何やら久しぶりの五十鈴川だより、明日からは6月である。なにか書きたい、だが何を?
前回も書いたが、ブログを書き始めてこんなに間があいたことは、いまだかってなかった。だが最近ほとんど書いていないのにはきっと何かわけがあるに違いないのだが、いちいちそのことを書いて説明するのがはなはだ億劫なのである。
老害ではないと思いたいのだが、ブログを書かずともほかのことで充足する老春的感覚が、にわかに出来し、この数十年絶望的な情熱を根拠にいろんなじたばた動きをしていたのだが、わが体にいい意味での異変が起こってきているというあんばいは確かだ。
ようやくロバの夢決定台本が完成、参加者も二人増え、踊りのレッスンとセリフのレッスンはしばらく別々での稽古が行われる。今日は午後私のレッスンが(ほぼ週一で)行われた。
取り立ててことさらに書くこともないのだが、なんか久方ぶりに歳を忘れ、昔に還ったかのような感のある稽古ができて(まだまだ入口)苦しきなかに何か、面白いことが64歳のわが体に起こりそうなかすかな手ごたえのようなものを感じている。
できるできないはともかく、挑戦する。自分の中の何かと格闘しないと出てこない大きなイメージをS女史の台本から鍛えられている。いわば苦楽、実に畑開墾作業と通ずるものがある。
稽古というものは、無になってぶつからないと何も生まれないのである。ひーひー言いながら汗を書きながら、夏の昼汗をかき、あとおおよそ2か月、私は7月29日の【ろばの夢】の夏の夜に向かう、何が起こるかわからない、ただただ逃げず立ち向かうつもりである。
話は変わる。28日岡山の禁酒会館で、私はこれまでの自分の人生のお恥ずかしき半生をインタヴューされる、またとない経験をしたのだが、その会場に来られていた一人の女性から、本当に在り難きうれしいメールを昨日いただいた。
ブログのコメントでもこのようなうれしいコメントはいただいた記憶がない。何かを共有できる感性の出会いというものは、そうはめったに人生には訪れないものである。
禁酒会館での一匹オオカミ(私の性格はオオカミにはほどとおいが)公開インタヴュー企画は、実にユニークでいつもとは違う感覚につつまれ、熱い来場者との一期一会のライブインタヴューとなった。その直観的決断は吉と出たように私には思える。(企画をされたO氏に心から感謝している)
当たり前のことだが、安全紋切型人生ではあかんのである。無理するというのではなく 、自然に冒険できる一隅のチャンスが訪れたら、そのチャンスを逃さない勇気がないと、とやはりだめなのだと痛切に思わされた。
ある種のライブ幸福感に体が満たされるのは、いい言葉が浮かばないが、たまたま居合わせ、出遭えた芸術的な瞬間時間としか呼べない類の何かである、というしかない。
愛情あふるる激励メールをいただき、五十鈴川だよりで深く感謝の気持ちをお伝えします。K・Iさん、お会いできて言葉を交わせて心よりうれしかった、ありがとうございました。
申し訳ありません。ご案内頂いたのですが 勤務の都合で お伺い出来ませんでした。新しい世界で ますますの ご活躍を(*^^)v
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