ページ

2016-04-17

わが故郷の近辺で続いている地震に思う。

地震が続いている。つい6日前私は故郷の門川(五十鈴川)から高千穂を抜け南阿蘇に入り、そこの垂水という温泉に入り、ゆっくりしてから、友人のいる柳川に向かったのだが、近くに火の鳥というログハウスの温泉があるところも通ったので今回の被害が多い地震現場はただ事とは思えない。

もし昨日私が現場を走っていたら、このようにブログを書いているなんてこともありえなかったかもしれない。たまたま天運があったというしかない。

いずれにせよ、車で帰る場合大分ルートか、熊本ルートになるので、阿蘇や湯布院や日田、高森、竹田、三船他、知った地名が出ると現地の風景が蘇るのである。

九州男児という言葉がある、古い言葉であるかもしれないが、九州の言葉、各県でかなり異なるとはいえ下関から門司に入るとなぜかしら私は九州に帰ってきた安ど感につつまれる。(これは理屈を超えた遺伝子的な奥深い何かである)九州人である私には今回の震災は、どこかやはり他人ごととは思えないのだ。

ハムレットは親友のホレーショに、この天と地との間には哲学などの及びもつかぬことがあるというが、まさに然りなことがこうも次から次に多発すると、宇宙というかこの地球のマントルの奥深く、神秘の妖怪が煮えたぎっていて時折現れてはこのような(人間の側からみると)大惨事を引き起こす。

災害、天災は忘れたころにやってくるというが、私も含めた人間の大多数はやはり忘れてしまう。もっと言うならあまたの多くのいわゆる一般大衆はどこか忘れたふりでもしなければ生きてゆけないくらいに、日々の生活に追いかけまくられて生きているのが現実ではないかというのが、正直な私の認識。

もし自分が家が倒壊するとか、大切な分身を失うとかしたらどのような感覚に陥るか皆目想像だにできない。言葉で簡単に冥福を祈るなんて気持ちにだけはとてもならない。

姉や兄がが被災したら、安穏とブログなんか書いてはいないだろう。だからこその穏やかな日常のありがたみを感じながら、このいっとき書いている(つもりである)。

ささやかになにか自分にできることはないか考えている。

0 件のコメント:

コメントを投稿