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2016-04-28

次兄から突然送られてきた西原村のお芋を食べながら在り難さを噛みしめ考える。

いよいよ紫外線が強くなり気温も上がり始めたので、朝一番竹韻庵にこのところ通い始め、10時には作業を終えるようにしている。

そのようなわけで、これから夏場はとくに朝のブログは書く機会が減るかと思う。どうか斟酌してくださいますようにと、御断りを入れておく。

九州地方一帯はいまだ余震が続き、正直私自身もどこか気分がどことはなしに、五月晴れのような塩梅にはゆかない中日々を過ごしている。

がしかし、私自身の日々は流れてゆく中、私のすぐ上の次兄から先日どっさりとサツマイモが届いた、聞けば地震で家が倒壊した、あの熊本は西原村の友人がつくったお芋農家のサツマイモだという。

次兄は車一杯毛布や煮炊き用のコンロはじめ、一式を積んで駆けつけたという。その農家の方が昨年秋に収穫したお芋だというのだがあまりの立派さとおいしさにびっくりしている。

こまった時にとにかく頼れる友人や知人が身近にいるということはかけがえがないのだということをあらためて知る。

備えあればと昔の人はいうが、備えというのはあまねくひろい意味でとらえた方が正鵠を得ている気がする。

普段からの生き方をはじめ、積み上げてきた何かがきっと問われるのではないかとあらためて次兄の行為の立派さに感じ入った。

小学6年から父と共に転校した私は、次兄と共に密に過ごしたのは11歳までなのだが兄弟の中では一番苦労しているせいか、他者に対して実におもいやりが深い。

この兄と最近帰郷の旅に交流を深めている。植物や土いじりが好きでいろんなことを良く知っているのでとんちんかんな私には貴重な兄である。

いつかブログで写真をアップしたいが、見事な庭を数十年かけて作っているし、もちろん家庭菜園も見事な野菜を作って長兄や姉、近所に分けている。

突然送られてきたお芋の意味を私はしかと受け止めながら、人としてどのように生きてゆけばいいのかを、お芋をいただきながらいい歳をしてあらためて考えている。


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