週末五十鈴川だより、とすっかりなり、老いおい綴る五十鈴川だよりである。もっと打てば、もうよれよれになりつつある、とどこかで感じながらも、敢えてうつ、打たねばという、絶対矛盾をいきている。これはこと五十鈴川だよりに関してということではなく、かきたいということと、もう書かなくても良いのでは、といったいわく言いがたい内的な老境の発露である。
であるが、私にはどうしても手放せない、やりたいことがまだある。その一つが、孫たちが10才になる頃まで、なんとか元気に生きて共に遊ぶ時間を持つということである。そのためには、私のからだが動いて、元気でないと共に遊べないので、その想いを実現するために、労働している。(ただ体を動かす、疲れはてただでくの坊のように寝る。気持ちがいい)
その労働が苦しいものであったなら、このように能天気に、五十鈴川だよりを打つことは叶わないだろう。69歳で初めての大きな手術をしてから丸4年が過ぎた。術後、この春で4本もの企画を成すことが出来た。この間二人の新しい孫に恵まれ、この夏、予定では次女に二人目の孫が授かり、私は4人の孫のお祖父さんになる。まったく人生とは、未知への旅路というほかはない。
話を変える。昨日伊豆大島の谷口さんから封書が届いた。3枚もの手書き文字のお手紙である。もう私自身の生活の中で、手書きでのやり取りなどは皆無になりつつある暮らしのなかで、何ゆえ谷口さんとは、手書き文字でのやり取りをするはめになったのかを、縷々記すのは控えるが、このように手書きでのやり取りができる相手が、この年齢で忽然と現れたことに言い知れぬ喜びを覚えている。
もしも、あのとき出会わず、話をしなかったら、それは妻との出会いであれ、今現在の私の人生で出会え、関係性が続いている貴重というしかない友人たちすべてに言えることだが、もしも、という言葉は、魔法のようなことばである。偶然と必然の際限のない、つまりはこの世を生きることになった旅路の過程で巡りあった、人達との出会いの集積の上に、私はいまも変化し続けている、のだ。
孫たちとの出会いも含め、人は出会うことで生まれ変わるように想う。もっと敷衍すれば、人は人と出会うことで、生まれ変わりたいという、幻想のようなものにしがみついていたいのではないかという気がする。ことに私などはそう言う体質である。
谷口さんに話を戻す。33年ぶりの再会、しかも一度しか言葉を交わしたことがない。あまりにもドラマチックというしかない。それも近所ではなく、住まわれているところが、伊豆大島である。物語が好きな私にはあまりにもである。
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先日妻と泊まったホテルの部屋からの風景 |
いま、私はささやかな幸福感に浸っている。老いゆくなかで文通相手が見つかったからである。谷口さんはラインをしていない。距離を隔てた伊豆大島に住む谷口さんとの交信に、文を手書きする時間は、おそらくこれからの私の人生時間のなかで、貴重な、大切な時間となる。
話は大きく変わる。スマホをはじめとする。現代をあまねくおおうデジタルライフ、五十鈴川だよりだって、インターネットに由っている。絶対矛盾をわたしは生きている。だが、ここにハッキリと打っておくが、デジタルの及ばない世界にこそ、もっとも大切なことがあるという側を、私は生きてゆきたい。(クローンや優性思想は御勘弁願いたい、猪風来さんご夫婦ははスマホを持たない。限りなく私には新鮮である)
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