予定通り3泊4日の旅を終え、月曜日人生で2度目の深夜バスで昨日の朝西大寺に帰ってきた。
名古屋で友人に会い、土曜日は52年ぶり小学校の6年生の時に1年間在籍した、宮崎県北方にあった、美々地小学校の同窓会に出席し、翌日娘のところに世話になり、月曜日はバスに乗る直前まで親友と歓談し、これ以上は望めないくらいの充実した旅となった。
美々地小学校の同窓会に 、よもやまさか出席できるとは思いもしなかった。まさに今回の旅の白眉のわが想いを、わずかではあれ五十鈴川だよりに書いておきたい。
人という生き物は、やはり思春期の思い出を生涯引きずって生きてゆく、そのことをまざまざと思い知らされた、感動的な同窓会となった。52年ぶり、たった1年間しか在籍しなかった美々地小学校での私の思いでは、思春期の入口の思い出として、今となっては淡い宝のような個人的な記憶なのである。
ブログではなく、 美々地小学校の思い出として、頭がはっきりしている間にきちんと書いておきたいほどに、私の人生にとっては大きい出来事がいまも心の片隅に息づいている。
美々地小学校は、槇峰銅山があった有名な高千穂の近くの、山間の銅鉱町にある、町中が一つの家族のような雰囲気を持った、ほかに例のない独特の、地名通りの美しい桜並木に囲まれた、小学校だった。
小学校5年間を、生まれた海沿いの町、門川小学校で過ごし、6年生の春、桜が満開の美々地小学校に転校した。一年間住んだ銅山の長屋の集落の地名は桜ヶ丘で、文字通り桜がそこかしこに植えられていて、坂道を下ると小学校、登ると中学高校があり、我が家のすぐ上に中学高校のグラウンドがあった。
書いていると、いまだありありと そこかしこの当時の銅山町、美々地の景観がわが心の中に鮮明な記憶の中で今も息づいている。
しかしその槇峰銅山は私が転校した3年後閉山し、わが同級生たちは全国に散ってゆくことを余儀なくされたのだ。
高校生の夏休み、閉山後美々地を訪ねた時のそのあまりの変わりようには言葉がなかった。面影が消えていたのである。あれは夢の中の町だったのかといえるくらいに。思えば思春期に小さなある種のトラウマを私は抱えた。
人間とは悲しいかな、共通の記憶を持つ間柄の関係性の中でしか、愛情や微妙な心理の肌合いは生み出しえない性を生きているのかもしれない。それは幻想にも近い形で。
さて、同窓会には全国から、南は宮崎北は、青森から27名が富士山のふもとの御殿場に集結した。宿からの霊峰富士が、同窓会を祝福するかのように迎えてくれた。
なぜ私が52年ぶりにこの同窓会に出席することができたのかは、書くと長くなるが、歳と共に記憶の中のわが故郷への思が強くなってくる私は、帰省の折折に美々地を訪ねていたのだが、ある年、まだあった美々地小学校を訪ねた私は、縁あって小学校の近くに今も住んでいるT君と再会することができたからなのだ。
たった一年間しか在籍しなかったにもかかわらず、同じクラスでもなかったのにT氏は私のことを覚えていたのである。
なにせ52年ぶりだし、参加してもT君のように私のことを覚えていてくれるわけではないだろうし、いささかの不安を抱えての参加だったのは事実だが、私の杞憂はすぐに消えた。
私のことを記憶している人は少なかったにもかかわらず(半世紀以上が過ぎているのですから)たった一年しかいなかったのに、よく来たよく来たといって、大歓迎してくれたのである。
一番多感な人生の思春期、否応なく故郷から離散させられた、彼らのその後の人生の艱難辛苦は、各人各様、たような修羅の風雪の時間を生きてきたはずである。
それを生き抜いて52年後、今も(当時6年生は3クラス150人くらいだった)27人が集まっている、その家族的な絆の深さに、ただただ私は静かに脱帽し、感動した。
彼らは私が参加するはるか前から、五年ごとに 同窓会を行ってきていて、歳と共に参加者は減っているとのことだったが、それにしても熱い同志的絆で結ばれている同窓会に参加することができて私は心からよかったと今思いながら拙文をつづっている。
それに何と岡山は水島から参加しているT氏もいて、近く岡山で超ミニの同窓会をやろうとの約束もできた。
私の中で思春期を熱く語れる同郷人に一度にわっと会えたこのたびの同窓会は、何物
にも代えがたいご褒美、豊かな楽しいひと時を私に与えてくれた同窓会となった。
この同窓会への参加がきっかけとなって、老いてゆく中で、また改めて美々地小学校の同級生との新しい 関係性が育めそうで、私としては思い切って参加して心からよかった。
それにしてもこんなにも熱き友情で結ばれた楽しい同窓会に、いきなり 52年ぶりに参加することができた幸運は何といったらいいのかわからない、ただただ美々地という場所で出会った奇縁というしかない。美々地が私たちを結びつけているのだ。
外見は、私も含めそれ相応に年齢を重ねたが、各人、心の奥底に美々地での思い出を大切に記憶の宝として、生き抜いてきた同窓生の強さ、やさしさにいきなり参加した私は強く打たれた。
転校生であった私は、おそらく一生同窓会なるものに出席することはないと思っていたが、人生いつも書いているように一寸先はわからないのである。どこか心の底で私は同窓会に憧れていた。
初めて同窓会に参加して、いま思うことは、 美々地が私を同窓会に呼んでくれたことへの感謝である。私は今後可能な限り、この面々との会合には、同窓会にかかわらず、晩年時間駆けつけるつもりである。
同窓会の名簿作りから、今回の静岡での幹事から一切合切の雑事を引き受けてくださった方々、今も美々地に棲むT君、いきなり参加した私を暖かく迎えてくださった、今回の全同窓会メンバーに、こころからこの場を借りて感謝します、ありがとうございました。
くれぐれもお体大切にしてお過ごしください、またの再会を念じます。