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2016-04-02

第3回シェイクスピア遊声塾発表会無事に終えることができました。

夜夕食を終えた後ブログを書いた記憶はほとんどない私だが、今夜はほんのちょっとではあれ書いておきたいのである。

今日午後、2時から、何とか無事にシェイクスピア遊声塾の第3回発表会は終わった。天神山で塾生と共にささやかに打ち上げの祝杯をあげ、駅まで歩いたのだが、急に西川で束の間あお花見をしたくなった私は、たまたま駅までともに歩いた塾生3人と共に30分間くらいメタセコイアの樹のそばの桜を眺めながら、発表会の余韻に浸った。アサヒビールのI氏がビールをごちそうしてくれた。

明日私の個人的な発表会があるので、落ち着いてブログを書くような状態ではないにも関わらず、何か書かずにはいられない私である。神経が幸福感に満ちていて、3年はかかったが良き仲間に恵まれて、ようやくにしてシェイクスピア遊声塾がつぼみくらいには育ってきたという手ごたえを感じたのである。
塾生のM氏がつくってくれたチラシ

道なき道を、未知の仲間と共に歩むことの困難とスリル満点の、旅を終えた束の間の喜びの夜を、塾生に感謝するブログをとにもかくにも書いておきたいのである。

明日は、私の個人的わがまま発表会だがそれはそれ、とにもかくにも今日の塾生の発表会が無事に終わったことで、なにかしらの方向性が見えてきたような気がする。ただただ私はうれしいのである。

遊声塾は、シェイクスピアの言葉と肉体をかけて対峙することで、自分の中に可能性を広げてゆく、自分自身のレッスンを持続してゆく塾である。

ともあれ、このような無謀極まる塾に果敢に参加され、多くの方に観ていただいたおかげで、塾生もなにがしかの手ごたえをつかんだかのようにいい顔をみんなしていた。いい顔はどうしたら生まれるのか。

努力をすることは厳しきことが不即不離だが、仲間がいれば高い山にも上れるのだ。上った地点の見晴らしは体全部を使ったもののみが得られる、何かだ。

体が言うことをきかなかったら、勇気もへったくれもない。有難いことにささやかに、私にはいまだ勇気を育む肉と 血が流れている。チャップリンがいうように人生に勇気は欠かせない。

闇の中を手を携えて歩む仲間と共に、先のことはあまり考えず声が出せる今を全身で甘受する贅沢を生きていたい。

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