先ほど年に2回の町内の溝掃除を済ませ、五十鈴川だよりタイムである。昨日雨の中所用があって、車で里庄に出掛けたのだが、ラジオから世界的な写真家、セバスチャン、サルガドの死が報じられるのをたまたま耳にした。
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たまたま求めることができた |
もう一年以上前から新聞を止めたし、テレビの報道などもあまり耳をたてなくなってきたので、ラジオで耳にすることがなかったら、知らないままに日々を過ごしていたのに違いない。だが、結果的に知ることができた。
私がセバスチャンサルガドの名前をしっかりと刻んだのは、今から10年前、2015年の夏、渋谷の映画館で、ヴィム、ベンダース監督の【セバスチャンサルガド地球へのラブレター】というドキュメンタリー作品のを観たことによる。
おそらくすでに五十鈴川だよりを打っていたから、なにがしかのことを打っていると思う。(振り返り探して読んでみたくなった)セバスチャンサルガドという名前は、以来私の脳裡にガッチリと収まっている。
映画を見てあまりの素晴らしさに感動した私は、映画公開に合わせて、サルガドの翻訳されたばかりの自伝が劇場においてあったので、すぐに買い求め、帰りの岡山に向かう新幹線車中で夢中で読んだ。五十鈴川だよりを開いてくださる方はには、是非ともお薦めしたい本である。
県立図書にサルガドの写真集が数冊あったので借りて凝視(み)いった。衝撃を受けた。そこには私の知らない、見たこともない世界が、切り取られていた。サルガド見て感じて切り取った世界の真実のポートレイトは、いまも今後も、おそらく見るものの心の奥を揺さぶり続けるに違いない。今日はサルガドの冥福を祈り、サルガドの自伝を、静かに再読したいとおもう。
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