昨日3日目を過ぎた辺りから、次女のところでの、いわば助っ人老人生活も幾ばくかは慣れつつある。が、慣れてはきても、基本的に私には都会生活は、全くダメである。この事について書くのは、五十鈴川だよりでは無理なのだが、やはり生まれ落ちた場所が、まったくの田舎の田園地帯のなかの、回りには他に建物がない家だった、その記憶のなかの原風景が絶対的に大きく作用している(と思う)。
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次女の住むマンションの図書館で打つ五十鈴川だより |
話はあちこちするが、人生のいよいよもっての最終章をいかに自分にとって、居心地のいい場所で生活し、なおかつ理想を言えば、充実した生活を送りたい、という願望にそって還暦以後、下り坂人生を五十鈴川だよりを今も打ちながら次女の住むマンションのw考えている。
ヨタヨタ、途方にくれる体験もしつつ、あれから13年、いまを、ありがたいことに穏やかに生活できることに手をただ合わせている。折々五十鈴川だよりを打つことを持続しなかったら、生来の本質的性格に堕落していったのではないかと思える。だから、これからもできる限り五十鈴川だよりを打ちながら、日々を見つめ、ての届く仲間とともに老いながら、可能なら愉快な時間を過ごしたい。
私は今、次女の住む七階ではなく,一階にある、居心地のいい空間である、このマンションの図書館で五十鈴川だよりを打っている。娘たち夫婦が、私のために、フリーになる時間を考えてくれているのが、とてもありがたい。
宮崎の門川の五十鈴川のほとりの、山河の風景のもと、西行の歌になぞらえれば、願わくは、故郷エリアで、お迎えをと、私は祈るが、決して思い通りにはならないことは必定なので、一行五十鈴川だよりに打っておく。
朝からとりとめないことを打つ。明後日長きに渡って関係が続いている友人と会うことになっている。若いときと違って、老いるということは、皆それぞれ千差万別の老いる時間を過ごしているということである。ある日突然に、これまで経験したことのない未知の状況に置かれたりして、以来関係性が遠退いたりする。
私にだって十分に起こりうるのが、未知の老いの世界であることを認識している。だが、無理なく集えるときに会える、仲間友人があるということはかけがえがない。(だってもう十分に明日は会えないのかもしれないのだから)
自分の老いと向かい合う勇気は如何様にして、育めるのか、育めないのか、を考えつつ一日を過ごす、その日暮らし考になりつつある五十鈴川だよりである。そのような折、昨年から猪風来さんご夫婦と親しくさせていただくなかで、自分のこれから歩む指針のようなものが、うすらぼんやりと見えてきた気がしている。あのように自然にただ存在したい、自分に正直に存在するだけで気持ちが、呼吸がしやすい場所でその日暮らしをする。企画も、あくまでも老いながら自然に、やれる範囲で。
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