74歳を迎えました。昨年の誕生日から一年がすぎ、この一年はずいぶんといろんな体験ができ、実に有意義な一年であったと思える。年々歳を重ねると、体力ほか体の機能はたしかに衰えを感じる。が、神様の粋な計らい、いやでも落ち着きが出てきて、それが私の場合、いい方向に流れてきている、と感じる。我田引水、あくまでも能天気に、前向きに考えている、ある種の老いの深まりを。
古希以後、緩かにこれまで培ったヒトとの関係性を手放し、見直し、新たな人との出会いと、再会、特にこの一年で、オーバーではなく、新たな地平のパラダイムに立てたような塩梅である。執着していたこと(やめたのではない、個人的には続ける)をすんなり手放したところ、以前は感じなかったような感覚が育ってきている(のだ)。老いゆく変化を。
この一年、ずいぶん五十鈴川だよりを打ち続けている。老いつつ、折々の日々を綴り打てる喜びは、老いるにしたがって増してきている、ようにさえ思える。それはおそらく人生の持ち時間を、いやでも我が体と心が敏感に感じているからである。(だからこれまでの自分とは決別し、もっともっと未知の世界を見たいし、新しい人とともに学びたいのである)
現在を更新し続ける。生きている喜びは私の場合、今のところ健康で在るからこそなのだが、古希目前の大手術以後、ますますもって深まっている。ありがたい事だと痛感する。世の中には健康にすぐれず、辛い、思うに任せぬ病ほかの、過酷な晩年、状況を生きておられるかたが、大勢いらっしゃる。(それだからよけい動ける、考えられる、おのれの幸せを思う)
世の中に出てから、思い通りには全くならないという、重い重い現実と日々格闘、この年齢までよくぞ生きてこられた、と実感する。そのことへの天運のよさを、ただ素直に感謝している。手術後、私はまもなく丸5年を迎えるが、日々折々、五十鈴川だよりを更新できている。
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話は変わる。長くなるので簡略に、先日突然次兄から、亡き父の書いた歌の歌碑と、赴任していた中学校の校歌の作詞した歌碑の写真が送られてきた。ちちは83歳で冥界へたびだった。その父の年齢までは何としても生きねばならないという、(先のことはわからないけれども)見果てぬ覚悟がにわかにわき起こっている。
前回の五十鈴川だよりに、晩年の両親の写真をアップしている。苦労に苦労を重ねた末に、(当時、母は少し健康を損ねていたが、両親ともに頭はしっかりしていた)迎えた晩年、両親は幸せそうであった。その事が(姉と二人の兄が側でよく面倒を最後までみた)私には嬉しい。だからなのだ、今も私は安心して姉、二人の兄のいるふるさとに帰るのは。
頭がしゃんとしている間に何が出来るのかは、いまは判然とはしない。だが、かじまやぁと再会したこと、猪風来さんと出会えたことで老いの夢が(実現するしないではなく)、自分にとって大事な事柄がくっきりとしてきたように思えている。誕生日直前、次兄から送られてきた写真は、これからの私の指標になるのは間違いない。
PS 大いなる 望みをもちてひたすらに つらぬきとおせ ひとすじのみち。臆面もなく打ちます。このような親を持て幸せである。

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