雨の日以外、どんなことがあってもメル散歩は欠かさない。勿論今朝も行ってきた。毎日新しい朝をメルと共に迎える。夕刻は妻がゆく。もう14年近く共に暮らしていると家族そのものである。犬猫、動物が妻は大好きである。大きな声では言えないがきっと私のことも、動物の変種くらいに思っているのではないかと想える。がその事に関しては論考を避ける。
さて、6月3日長島茂男さんが逝去された。野球をやったこともない私でさえ、中学時代からテレビを通じて長島茂男という存在を知り、日本シリーズなどでの勝負強い、いわゆるはなのあるスター選手と同時代を生きられたことのありがたさをおもう。
冥福を祈ると共に、どうしても記しておきたい事がある。それは晩年病に倒れリハビリに励まれる姿である。人間の真価とは逆境でこそ試されるとはよく聞くことである。各々の苦難、艱難辛苦は千差万別である。ましてや、若いときではなく、晩年あれほどの大スターが、世間に身をさらしてリハビリに打ち込む姿をさらされたことに、私はそこに一人の人間としての威厳尊厳を感じた一人である。
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一人の叫びが平易に綴られている。 |
雨にも負けず、風にも負けず、という有名な宮沢賢治の詩があるが、生前何かで読んだ記憶があるのだが、いかにも長島さんらしいと唸ったのは、僕は雨を楽しむ、風を楽しむとおっしゃっていたことである。スポーツマンの鏡というしかない。以後、私もあらゆることに、負けずと言う言葉をつかうことは極力しないと決めた。面白がる、楽しむという風に変えたのである。
企画を決断する際も、一旦決めたら前を向くだけである。年齢的なことも含め、収支、一切合切ネガティブなことは、考えない。少しでも地下に根をはり水を探す。言うは易し行うは堅ではある。が見渡せば、凄い先人たちの遺産がごろごろとおられる。そういう方々が遺された魔法の言葉を浴びて、私のような凡人は勇気をいただくのである。
晩年、仏教の言葉では遊行期をいかに生きるのかが、肝要である。私もそのような年齢である。昭和の時代、戦前世代と戦後世代、生まれ落ちた年齢や環境で体験された記憶が全くと言っていいほど違うのだということを、最近痛切に感じる。
先日、1936年(敗戦時9歳)東京生まれのNHKの名物アナウンサーとして、その名を知られる鈴木健二さんの【昭和の遺言】という新書の読みやすい本を読んだ。改めて多感な年頃で敗戦を体験した世代の、未来への伝言の重みを痛感した。長くなるので割愛するが、関心を持たれたかたは手にしてほしい。誰かを思いやったり、普通に平凡に、暮らすことのできる生活の重み、有り難さが染みた。
日々の暮らしのなかで、ややもすると、つい感謝することがなおざりになったりしてしまいがちに、私などはなりがちである。休日や、雨で労働が出来ないときは、鈴木健二さんの本のように読みやすいのだが、内容の濃い本を読まねば、と改めて思う。難しい言葉、読めない文字はほとんどなく、平易にすらすら読める。だが中身は、個人で全身で感じたことが書かれているので独特の文体。そこが凄い。
難しいことを、分りやすく、分かり易いことを深く、深いことを、、、、、。のお手本のような本である。謙虚に耳を傾ける、ことの大切さ。何故企画をするのか、平凡な暮らしを脅かす時代の足音には、徹底的に耳をそばだてる。敗戦後80年、いよいよ戦争を頭ではなく、皮膚で体感した世代が次々と居なくなる。お茶の間では、飢えたことも、家を焼かれたことも、肉親を殺されたこともない輩が、のうのうと他国の戦争のあれやこれやに、ご高説をのたまっている。
極限状況、戦場ではいかに普通の人間が狂って、鬼畜かしてゆくのかを、多くの極限状況でたたかった、多くの日本兵が90才を過ぎ語り始めている。おぞましいという言葉を越えている。五十鈴川だよりではこれ以上は打たない。五十鈴川だよりを打つものとして、無数の死者の遺言に耳を傾ける。(かたむけたい)
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