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2025-05-24

昨日午後、思い立って猪風来さんを訪ね、氏の熱き発露の言葉のつぶてを浴びて想う、今朝の五十鈴川だより。

 土曜日の朝が来た。昨日午後猪風来さんご夫妻に急遽会いに行った。昨日は働いていたのだが、何か無性に猪風来さんに電話をしたくなり、電話を入れたところ、話したいことがあるとのこと、私も直感的に対面でお話に耳を傾けたほうがいいという気が働いて、家で昼食を済ませ新見の法曽に向かった。

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着いたのが15時半、猪風来さんは今取り組んでいるレリーフ作品の磨きの工程をされていた。寸暇、磨きについてのお話しを拝聴した。滅多に聴けない話でこの話を聞けただけでも行ってよかった。

創作中断、すぐにいつものミーティングルームに移動、10月12日、猪風来美術館20周年記念特別企画に向けての進行状態、クリアしてゆかねばならないこれからの課題、懸案事項、等について、もっぱら猪風来さんがお話しし、時折わたしが合いの手をいれる、といった案配で約2時間以上、濃密な時間をすごした事実のみを、きちんと五十鈴川だよりに打っておく。

同席したのは奥様のよし子さんとパイプライン(猪風来さんのドキュメンタリー作品のカメラマン)のTさんの4人である。この2時間の内容を綴ることは、私の力では無理である。昨年秋、猪風来さんから企画協力要請を依頼されてからというもの、折々のタイミングで私は猪風来さんと直にお話しをする時間を(決まったミーティング以外にも)大切にしている。

何故かを言葉でもって説明することは出来ない。何故か行きたくなる。時に昨日などは、行かねば、と何かいわく言いがたい感情が沸き起こるのである。体がいまだ何かに反応するとでもいうしかない、名状しがたい内発である。我が家から美術館まで片道2時間半、往復5時間かけて運転するのは、我が年齢をおもえばかなりの気力体力がいる。

が、いつも感じることは、出掛けてよかったという思いである。体は正直である、家に帰り着いたのが午後8時過ぎ、朝5時から起きて午前中労働し15時間、ぐったり疲れている。だがその疲れは気持ちが悪い疲れではなく、6時間熟睡したらスッキリと起きて、五十鈴川だよりを打ちたくなるほどに回復するよき疲れなのである。

話を戻す。猪風来さんの一途で壮絶なという言葉しか思い浮かばない、縄文土器創造世界にかけた滾る情熱の余りの発露に、圧倒されながらも、このような傑物と出会えた我が人生の、運命(勝手にそう思う)を祝福する。

今年10月12日の猪風来縄文美術館20周年特別企画が終わるまで、あとおおよそ5ヶ月、我が家から法曽まで往復通う体力をキープして、私なりに猪風来さんの企画を、側面から寄り添い続けたいとの、ささやかなおもいが、ふっと法曽に向かう理由だと思う。氏はそのような私にずいぶん砕けた本心も、時折見せてくださるようになってきたのを私は感じている。

信頼関係が育まれてゆくのは、どのようなヒトであれ時間がかかるし。相性もある。企画協力要請を受けた私が思うことは、少しでも、一ミリでも猪風来さんの発する言葉の息づかいに耳を澄ませ、体で聞き取り、その念いを受けとめたいのである。(それによってエネルギーが湧いてくるのだ)

猪風来さんと共に人生を歩み、苦楽を共にされている奥様のよし子さん(草木で染めた前人未到のこれまたすごい織物作家である)はいつもそっとそばで猪風来さんを支えている。饒舌な猪風来さんと寡黙なよし子さん。表裏一体化したご夫婦である。今回の20周年企画、お会いする度に感じるのは黒子に徹しているよし子さんの姿である。その姿にあやかって私も微力に黒子に徹したい。

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