昨日夕刻岡山に戻った。そして今日労働バイトに復帰、夕刻いつもの自分の机に座って五十鈴川だよりをちょっと打っておきたい。
今日から7月、すごい暑さのなか無事に労働できた喜びが、五十鈴川だよりを打たせる。もう何度も打っているから、もうほかには打つことがないのかと言われそうだが、もうほかには今日はなにもないのである。
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兄姉の家から歩いて、8分位のところにある駅 |
30分も草刈りをしていると、この痩せた体から汗が吹き出る。一時間ごとにTシャツを着かえ、水分補給や塩分の補給をする。自分で言うのもなんだが、この年齢でこの数年の気候変動の真夏日、お昼までとはいえ(午後も働くときもある)働きながら、五十鈴川だよりを打とうという気持ちになることが、自分にしかわからないささやかな喜びなのである。
話を変える。今回の4泊5日の帰省旅は、いつにもまして、いい旅になったという実感、喜びが五十鈴川だよりを打たせる。それはこの年齢にならないと、実感できないというしかない、当たり前の生活の素晴らしさを以前にもまして気付きの深まりを、体感したことである。その事さえ打てれば、今日の五十鈴川だよりは終わりである。
が、もうちょっと打つ。何故こうも私は、一年に何度もふるさと五十鈴川の向かうのか、その答えが、今回具体的に分かったのである。それはお墓参りはもちろんだが、そして姉や兄の存在が大きいこともさることながら、やはりいつも私の帰郷を自然に温かく迎えてくれ、毎回心のこもった手料理で迎えてくれる義理の姉の存在がなかったら、やはり私の足はこんなにもふるさとに向かうことはないであろう。その事を五十鈴川だよりにきちんと打たずにはいられない、のだ。
ところで、今回五十鈴川だけではなく、珍しく日向灘のおくらが浜に夕刻行ったのだが、これが本当に、’久しぶりに行ったのだが、この海の砂浜の素晴らしさが、改めて体に深く刻まれたことを、なんとしても打っておかねばとおもう。
私が生を受けた、門川町の素晴らしさが、いよいよもって人生の持ち時間が、すくなるなるにしたがって、染みてくるようになってきたこと、きちんと打たずにはいられない。姉や兄の家のそばが、門川中学校でいくら少子かで、子供の姿が少なくなってきたとはいえ、今回も私は門川の中学生たちを何気なく見かける度に、ホッとした。なんとはなしに門川の子供なのである。うまく言えないが、皆可愛い。
そのような我が町にたった3泊しただけなのであるが、単なる観光旅行とはまるで異なる、ふるさと旅の有り難さを、随所に感じる旅となったことを、その有り難さをきちんと打っておく。
交通費と食事代、位でかくも豊かな旅ができる我がふるさと、五十鈴川の湖畔に位置する私にとっての宝のような町の事を、かくも偏愛する私の性をお許し願いたい。こればかりは老いてみないとわからない境地である。
ともあれ、これから今年後半に向かうエネルギーが五十鈴川への旅で充電されたこと、その喜びを打って本日はこれにて。
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