ひさかたぶりの雨である。我が家の妻が丹精しているわずかな野菜、花などはきっと喜んでいるはずである。今年から水曜日も労働はオフにしたので、やはり余裕というてんで正解である。自在に気の赴くまま好きなことに静かに専心できる。
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| 東京大空襲3月10日は母の命日である。 |
何故、ボブ.ディランの書写をするのかの長い説明は省くが、ディランは今年85歳だという。18歳で世の中に出た頃、意味は深くはわからないのに、直感的にやるせなさとともに、あの声とハーモニカが、島国の田舎の少年の心に染みたのである。
時代は変わる。風に吹かれて、を聴くことがなかったら、まず広いこの地球のわずかではあれ、異国への旅をしようとは思わなかっただろう。あれから半世紀以上の歳月がながれ、お爺になって、あの吟遊詩人、歌人の詞の内容を、翻訳であれ、少しでも知りたい、解りたい、でないと、悔いが残る、と思ったのである。
この三日間、今朝も二時間ほどやったのだが、当たり前、時間がかかる。疲れる。でも楽しい。刺激がある。良くはわからない箇所が随分とある。が、想像力が刺激される。だから楽しい。そして続けられる。ウディー.ガスリーに捧げる詞など大変長い。肩が凝る。一時間やったら、少し我流体操をして、体のコンディションを整える。
私が好きな労働も根気、持続力がいる。いつまで出来るのかは神のみぞしる。いま私が一日一日の生活で、重きの時間を費やしているのは、根気のいることばかりである。集中力が伴わないと、何事も叶えられない。
敢えて根気のいることがこの年齢で、いまは好きなのは、自分でも良くはわからない。が、敢えて打てば、全く世の中に出るまで、怠惰の極みみたいな自分であったからだと、思える。世の中の荒波にもまれ、(基本的に私は今も怠惰である)あまりにも遅きに失したとはいえ、努力しないと大変なことになるという自覚が生まれて、半世紀、ようやっと少しは、普通になれたかのような、自覚を持つ私である。
お爺さんになって、人生の持ち時間を想像する。孫たちのことを想う時間増えてきたようにおもう。まるで遺言のようである。いいのである。その日思いつくことを打てる幸福が贅沢なのである。妻が仕事から帰ってくるまで、一人の雨の日を、いとおかしく過ごしたい。
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