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2016-04-16

ハムレットのように【このままでいいのかいけないのか】考え続ける勇気を持ちたい。

帰省旅では阿蘇から熊本をを抜け友人のいる柳川に入ったのだが、ついこないだ車で走ったあたりが、大きな地震災害に見舞われた。

門川の兄にすぐ電話を入れた。これまでに経験したことのない揺れだったとのことだが、幸い被害はなかったとのことである。いまだ余震が続いているから安穏とはしておられず、現地の被害が集中したエリアの方々のことを想像する。

お隣の川内原発は、この渦中も稼働している。もしという仮定を、わたくしごときでも想像する。川内原発の近辺で起きたらと。きっとこのような想像をした方は私だけではないと思う。

この火山列島には、53基にも及ぶ原子力発電所がある(稼働していないのも含めて) 。安倍さんは経済経済とうわ言のようにのたまうが、今更のように我々はひとつ間違えば奈落の底という、安全という名のおまじない的平和をたまたま享受していることをあらためて知らされる。

テロという言葉が、テレビや紙面で耳タコが出るくらい聞かされる。一庶民にの頭では何をどうしていいものやら、とんとちんぷんかんぷんの有体なのだが、それでも何かは思い考えるのである。

生きていることの醍醐味の一つは、自分の体で(しかないのだから)考え動き、動き考えすることではないか。(何故テロはやまないのか、原発が狂信的テロに襲われたら。現実は映画ではないのだ)

スイッチをひねれば、電気も水もお金さえ払えば、無尽蔵に出る、あるかのように錯覚しているが、インフラが地震に会えばすべては水の泡になる経済優先、命後回し社会に我々は放り込まれている、といった認識が私にはある。(いつ何時棄民化、難民生活に陥るか対岸の火事では済まない時代に生きているという認識である)

そういう社会のほとんどを、戦後70年 の64年間を私は生きてきた。しかしいま、本当にどのような国であったら、日本国民は幸せな感覚を取り戻すことができるのかの大きな歴史的な転換点の土壇場にいるのではないかという気がしてならない。
竹韻庵に記念樹として植えた柿木が根付きました

先日新聞で、国民は知る権利があるという言葉と共に、知る義務があるという言葉も知った。

夏には選挙があるが、18歳以上の国民はこの国の行く末の舵を託す政治家の大局観をとくと見極めねば取り返しがつかないことになる、気がする。

いきなりだが、シェイクスピアは【夏の世の夢の妖精パックに人間てなんて馬鹿なんでしょう】と、いわせている。バカの一人の人間として思うことは、自分は利口だと考えている人間ほど度し難いものはなない、という認識が私にはある。

誰かが言っていた言葉、明日世界が滅びる(あくまで人間世界が)としても、花を植えるというしかないし、赤ちゃんは生まれているし、そこに幻想の希望を持つしかない、しがみつくしかないというのが現時点での私の思い。

ささやかに五十鈴川だよりを書き、発言している我が身としては、土を耕し作物を植え命の根本に体で触れながら、思考も開墾しなければ、天と地から浮いたような考えに煮つまってしまうのではないかという不安に駆られるのである。

4年前東北の大震災をこの目で見て、私の生き方は大きく変わった。友人たちとの付き合いも私が変わったことで、多少の変化が見えているが、大切な友人たちとは全く変化なしにお付き合いが続いている。

幸福感、命の根源、自分が本当に大切に思えることは奈変に在るのか、そのことを日々自分を疑いながら、ハムレットのように、このままでいいのかいけないのかを、考える勇気を持ちたい。

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