女が手早く、しゃぶしゃぶでの夕飯、次女が私にだけ、ハイボールを用意してくれている。全員で美味しくいただく。

ちびりちびり学んでいます

食後(真夜中の日本対ブラジル)早めに床につくと葉が約束の絵本を持ってくる。同じ絵本を繰り返し4回読み、最後動物が登山をする絵本で締めとした。葉は本当に聞き分けが良くなってきた。成長している。(爺馬鹿まるだし)夜中、日本対ブラジル戦を静かに見届け再び横に。

今朝、葉に起こされ、朝食(なんと朝食はカレーでした、バナナとヨーグルト付き)前、葉のドリルを見る。爺馬鹿、全部100点、まもなく5歳の葉には簡単すぎるようだが、お父さんは基本を繰り返しやらせている。キャッ、キャッ、ガハハハ、いっときもじっとせず、心と体が躍動し、絶好調。そのような葉にエネルギーを頂く。時折いたずら小僧をしかりながら。

8時すぎ、慌ただしい朝の時間(洗濯物を干したり、お風呂あらいなどなど)がすぎ、次女は仕事、周さんは孫たちを保育園へ。周さんは保育園に孫たちを送ってから、毎朝井の頭公園エリアを30分以上散歩している。

周さんが帰ってくるまでに、頼まれていた雨戸の埃落としを済ませる。私が五十鈴川だよりに向かうと、周さんが冷たいアイスコーヒーを入れてくれた。

2026-06-29

東京は三鷹下連雀、午前中次女のマンションのリビングで打つ五十鈴川だより。

 昨日午後一時過ぎ長女の住む稲城のマンションに着いた。次女家族が長女家族を訪ねていたので、渡す物もあったので、先ずは稲城へ向かったのである。

長女の娘未彩と、次女の娘風香はお昼寝中、私は昼食のお蕎麦を娘のところで済ませ、レイさん、周さん、ノア、葉、私の5人でレイさんの菜園場にきゅーりの収穫に行った。驚いた。面積はわずかな畑に見事なきゅーりや、ミニトマトが実をつけていた。あいにくの雨ではあったが、ノアや葉がハサミで収穫する姿にみいった。

収穫を終え、そこから車で10分の所にある稲城の天然温泉に男5人でゆき、しばし、露天風呂で梅雨の雨に打たれての温泉を、孫たちといきなり過ごすことができて、お爺としてはいうことなし。楽しかった。マンションに戻ると

風香も未彩も起きていて、全員で歓談ティータイムをして、娘たちは買い物へ。夕方四時過ぎ、周さんの車に、収穫した野菜、買い物の品々ほか沢山の荷物を積んで、長女のマンションを後にし、三鷹の次女のマンションに5時過ぎに帰った。私は前半は次女の所にやっかいになるので同乗した。あれやこれや全部で10位ある荷物をカートに積んで七階まで運んだ。カートに積めない荷物は、手や背中に。周さんは車を返しに行ったので、次女と私と葉の3人で運んだ。

下記に記します

部屋の入り口に荷物をおろし、カートは返した。玄関から台所に荷物を運ぶのを、テキパキと葉が手伝うのには驚いた。あと一月もすれば葉は五歳になる。わずかな数ヶ月逢わない間にぐんぐん葉は成長している。

風香はちょっと警戒心が強く、すっかり私のことを忘れていて、近づくと泣くのも成長の証、と受け止め、居るあいだに抱っこできるか出来ないかが楽しみである。

夕飯は次女が手際よく、あっという間に海鮮丼を作った。午後7時前夕飯を終えると、風香は娘と就寝に入り、私は葉とトランプゲームをしたりした後、絵本を数冊読んでやり、私も横になった。た。明らかに数ヶ月前とは異なる。一言でいえ、聞き分けができるようになってきている。この年齢の成長の微妙さは、お爺いさんの私にはなんとももどかしいほどに言葉にはならない。

今朝は六時半に起きるとすでに娘と風香、葉は起きていて、葉がすぐにパズルをやろうという。仕方なし、うろんな頭で付き合う。なついてくれているのがわかる。バーチャルではなく、いつもは画面のなかのお爺がそばにいる。

すぐに朝食タイム。卵かけご飯をいただく。旨い。葉はブドウパントースト(美味しいといってパクパク食べる、バターが好きである)目の前でご飯を食べているお爺が居る。ただそれだけで葉は面白がっている様子である。老人がただそこにいるだけで、髭にふれ、髪の毛の少ない丸い私の頭にやたらさわりたがる。役にたつ頭。そんなこんなたわいもないことが、子供は面白いのである。

あっという間に保育園に行く時間がやって来る。(出掛ける直前までユーチューブで好きな番組を見ている)娘は仕事に、周さんが風香と葉を送ってゆく。一気に静かになる。娘から掃除を頼まれたので、役にたつ老人に変身する。それをまず済ませたそののち、寸暇記録スケッチの五十鈴川だよりを打つ、爺である。

PS 昨日雨のなか、レイさんの菜園場できゅーりとミニトマトを収穫している男の孫二人、8歳になったばかりと、もうすぐ5歳になる。この二人との男時間が愉楽である。二人が中学生になるまでの時間をなるべく多く過ごしたい。


2026-06-28

8泊9日の上京旅に出掛ける前に寸暇打つ、早朝五十鈴川だより。

 朝、上京出発まで少し時間があるので新聞(以後、新聞は長周新聞の事です)を読む。6月22日と6月24日の郵送されてきたのを。配達の人の世界の責任ではないのだが、降り続く雨で、2日分はぐっしょり濡れていたので乾かし、ようやく読めるようになったのである。

紙面ページが少なく、庶民目線のこの新聞を隅々まで読むのが、最近の私の密やかなたのしみである。読みごたえがあるので、新幹線の中でもじっくり読もうとおもう。後期高齢者なのだが、有難いことに、文字を追う集中力は、今もさほどの衰えを感じない。

新聞を読む楽しみがこの年齢でまたもや訪れていることがいちばん嬉しい。好奇心は高貴心とはシェイクスピアの言葉である。何かに心がわくわく、どんなに個人的ささやかであれ、心が揺さぶられたりすることがないと、五十鈴川だよりはうてない。

読書の幅を広げたい。見つけた凄い本。

ほぼ9割は午前中の、よく休んだ体で静かな時間帯に打っている。打っていると、打ちたいこと、言葉が湧いてくる。

話は変わるが、長女、次女のマンションには住んでいる人たちがいつでも利用できる図書館がある。上京する度に利用している。そこでも五十鈴川だよりを打っている。新潟の旅でも、沖縄の旅でも、その場で打つ。お供はタブレットと数冊の本である。持参した本を読み終えると、私の好きな神田や吉祥寺の行きつけの古本屋や東京堂書店で、本を求める。

東京は20年以上暮らした街、大都会だが地図が頭に入っているので、高齢者になっても今のところ、まったく問題なく過ごせる。渋谷のスクランブル交差点や、若者が集う下北沢などの変化には、正直ビックリする。青年時代の思い出がぎっしり詰まっているからである。無常迅速(大監督小津安次郎が好んだ言葉である)という言葉我が体に染み入る。だが抗っても致し方ない、諸行無常の移ろいを受け入れながら、五十鈴川だよりを打ちながら流れてゆく。(のだ)

時折、普段の生活場所とは異なる、新幹線の中とか、娘たちのところで本を読んだり、五十鈴川だよりを打つのが、実はとても楽しい。日常の延長のような、ささやか極致の高齢者旅旅、お金のかからない、有意義な旅が私はやりたい。8泊9日の上京旅、楽しみである。

2026-06-27

台風のために、上京を1日延期した朝に思う五十鈴川だより。

 起きると雨が止んでいた。この数日の雨続きで散歩が叶わなかったので、早朝の運動公園に行き、裸足で芝の上を歩く、鉄棒にぶら下がる、懸垂をする(最低一回は試みる)決まったルーティンワークをやると、有難い、74歳の体の細胞が動き出す。

やる前と後では、気分がまるで異なる。体は不思議である。老いてゆく日々、体を前向きに、上向かせるためには、わたしの場合我が体に刺激を与えることが不可欠である。続けるコツは、決して無理をせず楽しくやる。これだけである。

大先輩の遺言に耳を傾ける

わずか30分程度の時間、ルーティンワークを終えると、運動公園の雨にうたれた樹木を眺め、一番気に入っているヒマラヤ杉に触れる。

無数の針の枯れ葉が足にチクチク絡む。洗って靴下をはく。足の裏にはたくさんのツボがあるというが、大地にあんましてもらった我が足は、今も足の裏がじんじんしていて気持ちがいい。

さて、よほどのことがない限り、労働をしていない日は、五十鈴川だよりを打つことで、休日が始まる。朝の体動かし散歩で気分を上げて五十鈴川だよりを打つ。自分を乗せてゆく。集中しないと五十鈴川だよりは打てない。

(とここまで打っていたら、長女家族、次女家族から続けて電話あり。しばし文章を打つのを中断し、再びうち始める)

一日上京するのが延びたら、次女の息子の葉が、私が来るのを楽しみにしていたらしく、残念がっていたのを知って、お爺としてはちょっと嬉しい。この五年の間に、次々と孫に恵まれたお陰で、ほんのわずかでも孫たちや、娘夫婦のお役に立てるのが、老いの努めだと私達夫婦は考えている。お役にたつことが楽しく面白いのである。嫌でもお役に立てなくなるのだから、体が動くうちにと、考えているだけである。

ことさらな理由なんてない。手があれば、と思うことが子育て真っ最中にはひっきりなしにある。買い物、掃除、洗濯、子守り、お迎え、などなど休みなく連続しての終わりのない日々から逃れられない。

梅雨の日々、花一輪で、気がはれる

平凡な思い出を刻みたい。有難いことに、娘夫婦両家族、我々が交代で上京するのを喜んでくれる。だから安心して、この8年間上京している。親子であれ、友人であれ、風通しの良い関係性を持続キープしてゆくには、それ相応の配慮というものが必須である。

話を変える。今年ももうすぐ半年が過ぎる。世界の混沌の行き先は、庶民凡人の私には霧に包まれて、ようとして先の見えない、とらえどころのない時代である。が、私はそのような時代であるからこそ、シンプルisベスト,私にできる当たり前の普通の家族の生活をやりたい、見つけたい、というおもいがある。

当たり前、我が家族は世界に一つである。孫たちと過ごせる時間は限られている。そばで同じ時間を過ごしたい。ただそれだけである。ことさらな旅行とか、高価な食事など不要。一緒に買い物に行き、ご飯を作り、お風呂に入り、掃除をし、洗濯物を干したたむ。お話しをする。散歩をする。共に生活する。これがいちばん素敵なことなのである。

娘夫婦は日々忙しいので、孫たちの様子を含む、生活のスケッチを、五十鈴川だよりに綴るのも脳トレで寸暇打ちしたい。孫たちの今は、かけがえがない。わずかであれ、写真だけではなく言葉で記録したいのである。こればかりはお爺の特権である。10年後、私は五十鈴川だよりはうてないかもしれない。だから今打つのである。






2026-06-26

瀬政さんから思わぬメールをいただいて思う、降り続く雨の朝の五十鈴川だより。

 二日前、盟友と言ってもいい瀬政さんから、有難いメールを頂いた。嬉しかったので瀬政さんからお許しを得て、瀬政さんの実名で、瀬政さんを知る家族や、兄などにメールを転送した。

瀬政さんとは、この激動の時代、人心が絶えず揺れ動くなかにおいて、すれすれのところでの交友が、あうんの呼吸で続いている。先日のようなメールをもらうと、普段の生活のなかでの交友時間が少なくても、きちんと五十鈴川だよりを読んでくれている、のだと感じ入る。

大なり小なり、私などは自分のことに精一杯で、他者のことに思いを(五十鈴川だよりをきちんと読んで、コメントするのはよほどのことである)馳せることが至難である。だから有り難く嬉しい。しかもありきたりなメールではなく、それも面映ゆいほどの文面である。

25年位前、南インドカルカッタでの瀬政氏

ほとんど人に誉められたり、評価されない、思い返せばお恥ずかしいほどの人生を、よたよた(今もでである)なりふり構わず生きてきたので、後期高齢者の今、このようなメールを頂くと、じわっと老いの体に血が駆け巡る。だれかがどこかで見ていてくださっているのだと。

凡人なりの五十鈴川だより、折々綴り打って来なければ、このような有難いメールはいただけなかったのでは、と思う。

素直に自分の体と心が気持ちのいい方向に流れて行きたい、という感じは、老いるにつれてますます深まる。この年齢になると、ぶっちゃけ、現世での、世間の価値観などどうでもよろしい。

マイノリティであるからこその、オリジナルあふるる時代に流されない、棹さして発言する人に私は限りなく惹かれる。それと体を張って生きている人間に。職業は関係ない。ただ一寸の虫の良心、心意気、誇りを持ち、戦争だけは忌避する志を持ち続けるヒトと繋がり、連帯したい。

やむにやまれぬ事情で一時撤退しても、じんわりやりすごし、再び時期が来たらアクションを、あくまでも平和的に思考実践する。そのような個人的行動、私の文面を、面識を得て30年以上、瀬政さんは私が岡山に移住して、間近で私のあれやこれやを、いつも側面的に支え、見守ってくださる得難い方である。

一口に30年、生まれたばかりの赤ちゃんが30歳である。しかもこのような御時世に関係性が持続してきたことの(良き思い出ばかりではない)不可思議をおもう。その不思議な事実を私は五十鈴川だよりに打たずにはいられない。人の心は移り行くのが摂理、自然であるからだ。

長きの間、付かず離れずの交友で、氏から何度か長いお手紙も戴いている。今年からあらゆる処分をしているが、決して処分できないお手紙は、私とともにあの世に行くことになる。現世で稀な交友が持てた幸福を頭がしっかりしているうちにきちんと打っておく。でないときっと後悔する。


2026-06-25

降り続く、梅雨の雨の午前中に思う五十鈴川だより。

 雨が降っている。我がふるさとを始め、各地で大雨が降りそそいでいる。2018年(だったと思う)すぐそばの砂川の上流が決壊し、一日ボランティアをしにいったことがあった。以後梅雨の最中に、各地での浸水によって家が水浸しになったり、道路が土砂崩れになったりする映像を毎年のように見る。(天変地異には言葉がない)

つくづく、いろいろな意味で生と死、悲惨な出来事は、他人事ではなく、何時なんどき我が身にも起こっても不思議ではない、のだと想い至る。これまで無事に生きてこられた事、アクシデントを寸暇の手前でしのぎ、生き延び、平凡健康で存在していることの有り難さを、雨音を聞きつつおもう。

言葉を失う本である。

さて、昨日雨の中何とか労働し、今月はもう今日からお休みである。妻は雨の中での労働を、心配する。確かに年齢を考えると無謀な行為に見えるのも無理はない。現代人にとって雨の中での労働、第一次産業、力仕事などの労働は、どこかスマートさにかける趣があるように見える。が私は意にかいさない。私に合っている、のだ。

(もっと打てば、食い物、米、野菜、肉、魚、宇宙の摂理ゆえに、戴ける、もっとも生物にとっての命の元素、そこを一番大切にせず、金儲けの手段を最優先し、第一次産業を大切にしない国をわたしは信じない)

私のアウトドア大好きは、自分でいうのもなんだが筋金入りなのである。小学校から中学生までのほとんどを(学校以外で勉強をした記憶があまりない)アウトドアで過ごし、富良野、築地、中世夢が原、そして九年目に入ったいまの労働をいれると、7割位アウトドアでの人生時間を歩んでいる。だから、お日様が出ている時間、インドア生活は私には無理、できないのである。

環境のなか、生物体としての私は、水を得た魚のように、外の空気、光が体に直接はいらないと酸欠状態になる。(のだ)、労働の前、夜明けの空気と光に包まれて、しばし一人時間を倉庫で過ごすのが、この八年、いまもわたしの無上の楽しみの時間である。

レイさんが稲城の菜園場で育てた見事なきゅーり

冷蔵庫があり、コーヒーが飲め、朝食も採れる。誰にも邪魔されずに、沈思黙考(おしゃべりな私だが一人なのだから、当たり前誰ともはなさない、自分と話すのみ)できる、今や私にとって必要不可欠な場と空間なのである。

とここまで打って、話を戻す。もちろん毎日が雨であれば嫌気もさすだろうが、月に数回なら何て事はない。積み重ねてきた経験値が体に染み付いているので、もうアカンと思えたところで止めるだけ、それ以上やるのは愚である。諦めるのである。

子供の頃、雨の中で泥んこになって遊んだ記憶が未だ残っている。濡れた体を拭いて、母が用意してくれた衣類に着かえた時の気持ちよさを、私は忘れてはいない。(宝の想いでである)

作業ズボン他、肌着から一切合切常に車に積んである。だからこの程度の雨ならしのげる目処を、体が知っている。雨が上がり、日がさして来て、草むらから靄が立ち込めてくる様は、幻想的でしばし幼年期の原風景が甦る。記憶のなかの幼年期の自分と現在の自分が交差する。誰もいない。草刈り機の音が響く。

終えてお昼、家で温かい麺類をいただく。労働の後のお昼は、この歳でも格別にうまい。お恥ずかしながら、美味しく頂くために、わたしの場合労働している面もある。歳をとり食事が美味しく頂けるのは、果福である。


2026-06-21

菅原文太さんの対談集、[ほとんど人力]を読みつつ、勇気を頂く今朝の五十鈴川だより。

 曇りと雨の予報であったが、部屋に陽射しが、青空も見える。老い楽の綴りかた、五十鈴川だよりは日録としても、不可欠になりつつある。

昨日は終日雨であったので、ほとんど部屋で過ごした。このところ休日はちびりちびり、本の整理処分を進めている事はすでに何度も触れている。手元に最後まで置いて起きたい本と(将来孫たちが手にしそうな本は彼らに選んで貰おうと思う)、不要な本を選別している。


遅々として進まないのだが、それでもこのアクションを起こしたことで思わぬ、これまでの人生を振り返る貴重な時間がすごせている。とくに東北原発津波大震災以後に求めた、私が還暦以降に買った本は、今を生きる私に限りなく勇気をもたらしている。

今から11年前の、2015年、私が63歳の時に求めた、菅原文太さんが17人のその道の達人たちと対談した[ほとんど人力]という本を昨日から読んでいる。

年齢を重ね、買った当時よりも、はるかに身に染みて読めるのは、きっと物事を深く感じる力がついてきてきているからだと、いい方に勝手に考えている。縁あって求められた幸運に感謝である。この本は2013年に、お亡くなりになって間もない頃、菅原文太さんを追悼、出版されている。

当時、すでに五十鈴川だよりを打っている。打ち続けているからこそ、再び本棚の整理で読む機会が持てた。本の帯に菅原文太の魂ここにあり、とある。それまで有名な映画俳優と云うくらいの認識しかなかったのだが、何がここまで菅原文太さんを駆り立てるのか、死を賭してまで日本の時代の行く末を憂える魂の心意気に、私は打たれる。


梅雨の時期、高齢者は体調管理が老いと共に難しくなる。文太さんの見かけの豪放磊落さとは全く異なる、思いやりが半端ではなく、ユーモアがあり、繊細で真面目な勉強家であられたことを知った。

晩年は山梨でお百姓生活をされていた事もこの本で知った。何よりも真っ正直である。(このような昭和の快男児が本当に居なくなった。私は寂寥感に佇む)

また対談相手が多士済々、17人の強者を相手に、恥も外聞もなく、素直な疑問を真っ向勝負挑む。修羅場を潜ってきたもののみが成せる、まさに正真正銘の遺言とも言える対談集である。

そんじょそこらのインテリには逆立ちしてもできない。芸人魂、人間力が香りたつ。一言カッコイイ。(憧れる)相手が菅原文太であるからこそ、第一線の達人が集結、金ではなく馳せ参じたのだとおもう。

(このような昭和の芸能者が居たことを五十鈴川だよりを打つものとして、打っておく。ニュースをきちんと見なくなって久しいので、佐藤愛子さんがお亡くなりになったことも、図書館で知った。刻一刻私の脳裏に浮かぶ、時代が生んだ稀人、小説家や芸能者が冥界に召される。一行でもしっかと五十鈴川だよりに刻んでおきたい)

外見や俳優としての役柄などで、菅原文太という存在を全くといっていいほど知らなかったが、人間としての魅力は、とてつもない。菅原文太であるからこそ、17人のその道の強者が胸襟を開いて、明け透けに語っている。17人のうち6人は私も知らなかったし、未分やの方である。

対談者、中村哲、西部まん(漢字の読みが間違っていたらすみません)、大田昌秀、金子兜人、丹羽宇一郎、の方々はすでにこの世にない。(私が知らないだけでもう他界されているかもしれない)。菅原文太さんの遺言対談を常に側に置いて、見えない文太先輩と交信したい。

PS 上の写真は、昨日午前中三時間くらいかけて、土を落とし、根を切り、塩で何度も揉み、洗い、赤トウガラシを入れ、3キロ浸けた今年のラッキョウです。ラッキョウや梅酒を浸けるのは還暦以降に始めたのだが、今年もできた。日々の生活の、老いてもゆっくりとできる嗜み、喜び、妙味を見つけたい。


2026-06-20

一つの記事が、アクションを起こす、梅雨の朝の五十鈴川だより。

 6月12日の長周新聞で、ボリビア.ウカマウ集団の全映画作品が7月4日、東京都小平市、学園坂スタジオで連続上映されることを知った。


もし長周新聞を購読していなかったら、ラテンアメリカ先住民の生き方を、記録に収めた映画を観ることは永久になかったかもしれない。この記事を読んで、ちょうどひさかた孫たちに会っていないし、時折、最近孫たちから電話がかかってくるので、お爺としては何かにかこつけて、叶うものなら、意味もなく孫たちとの時間が過ごせれば、とのおもいなのである。

だから、来週26日から7月5日まで、急遽上京する事にした。というわけで我が高齢者生活は何かと忙しい。老いを受けいれながら、体が自然に反応する記事や本からの刺激に、素直で有りたいだけである。次女の住む三鷹から小平市は近いし、長女家族にも会いたい。

何度も打っているが、娘たちに恵まれ家族を持て、その上次々と孫に恵まれ、お陰で元気に労働するエネルギーを個性豊かな孫たちから頂いている。爺バカを自認している。我が年齢を冷静に考えると、3ヶ月に一度位の頻度での孫との時間は、老いの悦楽、こればかりは老いたからこその果報である。(これからの数年はとくに大切なのだ)

もしこれが、年金生活だけであれば、悲しいかな三月に一度の、孫たちとの逢瀬は、ちょっぴり寂しい。丸八年以上、元気に労働出来ていることの幸堪を想うとき、じわり込み上げてくるものがある。動く体と少々のお金は絶対的に不可欠である。だから、働くのである。

一昔前だったら、とうにあの世に召されている年齢である。が幸か不幸か、もちろん若い頃とは比すべきもないが、個人的日常生活のなかで、いまのところ殊更に老いを実感する頻度は多くはない。連続一時間以上草を刈れる体力があるし、本を読む、読める集中力も(深く味わう想像力、知的感受性は増しているようにさえ思える、臆面もなく)かわらない。

梅雨の朝、紫陽花眺め、五十鈴川。

一つの記事に体が反応する。多分これが無くなったときに、老いをただ静かに受け入れたい。多分その時には孫たちとも遊べなくなる。それでいいのである。それが自然なのである。会えるときに会っておく。喰えるときにくっておく。刹那、刹那、一日一日を大事に生活したい。これが信条になりつつある。

こういう心持ちになれたのは、桑江良健、純子さんの住む、隣にある近さの愛楽園で、これまでの人生を振り返る時間が持てたことが起因している。(そこで考えたことはちょっとやそっとでは打てない)それから長周新聞(新聞を直接手渡しされたこと)沖縄支局のGさんとの出偶いが、大きい。

ややもすると、岡山での足りた生活の中で、埋没しかかっていたかのようなわが高齢者生活に、Gさんは日本人の一人としての私に、根源的に物事を考えてほしいとの願いを直接伝えてくださったのである。正直、沖縄の歴史についてのあまりの無知蒙昧さに内心忸怩たるおもいを、抱えている。

が、私はGさん、桑江良健さんに出会えたことで、目には見えない変化が、起こっているのを感じる。その感じは、これからGさんや桑江さんとの関係性を深めてゆくなかで、自分がどのように変化するのか、しないのかを見つめたい。



2026-06-17

前川喜平さんと佐高信さんの対談、新書版の本を読み終えた午前中の朝に思う五十鈴川だより。

 サッカーwカップ、日本代表がオランダと引き分けたことで、メディアの報道は過熱している。国民が熱狂している映像がこれでもかというくらい流されると、老人である私はうかれるのもほどほどにという気分になる。

だが誤解なきように打っておくが、森安監督始め、躍動する若き日本人選手の堂々たる戦い、先制されても、冷静に反撃し大方の予想を覆す、意外性の極みみたいな戦いかたに、日本人のひとつの特性というか国民性のような(これが他の面に利用されると怖い)ものを、私は感じてしまった。


これが野球やサッカーであることの日本のよさチームワークの賜物の、ひとつの閉塞感を破る明るいニュースであることを、素直に喜んでいるが、そうそう浮かれていられないほどの、世界の混迷カオスに関して、ここはひとつ冷静に私のような老人にも、分かりやすく今の世界の状況を冷静に分析し、府に落ちる形で伝えてくれる、人が現れることを私は望んでいる。

私のように生活に追われ、物事の本質を思考する訓練をせずに長年、この戦後のほとんどを生きてきて思うことは、努々戦前の教育体制と戦後の教育体制の相違を、しっかと把握しておかないと、危ないというに認識をかろうじてもっている。

もっと打てば、このような認識がなかったらとてもではないが万座に恥をさらす五十鈴川だよりなど打てるものではない。

と、ここまで打って思うのは、明らかに私自身が老化の渦中を生きていいて、その事をどこかで自覚しながらも、このままではあまりにも情けない日本人の一人として、生を閉じるのは、アカンと思うからである。フェイクの時代、SNSがさらに拍車をかける時代の奇妙さを生きているが、老人である私は、ほとんどデジタルSNSには手を出さないで、アナログ時代を、未だ生きている。

正直、今の世の中ウンザリしているし、なにも余計な情報など不要、だが老人なりにしっかと生きて生活出来ている。そのような生活を持続している友人諸賢も多数存在している。しっかと地に足をつけて思考生活を持続している友人知人と連帯したい。それが老人の希望である。

佐高信、前川喜平、両氏の対談は読みごたえがあった。とくに、80歳にして、歯にきぬきせず自分の考えを述べる佐高さん、前川喜平さんの弱者の視点を揺るがせにしない、生き方に打たれた。一気に読み終えたが、つくづく長いもの巻かれやすい時代の到来を、個人的に感じている。危ない。自分も含めて疑う、これが胆である。



2026-06-14

本の整理や処分をしなが身軽になり、捨てられない本から、今を生きる糧を頂く五十鈴川だより。

 どんよりとした曇り空の朝、静かである。書斎というほどではないが、乱雑に積みおかれた、入るのが億劫になる部屋の整理、私がこの世から消えたら、娘が困るような品物を順次ちびりちびり処分している。いまだ肉体労働もやり、五十鈴川だよりを打てるほどに元気な私なのだが、明らかに老いが忍び寄っているのは自覚している。だから、勇をこしてやっている。


蒙が開かれます

あまりの無知の自覚を、18歳で体感してからというもの、ようやっと私の人生は始まったのだと言うことを本棚を眺めていると分かる。これらの本のおかげで、何とか今現在まで生きてこられたのである。

そう思うと、簡単にはお別れができない。お別れしても良いものと、お別れできないものとの、区別整理を年内には終えたいという願望はあるが、そうは問屋がおろさないだろう。

話は変わる。古希を過ぎて老眼が進んでいるが、本を読むという楽しみには今のところ支障はない。老いても、最後の心の拠り所としての本を、大事にしなくては、と思いつつ整理を進めている。

整理していると、読んでいない本、再読したくなる本などが次々と顕れる。そうなるともういけない。遅読の私の時間はすぐに過ぎてゆく。でももういいのである。気分の赴くままに二つの部屋(寝室にも本棚がある)をいったり来たりして過ごすのが、このところの休日の楽しみなのである。


したがって、よほどのことがない限り休日、私は外出しなくなってきた。私なりの気持ちのよいよい老人生活の日々が送れている。(臆面もなく打ちます)お金や物、華美な欲望に足をすくわれない、目には見えない心地良さを見つけたいのである。自分がこれまで執着していたこと、やってきたことを、手放せるものは限りなく手ばなし、手放せないものを大事に、囲まれて生活したいのである。先ずは、数年前までは存在していなかった孫たちとの時間を最優先に生活したいのである。私の元気な時間は、有限である。そのような気持ちになったのは、先日の沖縄、桑江良健さんのあじくーたーの世界へ、旅をしたからである。それと、良寛の言葉に偶々触れ、短いのだが書写したことによる。私ごとき煩悩者には程遠い感覚とはいえ、生きている間に、少しでも自由と慈悲いう、奥深い人間としての最低倫理、哲理を一ミリでも学びたい、のである。PS  したの写真も上の写真も整理していて手にした本。赤坂真理さんの本は12年前の本ですが、素直な疑問が、こうまで戦後の不可解さをあぶり出すという意味で画期的な今も十分に読みごたえがあり、老人の私は教えられ学んでいる。石川九楊先生の本、書写をしたい私には必読の本である。 


した




2026-06-13

長周新聞沖縄支局の、Gさんとの出偶いで、沖縄の幾多の言語を絶する苦難の歴史を虚心に学びたい、今朝の五十鈴川だより。

 五十鈴川だよりが打てる朝が来た。日中は暑いが朝夕はまだ涼しいので、後期高齢労働者である私は、真夏、夜熱帯夜で睡眠がとれないのがいちばん辛い。が、今のところ眠れないことがない。ぐっすり眠れている。良く眠れない体ではまず働けないし、五十鈴川だよりも打てない。

下記に記します。ちょ

もうこの年齢になると、一日誰にも迷惑をかけず、身近かな手の届く範囲での生活を大事に生きたいとの念は強まるばかりである。

自分の力ではどうにもならない、例えばコロナで音読ができなくなったり、手術で弓が引けなくなったりして、執着打ち込んでいたことが叶わぬような状況になったとき、思えばあっさりと手放してきた。

これまでの人生で、アカン、もはやこれ以上続けても、よきことにはならないと直覚したら、私はあっさりと手放してきた。

61歳で中世夢が原を辞した際も、嘱託で65歳まで働けたのだが、往復の通勤時間、あらゆることを勘案し辞した。安定生活よりも、もっと違う生活を志向する自分がいたからである。

あれからもう13年の時が流れ、音読塾を閉じて6年が経つ、すべては光陰矢のごとしである。長くなるので簡潔に、事実のみを打つ。古希を過ぎて4年と4ヶ月、折々五十鈴川だよりを打っているので、この間私が何をしていたのかの記録は幾ばくか残っている。打ち込んでいたこを手放しても、次々と他力の力で今現在も、何かと新しい充実した日々が続いている。何よりも、この6年の間に、新しい命、三人の孫に恵まれ私の生活は一変した。

そして思う。無駄なことは何一つなく、昨日、今日、明日と連めんとながれ、宇宙空間を地球は公転自転する。だが死は遅かれ早かれやってくる。古希直前の手術でその事を体感した。手術のおかげで私はあれからずいぶん丁寧に(性格は直らないが)生活している。何よりも体をいたわるようになり、決して無理をしなくなった。

下記に記します。

死をオーバーではなく、絶えず身近に感じながら、自分にとっての気持ちのよい一日を心かけ生活している。

デジタル音痴、時代についてゆきたくもない、アナログじいさんだが、楽しんで生活をしている。少数だが五十鈴川だよりを読んでくださる方をはじめ、このような私をそっと見離さない奇特なご仁が私のまわりにはいてくださる。感謝しかない。

今、あらゆることを順次手離しながら、どうしても手離せない大切な存在(本も含む)とのこの世を、いかにいきるのか、活きないのか、と老いて尚ハムレットのように、世界が牢獄化(支配、被支配、貧富超二極化、あらゆる分断、孤絶化、AI化、 人間の良心の弱体化、思考停止か、などなど)してゆくかのように思える、いまを感じる。思考停止したくない。

何度も打っている。他人にされて嫌なことは、他人にもしない、それらいしか、私には大層な思想信条はない。爆撃される人間の側のあまりの悲惨に、想像も及ばないような鈍感な老人にだけはなりたくはない。

爆撃する側の世界観を暗黙のうちに(思考停止)支持してしまう人とだけはお近づきにはなれないし、なりたくはない。そのような私が、今年一月、長周新聞沖縄支局のGさんと出偶ってしまったのも、何か運命を感じる。

時折、岡山という地場を離れ、沖縄にもうでGさんを媒介にして、元気なうちにいろいろなことを学ばねば、という気持ちになる自分がまだいる。その方向にながれてゆきたい、私がいる。

PS  上の写真は私が心から尊敬する女性、昭和の大女優高峰秀子さんの夫であった松山善三さんについて、養女の斎藤明美さんが2012年12月に出された大切な本。もう14年前の本、何度読んでもジーンとなる私がいる。高峰秀子さんが書かれた(自伝、私の渡世日記)はあまりにも素晴らしい。何度も生きる勇気を今も頂いている。

下の写真は一月にお目にかかった際、Gさんから手渡されたた、41ページの小冊子です。私自身が直視するためにアップします。(平和の有り難さが沁みてきます)

2026-06-10

雨のなか、猪風来美術館のまわりの草刈りを、Kさんと共にやれたことの幸堪を五十鈴川だよりに打つ朝。

 いかにも梅雨らしい天気が続いていたが、今日は梅雨の晴れ間が拝めるらしい。さて、3日前の日曜日、猪風来美術館で午後トークイベントがあり、ゆく機会が限られているので共に働いているKさんと午前中雨のなか草刈りをした。春の野焼き以来のコンビでの草刈り。

まさか雨のなかでの草刈りをすることになろうとは思いもしなかった。そもそもそも、Kさんは晴れていたら(農家なので、麦の収穫)行けないとのことで、私も一人では危ないし、当初草刈りをする予定ではなかったのだが、予報では雨なので、Kさんが雨なら行って草刈りをしようと、彼の方から申したのである。

彼の方からの申し出に、私も一気に草刈りをやる気になった。まさか彼の方から、草刈りをやりましょうと言われるとは思いもしなかったので、一言でいえば感動したのである。斜面のきつい同じ場所を二人で刈ったのだが、この場所は一人では危険である。Kさんとでなければ私は決してやらない。

自然の神秘に打たれる。

Kさんとは、今私が働いているところで丸四年共に働いている。普段の付き合いはほとんどない。がこの四年、私の企画を含め、いろいろ煩雑な私の手では余る雑事の一切合切を、嫌な顔ひとつせず、引き受けてくださる、寡黙だが要所要所抜かりがない。時折キラリユーモアもある。得難い方である。

当日の二人の行動記録を五十鈴川だよりに打っておく。朝6時半Kさんが我が家に(彼の家から20分)、荷物を彼の車に積みこみ出発、2号線バイパスから岡山空港のほうに、吉備中央町から高梁を抜け(高梁で蕎麦屋の営業時間を確認)、法曽に9時前についた。雨の中、即草刈りに。二度めとはいえ雨なので、足元を確認しながら慎重に刈った。

とはいえ、春に一度刈った場所なので、想像したよりもさほど草、笹が伸びておらず順調に作業をすることができた。ほぼ一時間やると燃料がきれる。補充休憩する。その時、猪風来さんから、生まれて初めてモリ青ガエルの巣を教えて貰った。感動した。猛烈に孫のノアに見せてやりたくなった。

続いて第二ラウンド開始、二人でほぼ斜面を刈り終えることができた。濡れた衣類を全て着かえ、サッパリしてふたりで高梁の蕎麦屋でお昼(Kさんの言葉に甘え、運転をしない私はビールの中瓶を飲んだ。その美味しさは格別だった)をして、午後一時半からのトークイベントに参加、午後三時前猪風来美術館をあとにした。午後五時我が家に着いた。

春と先日、職場以外、猪風来美術館でKさんと共に草刈りをしようとは思いもしなかった。嬉しいという以外ない、想定外のサプライズである。歳を重ね、元気に動ける体の、有り難さはこればかりは歳を重ねたものでないと、実感としてはわからないであろう。その時間を普段週に二回、職場で共有し、仕事以外、何よりも猪風来美術館の斜面を二人して刈れたことの、雨の日の思い出は、水滴のようにきらきらと私の内面で輝く。

翌日月曜日、(Kさんは火曜日と木曜日、私は月、火、木、金)一人で働いていた。午後から雨が降ってきた。倉庫から離れた場所にいたので、そのまま一時間雨のなかで、このところはまっている草取り作業を続けた。二人での斜面草刈りを何度も思い出した。K氏と、この時代の片隅で、このような滅多にない人間草刈りを、共に気持ちよくやれた事の幸堪を(共にケガもせず)、五十鈴川だよりに打たずにはいられない。

そして思う、猪風来美術館の草刈りを、K氏と共にこれからもやれることを、私は願っている。そしてKさんと、一年でも長く共に体を動かし働き、草刈りが出来なくなるまでの時間を共有したいと願っている。


2026-06-06

梅雨入り、曇り空、6月最初の朝の五十鈴川だより。

 昨日午後、名護、屋我地に住む、桑江良健さんからお葉書が届いていた。じっくり何度も何度も読み返している。直筆の文字の、良健さんの文章を読んでいると、わずか3泊4日過ごした、屋我地の風景が忽然とよみがえり、未だに、出掛けて本当に良かったという思いが、老人の体を駆け巡る。

下記に記します。

台風の雨で休んだ日以外は働いていたので、6月最初の五十鈴川だよりである。もう今年も5ヶ月が過ぎたのだが、自分でも、充実した日々が送れていることの幸堪を、のうのうと綴る自分がいる。

沖縄から戻って来てすぐに、長周新聞への依頼された原稿を何とか書き上げ、Gさんに送ったのだが、お礼のメールをいただいた。また、あじくーたーの世界への旅、桑江純子さんから心のこもったメールを頂き、拙文を現すことができた喜びに寸暇ひたった。

充分に、縮んで来つつあるなあと思える、現在の我が体だが、辛うじてなんとか一文が紡ぎだされてくる。停滞すると我が体の水は流れない。桑江夫妻、猪風来ご夫妻に共通するのは、純粋性の極致といっても過言ではない。ひるがえっておのれはいかに。汝自身を知れ、とはなんと深く、哲学的言葉であることかと、いまさらながら駿巡する。

復讐するは我にある、という言葉が聖書のなかにある、ことを知ったのは還暦を過ぎの頃である。(間違っているかも知れない)、小説のタイトルにもなっている。いずれにせよ、ふかい、深い哲学的な全人類の叡知が、今もって思考を続けるテーマである。とてもではないが、私のようなノータリンには、畏れをなして近づきたくはないテーマである。

小さい花が部屋のあちらこちらに。

だからいつものように、話題を変える。またか、と思われても最近は厚顔なのでとんと気にしない。見開き四ページの、小さいが志の大きな長周新聞を愛読している。老人の私をかくも活性化させるのは何故なのか。それは自分のなかで何か訳のわからない、名状しがたい変化、変動が起きている、からである。それを言葉にするのは不可能である。だから、日々の生活の中で行動、実践し続ける、ということぐらいしか今はいえない。桑江さんを入口に、沖縄への旅を続けたい。

長周新聞は、精神のビタミンである。縮みゆく肉体を引きずりながらも、どっこい生きているおのれの肉体の今を、対象化、日々を刻む為の切り抜きが、最近の私の楽しみである。渾身の記事や、連載(太平洋の波間から、パプアニューギニアの原生林の伐採、日本企業の横暴、現地の人々の苦悩を伝えて余りある、詩人金子みすゞの下関、デジタル教科書の是非、などなど、読みごたえ充分である、)投書にもそのかたの人生が浮かび上がり、想像力がいたく刺激される。思わず、紙面を通じて、お近づきになりたい、と思わせるほどに。

ところで、先日私の体の定期検診に行ったのだが、身長が一センチ縮んでいた。あらためての老いを実感したが、縮んだものは仕方がない。数値化された我が体の一覧表をみる。手術退院後、この5年ほとんど変化なし。今日の体でいかにいきるか、がいちばん大切なのである。

PS 昨日夕刻切り抜いた記事の一部を読めないとおもいますがアップしました。切り抜いたがために切り抜けないものは、文字でかすかであれ文字で記録することにしました。平日はまず労働第一、休日は五十鈴川第一で、優先順位で一日をずごす。あっという間に一日が終ります。