去年の春、秋、今年の春と3回参加して、ようやく自然に当日あの空間に居合わせた人たちの一員の一人になれたかのような安堵感が今も私の体にのこっている。
天候も最後まで見守ってくれ、70点もの縄文造形作品が無事に焼き上がり、その一部始終を見届けることが出来た喜びを、五十鈴川だよりに打つ。
私の猪風来さんご夫妻との関係性の深まりは、一年七ヶ月前の一本の電話から始まった。その折々の事は長くなるので割愛するが、昨年秋の20周年記念イベントにスタッフとして関わったことが起因している。
もし一本の電話がなかったら、きっとここまでの関係性の深まりはありえなかったかもしれない。今となっては有り難い、生涯忘れることのない電話であった。古希を過ぎコロナ渦中から次々と孫が授かり、娘夫婦の役に立つべく静かに暮らすだけで、充分満ち足りていた矢先の一本の電話の声は、私の老いゆく下り坂時間を逆流させた。
有無を言わせない真剣そのものの、猪風来さんの声は静かに私の内部におりて、スタッフになろうと(やれることで役に立つ覚悟)肝をきめた。あれからの時間の私生活の充実は、臆面もなく打つが、猪風来さんご夫妻と関わることで、全てが以前にも増してよき方向に向かい始めたように感じている。
縄文の心と技の修得に全人生を捧げた猪風来さんに、スタッフとしてお声かけしてもらえたことの有り難さは、例えようもない。スタッフとして関わることを決めた後日、よし子さんから、猪風来さんの書籍、原野さんの写真集ほか一切がお手紙とともに届いた。私は感動した。
世の中に出て、右往左往、あたふたと生きてきて、40歳で中世夢が原で落ち着き、自分なりに活動、生きてきたが、猪風来さんご夫妻に信頼された喜びは、老いつつも私の体を復活させたのである。以来言葉には出来ない、縄文的な感覚、感性が少しずつ私の中にしみてくる、のだ。
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| 焼き上がった70点の作品 |
スタッフとして自分なりにベストを尽くし、20周年記念イベントを終えてから、明らかに私は縄文に誘われる心地よさに身をゆだねたくなっている。現世の、世間の、この世からの逸脱を想像力を駆使して、遊びたくなっている。
先日、猪風来さんからお借りした本のなかに、縄文考古学の大家小林達雄先生が、我々の生活の中に縄文的な視座を取り戻したいと、おっしゃっていた。その言葉の意味する奥深さを、考え続けるその日暮らし、をしたい。
話は変わる。縄文野焼き祭りを20年以上の間、裏方として一貫して支えて来られたkさん(最高に格好いい人である。)から全ての片付けを終え(午後2時前)帰ろうとしたとき、たくさんのタケノコをいただいた。それとビールを。
(タケノコなんと20本以上頂いてご近所、妻の友人ほかに配ったのだが、皆さん笑顔、その日早速妻が手早く湯がいてくれ、口にいれた。最高の春の味覚、kさんにこの場を借りてお礼をお伝えする)
猪風来さんご夫妻との関係性の深まり、そしてこのkさんや、Yさんとの生まれ落ちたところは全く異なるちょっと歳上の先輩方との、縁の深まりは、この情愛の希薄な(体を動かし合える中で、自然に育まれる気付きの関係性の気持ちよさ)現代日本社会の私がこれまで経験してきた、消費イベントの対局に位置する。縄文世界は老いゆくなかでの我が体に喜びを、輝きをもたらす。

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