今夜妻と娘が東京の娘夫婦のところから帰ってくるが、先週木曜日からひとりでの生活をしていた。わずか三泊4日だが。
たまにはこういう時間もいいものだと考えたりしている、今夜からは普段の暮らしに帰る。いつもは当たり前のようにいる妻や娘がいないと、家の中は急にがらんとしてしまうことが実によくわかった。
幸い犬のメルと猫の花がいるがために、えさをやったり散歩に連れ出したり、その世話も含め自分の食事を3回作るのだって、掃除だって買いものだって、なにやかや生きているということは、丸ごと全部時間がかかるということが実によくわかる。
そういうことを私はなるべく楽しんで過ごそうと相務めているのである。ところでいきなり話は変わるが、わが故郷に椎葉村というところがある。
わがご先祖の山一つ越えたところに在る、半世紀までは宮崎の秘境であったところである。その地で今はたった一軒だけになってしまった、5500年前から続く焼き畑農業を今もやられている、椎葉クニ子さんの本を、偶然イオンの本屋さんで見つけ、すぐ買って読んだ。
ほんの表紙の当時89歳写真の笑顔が素晴らしい。この本はきっとこれからの私の手元にずっと留め置く。たまたまNHKで数年前、このクニ子おばばの素敵な番組を見ていた記憶があったので、引き寄せられるように棚に在った背表紙に手が伸びたのは、やはり縁である。
おばばの本関心のある方には推薦したい。内容はシンプルで高貴で究極の天然エコライフを実践している稀な世界ヒト遺産にしたいような、高地に咲いた御女性である。
またもや話は変わる。間もなく竹韻庵に通い始めて10カ月になる。五十鈴川だよりを読み続けている方は、夢が原退職後の私の動向、生き方の右往左往じたばたぶりはよくご存じだと思うが、竹韻庵にゆくようになってから、生まれて初めて経験することがこのところやんわりと増えている。
まず何といっても竹や笹野根の開墾作業や植えたことのない野菜を植えること。そのことはまた機会があったら別の機会に書きたいと思っているが、 今日書きたいのは食に関してのことなのである。
先日私は竹韻庵に群生しているフキで生まれて初めてキャラフキを自分で作ったのだ。剥いてあくを抜き、しょうゆ・砂糖・お酒・鷹の爪で我流で味付けをしたのだがこれが自分でいうのもなんだがうまいのだ。
生まれて初めて作ったキャラフキ |
これに、あったかいご飯がればもう何もいらないくらいである。数時間前に採ってきたものだから鮮度がまるで違う、歯ごたえが柔らかくキャラフキってこんなにうまかったのかと初めて知った。
この後にクニ子おばばの本に巡り合うのも 必然のように思える。さっそく遊声塾のY氏にいただいた山ウドがあったので、これもさっとゆでておばばの言うとおりに三杯酢にしたところ、これまたなんとも言えない歯ごたえ。
まったく老いて知る、味わいの奥深さというほかはない。これから私は山野草の魅力を追求したいという思いが格段と深まってきた。保存がきくので私のような横着な人間にはもってこいなのである。
とくにこの3日間はひとりだったので、勝手気ままのありあわせ我流創作メニュウで乗り切った。麺類が好きなので、そば、うどん、パスタ、なんでもござれ竹韻庵の野菜、セロリ、ブロッコリー(保存していた)玉ねぎ、ネギ、春菊、それに少々のお肉があれば、何とかなる。セロリのうどんなんて、葉っぱの部分からのエキスがなんとも言えなかった。微妙な味が絡まる手ごたえ。
なんでも楽しんで挑戦工夫すればあとは未知の味との遭遇である 。今日もお昼冷蔵庫にトマトとキャベツが余っていたので、母に頂いたさやえんどう、新玉ねぎ、とベーコンを黒コショウとオリーブオイルで炒めイランの塩で炒め、カレー粉少々で不思議なおいしさのパスタができた。
それから竹韻庵にはヨモギがたくさん自生しているのでおばばの影響でたくさん積んできて今干しているのだが、薬草風呂とヨモギ茶にするつもりでいる。
自然が与えてくれる恵みの何という在り難さ、何やらどこかに出かけずとも我流GWを楽しめそうな気配である。
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