私の娘たちの世代は、もうほとんど水俣病のことは知らないないだろう。だからといって私が水俣病について深く知っているかというと、ほとんど大差はない。だが、この歳になっても、水俣病という言葉を耳にすると、身体のどこかが反応するのはなぜなのか。わからない。
上京したばかりの青春真っただ中、生きるのに、喰うことに必死の日々のさなかに、東京では光化学スモッグ注意報がよく発令され、公害という言葉をいやというほど耳にし、水俣病のこともしった。
あれから半世紀、いまだ水俣問題は続いている。続いているどころか、似たような事例、成長発展という、経済幻想の上に、置き去りにされてしまうかのような、弱者の民の存在は世界各地にかえって増え続けている。
そのことを、その事実の重さを声高にではなく淡々と、だがうちには激しい理不尽不条理なコトバにならないおもいをこめフィクション化し、映画化した、【MINAMATA】というフィルムを、次女の住む近く、吉祥寺のパルコの地下にある、アップリンクという映画館で7日日曜日、午後2時20分から見ることができた。1日一回だけの上映、56席で満席のミニシアターで。
このフィルムのことは、一人の今を生きる初老男として、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。ジョニー・デップという一人の世界でよく知られた俳優が、知る人ぞ知る伝説の戦場カメラマン、W・ユージンスミスを演じる。
今回、わずか3日間の上京でMINAMATAというフィルムを見ることができるとは思わなかったが、映画館から歩いてゆける距離に住む次女が、すぐに調べてオンライ予約をしてくれたおかげで、運よく見ることができた幸運を打たずにはいられないのである。
私は最近、ユージンスミスの奥様の、アイリーン未緒子スミスさんの新聞記事を読み、(ユージンスミスと共に水俣で写真を撮られた)続けてユージンスミスのドキュメンタリー番組をNHKBSで みたことで、ユージンスミスの生涯に非常に関心があったので、機会があったら何としても見たいと思っていたのである。
映画に関してはジョニー・デップがユージンスミスを演じるというただそれだけで、何としても見たかったのである。それ以外ほとんどなんの予備知識も先入観念もなく、いきなり見ることが思いもかけず意外な速さで叶ったことが、ただ嬉しいのである。(先日のふるさと帰省では兄と共に水俣を訪れたことも 、私の行動に影響をあたえているのは間違いない)
やはり、先入観なく見てただよかった。長くなるので詳細を打つのは控えるが、音楽は坂本龍一、窒素側と激しくやり合う役の真田広之はじめ、いちいち記さないがそうそうたる俳優が、日米で出演している。
そして一番驚いたのは、ユージンスミスを演じるジョニー・デップをはじめ、映画にかかわる表裏すべてのスタッフが一人の人間として、このMINAMATAという作品に取り組んでいるその姿がが映画を通して伝わってきたことである。
コロナパンデミックのこの時代、今なぜユージンスミスのなした仕事【写真】が蘇るのか、今またユージンスミスの【水俣の写真】が蘇るのか。名もなき民の無念の聲をユージンスミスは聞き取る。無念に全神経を集中し、耳を済ませシャッターを押す。1千回シャッターを押し、奇蹟の写真が死者の聲として浮かび上がる、50年の時を超えて。
見終えて思わぬことが起こった。この映画誕生に深くかかわった、奥様のアイリーン未緒子スミスさんが会場の来られ、何と舞台あいさつされたのだ。
私は娘たちはもとより、孫に手渡すためにMINAMATAの写真集を求め、アイリーンさんにサインをいただき、ミーハーのように写真にともに収まった。
PS 翌8日岡山に帰る日、たまたま 六本木の富士フィルムスクエアで、【ユージンスミスの見たもの】という写真展が行われていた。ゆっくりと見て回ることができた。3泊4日の上京は私にとって実りの秋となった。
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