ゆく前も書きましたが、兄や姉が愚弟の私を暖かく迎えてくれました。桜をあと何回愛でることができるかというくらい、兄や姉との語らいもいずれは叶わぬ時がやってくるからこそ、逢える時に会っておかねばとの思いです。
【月曜日に帰る予定でしたが、30年来の友人が博多にいまして電話をしたら柳川の現場にいるとのことでしたので、いったことのない柳川に立ち寄り旧交を温め合いました。
K氏は遠方から立ち寄った私を心から歓待してくれ、観光客のまったくいない琴奨菊のふるさとで、水路の角のお魚居酒屋でおいしいお魚料理とお酒をご馳走してくれました。北原白秋 の生家の近く、空には三日月。風情の極み、しばし風に狂う男時間を二人で過ごしました】k氏にこの場を借りて感謝。
若い時はともかく、晩年よもやまさか自分がこのような穏やかな気持ちになるなどとは思いもしませんでした。老いた、齢の功名だろうと素直に有難く思っています。
ところで、次兄の家の庭に咲いていた花をいただき球根草なので車に積んで持ち帰り、今朝起きてすぐに竹韻庵にゆき植えました。
車の中に丸2日間いたので根付くのを祈るのみ |
私は定年退職後、土に親しむ生活を心かけているまったくのど素人なのだが、次兄の言う通りにとりあえず移植した 。
手間をかけただけ、やはり喜びは大きい。車で帰らなければ持ち帰ろうとは思わなかったかもしれない。今は亡き実家の庭に在った植物も何種類か西大寺に持ち帰り移植したのだが根付いている。
少しずつ兄や姉にいただいたわが故郷の縁あった樹木や花を竹韻庵に移植してゆきたいと思う私だ。
せっかちな私だが、気長に丁寧に物事に取り組む面白さがいくばくか身につき始めたように思う。
のんびり電車旅とか今回のようにできるだけ高速を走らない旅なんかも随分と楽しめるようになってきた。高速では見えない豊かな人々の暮らしが、車窓からは見えるのだ。
反射神経が鈍くなってくるし、用心しながらゆっくり運転をする。自然な衰えとたたかうのではなく、牛歩のように進む楽しみを見つけるというか、確実にやってゆくことの大切さ。老春は今のところ実に面白い。
話はあちこち変わるが、先日一人で間違いの喜劇全幕読んでみて体感したのだが、かろうじてある程度の速度で読み終えることができた。訓練によって早く読むことだけは、今のところなんとかキープしている。
こればかりは訓練しないと体がすぐに錆びついてしまう。というわけで今日もこれからいくばくか口を動かし、非日常から日常へと向かう五十鈴川である。
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