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2021-11-14

 昨日、オフタイムの午前中、とある場所で久しぶりに夫婦での二人時間を過ごした。お花を生けるのに用いる、ガマ、といわれる植物を採りに出かけたのである。妻はお花が大好きなのである。華道とかは習ったこともないそうだが、ほどんど自分で育てた花や、植物を年間通して、家の内外に花がある。まったく関係ないが、愛猫の名前も花である。

トイレ、浴室はもとより、意外な場所に可憐な小さなが置かれている。このような私にはない特質というか、美質をともにくらすようになるまで私は知らなかった。つつましく、小さきものに、そしてあまねく近しい存在にほとんどのエネルギーを費やして足りる生活の中に、充足しているかのように、私には見える。

昨日妻が撮りました

足るを知ると、言う賢者の言葉があるが、私にとってはさしずめそのような存在なのである。五十鈴川だよりでは、彼女が嫌がるので、これ以上は打たないが、ともあれ昨日は彼女のドライバーを務め、私自身もいつもとは違う時間を過ごせ、良き気分転換になった。

そして、夫婦二人でのこれからの時間の過ごし方を、大切に生きねばと秋空のもとで思案したことは五十鈴川だよりに打っておきたい。

ところで、五十鈴川だよりの写真自分で撮って入れられるようになってきたので、Kさんの写真と併用でゆくことにしました。Kさんに負担をかけたくないという思いと、自分の拙文にはやはり自分での写真をとの思いも募ってきたのである。

上手下手ではなく、撮りたいものや、こころが動いた瞬間をスマホで切り取りたいという思いが、強くなってきたのである。文章だけの五十鈴川だよりではなく、写真を自力で入れたくなってきたからこそ、Kさんや妻のおかげで入れられるようになったのである。

以前は昔人的気分から文字だけでもいいという、どこか慢心感があったのだが、しゃしんの魅力にあらためて、惹かれる自分がいるのである。夕方運動公園でルーティン散歩しているときに出会う人とか、子供とか、落ち葉とか、犬とか、そして空とか、樹木とかを無償に撮りたくなってきたのである。

来年は古希を迎えるので、意識的に写真を撮る、という時間もまた大切にしたいと想うのである。論より証拠、とりあえずは先ずは五十鈴川だよりに、身近なこの世のわが生活をとれればと願う朝である。


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