3日も五十鈴川だよりを打っていないと、何やらどこかちょっと打ちたくなるから、10年近く毎日ではなくとも打ち続けていると、常態化している というほかはない。そのことがそこはかとなくうれしい。
12月も早9日だが、淡々とルーティンワークをこなしながらも、どこかいい感じで、師走の日々が送れている。12月3日の五十鈴川だよりで打ったように、I氏の突然の来訪、関係性の新たな復活が一抹の新たな喜びを加えているのも、あると想う。生きてればこそいいことが舞い降りてくる。どうすれば舞い降りるのかは各々考えるにしくはない。
この12日には、氏が理事を務める瀬戸内サーカスの香川の庭園美術館で行われる公演にご招待を受けている。もちろんご招待にあずかることにした。ひさかたの再会が実に楽しみである。
幼少のころより落ち着きがなく、軽佻浮薄、粗忽者であったがために、今は亡き父親に糸の切れた凧、どこかふわふわしているの で風船玉などと呼ばれたこともある私である。これでよくこの年齢まで生き延びてきたものだと、自分でも呆れるくらいである。
でももうよろしいのである。バカは何とか言うし、こういうままならない自分 をどこか引きずりながら、流れ流れてゆくしかない五十鈴川、といい意味でのあきらめの境地の昨今である。ふわふわ生きてきたからこそ、アフリカ音楽の豊かさが企画できたのだから。
もって生まれた器、生れ落ちた場所の問題で、今となってはこういうふうにしか生きてこれなかったのだとの、(苦い経験も多々しながら)おもいしかない。今、現在地で冬の夜明け前、こうして五十鈴川だよりを打てる幸福を天に向かって感謝している。
冬の旅で静かに読みたい |
話は変わるが、安田登氏の書かれた【三流のすすめ】という本を読んでいたく同感し、私のような飽きあっぽく、気移りのする輩には大いなる味方というしかない本に出合って、そうか私だけではないのだと(才能の差は置くとして、そもそも才能なんて何だろう)大いに得心安堵した。本当に生きてゆく勇気をいただける御本、お薦めです。
さて、何度でも繰り言五十鈴川だより、人生は過ぎゆく、一回限り。ならば、いかに生きたらいいのかを自分の頭で考え歩んでゆくしかない。セーヌ川であろうが五十鈴川であろうが、川は流れとどまらない。だが人は死ぬのだ。
話を元に戻す。とういうわけでI氏との旧交を温める結果になり、電車に乗ればればすぐにも会える距離にI氏がいるということが、なにゃらうれしいのである。この2年にも及ぶそして今も続く、コロナの出口の見えない不透明極まるパンデミック渦中の中での、きわめて私にとってはあかるい話題なのである。
またひさかたの再会については、五十鈴川だよりに是非書きたいし、わが体に新鮮な風が吹き抜けるような関係性が、老いゆく中で再びともる予感がしている冬の朝である。
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