昨日遅く3泊4日の上京旅から戻ってきた。5日と7日は次女のところ、6日は長女のところに泊まった。
実に有意義な滞在時間を過ごすことができた、そのありのままを可能な範囲で、記録的に五十鈴川だよりに何回かに分けて打っておきたい。
5日金曜日、8時半の新幹線で岡山を発ち、午後1時過ぎに次女の住む井の頭公園まで歩いて20分のところにあるマンションに着いた。住んでいるところから歩いてゆける距離に、巨木が多い井の頭公園があるなんて幸せな環境である。
さて、送られて来る写真で孫の成長は間接的には分かっていたが、葉君はしっかと間もなく首が据わるところまで、両親の愛情をたっぷりと受けて、まばゆいほどに成長していた。すぐに抱っこしたが、この小さき命の輝きは私のつたない言葉ではなんとも表現が不可能、命のつながり、神妙におじじは触れさせてもらった。
大きくなったら望晃くんと葉君に読んであげたい |
心づくしの昼食(自賛した宮崎の干物もいただいたのだが義理の息子が美味しいといってくれ、私はうれしかった、娘が作ってくれたワカメの酢の物が干物によくあっおいしかった)をいただいたのち 、娘と孫の葉君(生後間もなく4カ月)3人で散歩がてら、次女がよくゆくスーパーに出かけた時の、ある心に残る出来事を打っておきたい。
次女の住むマンション一階にもスーパーは在るのだが、散歩がてら出かけるのに適したスーパーがもう1か所、次女のマンションから500メートルくらいの距離にある。
その間に、なんと今では都心ではほとんど見ることは叶わなくなって久しい立派な農家が在るのだ。その農家では絶えず小松菜をかなり広い耕作地に植えている。その畑の整然とした見事さ美しさはたとえようもない。(娘にスマホで撮って送ってもらおうと今おもい付いた、後日アップしたい)
前回7月に上京した際たまたまそこを通りかかり、年のころ40歳代の男性(ご子息)が小松菜を収穫されていたので、声を交わしたら何と売ってくださったことがあったので、今回もまたどなたかが働いていたら、声をかけたいとは心のどこかで思わないでなかったのだが、今回は娘と孫の3人で通りかかって、あまりに雑草がなくきれいな農地に整然と植え時をずらして育った小松菜がまたもや目に入った。
娘曰はく、この小松菜畑を見ると気持ちが落ち着き癒されるのだと。だから散歩がてらちょっと遠いスーパーに買い物に行くのだと。娘とそのようなことを話しながら歩いていると、何と私たちの話し声が畑にいた初老の男性の耳に届いたのか、向こうから雑草が少ない理由などを話し始め、丹精込めた自慢の農地を、武蔵野のかってはたくさんあった農家の灯を守っているとのことをいきなり話始めた。家長でお年72歳のAさんであった。
私と娘はすっかりうれしくなった。厚かましくも前回上京した際もたまたま小松菜を分けていただいたので、今回もお願いしたところ、出荷しているのだからいいですよと、快く応じてくださった。スーパーで買い物を済ませ、帰りに豪邸の玄関わきにある野菜の洗い場に伺うと土をきれいに落として、袋に入れてくださった。なんと100円、消費税なし。
これも何がのご縁奇縁と、私は持っていた名刺を差し上げ、娘に今後も小松菜を売ってほしい旨お願いしたところ、心安く受けてくださった。武蔵野の大地を守る心意気に、私はどこか懐かしい日本人の面影を感じ、見た。
娘の住んでいるところの近くにある、大地の空間に色づく緑の野菜、葉君の母乳のためにも娘は安心な野菜他を食べなくてはならない。現代のメガポリスの目と鼻の先で収穫された小松菜がいただけるなんて幸せという以外ないではないか。
上京初日、Aさんという年上の武蔵野快男児に会えたことの出来事、何としても五十鈴川だよりに記録としてのこしておきたいのだ。わずか3日の上京初日の出来事が私をすっかりといい気持にさせた。私の人生をいまだ左右する座右の銘、犬も歩けば棒に当たるである。
帰ってさっそく夫のSさんに出来事を報告。Sさんはことのほかに聞き上手、私は彼と一緒の時間を過ごすたびに、親近感が増してくる。それは長女の旦那さんのレイさんにも言える。おまけにレイさんとSさんは仲がいい、臆面もなく打たせてほしい。私は果報者であると痛感している。
夜は、娘のお鍋料理をいただいた。葉君がぐずったりしても、二人力を合わせ辛抱強くケアーしている様に打たれ、上京初日良き気持ちで眠りに落ちた。
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