高梁の山里にひとりかくしゃくと暮らしておられる。旧遊声塾生Y氏の生家にお招きにあずかり、師走の一日、この上なく粋で、私にとっては記憶に残る良き時間を過ごすことができた。そのことをわずかでも、五十鈴川だよりに打ち綴りたい。
昨夜は私にしては珍しく、いろいろな意味で刺激を受けたことであたまがさえ、全身疲れているのに眠りに落ちるのが遅くなったが、気持ちよく目覚めた。私の筆力では、一日の細部を事細かに記すことは不可能にもせよ、 記さずにはいられないのだ。
I子さんが9時きっかりに迎えに来てくれ、穏やかに晴れた冬空の元、彼女の運転に身をまかせ、私は傍らで聴き上手なI子さんに、即興あれやこれやを語り続けながら、高梁に向かった。おおよそ1時間半で少し最後迷ったが、無事にY邸に着いた。
Nさんは所用でおくれてくることになり、二人での意外なドライブをI子さんはともかく、私自身は娘に語り掛けるかのように気楽に、一方的に多くのことを語り続けられた。このような時間は、めったなことではありえないので 、運転しながら聞いていたI子さんはさぞかし疲れたことと思う。この場をかりて(ありがとね、I子さん)とおつたえしておきたい。
さて、Y氏はまったく以前と変わらず、良き暮らし、生活をされていることがたたずまいからわかった。おおよそ2年ぶりとは思えぬさわやかな笑顔の自然体で迎えてくださった。私はその瞬間に来てよかったとの思いに満たされ、私にとっては大兄のような氏に、すぐに焚火がしたいとわがままを申し出た。
氏は不肖な私の申し出に、すぐに焚火の用意をしてくださり、3人で火の周りに集まり、焚火に打ち興じた。年齢を忘れ、しばし童心に還る。火は内なるざわつく心を鎮めてくれ、油断するとすぐにたまってしまう心の雑念や煩悩をはらってくれる、私にとっては魔法の杖のような遊び心儀式、いわばひさかたのお招き再会の始まりには、必須だったのである。
焚火さえあれば、私はどなたとでも打ち解け合える。遅れてやってくるNさんが到着するまで焚火を続ける。3人でモミジの枯れ葉や小枝を集めては 弱火の焚火遊びをしていると、Nさんが到着した。わずかな時間ではあったが4人で良き焚火時間を過ごすことができた。
焚火を終え、Y氏が用意万端準備整えてくれたシシ鍋を食す暖かい部屋に移動し、鍋奉行のY氏にお任せする。みそ風味のだし汁の入った黒い鍋がすでに煮立っている。最初まず近所で捕れたイノシシの肉をふんだんに放り込み煮込む、イノシシの肉は煮込むほどに柔らかくなると知った。
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写真はY氏から送られてきた一枚です。
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そこに火の入るのが遅い野菜を順番に入れ、白いふたをししばし煮込む。(鍋は黒ふたは白である)火が通り、いただきますと我々3人は、ただしばし黙々といただいた。すぐに体がポカポカ、温風ヒーターを消し、口数少なくただいただいた。
とてもおいしく一人ではない昼食を、こんなに多くの量をただいたのは手術後初めてである。初老男の胃袋に高梁の大地の恵みがしみたことの有難さを、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。
ともに食していると穏やかな時間が流れ、ずいぶんあっていなかった空隙を埋めるかのように、会話も自然と流れて、コトバは不要の心地いいとしか言いようがない、いつもとは異なる眼には見えない山里の神が、しばしわが体に取りついたかのようなこころもち、身体は山の神、自然と一体化つながっている。
我々3人はふんだんにY氏の畑地が生み出した幸、白菜、ネギ、ニンジン、大根、春菊、水菜、ゴボウ、(豆腐、こんにゃくなど以外のすべて)をいただいた。おいしく、ただ在り難く舌鼓をうった。
おなか一杯になり、別室で音楽を聴きながらコーヒータイムと団欒タイム。氏のコレクションの中から、Nさんが選曲、バッハのシャコンヌ(聴いたことがあるが曲名は知らなかった)。そしてピアノが堪能なNさんがいま取り組んでいる、展覧会の絵の曲(ムソルグスキーだったか、間違っているかもしれない)を聴いたりしながら、何とはなしに会話は自然に流れた。このコロナ下Yし邸で、このメンバーでたまたま過ごしているこのいっときが、やはり何かのお導きのようにわたしには思えたことも、打っておこう。
師走の山里の日暮れは早い、あっというまに時は流れる。最後氏が新疆ウイグル自治区への旅で求めたという、珍しいお茶をふるまってお開きとなった、なるはずだったのだが、今ニュースになることが多い、新疆ウイグル自治区への旅で、たまたま見知った氏の直接体験リポートのお話は、私にとっては意外な展開のお開きとなり、束の間の夢の時間から、反転して現実の世界が抱えている問題へと頭のスイッチがきりかえった。
明日から、これからをいかに生きてゆくかについての現実世界へと還ってゆくのには、ウイグル自治区のお茶と、初めて耳にする氏の旅の話は、私と氏との関係性により一層の色どりを加えたことも、打っておきたい。
遊声塾ではやれなかったことをこそ、これからやりたいがためにこそ、音読自在塾に始めた私には、世界の不条理に置かれているあまたの国々の、国家のことではなく、民族の民の声にこそ耳を傾ける一歩として、一人ででも音読自在塾をやりたいし、もし賛同してくれる方がいたら、自在に思考しながら、これまで出会えた方々や、そしてこれからの未知の方々とも連動したいのである。
社会的な不条理 、国家的な弾圧、ジェノサイドの隠蔽、あまりにも常軌を逸した人民弾圧、行き過ぎた暴力、差別や偏見や力と金での権力行使に関しては、初老凡夫、五十鈴川だよりでごまめの歯ぎしりであれ、勇気をもって発言したい。
もうほとんど失うものはな年齢である。楽なところにいてであれ、おかしく感じることには、勇気をもって発言する五十鈴川だよりでありたい。(もうすでに書いているが)
PS 氏は最後我々3人にお土産に焼き芋(これが素晴らしくうまいのだ)をくださった。帰路私はめったにない機会だと思ったので、よろしければとNさんを我が家のお茶に誘った。即オーケーとなり、意外な展開は流れ続き、はじめてNさんのお話も直接お話を聴くことができて、お茶に誘ってよかったことも、きちんと打って起きたい。時計は夜の9時を回り、おおよそ12時間にわたる、Y氏の住む高梁への旅をつつがなく終えることができたことの慶賀、往ってよかった。しっかと五十鈴川だよりに打っておく。