お爺、五十鈴川だよりを打ちたくなる春の朝である。今日は終日雨の予想である。孫との春休み旅を終え、戻って3日連続働いて、我が体はようやく普段の日常生活の戻れた安堵感に満たされている。
今年は既に二度も、お正月から家族(先の上京で)、門川の兄3人、姉3人(義理の兄姉含む)と会え、嬉しい。
世界はアメリカの一方的な理不尽極まるイランへの、国際法無視戦争で、いよいよ事によったら、どのような未来が(考えたくはないが、考えないといけない)、と暗澹たる気持ちを老人の私は持っている。
当たり前の石油消費生活も、一旦有事が出来すれば、なにごとも立ちゆかなくなる。そのような今という、魑魅魍魎時代の最中、私はのほほんと孫との旅が叶った、喜びを五十鈴川だよりに打ち続けている。
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| 凄いお仕事をされている。 |
世の中に出て、56年目の春、孫と妻と3人で父母の墓前に詣る事が出来た、極めて個人的感慨は、在りがたいの一言である。
丸13年以上、右往左往(現在も)五十鈴川だよりを打ち続けて来なかったら、きっとこのような今は迎えられなかったに違いない。八年前、最初の孫が授かってからの私の人生は、超保守老人我が儘、あるがまま、その日暮らし的思考にシフトしている。
年金生活に入ってから今の労働を始めて、今年の夏で丸8年になる。明らかに孫が授かって、年金生活だけでは身も心も貧しくなると直感したのである。だから私は自分の一番好きな(その上身も心も鍛えられる)肉体労働を探したのである。
結果、その後、その選択が効を奏した小さな至福感は、野暮を承知で打つが図りしれない。ささやかな収入を最大限有効に使う。目線を低く大地を見つめ、目的を持ち働く。しんどいときは、一日に何度も雲の動き、(今の季節は樹木の葉や花鳥風月に)に目を向け、つま先を意識し、深呼吸をする。(呼吸法を実践する)
朝から、お金の話になったが、世の中に出て経済的に余裕のない生活を余儀なくされ続ける中で身に付いたとしか思えないのだが、足る感覚、ある中で何とかする。無駄遣いしない。目的の為に有効に使う。お金に使われない、あくまでしたいことのために使う。年に数回、妻や家族、仲間との時間を、そして独り旅が出来れば、もう充分である。あとは心身の健康、ただそれだけである。(身軽であることのなん足る解放感、放出すれば入ってくる)
欲望のコントロール、耐えながら、ちょっと夢を見る。そこに喜びを見出だす、妙である。なんびとも老いてできなくなる。出来なくなる日を見据える。今日やれる事を尽くす。眼にみえる贅沢ではなく、ぼろ(古い衣服でも洗濯してさっぱり着る)見えない世界を感じる感覚(何度も打っているが死者との対話、想像力)を大事にいきる。私には贅沢は不要である。時が宝である。

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