水曜日の深夜、無事に車で帰ってきました。故郷まで往復車で帰るというと、家族がずいぶんと心配する年齢になっている中、車で帰ったのには自分なりの考えがあるのだが、そのことを打つとかなり長く打たなければならない。(だから端折る)
私くらいの年齢になると、身体のあらゆる機能が、自然にままならなくなるのは、摂理である。そのことに関しては、あるがままを受け入れるにしくはないとの思いではある。
ほかの方はいざ知らず、自分自身は自然にあらがうというのではなく、自然を受け入れつつも、今日できることの可能性のようなものに、往生際悪く、他者に迷惑の及ばない範囲での、自己責任において、追及したいとの我欲(いい意味で)を生きている。
だが、絶対矛盾というほかはないが、あかんと思ったらあっさり手放す勇気を持ちたいとも思っている。 特に次女に男の子が授かり、コロナ渦中の今年の夏、その孫のお世話に一週間上京した際、生誕間もない孫の顔を、眺めつつ暮らしながら、いよいよもって老いてゆく自分の姿と、輝いてゆく新しい生命のはざまで、いろんな思いが交錯したことをおもいだす。
打ちだしたらいろんなことが打ち出したくなる自分を抑えられないので、簡単にうちたいのだが、早い話、孫たちの記憶に残るくらいの時間は、しゃきっと生きねばと、かたく自分に言い聞かせたのである。
臆面もなく打てば、音読している姿を孫には見てもらいたいとの思いが募ってきたのである。まだ音読自在塾を発想する前であったが、遊声塾は閉じても自分一人での音読は続けるつもりだったし、孫とのこれからの関係性を豊かなものにするためにも、音読は続ける覚悟を孫の寝顔が私に育ませたのである。
あれから間もなく3ヶ月が経とうとしている。わずか3ヶ月で音読自在塾が立ち上がり、明後日は5回目のレッスンが控えている。まさに一寸先は分からないのである。新しい生命が生まれ、老いゆくものは倒れ、つまりは生命体は循環し入れ替わる。摂理である。そのことを今回のふるさと帰省で、思い知らされたが、そのことに関して打つのは今はまだ控える。
この年齢ならばこそ、こんなにもいろんなことを感じられる今をこそ、悠久の時の流れの中での、淡い思いを五十鈴川だよりに込めたいのである。往復ゆっくりと休み休み車を走らせ(時折混むところのみ高速を走ったが、7割は一般道を走った)ながら、車中老いの妄想時間を十分に楽しむことができた。
五泊六日長兄の家に滞在したが、兄と共に熊本の水俣病資料館を(以前から行きたかった)訪ねたほかは、ほとんど遠出はしなかった。五十鈴川だよりを打たない時間を含め、オフタイム持参したハムレットの台詞を(5行以上の)書き写すことを、合間合間に進めていたら、五幕の有名な【あとは沈黙】の台詞まで完了することができた。
命について、連鎖、循環、在ることの不思議について、この年齢での初めての手術後、まさにはじめてといっていいほどに、答えのない問いに思いを巡らす時間を大切に、大事に生きるようになってきた、在り難いというほかはない。
頭では、メメントモリの言葉をこれまでも何度も反芻しながら、生きてきたはきたのだが、入院中のあまりにもおもいのままに動かないわが体と対面したことの、あのなんとも言えない無残なみじめさは、形容できない。(音読できている今をこそ感謝し生きるのだ)
リア王の台詞だが、【ああ、わしはなんにもわかってはいなかった】という言葉が心底しみたのである。この感覚に従ってすべてをリセットすることにしたのである。
きっとこれが最後との思いで、これからも体が動く間は年に数回、生を授かった故郷、五十鈴川のほとりに立ち、折々リセットする勇気を持ちたい。
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