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2026-04-02

東京は稲城に望晃、(のあ)を送ってゆく前の五十鈴川だより。

 ちょっと時間があるので、五十鈴川だよりを打つ。宮崎の旅から一昨日戻り、昨日家と図書館でゆっくり過ごしたので旅の疲れはいくぶんはとれた。とはいえ、心のなかにはあの旅でのあれやこれやが、老いゆく体にもあもあしている。

当たり前だがすべて、やがては忘却の彼方へとなる。だが私はそれが摂理受け入れる。だが拙い一文であれ、わずかでも残しておけば、ノアが大きくなったときに、読んでくれるかもしれない。

ともあれ、そんなことよりも意外な旅が実現したことの喜びから抜けきっていないのである。そのような案配のなか、今日ノアを東京に送ってゆき、先ずは長女ののところ、それから次女のところにも2日ずつ滞在するので、私は老体ながら忙しい。

小倉が浜でのノアと妻

孫の(孫たちの)生命力が、我が体にエネルギーを注いでくれているから元気なのだ。その反動がきっとやってくるだろうが、その時はまたそのとき、摂理に従う覚悟である。

ノアはまだ下の部屋で寝んでいる。(起きた、声がする)お昼寝はしない。起きるのは7時頃、寝るのは午後9時前、その間エネルギーを放出しながら、あらゆることを吸収し続ける。今は昔、かっての自分もそのような時間を過ごしていたのだと想像する。

まさにノアは幼少期から少年期へと向かう、真っ只中の渦中を生きている。そのような孫と偶さか夢のような故郷旅が実現した喜びは、極めて個人的な感慨であれ、打たずにはいられない私の性である。

話は変わる。いつもはほとんど一人で(とくにコロナの数年間は)帰省する我が故郷、これからは孫たちが成長するにつれ、一人での帰省は減る可能性がある。いまはまだギリギリのところで兄や姉が元気なので、和気あいあい我々を受け入れてくれるが、摂理、何人も寄る年波の中では、そうもゆかなくなる。その冷厳な事実の前のすれすれの、今、今回の旅が叶ったこと、身内の全員が温かく迎え、ノアの存在を祝福してくれたことの喜びを、墓前に感謝した。

世の中、殺伐としたニュースにことかかない。清々しいニュースや報道に接するチャンスは、私の場合甚だ少ない。もっと打てば、家庭が崩壊しているのではとも言えるようなニュースが引きも切らない。成長期のノアには聞かせたくないようなニュースが溢れている。私の場合テレビが来たのが10歳くらいであったから、その点よけいな情報に体が汚染されることもなく、限りなく天然、自然界からの直接情報のなかで生活できたことの幸福は、筆舌に尽くしがたい。

自然は手強く、恐ろしい。油断すると波に拐われてしまう。その冷厳な事実を、10歳くらいまでに理屈ではなく体で覚えることの大切さを、私は孫に伝えたいのである。自分の命は自分で守る。つまりは生き抜いてゆく、知力体力の基礎を10歳くらいまでに 身につけて欲しいのだ。

臆面もなく打つが、私が何とかこの年齢まで生きてこれたのは、幼少期、とくに10歳くらいまで、五十鈴川や小倉が浜で、ただただ体を動かして遊んだ中で 身につけた、体得した下地のお陰でなのだと、はっきり分かる。名前は知らなくても、虫、魚、樹木、植物、動物、雨音、風音、雲、夜明け、夕闇、漆黒の闇、森羅万象に感性を育てて頂いたお陰なのである。

知識などは10歳以降、いくらでもその気になれば取り戻せるが、あの幼少期のかけがえのない環境幼少期時代はいくらお金を積んでもえられないのである。その感性を育むためには圧倒的な大いなる大自然を幼少期に体験しておかないと、まずい。畏怖する感覚、その大切さを我が孫には、(すべての子供に)理屈ではなく体感して欲しい、のだ。私が元気な間は、年に数回は大自然のなかに放り出す、宇宙、自然界のなかの自分も一部なのだと頭を垂れる感覚を体得して欲しい。これは私の遺言である。

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