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2021-11-29

何も打ちたいことがなくても、打っていると五十鈴川だよりが流れ始める、初冬の朝に想う。

 丸6時間一回も起きず、熟睡した体は在り難いことに、夜明け前のコーヒー一杯で、老いの身に灯が灯るかのように、さあ、今日も五十鈴川が打てるささやかな喜びに、心がしっとりとしてくる。

ほとんど何も打ちたいことも、とりたててはないのに打つというのは、ルーティン儀式のように、老いの繰り言五十鈴川だよりになりつつある証左であるとの自覚はある。

でもいいのである、いくつになってもパソコン画面と遊ぶかのように、キィを打つことは、老いのデジタルゲーム である、とさえ最近は感じている。

呼び水のように、今日一日を生きる、オーバーではあるものの、いわばささやかな覚悟のような儀式なの である。うつために生きているといえるのかもしれない、それはやはり確実にどかで死を意識して(そこに向かって)生きているという自覚の深まりであろう。

人生は一回限りである。メメントモリという言葉を、頭では どこかで若いころから死を意識するようなことが多かった私である。だからこのような人生を歩むことになってしまったのだと、今は言える気がする。40歳で企画の仕事をするようになり、50歳過ぎて人があまり来ないような企画をやりたくなってきたときに、いつも考えたことは、やらなかったらいつの日にか老いて後悔することがないか、考えて企画してきた。

土取さんとの仕事は依頼があれば受ける覚悟です。

2001年9・11同時多発テロが起こりあきらかに私の中で何かが変わった。還暦以後、あまりにも早い時代の推移と、人心の移り変わり、それとともにの私の心の推移、肉体的な推移で企画することは、今はやめた状態が続いている。

娘たちが成長する過程と共に、個人的に企画する余裕がなくなってしまったのである。企画することはお金の問題が付きまとうので、老いの身の肉体には、正直精神的な負担があまりにも大きく、家族に余計な心配をかけたくなかったのである。

家族に心配をかけず、しかし人間としてどうしてもやりたい企画を、娘たちの成長期と重なった50代ギリギリのところでまさに綱渡りのような状態の中で、よくもまあ、何本かの大きな自分にとっては、荷の重い企画がやれたものであると、今となっては、やはりやってよかったとの思いなのである。

企画とはやはり覚悟なのである。腹が決まり、支援してくれる人たちがいたからこそできたのだと、つくづく今となってはやってやはりよかったとの思いしかない。やってもやらなくても人生は終わるのである。企画を10年近くやっていないが、やめたわけではない。

同時代を今もいき、多大な影響を受けた土取さんをはじめ、私が直接出遭えた方々から、何かの依頼があった時には、老いの残り火をすべて傾けたいという意気は、いまだ燃え続けている。だから肉対労働も、音読も持続できているのかもしれない。

要は早い話、生きていればこそやりたいことは生まれてくるのだし、やりたいことが起こらない生まれてこない人生というものが、私にはつまらないし、【生きているのかいないのかそれが問題だ)という、ハムレットの永遠の謎に直結するのである。

 

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