今日から4連休である。昨日から労働に復帰した。ただひとり春の陽光を浴びながら、気持ちよく黙々と体を動かした。30日ライブの日の出来事が繰り返し頭に浮かんできて、幸せな気分で草を抜いたり、草を刈ったりした。夕刻家に戻り、ゆっくりお風呂に入り、ライブのことを妻と夕飯をたべながら、余韻会話。午後9時には床に着き、ただ寝た。今朝午前6時に起きて、メル散歩の後タブレットに向かっている。
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CDにサインする土取さん |
さて、今私はつくづくスパイラルアームズ岡山公演の企画窓口を引き受けて良かったとのおもいが体に充満している。正直今現在の自分の体力、気力、能力で集客できるのか、というおもい、弱気というのとも異なる、時代との私自身が抱えるズレが、よい結果にならないのでは、とのおもいが強かったからである。
だが、結論から言えば、集客できなくてもやるだけやる、と肝をくくってからは迷いは消えた。何よりもライブの記録を私は残したかったのである。それさえ残ればいいと、かんがえたのである。とは言うものの、必須アイテムのお客様がいないと一夜のライブは成立しない。
GWの谷間の平日のあの夜のライブに足を運んでくださったお客様は、素晴らしかった。限界まで演奏した土取さんのスパイラルアームズに、カーテンコールの拍手を送ったのである。もちろん、スパイラルアームズはカーテンコールに応えた。
素晴らしいオウディエンスの存在が、土取さんの最後の数分間の奇跡的な、パーカッションソロを生み出し、その事がカーテンコールに結び付いたのを私は眼底に焼き付けた。その場に居合わせたものだけが、体感できる、居合わせたものだけの波動で成立するのがライブである。企画者冥利、肝をくくって芯から良かった。これこそが私にとっての贅沢の境地、それを全身であじわえた。
話を変える。長くなるので簡略に打つ。今回の企画を引き受けたことで、私のなかの企画者としての可能性が、うまくは言えないのだが拡がって、自由自在な発想での企画をやりたくなってきている。裏方企画者に徹する喜びの深まりである。今回遠方から来てくれた、その昔土取さんのワークショップを共に体験した女性のKさんや、岡山で私のシェイクスピアの音読に参加してくれたYさんなど、次世代の企画者として有望な人たち(全ては割愛する)との再会が、私にそういう想いにさせている。企画者として一番大切なことは、感動する力、勇気、好奇心、行動力、それと対等関係の仲間である。
私は地元岡山での企画を、東京でもやりたくなっている。地方発信の企画があってもいいと思う。スパイラルアームズも含め、土取利行さんの思いを受け止める企画を、あくまでも裏方企画者として、共にやれたら【夢】である。
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