ページ

2026-03-21

草取り作業の、面白さにハマり、そしてもの想う、今朝の五十鈴川だより。

 昨日はお彼岸、春分の日であった。日の出が早くなり、今日もお天気が良さそうで、午前中義父のお墓参りに出掛けるまで時間がある。起きて数時間が、今の私の頭がもっともニュートラルですっきりしているので、ほとんどの五十鈴川だよりはこの時間帯に打っている。

中世夢が原から移植した水仙

さて、5年前のこの季節、私は病院に入院していた。いつ入院したのかは覚えていないが、退院した日は忘れることができない。23日である。69歳になってまもなくコロナ渦中の大変なときに、高熱が引かず緊急入院、運よく陰性で即手術となった。

簡潔に打つ。三回手術し、入院していたのはわずか3週間である。敗血症も併発していたので、生まれて初めて死が頭をよぎった、が幸運にも私は生き延びた。

退院した時の体重は53キロ、妻の迎えで、別人、弱々しい姿で家にもどった。退院後、先日退職されたTさんから、再三お電話をいただき、3週間もしないうちに肉体労働に復帰した。

Tさんから無理せず体を動かし、職場でリハビリせよとの言葉にしたがったのである。初日一時間、徐々に時間を増やし、一月後には元のように体が動いていた。あれから丸5年、極めて平凡な日々を、有り難き日々と感じ続けられている。退院後一年間お酒を絶っていたが、先生からビール、日本酒はだめだが、蒸留酒なら飲んでもいいとのお達し、すっかりハイボールが好きになった。

臆面もなく打つ。存在できているだけで足りている。この5年の間に、手術した時には一人だった孫が、4人になった。体重も61キロに。

さて話は昨日の続き、退院後の生活に生気を頂いた肉体労働、3年前から相棒が(それまでは一人でやっていた)加わった。すこし余裕ができたこともあるが、特に冬場、アスファルトの隙間から間断なく伸びてくる草を採る作業を、相棒と共に昨年の冬から、腰を入れて取り組んでいる。

正直、このような難儀な姿勢での根気のいる作業に、年齢的にも自分の体が喜びを覚えるなどとは想いもしなかったのだが、今私はこの地道な作業をどこかで楽しみ面白がっている。単なる目の錯覚で(草は決定的にまた生えてくる)あるにもせよ、採取.before.after ではまったく様相がことなる。

手入れがゆきとどいている、という自己満足感に浸れる、のだ。だが決して無理はしない。尺取り虫の要領、休んでは動きを繰り返すだけである。

この難儀作業、よもや相棒も加わるとは、期待も思いもしなかったのだが、相棒も根気よく従事している。お互いあうんの呼吸、だから必然的に関係性も深まる。何事も続けていると、体が自然とコツを知らせてくれる。

日本語には座る以外にも、しゃがむ、這いつくばる、という言葉がある。目線は大地に根をはる草に集中する。雨の翌日はTさんにお願いして特注で作ってもらった、草かき棒がことのほか役にたつ。作業が捗る。この面白さは、薪割りを体得した面白さと同じである。

重機や草刈り機がない昔、人々は腰を屈め、稲、根菜類の収穫など、直立歩行人間には難儀な姿勢での労働に、なん百年も従事していたはずである。もちろん私のご先祖も例にもれない。

富良野で初めて大地に這いつくばり、中世夢が原でも薪割り等の普段現代生活ではやらない体の動きを、何十年も続け、66歳から今に至るも、体を動かし続けて来なかったら、きっとこの草取り作業の面白さを、体得することはなかったともう。

そして想うのである。昔から人は苦しい生活や、労働のなかにも、なにがしかの喜びを見つけていたのに違いないと、私はおもいいたったのである。一見単調な動きの繰り返し、だが体は老いても、未だつつうらうらまで活性化する。気付くとずいぶん捗っている。老人の私には、安全でぴったしの仕事、何より天ノ下で思い通りに春の訪れのなか、地中のミミズが動くように、大差かわらず、私も動く。

夜、日中動いてくれた体を休め、就寝前体の手入れ、20分程度の体操を電気をつけず闇の中でする。暗いなか、これもはまっている。今年から始めた。千住真理子さんがやられていることを、私も真似している。おかげで以前にもまして、ぐっすり眠れる。寝て起きて働いて、合間合間に好きな時間をすごす。限りなく昔人にあやかりたい、というのが今の私の元気の元である。


0 件のコメント:

コメントを投稿