ページ

2026-04-25

明日の猪風来美術館の春の縄文野焼き祭りの、前の日の朝に想う五十鈴川だより。

 目が覚めたので起きた。この数日、明日の縄文野焼き祭りのお天気が気になっていた。明日のお天気が今日のような予報なら、心配はないのだが、あすは下り坂の雨マーク予報なのでちょっと明日のスタッフとしては不安なのである。

だがこの野焼き祭りを、20年間継続されてきた猪風来さんご夫妻であるから、きっと対策は万全だとは想うけれど、スタッフの一員としてはやはり心を配らねばとおもうのである。

草から学び我が体をしる。凄い本。

夜明け前、まだ暗い。この静けきひとときの休日の朝がたまらなく私は好きである。さあ今日は、どのようなその日暮らしになるのか、しようかと老いた体で思いを巡らせるのが幸せなのである。

平日労働でも、今日はどのエリアを何ラウンドやろうかと、年間通しておおよその予定を立てこなしてゆくのである。同じ事ばかりやるのではなく、エリアによってやることが異なる。

草刈りばかりやるのではなく、分かりやすく言えば、体の動きがことなる労働を継続する。

体に負担を感じたら、直ぐに辞める。一昨日はかなりの雨の中での草刈りをやったのだが、お昼前には切り上げた。決して無理はしなくなった。

だが手前味噌でも何でもなく、先日仲間のkさんと猪風来美術館の裏の斜面の草刈りをやったことはすでに打ったが、この草刈りはこの8年草刈をしたなかで、最も危険で厳しい草刈りであった事を打っておく。(猪風来美術館の草刈りでなければしなかった、ご夫妻の役に立つのが嬉しいのである)

74歳であの斜面の草刈りが出来たことの事実としての喜びは、私の体だけが知っている。(中世夢が原での20年以上の敷地の草刈りが今の私を支えている、冬場の茅刈りを思い出した)今週も草刈り労働が多かったのだが、あの斜面を刈ったことで、現時点での我が体の技能力が良く自覚できた。老いつつも体の使い方の方法を、もっと前むきに(実現すべく究める)面白がる努力がまたやりたくなっている。

楽しく、面白がってやれば、まだまだ我が体は動くということの発見をあの斜面の草刈りは知らしめたのである。あの日美術館の斜面の草刈りをしなかったら、老いを後ろ向きに捉える思考に掬われていたかもしれない。

とはいっても、何人も老いる摂理には抗えず、受け入れるにしくはないのだが、絶対矛盾であれ、老いつつも新しい体の気付きは、ぬるま湯に浸かっている生活の中では、決して産まれてはこないだろう。私自身(いまもだが三つ子の魂がどこかに眠っていて)横着者を自覚している。

だが親元を離れ、社会にでて揉まれ思いつき、ささやかな個人的成功体験を積み重ね、おかげで今を生きられている。一日でも長く(出来なくなる日を見据え)踏ん張って草刈りをやれる体の使い方を追究したい。

0 件のコメント:

コメントを投稿