サッカーwカップ、日本代表がオランダと引き分けたことで、メディアの報道は過熱している。国民が熱狂している映像がこれでもかというくらい流されると、老人である私はうかれるのもほどほどにという気分になる。
だが誤解なきように打っておくが、森安監督始め、躍動する若き日本人選手の堂々たる戦い、先制されても、冷静に反撃し大方の予想を覆す、意外性の極みみたいな戦いかたに、日本人のひとつの特性というか国民性のような(これが他の面に利用されると怖い)ものを、私は感じてしまった。
これが野球やサッカーであることの日本のよさチームワークの賜物の、ひとつの閉塞感を破る明るいニュースであることを、素直に喜んでいるが、そうそう浮かれていられないほどの、世界の混迷カオスに関して、ここはひとつ冷静に私のような老人にも、分かりやすく今の世界の状況を冷静に分析し、府に落ちる形で伝えてくれる、人が現れることを私は望んでいる。
私のように生活に追われ、物事の本質を思考する訓練をせずに長年、この戦後のほとんどを生きてきて思うことは、努々戦前の教育体制と戦後の教育体制の相違を、しっかと把握しておかないと、危ないというに認識をかろうじてもっている。
もっと打てば、このような認識がなかったらとてもではないが万座に恥をさらす五十鈴川だよりなど打てるものではない。
と、ここまで打って思うのは、明らかに私自身が老化の渦中を生きていいて、その事をどこかで自覚しながらも、このままではあまりにも情けない日本人の一人として、生を閉じるのは、アカンと思うからである。フェイクの時代、SNSがさらに拍車をかける時代の奇妙さを生きているが、老人である私は、ほとんどデジタルSNSには手を出さないで、アナログ時代を、未だ生きている。
正直、今の世の中ウンザリしているし、なにも余計な情報など不要、だが老人なりにしっかと生きて生活出来ている。そのような生活を持続している友人諸賢も多数存在している。しっかと地に足をつけて思考生活を持続している友人知人と連帯したい。それが老人の希望である。
佐高信、前川喜平、両氏の対談は読みごたえがあった。とくに、80歳にして、歯にきぬきせず自分の考えを述べる佐高さん、前川喜平さんの弱者の視点を揺るがせにしない、生き方に打たれた。一気に読み終えたが、つくづく長いもの巻かれやすい時代の到来を、個人的に感じている。危ない。自分も含めて疑う、これが胆である。

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