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2025-08-09

8月5日、次女に2番目の子供が生まれ(女の子、風香、ふうか)、そして想う五十鈴川だより。

 土曜日の朝が来た。涼しい。蝉も啼いていない。一昨日午前中雨であまりの嬉しさに、カッパを着て、いつも通り労働した。炎天下で働くよりもずっと気持ちよく働けはかどった。待ちに待った雨、雨に歌えばではなく、雨に働く。

ヒイヒイいいながら、どこかで老齢を感じながらも、ギリギリ知恵を絞りながら、一日一日をしのぎ、今週も月曜日から昨日まで午前中無事に働き、午後3日間フライやー配布をすることができた。

遮光土偶、風香に目がそっくり

立秋を過ぎ、昨日の夜は、何時以来か熱帯夜ではなく涼しく、あっという間に眠りに落ち気持ちよく快眠できたので、こうやって五十鈴川だよりを打てるということが、疲れてはいるのだが、嬉しい私である。

さて、私の日常生活のなか5日火曜日嬉しい知らせが、午後スマホに届いた。次女に二人目、女の子が無事に産まれ、母子共に健康で安産であったとの知らせである。これで私は4人の孫のお爺となった。

生まれたばかりの新生児はまぶたを閉じている。猪風来さんのお話の縄文遮光器土器の瞼とそっくりである。あらためて、猪風来さんと出会わなかったら、ここまで真剣に我が孫の誕生したばかりの顔をこんなにもしげしげと見ることはなかったかもしれない。

私の五十鈴川だよりは、何の脈絡もないことを綴ることがおおい。読んでくださっておられるかたには、またかと閉口することが多いかもしれないが、ご勘弁あれ。お子さんもおられず、ましてお孫さんもおられないかたには、私のこの年齢での心持などは綴っても、、、。とはおもう、がこればかりは、親にさせていただいたり、孫を授かったものにしか感じられないのは、いたしかたない。

話をかえる。私は若い頃、自分が結婚して、家庭をもち、人並みに平凡な生活が営めるなどというイメージを持ちにくい放埒な生き方をしていたがために、初めて我が子と対面したときの驚きは言葉では表せない。忽然と私は過去を捨て、変身した。長くなるので割愛するが、何としてでも、我が家に舞い降りた最初の赤ちゃんを二十歳になるまで育てなくてはと決めたのである。

あれから36年の歳月がながれ、最初の赤ちゃんである長女は今や7歳と2歳の(男の子と女の子)そして次女に二人目が(4歳男の子、女の子)が授かり、私は4人の孫のお爺となったのである。

年齢的にお迎え、死を意識する(しないといけない)考えることが多くなってきて、逆説的に、我が人生は(臆面もなく打つが)輝き、若い頃とは比較にならないほどの喜びが(苦楽が)増えてきている。物質的な喜びではなく、ただ生きている有り難さ感覚が深まる喜びとでも言うしかない何かがである。

その感覚的な有り難き多幸感をこれ以上綴るのは、野暮なのを承知で打つが、新生児の輝きはそのあまりにも初々しいしぐさの丸ごと全部が、老人の私に降り注ぐのを私はじっかんしている。2日目には眼を明け(まだ見えないが)、3日目には指をしゃぶり始めている

7年前、ある日突然、我が家に最初の孫が舞い降り、5日に産まれた4人の孫の存在が、私の晩年時間を彩るであろうことはまず間違いない。だが単なる猫可愛がりの凡庸な老人になるのだけは、御免である。行く末に正解などがあろうはずもなく、私なりの老人ライフを右往左往いきるしかない。孫たちが私に言葉にならない静かな老いのエネルギーを与えてくれている。

PS 今日の写真、良く撮れていなくて申し訳ありません。猪風来美術館で是非とも、ご覧になってください。



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