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2026-06-27

台風のために、上京を1日延期した朝に思う五十鈴川だより。

 起きると雨が止んでいた。この数日の雨続きで散歩が叶わなかったので、早朝の運動公園に行き、裸足で芝の上を歩く、鉄棒にぶら下がる、懸垂をする(最低一回は試みる)決まったルーティンワークをやると、有難い、74歳の体の細胞が動き出す。

やる前と後では、気分がまるで異なる。体は不思議である。老いてゆく日々、体を前向きに、上向かせるためには、わたしの場合我が体に刺激を与えることが不可欠である。続けるコツは、決して無理をせず楽しくやる。これだけである。

大先輩の遺言に耳を傾ける

わずか30分程度の時間、ルーティンワークを終えると、運動公園の雨にうたれた樹木を眺め、一番気に入っているヒマラヤ杉に触れる。

無数の針の枯れ葉が足にチクチク絡む。洗って靴下をはく。足の裏にはたくさんのツボがあるというが、大地にあんましてもらった我が足は、今も足の裏がじんじんしていて気持ちがいい。

さて、よほどのことがない限り、労働をしていない日は、五十鈴川だよりを打つことで、休日が始まる。朝の体動かし散歩で気分を上げて五十鈴川だよりを打つ。自分を乗せてゆく。集中しないと五十鈴川だよりは打てない。

(とここまで打っていたら、長女家族、次女家族から続けて電話あり。しばし文章を打つのを中断し、再びうち始める)

一日上京するのが延びたら、次女の息子の葉が、私が来るのを楽しみにしていたらしく、残念がっていたのを知って、お爺としてはちょっと嬉しい。この五年の間に、次々と孫に恵まれたお陰で、ほんのわずかでも孫たちや、娘夫婦のお役に立てるのが、老いの努めだと私達夫婦は考えている。お役にたつことが楽しく面白いのである。嫌でもお役に立てなくなるのだから、体が動くうちにと、考えているだけである。

ことさらな理由なんてない。手があれば、と思うことが子育て真っ最中にはひっきりなしにある。買い物、掃除、洗濯、子守り、お迎え、などなど休みなく連続しての終わりのない日々から逃れられない。

梅雨の日々、花一輪で、気がはれる

平凡な思い出を刻みたい。有難いことに、娘夫婦両家族、我々が交代で上京するのを喜んでくれる。だから安心して、この8年間上京している。親子であれ、友人であれ、風通しの良い関係性を持続キープしてゆくには、それ相応の配慮というものが必須である。

話を変える。今年ももうすぐ半年が過ぎる。世界の混沌の行き先は、庶民凡人の私には霧に包まれて、ようとして先の見えない、とらえどころのない時代である。が、私はそのような時代であるからこそ、シンプルisベスト,私にできる当たり前の普通の家族の生活をやりたい、見つけたい、というおもいがある。

当たり前、我が家族は世界に一つである。孫たちと過ごせる時間は限られている。そばで同じ時間を過ごしたい。ただそれだけである。ことさらな旅行とか、高価な食事など不要。一緒に買い物に行き、ご飯を作り、お風呂に入り、掃除をし、洗濯物を干したたむ。お話しをする。散歩をする。共に生活する。これがいちばん素敵なことなのである。

娘夫婦は日々忙しいので、孫たちの様子を含む、生活のスケッチを、五十鈴川だよりに綴るのも脳トレで寸暇打ちしたい。孫たちの今は、かけがえがない。わずかであれ、写真だけではなく言葉で記録したいのである。こればかりはお爺の特権である。10年後、私は五十鈴川だよりはうてないかもしれない。だから今打つのである。






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