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2026-02-02

1月31日、長崎で人形劇団[かじまやぁ]桑江純子、良健さんの最後の公演、チョンダラーを観ました。そして思う。

 昨日午後、予定より1日早く帰って来ました。ふるさとで二泊、長崎で二泊、4泊5日の小さな旅は、私にとって大きな旅となった事を、気持ちが新高揚しているうちに打っておきたい。


人生は出会いと別れの集積である。摂理、始めたことは終わりが来る。30年前、かじまやぁ、桑江純子、良健さんご夫妻二人で全てを切り盛り、こなす人形を当時働いていた美星町の廃校で企画したのがご夫妻との出会いである。

30年の交友、関係性が持続し、最後の公演に立ち会えた事実の重み、幸福である。記録として五十鈴川だよりに記しておきたい。何よりも孫たちが大きくなったときに読んでもらいたい、とのおもいが私に、私に五十鈴川だよりをうたせる。

おととい30日午後6時前、3年ぶり(飯田でのに人形劇フェスティバル以来に、よもやまさか最後の公演での再会になるとは思いもしなかった)長崎のホテルで桑江さんご夫妻と再会、公演前日の夕食会に私も呼ばれたので参加した。

ご夫妻、出演、兼舞台監督のYさん、照明のNさんほかスタッフ含め9人での、慎ましく静かな夕食会であった。桑江さんご夫妻のこれまでの活動、歩みに魅せられた長い関係性の上に、強固に築かれた人達が集まっておられた。今回私はスタッフとして最後の公演に参加した。岡山からはそのスタッフに、長年かじまやあの公演を引き受けておられたHさんもいた。

スタッフ、参加者紹介を兼ねた夕食会を終え、裏方5人での本番当日の流れを舞台監督のYさんを中心に打合せをして、早めに宿に引き揚げた。

一昨日、本番当日朝八時半にホテルでに集合、そこからマイクロバスで約10分、公演が行われる長崎市平和会館ホールに。静かな緊張感、すぐに舞台の仕込みに入る。私とHさんの岡山二人組も年齢をしばし忘れて、かじまやぁ組の裏方に専心した。手慣れた舞台監督のYさんの指示で10時半には舞台が見事に組あがった。(10時過ぎ長野の飯田からGさんも裏方として駆けつけてきた)

組上がったら、もう私のやることはなく、舞台稽古をただただ見守り、純子さんの体調、無事の公演を願った。


この公演の主催は、宗教法人大谷派の九州教区長崎組、青少幼年部門❲こども報恩講実行委員会❳。原爆80年 非核非戦こどものつどいである。

13時30から始まり、人形劇は14時30開演。純子さんはスタスタと歩いて颯爽と登場した。芸人魂の塊となって、希望の声で250人位の親子に向かって、沖縄の言葉でハイサーいと語りかけた。始まった。チョンダラーの世界へと導いてゆく。

私は一部始終を眼底に焼き付けた。かじまやぁ、チョンダラー最後の公演はあっという間に無事に終った。子供たちは手を叩き、体を揺らして、チョンダラーの冒険活劇に釘づけ、全身でみいっていた。

一時間10分動きっぱなしである。純子さんは私より年上、夫の良健さんは今年78歳になる。なんと言う肉体の動かしかたか。長年培った蓄積の上に、人形と桑江ご夫妻、Yさんが一体化、寸部の乱れもなく、舞台が進行してゆく。素晴らしいと言う言葉しかない、最後の公演に立ち会えた幸運を五十鈴川だよりに刻んでおく。

16時終演後、すぐにスタッフとなり、解体、梱包のお手伝い。久し振り全身体を動かした。老いの体から汗が流れた。全てを終え、ホテルへ移動。小休憩の後、主催者主催の打ち上げ、居酒屋に。(移動は全てワンボックスカー)。午後7時過ぎから10時まで、楽しい交流の宴が盛会で行われた。

そして桑江ご夫妻、裏方全員、10名での二次会が、ホテルのGさんご夫妻の部屋で(一番広い)その後午前一時まで行われた。このワンチームの、それぞれの方のお話が素晴らしかった。その事のいちいちは私の筆力では不可能である。裏方として、スタッフとして参加したからこそ、二次会に参加出来た。宿が違うし、一次会で引き上げようかと思ったのだが、良健さんが声をかけてくれた。

沖縄を背負って、(凄まじいまでの覚悟に)人形劇に打ち込んで来られた純子さんの純真な一途さ、夫良健さんの画業もしかり。52年の歩みの確かな重みを、二次会に参加された各人各様のお話に私は教えて貰った。

かじまやぁに対する、思いの丈の深さ、この二次会に参加したことで沖縄の事を、この日出逢えた若い面面と共に学びたくなった。桑江さんご夫妻との新たな交遊が始まる。沖縄詣でを体が動く限り続けたい。(と念じている) かじまやぁ美術館は沖縄の宝である。


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