起きたばかりでほとんど何も打つ気がおきないほど、体は寝ているかのようなあんばいなのだが、昨日の音読自在塾6回目のレッスンのことをわずかであれうっておきたい。
ハムレットの有名な3幕市一場の 名台詞、2幕2場の最後の長台詞、それから間違いの喜劇のエドリエーナの2幕一場の長台詞を正味2時間くらい繰り返し繰り返し、立ってもらって外に向かって音読してもらった。そして、レッスンの最後にオフィーリアの3幕1場の台詞を音読してもらった。一人の塾生Kさんとのレッスンは瞬く間にすぎ、流れた。
昨日、私は午前中肉体労働の後のレッスンで 体が重かったのだが、Kさんとの音読が始まると、Kさんの一途さが伝播したのか、やにわに体に、疲れた体にスイッチが入り、今現在の体に電流が流れ始めたかのように、音読するする、集中する、できる自分がいた。
Kさんはエドリエーナの女こころのあふれんばかりの長いセリフを、事前に稽古してきたことが声の流れを聴いていて、私にはわかった。やる気と根気、未来の声を自分の体に見つけるのが音読自在塾の目指す方向である。彼女は集中力を切らさないように必死で挑む。
エドリエーナに近づく声を出すために、一行目のおんどくをを始めたら、一瞬たりとも最後まで集中力を切らさず、あふれんばかりの愛をもって、夫を罵倒する揺れる女こころを表現しなければならない。どこの劇団であれ主役級の役を演じるのは、その劇団のトップクラスの女優である。
だがそんなことは音読自在塾には全く関係ない。だれにだってやる気があれば、ハムレットをはじめシェイクスピア作品群のあまりに魅力的なヒロイン、ヒーローの言葉言葉言葉は、今を生きるどこかの無名の民に音読されるのを、コトバが開かれるのを静かに待っているかのように、私には思えるのである。無名こそが素晴らしいのである。そこを私は掘り起こしたいのである。どこにどのような才能が眠っているのかはだれのもわからないのである。
自分の中の才能、鉱脈が見つかるかどうかはやってみなければ、自分はもとより誰にもわからないのである。そのことは自分が一番自覚している。何度も何度も途方に暮れながらも、若き日に音読したことで、間違いの喜劇のイージオンの役がもらえた時の喜びは、いまだわが心の中にある。無我夢中で取り組んだ今となっては宝石のような時間であったと、きちんと五十鈴川だよりに打っておく。(娘たちは父の青春時代を知らないから)
Kさんが一途にエドリエーナを音読する姿を聴いていたら、突然先日亡くなった状況劇場の知る人ぞ知るヒロイン【李麗仙】の姿と共に劇中の台詞、【女一人大地を往くんだ】という台詞が忽然と脳裏に浮かんだ。記憶の底に眠っていた台詞が突如蘇ることの、何という不思議。記憶の宝が私には眠っている。Kさんが呼び起こしたのだ。
もうほとんど隠居生活を楽しんでいるかの風情だが、音読自在塾のレッスンがある日は、隠居生活から脱出、今は亡き自分と戦った死者(音読者)たちの おもいに勇気をいただき、鼓舞されながら私よりもずっとこれからがあるKさんに、かすかに私が学んだことを伝えられたらとのおもいである。
0 件のコメント:
コメントを投稿