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2025-08-17

フライヤー配布行脚のなか、山道でタイヤがパンク、昭和快男児に助けられ想う今朝の五十鈴川だより。

岡山に移住して33年になる。その間クルマの運転をしているがタイヤがパンクをしたことはなかった。が昨日タイヤのパンクを経験した。その稀なアクシデントで出逢えた、稀な家族の人たちのことを、今朝の五十鈴川だよりで、なにはともあれ、短くともキチンと打っておきたい。

私のそばを離れない花

山道でこの年齢で、初めてパンクなるものを経験して、改めて一夜開けて思うことは、無償の善意、山道で親切がこんなにも嬉しく有り難いものであるのかという事がしみた出来事だった。ましてや、このような殺伐とした、出来る限りヒトとの面倒には、関わりたくはないというのが現代の世相の中、稀な家族に私は出逢った幸運を、何としてでも五十鈴川だよりに綴らずにはいられない。

昨日私は午前9時、猪風来さんの秋のビッグイベントのフライヤーの配布(24日から、来月2日まで上京するので、それまでは配布を終えたく)に出掛けた。建部、久米南町、津山の、文化センター、図書館、ギャラリーなど、8ヶ所にに配布、お昼は持参したお弁当を車の中で食べた。

午後まだ時間があるので、もう少し配布したく、津山から初めての山道(山越え)で吉備中央町を目指したのだが、想像以上の狭い山道で、崩れ落ちた石や木片が路上にずいぶんと転がっていて、車を降りて、2回ほどその石や木片をどかしたりしながら、その細いやまみちを注意深く運転、抜け出し、吉備中央町に近い広い道になんとか出たのだが、そこでタイヤに異変を感じ、すぐに路肩に車を寄せタイヤを確認すると、前の右側のタイヤがパンクしていた。

そこからの、ことの顛末を簡略に記しておく。困った私は、とにかく誰かに応援を求めたく、通りすがりの道行く車にてをあげたところ、すぐに50代位のご夫婦連れと、私の子供くらいの年齢の男性が止まってくれ、即手際よく鮮やかに頭が下がる対応してくださったのである。(保険会社への連絡ほか)、単なる親切の範疇を越えてきぱきと、対処してくださったことへの感謝を、五十鈴川だよりにキチンと打たずに入られない。

結果、私の子供くらいの年齢の男性が、現場から15キロのところ、真庭の落合にすむお父さんに電話を掛け、お父さんを呼び出し、急を聞いて駆けつけた父に、息子さんがタイヤをはずして、その後を任せ、ご夫婦と息子さん3人は、お名前と連絡先の電話番号を、どうしてもを教えてくれず風のように去ってゆかれた。

その後、私はお父さん(82才とは思えない軽快な身のこなし、びっくりした)の運転する軽トラックで久世にあるイエローハットでタイヤを購入し、再び現場にもどった。(私の車には予備のタイヤもなくジャッキもなかった)

購入したタイヤをお父さんがとりつけた。(私はタイヤを持ち上げるのをてつだったばかり)この息子にしてこの父親あり、連絡先、電話番号を教えてほしいと何度頼んでも、頑として教えてくださらなかった。

現場から、久世のイエローハット往復の軽トラックのなかで、車中82才の、人生の大先輩とまさに一期一会の会話のなかで、深く印象に残ったのは、私は特定の宗教は持っていないが、困った人がいたら、出来るだけの対応をしているだけだと。因果応報、すべての行いは自分に返ってくる、とおっしゃったのである。

飄々として頑固一徹、だが温かくて優しい、昭和の快男児に、わたしは、、フライヤー配布の山のなかで出遇った。

ある夜の出来事という古きよき映画がある。ある夏のお盆の日の山中での、私の忘れられないパンクの出来事、宝石のような思い出となった。あのご夫婦と、あの息子さん、そしてあの爽やか昭和の快男児に、何としてもまた会いたい。表札を見たので、姓はわかっている。

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