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2021-12-03

I氏の突然の予告なしの我が家への来訪、ほのぼのと私はうれしく、再び新たな関係性を深めたく思う師走の朝。

 人が人の家を突然訪ねてゆくなどということは、電話がなかった時代を知る私としては、そんなに不自然ではなく、今となってはそのような行為が、懐かしいというよりは、ほんまありがたい、意外性に満ちた出来事として、記憶に残るしうれしいのである。

そのような出来事が昨日起こった。元アサヒビールで管理職まで経験をされ、今は企業の診断士として第2の人生を歩まれているI氏が突然夕刻、私も妻も不在の我が家に来られたのである。

不在だったので氏は玄関わきに、新しい名刺と短い文章と、とある有名な淡路島の名産を置き土産にし、まさに風のように去ってゆかれたのだった。妻は買い物、私は仕事帰り図書館で本を読んでいてあいにくの不在、面会は叶わなかったものの、コロナ下、一陣のさわやかな風が吹き抜けたかのような心持に私はなった。

氏との交友については、多分この五十鈴川だよりでも打っていると思うので、繰り返しては打たないが、出逢ってから26年は経っているかと思う。

今の時代、と人との縁が浅いというか、あまりにも複雑化された現代社会、一言でいえば本人の意志とは無関係に、分断かが進んでゆかざるを得ないような時代状況下、I氏との関係性が君子の交わりのように、続いていることが、はなはだもって奇跡のように私には思えるのである。

氏の置き土産の淡路の特産玉ねぎ

ともあれ、一足早く帰った妻から事の次第を知らされ、自室で本当に何年ぶりかで電話を通して旧交を温めることができた事の嬉しさを五十鈴川だよりに打たずにはいられない私なのである。

一口に26年、関係性が切れずに続いているということの重みは、来年古希を迎える私にははなはだもって希少価値というほかはないほどに、こころに迫りくるものがある。とくにI氏とは私が企画者としてガンガンやりたいことが湧いてきて、次々とそれが実現していた40代に出会えた幸運が。

企画者として絶えずお金の工面に頭を悩ませていた時に、アサヒビールがビッグスポンサーになってくれたことで、どれだけ助けられたか計り知れない。(インターネット以前、とにかく私は動き回ってヒトに会いに行ってスポンサーのお願いをしていた。ああ、懐かしさに打ち震える)

事お金だけのことではない、中世夢が原のあのような場所でのリスクの多い野外音楽会、それも当時としてはあまり集客の望めない企画を上司にお伺いを立ててまで、応援してくださったその先見性に私は驚かされ、まったく利害がない関係性が世代を超えてつづいている。そのしなやかな柔らかい物腰と思慮の深さは、まったく私にはないものである。

その後、私は企画をひき、シェイクスピア作品を音読する塾を始めたのだが、我々の関係性は 続き、氏がアサヒビール高松支店長時代には瀬戸大橋から月に何度か遊声塾のレッスンにも参加してくれ、(言葉数は少ないがここ一番では勇気、好奇心があるのだ)なんと発表会にも 参加したことがある奇特な方なのである。

その後、博多支店に転勤され、ともにの声出しレッスンは途絶え、そうこうしているうちにコロナというわけで、本当に数年ぶりの電話ではあったが、あっという間に音声での関係性復活がかなったというわけである。(氏も病を経験され、今後は茶飲み話相手になれる)

私には数年ぶりであろうとすぐに打ち解け合える、まさに同時代を熱く生きた空気感を共有できる、得難い友人知人が(会えなくてもどうしているかしらと気になる方が)10人くらいいる。そのことが私の全財産といってもいい。(ことがあったら駆けつける) 

コロナ下、時代の先行きは不透明だが、健康でありさえすれば、少なくとも私の周りはささやかであれ希望の明かりがともっている。香川在住となったI氏との再会は、ひょっとしなくても腹が決まれば、何か明るい企画(生き方)ができる予感がする。予告なき来訪、映画のようなタイトル。意外性のない人生なんて私には、ああ、わからないしつまらないというほかはない。




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