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ご挨拶

昨日仕事を終え、7時近く西大寺の駅に降り立ったら、なんともや美しい月が出ていてしばし見とれました。囲炉裏通信には何度も書いたけれども、私は月がことのほか好きです。月の満ち欠けで人間の身体が微妙に反応するのが実によくわかります。さて、その春の満月を、仕事を終えた方々がどれくらい眺め、見入っていたのかは知る由もありませんが、私は典型的な感性情緒型の人間であることを、ここに記します。

つまり合理的なことや、分析することが苦手な性格です。であるがゆえに、このような人生を歩んでいるのだと、還暦になっても、雀百まで踊り忘れず、という言葉が、ことのほか沁みます。

さて、急に動き出した・五十鈴川だより・なぜこういうタイトルになったのか、ご挨拶をかねて少し書きます。書きだしたら長くなるのでなるべく短く。私は1952年生まれ、宮崎県東臼杵郡門川町生まれです。その古里を流れている川の名前です。私はこの川で泳ぎを覚えました。覚えて以来、小学5年生の夏まで、毎年この川で泳ぎました。この川の源流の宇納間(うなま)というところが、祖先が住んでいたところです。

新しいブログの名前は、いろいろ考えたのですが、還暦を機に故郷に対する思いは私の中で一段と深まりました。これまでも人生で度々帰郷し、冬はこの川のほとりにたたずみ、夏はもちろん今でも必ず泳ぎます。この川で、兄たちをまね自力で泳ぎを覚えたことが、原点のように思えます。ただ泳ぎたい一心で往復4キロ小学生の足で歩いた、あの夏の思い出。まさに今振り返るとまさに人生の黄金時代でした。舗装されていない曲がりくねった道、途中の湧水のおいしさ、数々のいたずら、溺れかかって死にかかり助けられたことも。

五十鈴川・のことを書きだすと、私は子供時代に帰る自分がいまだにいます。もう私は還暦なのに。だから私はもう一度五十鈴川で無心に過ごした黄金時代に、再び回帰する思いを込めて、原点帰りをこころ見てみたいのです。気障を承知で書かせていただくなら、ご先祖や生きていた両親に、ほとんど何もしてやれなかったので、これからは時間ができますから、あまたの死者の声に耳を澄ますような企画を、日高企画の中心に据えたいのです。

あまり集客力がなくても、悔いなく一本一本、樹を植えるように企画します。今日という日は二度とない、人生で一番新しい一日。いつ終わりが来ても悔いのないように、企画します。

どうか、日高奉文事務所の企画・生きて動き考え発信する。五十鈴川だより・をくれぐれもどうかよろしくお願い致します。

2012年、4月7日(土)夜明け前・記。

3 件のコメント:

  1. 一昨年末に父を亡くしました。
    父と泳いだり、釣りをした故郷の川は
    今は、岸辺に金網が張られ、
    もう、水に触れることすらできません。
    それでも、あの日々は、
    父の思い出とともに
    私の心の中に、今も生き続けています。

    遠いところから、ささやかではありますが
    日高さんと、日高さんの企画を応援しています。

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  2. 5月6日に中世夢が原にてお箸をプレゼントして頂きました、国学院久我山高校出身の息子の名前が虎之助の父です。その節はありがとうございました。竹とんぼ、虎之助がとても喜んでおります。すごくよく飛びますね。五十鈴川便り、拝見しております。これからも頑張ってください。陰ながら応援しております。また来年のゴールデンウィークに帰省しますので、その時にお会いできたら嬉しいですね。9月に次男が生まれるので今度は妻の両親と合わせて6人で伺います。楽しみにしております。宜しくお願い致します。ありがとうございました。

    PS.私たちもブログを書いておりますので、もしよかったら見てください。
    http://www.himawali.co.jp/contents/index.html

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  3. 宇佐見義尚8/11/15 5:12 午後

    はじめまして。群馬の宇佐見と申します。岡山の塩津君の44年ぶりの母校訪問にお付き合いして旧交をあたためながら、西新宿の白龍館ジャズシンガー黒沢綾を訪ねる50分前のファミレスで、五十鈴川便りに話が及び、感動しながらブログを拝見しています。

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