もう5泊を娘のところですごし、まるでルーティンのように朝の次女家族の、お手伝いを済ませ、しばし自由時間、一人時間の居場所、図書館で五十鈴川だよりを打つ。
![]() |
マンションの入口に聳えるヒマラヤ杉 |
記録として、この5日間、どのようなお手伝いをしたのかを、思い出すまま時系列で打っておく。細かいことは省く、朝食の準備、あさのお掃除、洗濯物をたたむ、洗濯物を干す、ゴミだし(細かく分類して、指示された場所にきちんとだす)買い物(娘のメモにしたがって片道500メートルくらいのところにある地元のスーパー稲城屋まで)昼食のお手伝い(お昼を2回自分で作った)、夕食のお手伝い、(夕食は娘が作る)後片付け、お風呂洗い、午後4時前、葉の保育園にお迎え、などなど。まあ、このようなお手伝いをしている。
夜は葉と同じくらいに早く休んでいるので、8時間は寝ている。そのせいなのだと想うが、すこぶる心身の体調が昨日辺りからがぜんよくなってきている。一昨日も打ったかもしれないが、この3ヶ月にも及ぶ酷暑の疲れが、元気ではあれ、73歳の体の累積疲労が抜け、別の場所、居心地のいい空間で癒されているのが覚る。
さて、今夜は私を含め、男二人、女性二人の4人が集い、会食することになっている。私の上京を機に、わざわざ会いに来てくださる稀なひとたちである。メンバーのいちいちについては省く。私にとっては大切な得難い面々である。(わたしの企画したイベントに参加してくださり、以来関係性が続いている方々ばかりである。日常的な交遊はほとんどない)
前回も少し触れたが、人生の晩節を付かず離れず、しかも気持ちよく共有できる仲間が、私には存在している。私が年齢を省みず、我が儘に突き進むちょっと集客が難しく、制作費が足りないとき、私のカンパの依頼に、気持ちよく応じてくださるまれな方たちばかりである。特に今年の春に企画したスパイラルアームズの企画では、正直想像を越えた応援が寄せられ、その事に助けられ、無事にあのライブを終えられたことへの感謝は、いまも例えようもない。
そのように粋な、もの好きとでもいうしかない面々のお陰で、私はかろうじて(臆面もなく打つが)今を元気に活き長らえているのだ。だがその元気に振る舞える体も、そうはいつまでもは無理である。だからといって体がやれる、やりたいという間は、よしんば実現は不可能でも不断の夢を育む努力だけは持続しないと、そうは簡単には夢の神は降臨しないのである。
40歳から突然企画することの醍醐味に目覚めた私は、途中シェイクスピアの音読に夢中になり、10年近く中断した後、再び70歳から企画を再開したのだが、毎回これが最後という気持ちで、かろうじてギリギリ、企画がやれている。(応援団がいるからこそやれているだけなのである)
なぜ、高齢者になっても企画するのかのエネルギーはどこからわいてくるのかは、私にもよくはわからないが、つまりは、まだ生きて元気であるからにちがいない、と考えている。理屈はどうでもいいのである。やれるうちに、やれる仲間と、というくらいの軽いのりである。芭蕉は夢は枯れ野を駆け巡る、と詠っているが、外見は枯れていても、内側には未だほんのりと燠びが残っている。(のだ)当たり前のことだが、この世に生を受けたからには、死は平等に訪れる。
ならば、どのように一日を生きるのか、生後一月にも満たない風香のしぐさ、寝姿をこの5日間毎日眺めながら、老人である私は考える。
0 件のコメント:
コメントを投稿