家を建て替えて22年目の冬を迎えている。今朝は今年一番の寒さである。昨日は午前中肉体労働アルバイトをし、午後電動チェーンソウと斧で薪づくりに精を出した。妻がそばで細かなことを手伝ってくれる。我が家の冬の恒例行事である。
薪ストーブの薪づくりをもう22年もやっている。一口に22年といえばもう十分にふた昔以上だ。たぶんいつまでもは、薪づくりはできなくなり、やがては薪を買うことになったりもするのかもしれないが、いつものようにそのようなことを考えるのは、私の性格としては良しとしない。
その時はその時である。とにもかくにも今はまだ、斧を振り下ろす気力体力があり、夫婦そろっての体動かしができる今をこそ、在り難くいつくしみたいという思いなのである。灯油ストーブ他の 暖房器具もあるのだが、薪ストーブに魅せられた私としては冬の季節を過ごすのには決してなくてはならない、必須アイテムである。
北海道は富良野で体感した薪ストーブの暖かさを、私は死ぬまで忘れることはないだろう。家を建て替えるときに絶対欲しいもの、それは薪ストーブであった。よもやまさか薪ストーブのある家に住めるようになるなどとは思いもしなかったが、40代の終わりに夢がかなったときの嬉しさは感慨深く、まさに夢のような個人的出来事であった。
妻もすっかり薪ストーブの魅力にはまり、薪づくりに関しては全く労を惜しまないので、その点本当に夫婦間の潤滑油のような作用もあって火の効用のすごさに脱帽するばかりである。
話は逸脱するが、娘たちが何はなくとも極めて常識的な、普通人として生活を営んでくれていること、また思春期他の誰でもが通過する難しい時期、そんなに大過なく(はたからはわからないにせよ)成長してくれたのには、この冬の季節の薪ストーブの効用が大きく作用しているのではないかと、私は考えている。
冬の朝陽を浴びるわが寝室(しばし長女家族の部屋になる) |
もうあと一週間もすれば、娘たち家族が帰省してくる、次女の葉君は初めての里帰り、母も含めて一気に9人での大所帯になる。妻はそのために男の私には到底思いも及ばない準備を細部に至って考え尽くしているかのように、あれやこれやと知恵を絞っている。
今私が五十鈴川だよりを打っている部屋は長女家族が使うことになり、先日妻主導で、私は指示に従い、本その他の品々を主に私の書斎に移動し、机も移動し、余分なものは捨て、すっきりと片付けたのだが、実に快適な空間に変貌した。妻はカーテンも買い替えたりして娘たちの帰省を愉しみ待っている。
コロナ下で孫たちに頻繁に会えないので、この度の正月帰省をどれだけ妻が楽しみに待っているのかが私に伝わる。母親の、男親とは全く異なるとしか言いようがないほどの、細部を詰める能力の発露には、驚きを通り越して月並みだが感動を覚える。
普段暮らしているのには大きすぎる気がしないでもない家だが、何とか母の部屋も含め、全員がそれぞれの部屋で収まり年越しができる。家の中心部分に薪ストーブの炎が団欒を促す。
コロナ下での、葉くん初めて参加の家族全員そろってのお正月。今の私の暮らしが時折夢ように思えるが、夢ではない。見渡せば心寒々としたニュース報道が引きも切らないが、(しばしそのことは心に留め置き)つましくもささやかに、娘たち家族を迎える、足元を温める準備を妻としたいと想う朝である。
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