静に過ごす日々が以前にもまして、多くなってきている。若いときにはあれほど右往左往とあちらこちらに出掛けていたことが、まるで嘘のような気がする。がきっとこれが老いてきているということなのだとおもう。
さて、今日から妻が長女家族の助っ人として4泊5日ほど上京するので、私は今日からメルと花と私の生活になる。これまでも度々妻が上京したら、私は何かしら一人で食事をつくって、短期間ではあるけれど、ひとりでの生活を何とかやって来た。
この事は、私の年齢を考えると、パートナーのどちらかが先に召されたとき、いやでもの一人暮らし生活を考えてしまう。そのことに思いを馳せるとき、私は粛然たるおもいにかられる。私が先にゆく分にはなにも心配してはいない。
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1936年お生まれの著者、凄い。 |
だが、こと命の灯火だけはそうはとんやがおおろさない。私の父の場合は母が先に召された。その後の父の目に見えての憔悴、衰えは何をもってしても空虚さの穴を埋めることができず、数年後にまるで母を追うように旅立った。(最後は幸せで本当に良かった)
兄や姉から、私が一番亡き父に似ていると言われているし、私自身も父に似ていると年年歳歳想うようになってきている。似ているから思春期から対立関係が続いていたのかもしれないと、今では思える。そしてあの父の頑固なまでの潔さ、厳しさ、情の深さ、愛情表現の下手さはかなりの程度私の現在に受け継がれているのを、痛感する。
だからといって、いまとなってはそのことを、私はプラス思考でとらえている。ヒトはいかんともしたいことを一生抱えながら、とぼとぼではあれ自分なりの生をまっとうするしかないというのが、偽らざる正直な気持ちである。本質的な遺伝子はこの世から消え去るまで、五十鈴川だよりを打てる間は、背負う覚悟をもって生きるしかないというのが、今の気持ちである。
さて、話を変える。自分でも年を重ねるに従って、限りなくシンプルな(自分で言うのもなんだが)生活が今のところ送れている。自分なりに足りる生活を心がけ実践している。我が道を我が体で、右往左往ヨタヨタ、家族の一人としての責任をなんとかキープ、生きている。
私は18才から世の中に出て、生活に追われ、無知蒙昧、無学のごまめの歯ぎしりのように生きてきたのだが、カサカサに渇いた心の一番の妙薬はやはり本を読むことである。今現在も本を手にすれば、心の安寧が保たれる。新しい一日をいい感じで過ごす必須アイテム、私には散歩と労働、旅と本が不可欠である。本を読むにはかなりの集中力、持続力、体力がいる。鬱陶しい梅雨を乗り切るために、体と心が満たされる、著者の本に出会いたと切に念う。念う心がなくなったら、きっと五十鈴川だよりは打てない。
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