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2026-09-30

ウカマウフィルム作品、自主上映会場に岡山市内の中心部にある禁酒会館に、瀬政さんと決め、翌日の朝に想う五十鈴川だより。

 昨日午前中、雨の中草刈りをし午後赤穂線で岡山へ。駅で瀬政さんがピックアップして、その足で岡山生涯学習センターほかを、ウカマウフィルム作品自主上映会場探しに二人で動いた。

下記に記します。

禁酒会館、小さなスペースではあるが、あくまでもウカマウフィルム作品を、岡山で上映する場所としては、私にはぴったりだと思えたので、最後、瀬政さんにも見てもらいたく案内した。

やはり仲間である。結果すんなり二人でここでやろうと決断した。50人もはいればいっぱいだが、まもなく築100年を迎える禁酒会館は、ウカマウフィルム作品を上映するのにふさわしく私にはおもえる。岡山市内の中心部、アクセスも知名度も申し分ない。

相棒瀬政さんと私はとりあえず、上映場所が決まったのでほっとした。場所さえ決まれば後は少数の仲間で、一つ一つクリアしてゆけばいいのである。その後二人して瀬政さんの北方の庵に向かった。その小さくも諸設備が充実した庵で、すでに瀬政さんが購入しているDVD,ウカマウフィルム作品の[鳥の歌]を二人きりで見る。

ひっそりと二人だけでの試写会である。私は鳥の歌で長編は五本目である。内容は割愛する。(五作品の中で一番面白く見ることができた、カラー作品、仕掛けが随所に)テーマは共通しているが、表現方法、スタイルは創られた時代と共に変化している。作品を見るごとにあらためて、私にとって未知のフィルム世界であることを突きつけられる。内容はあまりにも重いのだが、あくまでもフィクションなのである。

瀬政さんは初めて私が鳥の歌を見るので、大きいゆったりした椅子を譲ってくれ自分は小さいいすに。始まって間もなく、美味しいお茶も淹れてくれた。このような思わぬ方丈の庵で鳥の歌を見ることが出来て、私は幸せである。試写を終え、何と瀬政さんは私を家まで送ってくれた。至れりつくせりでの感謝を五十鈴川だよりに打たずにはいられない。


晩年時間、確実に死を意識せざるをえないような年齢になると、長年の関係性の蓄積による、信頼感の上での揺るがない仲間がいるという在り難さは例えようもない。

やすきに流されず、表現活動を持続するのは普段から気心の知れた仲間がいないとまず無理である。北方から西大寺までの車中、とりとめなき話を、気楽に語り合え、苦楽を共にできる仲間がいなければ、ウカマウフィルム作品の自主上映会は出来ない。

小さい場所で、ウカマウフィルム作品を自主上映する。仲間は私を含めほとんど高齢者である。企画をするのに年齢は関係ない。高齢者が絵を描くように、小さくも大きい志の企画はやれる。企画に賛同する仲間を持て私は幸せである。

PS 上の写真は齋藤孝さんの本。読み終えたばかりである。関心のある方は手にして欲しい。すぐに読めるが内容はとても重い。齋藤さんは数十年前から音読の必要性、日本語の危機を説いて来られた、知的教養人である。

下の写真は、たまたま図書館でみつけたのだが、齋藤さんと共通する危機意識をお持ちである。折々、私も一個人として、孫たちには爺なりに日本語の面白さを伝えたい。二冊ともとても読みやすい。的確な提案、知見満載である。

日本語は大きな国に言葉を奪われた歴史がない。齋藤さんのウイグル自治区で中国政府が行っているウイグルの言葉のジェノサイドは気持ちが悪くなるほどのものだ。長くなるので割愛するが、ウカマウフィルム作品は私の能天気に生きて来れた、これまで歩みを、根底からくつがえすといって憚らないほどに、反省、再考を迫るのである。

2026-09-28

倉本聰先生の訃報を知る。雨の日の夕刻の五十鈴川だより。

 

31歳の私

午前中仕事を終え戻ると、倉本聰先生がお亡くなりになったニュースを伝えていた。富良野塾一期生として、31歳から34歳まで富良野で過ごした、足掛け3年近くの日々がなければ、現在の自分はない。その事に想いを馳せると、、、。

とここまで打っていたら、山陽新聞の文化部の方から、私が富良野塾の一期生であること知って、電話での取材が入って、しばし話をした。明日の新聞に掲載されるらしい。やく、一時間近く40数年前の富良野塾での体験や、岡山に移住してからのことなどを、質問されるがままに、受け答えし、電話を置いた。五十鈴川だよりを打つ気が消えた。慎んでご冥福をお祈りする。

PS 上の写真は本当に貴重な一枚である。廃屋の前で。この廃屋を宿舎棟に改築した。何枚かしか私には富良野塾での写真がない。だがあの塾地で過ごした青春の終わりの3年間は、私の体の奥深くに数多く記憶の宝として刻まれている。卒塾して40年、無常迅速、あの体験が今の私を支えている。

2026-09-26

ウカマウフィルム作品自主上映会場探しに、2日にわたって動きました。そして想う。

一昨日午後2時、仲間と3人で長島愛生園に、ウカマウフィルム作品の自主上映会場の下見もかねて、施設の方にお話をしに出掛けた。長くなるので割愛するが、施設のなかでの上映会は無理だが、園内にある喫茶店で時折ライブなどもやっているからと、そこを紹介していただいた。お店はお休みだったのだが、その喫茶店で働いている女性がおられ中を見ることができた。


私としては、土曜か日曜日の午後の上映会を考えているので、喫茶店の営業があるのでこれまた難しいという結論になった。(それ以外にもいろいろな問題を考えるとハードルが高い)しかし、働いている女性から、岡山市内に今年3月にオープンしたばかりの中央公民館を教えていただいた。

一旦家に戻り、まだ時間があったので、私は瀬政さんと二人でその公民館をみに岡山市内に向かったのだが、あいにく祭日の翌日で公民館はお休み、中を見ることが叶わなかった。私は電車で家に帰った。

そして昨日、午前中仕事をし、午後3時過ぎ私は再び中央公民館に向かった。中を見ることができた。長くなるのでこれまた割愛するが、場所としては申し分ないのだが、音響設備もなく、ちょっと上手くは説明出来ないのだが、ウカマウフィルム作品を自主上映する場所として、企画する私のなかの琴線に触れるものが何も感じられなかったのである。

とまあこのような塩梅なのだが、ようやく涼しくなり、家庭生活も落ち着いてきた。始動してまだ2日、はやる心体を抑えつつ、ここならやれるという場所に巡り遭うべく、私は動くつもりである。長島愛生園でやりたい、という私の個人的なおもいは、頭が切り替わり消えた。

瀬政さんにいただいた蜂蜜

原点、7月4日東京小平の学園坂スタジオで見た際に、びっくりしたのが始まりである。あくまでウカマウフィルム作品の自主上映会を、岡山の手の届くエリアでやりたいのである。それまでは、働き生活し、時間を見つけて会場探しに動き周りたい。動き回っていると、棒に当たる。それが企画を始めてからの私の信条である。ウカマウ集団のフィルム作品群が、動く私を支えている。先ずは小さい場所で、学園坂スタジオのようにスタートしたい。

期日を決めず上映会の場所に巡り遭うまで、動き回るだけである。(それと新しい人、面白い人にであいたい)

PS 今朝の写真は松岡正剛先生の本、疲れているときに手にすると、確実に元気になる。間違いなくの本物の知識人。その多岐の分野の本を網羅、編集する尽きぬ(お亡くなりになるまで知的思索は続いた)好奇心には平伏脱帽する。間違いなく天才である。千夜千冊の、僅かでもこれからの晩年時間手にし読むつもりでいる。楽しみである。下の写真、瀬政光彦養蜂家の蜂蜜、ロンドンで求めた紅茶に入れて飲めば、エネルギーが湧いてくる。



2026-09-24

ウカマウフィルム作品の自主上映に向けての第一歩が始まる朝、寸暇打つ五十鈴川だより。

 目が覚めたのでおきた。老人は早起きである。今日は午後長島愛生園に行く予定である。ウカマウフィルム作品の自主上映会の場所として、思い付いたので説明に行くのである。同行するのは、盟友瀬政さんと共に労働仲間としてこの3年以上働いているkさん、と私の3人である。

とにかく先ず3人、身近に自主上映仲間がいれば動き出せる。福岡に住むkちゃんも仲間に入ると名乗りをあげているし、実働は不可能でも企画実現に向けて、援助を惜しまない長い交友関係が持続している方たちは、全て仲間である。

下記に記します

ウカマウフィルム作品、岡山自主上映企画実現に向けての、第一歩が今日から始まるので、五十鈴川だよりに記録として打っておきたいのである。

7月4日にウカマウフィルム作品を初めて見てから、2ヶ月と3週間である。東京小平の学園坂スタジオでの2回目の上映会にも参加し、全作品を見てはいないのだが、上映会をやりたい私がいる。

私の想いに賛同してくれる仲間がいるのは、甚だもって心づよい。企画をすると言うことは、他者に見てもらうということなので、絶対的に煩雑なあれやこれやの手続きを、最低限は踏まないと実現しない。

ひとりでは出来ないからこその面白さが企画を生むのである。実現するまでの過程を苦楽する信頼する仲間が不可欠である。

9月5日、学園坂スタジオでの上2回目の映会の後、短い時間であったが、太田昌国先生に岡山でこれまで自主上映はしていない、ということを直接お聞きしちょっと驚いた。それならというわけではないが、余計私が企画したくなったのは間違いない。

いずれにせよ、折々五十鈴川だよりを打ちながら、仲間と共に、ウカマウフィルム作品の、自主上映会を必ず岡山で実現させたい。

PS 愛犬メルが9月20日、8時23分永眠し、妻が墓標を22日庭に作りました。

2026-09-22

休日、菜園場の草刈りと草取りをし、(終えて倉庫で読書)秋の空を眺め、そして想う。

 連休だが何処にも出かける気が起こらない。あれだけの充実した夏休みが過ごせたことの余韻は、未だ老いた体の中に色濃く残っている。機が熟する。タイミングを逃すともう2度と取り返しがつかない、と言うことがまま人生にはあるような気がする。


そういう意味でのこの度の夏休みは、私にとって、きっと後年もっと老いて、いろいろな事がやれなくなったときに、鮮やかに脳裡に浮かびあがり、穏やかに老いを受け入れるられる、と思えるほどに、よき旅が実現した。そのことのささやかな極みの幸福感を、打たずにはいられない。

昨日午前中、仕事場の倉庫(いまや私の隠れ庵でもある)で、読書と草刈りと草取りをした。基本、老いたら手の届く範囲での時間の過ごし方をひたすら充実したい、というふうに想う。ドレスデン、レイさんのお父さん、ペーターさんのガーデンで過ごした、僅か数日の時間の気持ちよさは格別で忘れられない。その事一つをとっても、黄金の実りの旅であった。



私もあのような時間を基本に生活を組み立てたいと、今切に思い始めている。娘がレイさんと結ばれなかったらこのような意外性の極みのような旅は叶わなかったであろう。まさに人生は思うようにはプログラミングできないのである。何がしゅったいするか予測できない、からこそ人生は辛くとも、しかし面白いのである。(とおもう側を私は生きたい)

心体の発する奥底の声に従い、基本的に家族や価値観を共有する仲間との時間を最優先し、あらゆる関係性を順次手放しつつ、どうしても手離せない物に囲まれて生活する。よほどのことがない限りである。企画もこれが毎回最後という気持ち、移ろいゆく体で精一杯成せる事に、エネルギーを集中したいのである。

草を抜きつつ考える。本を読みつつ考える。雲の流れを眺めもの想う。未知の世界を知る勇気を養いたいと、切に念う秋である。

PS 見渡せば、スマホばかりのこの世かな、幸せは、スマホの中に、有るや儚む。(松岡正剛先生から教えていただいた歌、見渡せば、花も紅葉もなかりけり、浦の苫やの、秋の夕暮れ、をもじってみました)




2026-09-19

一昨日、畏友大兄、猪風来さんを法曽まで送り、3ヶ月ぶりに車中語り合えた幸福を思う、今朝の五十鈴川だより。

 一昨日、所要で岡山にいた猪風来(新見の法曽の猪風来美術館、館長)さんを午前11時半ピックアップし、そのまま法曽の美術館までドライブした。3ヶ月ぶりだったので、車中でいろいろなお話をお互いにしていると、あっという間、13時半法曽に着いた。よし子さんが笑顔で迎えてくれ、すぐ簡単にお昼をする。

下記に記します

よし子さんがお吸い物を用意してくれ、おむすび昼食をしながら、ちょっとだけ3人でお話時間をもてた。慌ただしかったが、久しぶりに3人で言葉を交わせた事が、何よりも良かった。その事をまずは記録として、五十鈴川だよりに打っておく。

6月の草刈以来の法曽、美術館の回りは当たり前、こないだ刈ったエリアは再び草が繁っていた。話はいささか手前味噌だが、幸い私が元気なので、娘たちから孫の相手とか、とにかくどのような些細なことであれ、信頼され、頼み事に応えられる喜びは、私の場合格別である。

分けても、猪風来美術館の草刈は、取り柄のない私がもっとも(上手くはないが)苦にならない、健康維持にも欠かせない、やりがいのある労働なので体が動く間は、続けたいと決めている。

ご子息の原野さん(正に天才的な、私の理解の及ばない、未踏世界、コンピューターメタプログラミング、小説、縄文造形の若きパイオニア、本当に惜しんで余りある才能、この混迷の時代の希望とも言える存在であった。その事を車中の猪風来さんから、あらためて聴く事ができた)が他界されてからの、ご夫妻の歩みを想像すると、私は言葉を失う。

美術館がオープンして21年、この間年に二回の野焼き祭りを裏方として、純粋に支えてきた法曽焼き同好会の方々も高齢化し、草刈スタッフもままならない現実がある。私も高齢者だが、幸い草刈りは今や私の生き甲斐そのもの、猪風来美術館草刈り隊の一員になりたいのである。

この連休に読む


やがては草刈りだって、何であれロボットが代用されるだろうが、ただではロボットは買えないだろう。とりあえずの間、草刈器と燃料と動く体があれば、美術館の周りの草刈りはできるので、猪風来美術館ファンの草刈り隊、私を含め五人位が理想だが、とりあえず最低3人は必要である。

私は高齢生活者である。生活者の視点で企画もする。猪風来美術館の草刈り隊もやる。つまり無所属自由自在高齢者でただ在りたいのである。

私が桑江さんご夫妻、猪風来さんご夫妻、今また企画したい、ウカマウフィルム作品を50年以上支援している太田昌国先生には、揺るがぬ民衆的視座がある。(私は民衆のひとりである。お役に立てる事ならばやりたい。それだけである)

私ごときには及びもしない、前人未到世界、人類の行く末を見据え、あらゆる権威に媚びへつらうこともなく、意義のあるお仕事をされている。そんな方たちに信頼されるのは身にあまるのだが、謙虚に有難い事だと思うことにしている。

PS 上の写真は遺された、村上原野さんの縄文造形作品集の80ページの写真です。折々ページを捲りみいる。本物の作品を見続けるためにも、一年でも長く草刈りをしたい。


2026-09-17

9月17日の爽やかな朝に想う、五十鈴川だより。

起きると、秋を告げる虫の音が我が家の庭できこえる。落ち着いてもの想うのは、私の場合朝しかない。したがってほとんど五十鈴川だよりは朝打っている。喉元過ぎれば暑さ忘るる、正直あの夏の暑さは忘れたい。

今朝はサイコーに静かで穏やかな朝である。今日は所要で仕事はお休み、その分昨日働いた。時間があるので、個人的老人記録、又は自分で自分の気持ちを前向きにするための、お念仏的五十鈴川だよりを、打ちたくなる、74歳の秋を生きる私である。

素直に知ることから始まる

69歳で大きな手術をし、古稀を過ぎてあっという間に丸4年、無常迅速と言う言葉が身に染みる。染みるけれども、染みつつも充実した生活が、何はともあれ個人的には送れている。有難いと思う。(世界の報道には斜めに触れるようにしている)

これが孔子言う所の、足るを知る生活ならば限りなくそれに近い。(かもしれない)。シンプルな生活を61歳から心かけ、お金、グローバル資本主義には惑わされない(普段は生活費のみで暮らす)、消費生活ではなく、理想には遠くとも、鴨長明や、良寛、その他畏敬する先人たちの書物から、学ぶ生活を心かけている。(つもりである)

とは言っても、私はストイックな生活だけを心かけているのではもうとうない。先の12年ぶりのドレスデンへの旅もそうだが、ここぞというときにこそ、お金を使う生活をしているだけである。

あくまで普段の生活での話である。そこかしこに面白い楽しみを見つける(のだ)。臆面もなく打つ。今いちばん苦楽し、面白がっているのは仕事場での草取りである。一昨日午前中かなりの雨の中、カッパ着てやったのだが、炎暑の夏とは異なり、面白いようにはかどった。あの夏を乗り越えたからでの果報である。

数年前までは、どちらかと言えば腰に負担がかかるし苦手な作業であったのだが、音読で鍛えた丹田呼吸を敢えて意識し、尺取り虫スクワットと命名、実践したところ、さほど苦もなく継続できるように、この年齢で成ったのである。体調もキープ出来ている。

このことは私のなかで老いの希望をもたらしている。この体の希望無くしての企画は、私には出来ないのである。8才の孫はボルダリングをやって喜んでいる。お爺の私は草取りや草刈をやって喜んでいる。大差ないのである。あるとすれば私にはいくらかの実入りが、お手当てがもらえることである。このお手当て無くして企画は成せない。東京での上映会にも余裕の参加は無理である。

下記に記します

そのようなことを、徒然想うとき、老いてはいても、無理のない範囲でのギリギリ感を、きっと先人たちは生きていた、面白がる術を体得していていたのではないかと、最近は考えている。

命を永らえる食い物と、家族、もの想う自由、健康な体と多少のお金があれば、面白いことは成せる。プラス信のおける仲間がいれば企画も生まれる。

さても、読書の秋である。先の旅、ロンドンは涼しく本を手にするのが喜びであった。岡山に戻って、暑さで集中力が弱まっていたが、このところ一気に本がスムースに読めるのが本当に有難い。アリストテレスが無知の知と(間違っているかも)言っている。知れば知るほど無知なるをしる、私である。以前はその事に茫然自失していたが、齢を重ね厚顔になってきている。

限られた範囲で先ずはしっかり生活しながら、そこから素直に自分と広い世界を(繋がっているのだから)見つめ、折々五十鈴川だよりを打ちたい。

PS 9月11日の長周新聞の書評です。日本列島は水の邦である。あらゆる生命体は水無くして存在出来ない。中部電力の上層部の堕落、命への思慮の思いのなさは、自分の中にも知らず知らずに、、、。その事が恐ろしい。




2026-09-13

長周新聞を切り抜きながら丁寧に読み、ささやかにもの想い、発信する五十鈴川だより。

 寝苦しい夜がないだけで、私がどれだけ嬉しいかは私だけが分かる喜びである。予断を許さないとはいえ、いくらなんでもあの炎暑はやって来ないであろう。その事を思うとき、この年齢で労働しながら(夏休みがあったとはいえ)今年も夏を乗り越えた安堵感は例えようもない。


何とはなしに、これから来年の夏までは、(寒さは衣服を着れば凌げる)ぐっすり眠れる。その有り難さは、これまた自分にしかわからない。要するに、高齢者の私がいまいちばん欲するのは、昨日も打ったように平凡な自分の時間だからである。

こうやって、ぼんやりよしなし事を綴り打つ時間が、仕合わせなのである。老人は繰り返し、お念仏のように、同じこと(ような)を綴り打つ。が、これまた何度も打っているとは想うが、昨日と今日は違うのである。だからこそ臆面もなく、似たような一文を綴り打てる厚顔無恥の私なのである。

非日常の、旅をしているときの自分と、日常生活をしている時の自分では同じ肉体ではあるが、全く異なる。それは自由な体と不自由な体といってもいい。その往還が私にとっての今を生きるということなのだと認識している。ではそのような生活のなかで、企画をするという、自分にとっては甚だエネルギーのいることを、この年齢になってまでやりたいのは、一体全体何ゆえなのか、としばし考えてしまうのは、多分涼しくなって体が喜んでいるからである。


話を変える。さて昨日午前中いっぱい、貯まっていた長周新聞を集中して読み、自己満足切り抜きを(切り抜きは脳の活性化と記録の為に敢えてやっている)して過ごした。切り抜くとじっくり読むことができる。

高齢者になると、仕方がない事とはいえ、あらゆる動作が緩慢になる。思い立ったら即行動していた自分はもういない。だが、ゆっくりとであれ夢中になる。老いの可能性、淡き念いの扉を閉じたくはない。

過信せず、謙虚にただやりたい。今朝の写真は昨日切り抜いた長周新聞本棚の記事とモンロー主義を風刺していた記事だが、このような記事に反応する私がいる。ウカマウフィルム作品も記事を見つけ、リスポンスする体があったから行動出来た。余りの理不尽、不条理に対して、何も発言、発信しないのは企画する者として恥ずかしい。

高齢者であれ、まだ私は生きて動いて働いている。老いの一滴、企画を実現したい。表現の自由が脅かされそうな気配を感じる。感じる者としては企画するしか方法がない。元気なうちに。

PS 9月24日、午後長島愛生園の学芸員の方にアポを取ることが出来た。自主上映会に向けてゆっくり歩を進めたい。


2026-09-12

立秋をすぎ、ひんやりした朝、もの想う五十鈴川だより。

 立秋が過ぎ、朝は虫の音が聞こえ一気に涼しくなってきた。このまま秋らしさが続いてほしい、のだが現実は個人の願いのとおりにはゆかない。が今朝は涼しい。打つ気になる。夜明けも少しずつ遅くなってきている。それは普遍である。

夏休みの旅から戻って、ようやく3週間が過ぎようとしている。が先週も上京していたので、9月いっぱいは、老いた頭を休めしずかに灯火親しむ読書を中心に、限られた時間を有効に生活したい。

さて、旅の間にも週に3日郵送されてくる長周新聞がたまっているので、今日は時間をかけてじっくり読むつもりである。これはという記事は、気力維持をキープするため、記録としても切り抜いている。ややもすると私は単眼思考に陥りやすい性格を自認している。できる限り複眼的な思考ができるように、との老いの願望をゆっくり実践したい。

メル15歳、生きている。

昨日もニュースでトランプ大統領が選挙のためのばらまきの、うまい話でアジっていたが、私を含め、多くのかつかつ生活者(多くのいまをいきる労働者がかつかつ生活をせざるを得ないような状況に置かれている)はお金に弱い。誰かに操られて、恐ろしい犯罪に手を染めてしまう若者が後をたたないのはあまりにも痛ましい。

お金がないと、確かに現代生活はいかんともしがたいほど困難を極めるだろうとは想うが、ほどほどの収入で何とか生き延びてこれた時代はすでに終わりを告げ、努力をしても困窮生活を送らざるを得ないような世代、人々が増えてきているように思えてならない。

憲法は、健康で文化的な生活を記しているが、その生活を実感している国民が一旦どれくらい存在しているだろうか。私は思う。母が何時も口にしていた。上見りゃきりなし、下見りゃきりなし、と。健康で体が動く間は、私にやれる仕事であれば、私はやれる間はやりたい。

が、生まれついての難病や、原因不明の病におかされた人など、個人の努力ではいかんともし難い状況に突然置かれた場合(災害などで進学出来ないとか、いろいろなケース)は、国がきちんと面倒をみることが、必要だとの側に私は立つ。

それにしても、この半世紀、世界の持つものと持たない者との2極化、経済格差の拡がりを是正するには一体どういう方法があるのかということを、世界のと言わず、 日本の心ある経済人、政治家、学識ある思考力、教養のある人達には考えてほしいものだ。

戦後生まれの私だが、戦争だけはごめんである。私を含め人間、特に日本人は(戦前のことを想うと)自分で考えず、他人の顔色、空気をよんで本音を隠す傾向が強いように思える。されたら嫌なことは他者にもしない、ことが最低のマナー、民主主義である。戦後世代としてはボケる限界までどのような大義名分があろうとノー、抵抗、抗うつもりである。同じように思考する世界の人びとと連帯したい。


もう十分に生きてきた高齢者の私が今いちばん欲しいのは、健康ともの想う時間である。もう現世ではほとんど欲しいものはない。もっと言えば、あらゆる物や、しがらみを手放し身軽になり、高齢者の日々をいかに生きるのか、という楽しみ、語弊を恐れずに言えば面白さ、妙味を見つけたいのである。

いささか浮世離れ、老人五十鈴川だよりなので、笑って読んで貰いたいのだが、当たり前、人間、トランプさんだって、何人たりとも、あの世には財宝、富、名声持ってゆけない。死だけは万人に平等、公平である。老人の私が今思うことは、ならば何をもって今生きているこの世のあまりの不平等、不公平、理不尽、不条理を一ミリでも是正するにはどうしたら良いのかという、永遠的問いである。

戦後生まれの私だが戦争だけはごめんである。ノーイデオロギー、人にされたら嫌なことは他者にもしない、というくらいの考えしかもたない平凡な生活者である。全世界の平凡な生活者と連帯し、命のかけがえのなさ、尊厳を考え続けたい。考えないと濁流に飲みこまれる。武器(殺傷兵器輸出解禁)を作って売って儲けている国に日本は変貌、国旗への敬意刑罰で強制へと変貌、、、。時代の推移、変貌を草取りしながら見つめ考えたい。

PS 下の写真は長周新聞の9月9日の書棚、読みづらいと思いますがアップしました。高齢者になっても、この小さな庶民目線の新聞で知らされる喜びを教えてもらっている。



2026-09-09

今、ウカマウ集団フィルムを(短編2本、長編4本)見終えて想う、今朝の五十鈴川だより。

 7月4日、ウカマウフィルム作品を、初めて見てから2ヶ月以上があっという間に過ぎた。(こんなに五十鈴川だよりを打ったことはない)2回目の学園坂スタジオでの上映会にも参加し、短編二本、長編4本を観た。9月5日に観た[人民の勇気]と[第一の敵]について、正直、いま語る言葉が私にはない。それほどまでに、私にとっては、衝撃的な映像が、高齢者の痩せた体に重くのしかかってきたことを打っておくことに留めたい。


この年齢で、手間隙かけて上映会に参加し、見ることができた幸運を記しておくに留めたいのだが、40歳で中世夢が原で、ささやかに企画を手探りで始めて(61歳から69歳は企画していない)から34年の歳月が流れている。

この間いろいろなジャンルを企画してきたが映像作品も自主上映している。長くなるのではしょるが、いずれもこの眼で、体で見て揺さぶられ、感動した作品ばかりである。フィクションもドキュメンタリーもである。

ウカマウフィルムの作品は、一言で言えば、フィクションであり、まるでドキュメンタリーでもあるかのような、不思議な映像体験をもって、私の体の奥深い自分でも久しく忘れていた、記憶の底に封印していたような、ある種名状し難い感覚を覚醒させる。

(何故このような作品群が創られたのかを知るためにも上映会をやりたい、全登場人物の存在感は、私を圧倒する)

この感覚がなければ、きっと自主上映をする、やりたいという気持ちは湧いてこなかったと思う。高齢者の私を、こうまで駆り立てるウカマウフィルム作品を、他の見知らぬ人達と共に見てみたい、というのが自主上映の原動力である。

直に講義を受けたかった

人民の勇気(1971年)、第一の敵(1974年)、いずれも真実の声、光景が、時空を超えてよみがえってきたかのような作品である。創られて半世紀以上にもなるのだが、フィルムが有る限り決して古くなることはない作品である。特に第一の敵は今、現在のグローバル資本主義の醜悪さを、照らす。語り部が素晴らしい。

学園坂スタジオでの自主上映会は、製作順に全作品の上映が来年も続く、出来れば私も製作順に、岡山での自主上映会をやりたい、気持ちになってきている。何故こういう気持ちになるのかを、もっと深く認識するためにも、見知らぬ多くの他者とともに見ることが必要なのである。

絶望的な程に、現在も争いが収まらない人類の歴史である。けれどもウカマ集団のウフィルムには、死者の魂が込められている。その魂はけっして消滅しない。繰り返し生き返る。そして私に語りかける。太田昌国先生の穏やかな語り口は、いかにして成ったのか。感受する力を養いたい。

PS 上下、松岡正剛先生の本、身近に置いて時折手にしている。私は企画も誰かに特に習ったりしたことがない。しかし、勝手に観たり、聞いたり、読んだり、(先人たちが遺した素晴らしい本の数々に打たれる)人にあったり、旅したり、そして働いての循環を繰り返し、(今も生きてささやかに企画がやれる)お陰でウカマウフィルム作品に出会えたのだと、思える。

2026-09-08

忘れないうちに、上京3泊4日の行動記録を時系列で打つ、五十鈴川だより。

 5日午前中、次女の所で打った後、昨日午後2時に家に戻るまでの出来事などを(行動記録)忘れないうちに打っておきたい。あれから葉を、次女の所から小田急バス、京王線と乗り継ぎ稲城駅の改札口まで連れてゆく。駅にはレイさんが葉を迎えに来ていた。

フライヤーの表

その足で、京王稲田堤まで引き返し、登戸からJRに乗り換え立川へ。そこから中央線で国分寺に出て、多摩湖線で一つめ、一橋学園駅から歩いて1分そこにウカマウフィルム作品の上映会が開かれる学園坂スタジオがある。お昼過ぎ着いて、時間があったので付近の商店街を彷徨き、とあるベトナム料理のお店で簡単にお昼を済ませ学園坂スタジオへ。

簡略に記す。13時30分、[人民の勇気]上映スタート、(1971/白黒/93分)、休憩後続いて、15時15分[第一の敵](1974年/白黒/98分)の上映、終えて暫しの休憩後、太田昌国先生のトーク。全て終えた時、時計の針は6時15分を回っていた。

二本目の[人民の敵]が始まる前に何と、Kちゃんがたまたま成田に仕事で来ていて、五十鈴川だよりを読んで駆けつけてきて意外な場所での対面となった。7月4日の上映会以降、五十鈴川だよりで度々ウカマウフィルム作品のことに触れていたので、気に留めていてくれたのである。

学園坂スタジオの上映会後、太田昌国先生と直接お話する時間を事前に、お願いしていたので、先生を囲む打ち上げ会に、いちばん早く先生とKちゃんと共に近所の中華料理のお店へ移動した。全員で(15名くらい)が参加、あわただしいなかではあったが、女子大学生他、若い方、中年の方、私を含めたご年配の方など、魅力的な面々が集い、久しぶりに、思わぬ楽しい飲食打ち上げ会に参加させてもらったことを五十鈴川だよりに打っておく。

岡山での上映会に向けて、最低お目にかかって、直接先生に私のおもいを伝えたかったのである。対面でビールで乾杯し一時間とちょっと、食べ飲み、お話が出来た。Kちゃんは何時ものようにさりげなくお金を残し、一足先にお店でお別れ、私も8時15分頃お店を後にし、長女の住む稲城へ。10時前に着いた。すぐにシャワーを浴び、レイさんと美味しいチーズとハイボールを頂き、歓談した。ノアと葉はぐっすり寝ていた。二人の孫とともに私も眠りにおちた。

フライヤーの裏

ここからは、一昨日日曜日のことを少し記しておく。朝食を済ませ、9時過ぎ、かなりの雨の中稲城の駅まで歩き、京王線で京王永山へそこで小田急線に乗り換え唐木田へ。そこから又もや雨の中唐木田のプールまで歩いた。8歳のノアはともかく、5歳になったばかりの葉が良く歩いた。約二時間二人は水と戯れていた。

ウカマウフィルム作品を見た余韻が駆け巡る体での、翌日孫との雨のプールあ遊び、まるで白昼夢のようであった。 お昼ジャスト、プールをでる。周さんが車で迎えにきていた。着かえに手間取り少し待たせてしまって悪いことをした。そのまま長女のマンションへ。帰ると、次女と風香も着ていて先に焼き肉の昼食を済ませていて、すぐにレイさんが我々のを手際よく焼いてくれたので、私、ノアと葉はパクついた。昼食後久しぶりに娘二人とレイさん、周さんがいろいろ話をしているのを側で聞いていた。割愛するが、子供たちの今後について真剣に語り合っていた。感心した、ことだけは記録として打っておく。午後3時雨の中、三鷹下連雀に帰る。葉は疲れてすぐ寝入った。午後4時着いて、荷物(風香が小さいので多い)を抱え七階の部屋に。周さんはレンタカーを返しに行った。 葉は起きて少しぐずったが、すぐにお風呂に私と入ってさっぱりするとご機嫌が直った。夕飯前、絵のない絵本を読んでやる。すごく面白がる。夕飯はしゃぶしゃぶとやきとり。美味しく頂く。午後7時半、風香を娘が寝かしつける。葉は30分ゲームタイムを終え私の部屋にやってくる。大ピンチ図かんを抱えている。大笑いしながら読んでやる。お休みの時間が迫ってくる。葉はまだ寝ない。料理のレシピカードを全員で二回やると9時をまわった。娘がもうダメと葉に宣告する、と葉は素直にに寝室に消えた。私もぐったり疲れがでて、歯を磨いて眠りに落ちた。 そして昨日は朝6時半、葉が私の部屋に入ってきた。葉は私と同じで朝に強い。早速お決まりの朝ドリルをやる。それをしばしみていると、朝ご飯タイム。風香が私が近づくと泣いていたのだが、昨日の夜寝入る前くらいから、ハイタッチしてくれるようになりときおりはにかんでくれるようになって、お爺としては一安心。朝食後、保育園にゆくまでの時間、又もや、レシピのカードを葉と二人でやる。一回だけの約束は守られない、結局出発ぎりぎりまで続ける。最後葉に負けた。しかし楽しいじかんふぇあった。 8時、葉と風香を周さんと保育園まで送って行き、そこで葉とお別れした。2ヶ月後、(ウカマウフィルムの上映会がある)また来るからと伝える。葉頷く。その足でバスで三鷹へ。岡山までのチケットを買い、中央線で東京へ。九時半ののぞみで岡山へ。家には午後2時に着いた。午後5時前、メルを吉井川の土手に連れてゆく。しばし三人での時間を過ごす。雨が降ってきたので家に帰る。妻に上京の話をしながらメルも側にいて三人で夕飯。妻がワイルドターキーのハイボールを買ってくれていた。僅か一個で酔ってしまい、午後9時、仕事に必要な衣類(雨の予報なので着かえる衣類をたくさん用意する)を用意しすぐに眠りに落ちた。 PS 葉が日曜日の夕飯のとき、長女の所に一晩お泊まりしただけなのに、ひさしぶりの我が家は良いなあ、と呟いた。その事を打っておく。ウカマウフィルムの作品上映会のことは、また日を改めて打ちたい。/p>

2026-09-05

次女のマンションで、寸暇打つ五十鈴川。

 昨日午後10時、次女のマンションについてすぐに寝て、今朝起きたのが6時半すでに葉は起きていてドリルをしていた。久しぶりの再会、はにかみながらも嬉しそうであるので、こちらも嬉しい。風香は依然としてひとみしり、私をうらめしく眺めている。ある程度の距離感をキープをしないと泣く。致し方ない、一才になったばかり、立って歩き、周さん、娘の愛情を浴びてすくすく成長している。


7時過ぎ全員で朝食、8時娘は今日仕事で出掛けた。私は今日午後ウカマウフィルム作品を観にゆく。その前に葉を稲城の長女のところに預け、その足で小平の学園坂スタジオにゆく。その前に、寸暇時間があるので、打っている。

向こうの部屋で、周さんが葉と風香の相手をしている。私は周さんの仕事用の机を拝借して、寸暇五十鈴川だよりというわけである。外は霧雨のような雨である。分厚い雲に覆われている。

秋雨前線のせいで、一気に秋の気配となり、あの暑かった夏のことも、あっという間に、季節は移ろう。それにそって私の生活も移ろう。しかし、移ろう中で、移ろわぬ何かしら人間としての大切な事を、確認しなければという微かな願いが、老人の私を小平の学園坂スタジオに向かわせる。

いずれ秋がもっと深まり、思考がいきいきしたら、夏の旅の事、私にとっての家族について、今想うこと書いておかねばという気がしている。ウカマウフィルム作品を観ることで、人間にとっての尊厳、他者の存在についての、根源的思考が少しでも深まれば、との淡い願いが、足を小平に向かわせる。

PS 写真は今朝の周さん、風香、葉の一枚、先ほど撮った。何気ないスナップです。

2026-09-04

今日夕刻から3泊4日、明日東京小平の学園坂スタジオでのウカマウフィルム作品上映会に参加するために上京する、寸暇打つ五十鈴川だより。

 雨で被災されているかたの事を想うと誠に申し訳ない気持ちになるが、岡山は本当に雨がこの夏少なかったので、昨夜からの雨でほっと一息ついている。雨がひどかったらお休みしようと思っていたが、朝ほとんど降っていなかったので、午前中働いてきた。約2ヶ月以上の炎暑の中での労働に耐えていたので、今日は本当に凌ぎやすく作業がかなりはかどった。

縦横無尽の思考に感嘆する

さて、今夜は次女の所、明日は長女の所に一泊するのだが、メインはウカマウフィルム作品の上映会に参加するためである。7月4日に続いて2回目の上映会である。40年ぶりの異国への旅から戻って、又もやの上京、私にしては、目まぐるしい行動力である。  

が、これもまた、自然の流れなので、しっかりとウカマウフィルム作品を見てみたい。今回の作品は人民の勇気と第一の敵、楽しみである。一人DVDを見るのではなく、数十人であれ、ウカマウフィルム作品に関心のある方たちと共に観たいのである。

そして何よりも、上映後の太田昌国先生のトークがいちばんの楽しみなので、出掛けるのである。私はヒトと出会うことで、己を活性化してきたので、いよいよこれからも、体が動く間は動きたいと思う。理屈ではない。それでは行って来ます。

PS  写真は松岡正剛先生の本、読む度に無知と、考え無いことの恐ろしさを痛感する。信頼できる人から間接的に教えてもらえる事の幸運、知的興奮を頂く。いささか遅きに失した感は有れど、大丈夫まだ学べる。太田昌国先生からも、ラテンアメリカ、中南米の、この500年の歴史を学びたい、高齢者の私である。



2026-09-02

9月に入り、普段の生活に戻って、物想う五十鈴川だより。

 9月に入った。ようやく普段の生活者に戻った勘がしている。昨日夕刻、猪風来さんに電話を入れ、(お電話をいただいていたのになかなか電話をする気にならなかった)気持ちの切り替えがようやく出来たのである。五十鈴川だよりも打ちたくなってきている。

下記に記します

とはいっても、もどってきてからというもの、ただ労働に勤しんでいただけで取り立てて打つほどの事はないのだが、虚空に向かって想いを馳せていると、何やら一文が流れ始める。

さて、昨日太田昌国先生にいきなりお電話をした。9月5日のウカマウフィルムの上映会に参加する旨お伝えし、その際に少しお話する時間を設けて頂きたいとお願いしたのである。上映会後お会いできることになった。本当はお葉書を書かないといけなかったのだが、日にちが迫っているのでお電話にした。

電話を終えて、前日不在着信があった番号に電話を入れると、学園坂スタジオの、Tさんからであったのも奇遇であった。5日上京する旨お伝えし、いずれにせよ、今後とも折々会って、関係性を少しでも深めて行きたいので、意味もなく直接お会いする機会を大事にしたい旨お伝えした。Tさんも心良く賛同して下さった。

何故企画をするのか、ましてこの年齢になってまで、その事は7月4日以降、何度か打っているので割愛するが、究極言葉にはならない。何故旅に出かけるのかにも似ている。行きたいからゆく。企画したいからする。それに尽きる。というわけで、2ヶ月ぶりに学園坂スタジオに行き、先生に会えるのが、楽しみである。今はただ、拡がりの輪が深まる上映会にしたい。


とここまで、打ったら他に打つことがなくなってしまった、が改めて、私にとっての旅の重さを知ることになった今回の旅である。

この年齢で、それもドレスデン、ロンドンを各一週間旅できたことの幸運は何度打っても、そうはめったに訪れる機会はないのだという厳然たる事実である。

ヒースロー空港でも打ったと思うが、無謀と挑戦は異なる。最低限の荷物だけで、10日から、2週間程度の旅をこれからも、毎年特に夏休みに、国内外問わず、続けたいというおもわぬ情動が湧いてきた。毎日、日本語だけが聞こえてくる環境に身を置いて生活していると、確実に平和ボケ(私のことです)してしまうという事実を確認したことである。


一年に最低一度、全く環境が異なる空間と場所に移動し、出来れば異国の多民族の坩堝の中に身を置いて思考する時間が持てれば、嫌でも精神と肉体は活性化する。その事の重要さをひしひしと感じている。その貴重な時間を捻出するための方法は、日々労働し 動く体と心を養生する事、それしか私には方法がない。

PS 上の写真は娘と行ったロンドンのノッティングヒルゲイトのポートベロー市場の一枚、凄い人でごった返していた。異国を旅したら市場は必ず行きたい所である。

下の写真はノアがデンマークのコペンハーゲンで、娘がロンドンから到着するのを待っている際に拾ってきた石の写真である。バイキングも異国で見たこともない大きな石を持ち帰ったらしいから、8歳の子供であるノアが稲城まで、重いのに持ち帰ったという事実を五十鈴川だよりに一行打っておく。いちばん下の写真は旅の最後、宿の近くのベルリンの川の側の公園で過ごす、レイさん、ノア、ミアです。

ベルリン、東西に引き裂かれ過酷な運命の歴史の街、娘は東西の壁が壊れた1989年の生まれである。僅か一泊だったが朝のベルリンの静けさがひときわ印象深い。